World Mysteries Encyclopedia
FOGOU
コーンウォールの「地下回廊」大いなる謎
紀元前500年。イギリス最南西端の荒野に、人々は地下に石の回廊を掘り込んだ。
なぜ造られたのか——2500年後の今も、誰も答えを知らない。
暗 闇は完全だった。懐中電灯の光が届かない奥から、冷たい空気が這い上がってくる。膝をついて石の床に手をつくと、指先に水分と微細な砂の感触が伝わる。頭上では、2400年前の職人の手が積んだ石の天井が、今もどっしりと重くのしかかっている。
ここは、コーンウォールの荒野に潜む地下回廊——フォゴウ(fogou)だ。ハリジー・フォゴウ。イングランド最南西端、リザード半島の牧草地の下に眠る、鉄器時代の謎の構造物。英語では「foo-goo」と発音するこの言葉は、コーンウォール語で「洞窟」を意味する。しかしここは洞窟ではない。人間が、意図的に、信じられないほどの労力をかけて掘り込んだ空間だ。
通路の長さは20メートル以上。幅は大人ひとりがやっと通れるほど。天井を構成するグラナイトの石板は、一枚数百キログラムにも及ぶ。二千年の歳月が経った今も、天井は崩れていない。壁は乾燥した石積みのまま保たれている。紀元前5世紀に建造されたこの構造物は、ローマ帝国の興亡も、中世の疫病も、二度の世界大戦も生き延びてきた。
では——これは何のために造られたのか?
考古学者たちは200年以上この問いと格闘してきた。食料庫?避難所?宗教的聖所?女性の儀礼空間?それとも、私たちには想像もつかない何か別の目的のために?答えは、いまだに出ていない。フォゴウは、コーンウォールの赤い大地の下で、沈黙を守り続けている。
Chapter 01
大地の果て、コーンウォール
The Last Land of the Celts
なぜフォゴウはコーンウォールにだけ存在するのか。その謎を解くためには、まずこの土地そのものの特異性を理解しなければならない。コーンウォールは、単なる英国の一地方ではない。それは、ケルト文明が最後に生き残った要塞なのだ。
コーンウォール半島は、イングランドの南西端から大西洋に向かって細長く突き出した、まるで刃のような土地だ。長さ約120キロメートル、最も幅の狭い場所ではわずか10キロほど。三方を海に囲まれ、北には荒々しいブリストル海峡、南にはイングリッシュ・チャンネル(英仏海峡)、そして西の彼方にはアイルランドとアメリカ大陸が続く大西洋が広がる。花崗岩の断崖と荒涼たる荒野(ムーア)が続くその風景は、イングランドの他の地方とは明らかに異なる、独自の荒々しい美しさを持っている。
19世紀の作家トーマス・ハーディは1870年にコーンウォールを初めて訪れた際、こう記している——「ここは夢と謎の国だ」。その言葉は、100年以上経った今も色褪せない。
「コーンウォールは、夢と謎が卓越して存在する場所である。夕暮れ時、大西洋に沈む太陽がまるで炎の戦場のように燃えるとき、アーサー王と彼の騎士たちの伝説が真実であるかのように感じられる。深い謎が我々を包み込む。」
— トーマス・ハーディ(Thomas Hardy)、1870年
ケルト文明最後の砦
コーンウォールは古代から、ブリテン島の他の地域と一線を画す独自の文化圏を形成してきた。ケルト語の一派であるコーンウォール語(Kernewek)は、ウェールズ語やブルターニュ語と近縁の言語で、18世紀まで日常的に使用されていた。最後のネイティブ・スピーカーとして知られるドリー・ペントリース(Dolly Pentreath)が1777年に死去するまで、この古代言語はコーンウォールの漁師や農民たちの口の端に生き続けた。
コーンウォールをケルト語では「ケルノウ(Kernow)」と呼ぶ。この語源はブリトン語の「corn(角、岬)」に由来するとも言われ、文字通り「岬の地」を意味する。ローマ軍がブリテン島を征服した後も、コーンウォールの西端地帯は事実上の独立を保ち続けた。ローマ文化の影響は受けつつも、土着のケルト的世界観は根強く残った。その証拠が、ストーン・サークル(巨石円陣)、メンヒル(立石)、ドルメン(横穴式石室墓)といった先史時代の遺構の密度の高さだ。
5世紀以降、アングロ・サクソン人の圧力によってケルト人たちはブリテン島の西端に追い詰められていった。ウェールズ、スコットランド、そしてコーンウォールが「最後のケルトの砦」となった。コーンウォールが927年にイングランド王国に併合された後も、その文化的独自性は失われなかった。1497年の「コーンウォールの反乱」、1549年の「祈祷書の反乱」など、コーンウォール人は繰り返し、ロンドンの支配に抵抗してきた。
コーンウォールの重要性は、その孤立した地理的位置にもかかわらず、古代地中海世界との交易によって際立っていた。コーンウォールは古代世界における最重要の錫(スズ)の産地のひとつだった。青銅器を作るための錫は、地中海のフェニキア人やギリシャ人商人にとって不可欠な資源であり、彼らははるばるコーンウォールまで船を出した。紀元前4世紀のギリシャの地理学者ピュティアス(Pytheas)は、錫の産地として「カッシテリデス(錫の島々)」を記述しており、これがコーンウォールやシリー諸島を指すと考えられている。フォゴウの謎を解く鍵のひとつとして、この「錫と信仰」の関係が後に重要な意味を持ってくる。
フォゴウが生まれた時代
フォゴウが造られたのは、主に鉄器時代(Iron Age)、すなわち紀元前500年頃から紀元後400年頃にかけてのことだ。この時代のコーンウォールには、ダムノニー(Dumnonii)と呼ばれるケルト系の部族が暮らしていた。ダムノニーという名はブリトン語の「深みの地の人々(people of the deep places)」を意味し、——なんと示唆的な名前だろうか——まさに地下を掘る人々を指していたかのようだ。
当時のコーンウォールの社会は、農業・牧畜・錫採掘を基盤とした集落(ラウンドと呼ばれる円形の土塁に囲まれた農場群落)を中心に組織されていた。典型的なラウンドには数家族が暮らし、石造りのコートヤード・ハウス(中庭式住居)が並んでいた。そして多くの場合、そのラウンドの中心部には——フォゴウが存在したのだ。
Chapter 02
フォゴウとは何か
Anatomy of the Underground
フォゴウとは、コーンウォールの鉄器時代〜ローマ・ブリテン期の集落跡に付属する、石積みの地下通路構造物だ。その外観は地表からはほとんど見えず、芝草に覆われた小さな丘か、岩の隙間にすぎない。しかしその下に潜り込んだ者を待ち受けるのは、精緻に積まれた石の壁と、巨大な石板で構成された天井、そして漆黒の闇だ。
名称の由来と多様な呼び名
「fogou(フォゴウ)」または「fougou」という言葉は、コーンウォール語の「fow」または「gogow」に由来すると考えられており、どちらも「洞窟」を意味する。発音は「foo-goo(フー・グー)」が標準的だが、地域によって「fuggy hole(フォギー・ホール)」「vug(ヴォッグ)」「vow(ヴォウ)」「foggo(フォゴ)」「giant holt(ジャイアント・ホルト)」などと呼ばれることもある。
「giant holt(巨人の隠れ家)」という名称は、後世の農民たちがその巨大な石板を見て「巨人でなければ運べない」と思ったことから付けられたと考えられており、興味深い民俗学的背景を持っている。コーンウォールには古来から巨人伝説が根付いており、「コーンウォールのジャック」(Jack the Giant Killer)のような物語も生まれている。
構造の詳細
フォゴウの基本構造は、地面を掘り下げたトレンチに、乾積み(モルタルを使わない石積み)の壁を立て、上部に石板を渡して屋根とし、その上に掘削した土を盛り戻したものだ。この「切り込み・蓋掛け(cut-and-cover)」工法は、現代のトンネル工事でも使われる原理と同じだ。
典型的なフォゴウの断面模式図(カーン・ユーニー型)
特徴的な構造要素
フォゴウを構成する主要な要素は以下の通りだ。
多くのフォゴウには、本体通路から分岐して地表へと続く、非常に狭い副通路がある。「クリープ(creep)」と呼ばれるこの通路は、大人が四つん這い、あるいは腹ばいで進まなければ通過できないほど低い。入口での意図的な制限を示すこの設計は、単なる実用的構造物というよりも、儀礼的・象徴的な意図を示唆すると多くの研究者が指摘する。
カーン・ユーニーのフォゴウに特徴的な付属構造。石積みのコルベル(持ち出し積み)工法によってドーム状の天井を作り出した円形の部屋で、直径4.6メートル、高さ2.4メートルに達する。完全に地下に埋まっており、冬至の夜明けに太陽光が入口から差し込む方向に向いていることが確認されている。この設計は宗教的意図の最も強い証拠のひとつとされている。
ハリジー・フォゴウには「スタンブリング・ブロック」と呼ばれる特徴的な構造がある。通路の途中にある、岩盤が意図的に(あるいは自然に)残された突起で、知らない者はここでつまずいてしまう。侵入者を阻むため、あるいは何らかの儀礼的な「境界」を示すために設置されたとも解釈される。
フォゴウの壁は、石灰岩やスレート(粘板岩)などの地元産の石材をドライストーン(乾石積み)で組み上げている。これはモルタルなどの接合材を一切使わない工法で、石と石の精密な咬み合わせだけで構造を保持する。驚くべきことに、この技術は現代の職人でも習得が困難な高度なものであり、2400年経った現在でも多くのフォゴウの壁は崩れていない。
全フォゴウ一覧
| 名称 | 場所 | 長さ(通路) | 特記事項 | 状態 |
|---|---|---|---|---|
| ハリジー・フォゴウ(Halliggye) | リザード半島、トレロウォレン | 27m(T字型) | 最大・最良保存。英国遺産管理。無料公開 | 良好 |
| カーン・ユーニー(Carn Euny) | ウェスト・ペンウィス、ブレーン | 20m + 蜂の巣室 | 集落の中心。蜂の巣室付き。冬至アライメント確認 | 良好 |
| ボレイ・フォゴウ(Boleigh) | ラモルナ近郊、ロースメリン | 11m | 入口柱に人物浮彫刻。唯一の彫刻装飾。Time Team 1995年調査 | 良好 |
| ペンディーン・ヴァウ(Pendeen Vau) | ペンディーン村、農場内 | Y字型 | 農場内。白衣の女性の幽霊伝説あり。私有地 | 良好 |
| トレウォードレーヴァ(Trewardreva) | コンスタンティン | 不明 | 「ピクシー・ホール」の別名。ピスキー妖精伝説 | 良好 |
| ボーデン・ヴィーン(Boden Vean) | マナカン、リザード | L字型(発掘中) | 1996年農夫が再発見。Time Team 2021年調査。北アフリカ産陶器出土 | 発掘中 |
| キジョースター(Chysauster) | ガルワル | 不明(崩壊) | 英国遺産管理のコートヤード村跡内。安全のため封鎖 | 一部消失 |
| ロワー・ボスキャズウェル(Lower Boscaswell) | ペンディーン近郊 | 不明 | 一部損傷 | 一部消失 |
| ポームーア(Porthmeor) | ウェスト・ペンウィス | — | フォゴウ存在の痕跡のみ | 消失/痕跡 |
| キャスタラック(Castallack) | ポール近郊 | — | 痕跡のみ | 消失/痕跡 |
| ペンヘール・ラウンド(Penhale Round) | A30 道路沿い | 最東端事例 | 緊急発掘後、道路建設により消滅 | 消滅 |
Chapter 03
発見と発掘の歴史
From Antiquarians to Time Team
フォゴウが「謎の構造物」として近代の目に触れたのは、18世紀後半のことだ。それ以来200年以上にわたって、古物研究家、考古学者、テレビ・クルーたちが謎に挑んできた。しかし発掘を重ねるほど、謎は深まるばかりだった。
ウィリアム・ボーレース:最初の記録者(1754年)
コーンウォールの古代遺跡に最初に体系的な関心を向けた人物は、ウィリアム・ボーレース(William Borlase, 1695–1772)だ。コーンウォールのルー(Ludgvan)の牧師であり、博学な古物研究家でもあった彼は、1754年に出版した『コーンウォールの古代遺跡(Antiquities of Cornwall)』の中でフォゴウに言及している。ボーレースはカーン・ユーニー近郊のペンディーン・マナー農場(Pendeen Manor Farm)に居住しており、ペンディーン・ヴァウ・フォゴウを実際に観察した最初の学術的記録者のひとりだ。
しかし彼の時代には、フォゴウの起源と目的について明確な見解はなかった。ボーレースはフォゴウを「古代の隠れ場所」あるいは「ドルイド教の儀式に使われた地下の祭壇」ではないかと推測したが、根拠は薄かった。
リチャード・ポルウィール師:1803年の偶然の記述
1803年、地元の牧師兼古物研究家であったリチャード・ポルウィール師(Rev. Richard Polwhele, 1760–1838)は、自らの著書の中で興味深い記述を残している。「セント・アンソニー教区のボダン・ヴィオールに、石のない人工洞窟がある」というその記述は、後にボーデン・ヴィーン・フォゴウの存在を示すものと判明した。ところが驚くべきことに、ポルウィールはその場所についてそれ以上の情報を残さなかった。結果として、このフォゴウは約200年間にわたって「消えた」ことになる。
19世紀:古物研究家の時代
19世紀はイギリスにおける考古学への関心が爆発的に高まった時代だ。コーンウォールの遺跡も例外ではなく、多くの「古物研究家(antiquarian)」たちが先史時代の遺構を探索し、記録した。ハリジー・フォゴウは1803年に記録されており、カーン・ユーニーのフォゴウは1860年代にウィリアム・コープランド・ボーレース(William Copeland Borlase, 1848–1899)——前述のウィリアム・ボーレースの曾孫——によって発掘・記録された。
しかしこの時代の発掘は、現代の基準から見ると杜撰なものだった。記録を取らずに遺物を持ち去り、発掘坑を放置し、文脈情報を失ってしまったケースが多い。1803年にハリジーに入った古物研究家は、中に複数の葬祭用壺(cinerary urns)があったと報告している——しかしその後来た者たちが持ち去り、今では確認できない。
20世紀:本格的な学術調査へ
20世紀後半になって、フォゴウの本格的な学術発掘が始まった。最も重要なのは、パトリシア・クリスティー(Patricia M. Christie)によるカーン・ユーニーの発掘(1964年〜1972年)だ。この調査は「建設省(Ministry of Works)」の支援を受けたもので、フォゴウが複数の建設フェーズを経て発展したことを明らかにした。最初の蜂の巣室が紀元前500年頃に建造され、後に主通路が増設されたという事実は、フォゴウが単なる実用施設ではなく、集落とともに成長した重要な空間であったことを示唆している。
ハリジー・フォゴウは1982年に発掘調査が行われた。考古学者のビル・スターティン(Bill Startin)が暫定報告書に記したように、「かなりの情報が得られたが、フォゴウの機能についての証拠はほとんど見つからなかった」——謎は深まるばかりだったのだ。
1993年:イアン・クックの画期的研究
1993年、コーンウォールのアース・ミステリー研究家であったイアン・マクニール・クック(Ian McNeil Cooke)が、フォゴウに関する史上初の包括的研究書『マザー・アンド・サン:コーンウォールのフォゴウ(Mother and Sun: The Cornish Fogou)』をペンザンスの Men-an-Tol スタジオから刊行した。1000部限定の署名入り限定版だったが、この本はフォゴウ研究に決定的な影響を与えた。
クックは60以上の疑いある場所を含むフォゴウ関連サイトを記録し、方位角の詳細な分析を行った。彼の最も重要な発見のひとつは、確認されたフォゴウのほぼすべてが夏至の日の出の方向(北東)に向いており、わずか2例だけが夏至の日の入り(北西)に向いていたというものだった。これは偶然ではあり得ないとクックは主張し、フォゴウが太陽神と大地母神に捧げられた宗教的空間であるという仮説を提唱した。
「フォゴウが建設された根本的な理由は、大地を掘削する人々と、土地の豊かさや地中の鉱物的富を支配すると信じられていた神々との接点を提供するための場所を設ける必要性にあった。これらの場所は、太陽神と大地母神を中心的な要素とする鉄器時代のウェスト・コーンウォールの異教的宗教に関連した儀式を行うために使用されたのである。」
— イアン・マクニール・クック、『Mother and Sun: The Cornish Fogou』(1993年)
Time Team 1995年:ボレイ・フォゴウ調査
1995年、イギリスの人気考古学テレビ番組「タイム・チーム(Time Team)」(チャンネル4)がシリーズ3の一編として、ラモルナ近郊のボレイ・フォゴウを調査した。この番組は、フォゴウを広く一般に知らしめる大きな役割を果たした。
ボレイ・フォゴウで注目すべきは、入口の西側の柱石に刻まれた人物像の浮き彫りだ。1957年にE・B・フォード博士が初めて注目したこの彫刻は、コーンウォールのフォゴウの中で唯一の装飾彫刻であり、人物像(おそらくケルトの神格)が描かれている。Time Team の調査では、周辺から文様のある陶器片が発見された。「ボレイ(Boleigh)」という地名自体が「虐殺の場(place of slaughter)」を意味し、937年にコーンウォール最後のケルト人王ハウエル(Hywel)がサクソン人のアゼルスタン王(King Athelstan)と戦った伝説的な場所でもある。
1996年:ボーデン農夫の偶然の発見
1996年のこと。コーンウォールのリザード半島にあるボーデン(Boden)の農場主クリス・ホスケン(Chris Hosken)は、砂を農地に散布中に、トラクターの車輪が突然地面に沈み込むのに気づいた。幸い車両は被害なく止まった。穴をのぞき込んだクリスが見たのは、石の壁と5メートルのトンネルだった。
これが、ポルウィール師が1803年に記録してから193年間「消えていた」ボーデン・ヴィーン・フォゴウの再発見だった。その後2003年に、コーンウォール考古学部門の上級考古学者ジェームズ・ゴシップ(James Gossip)がイングリッシュ・ヘリテージの資金を得て評価掘削を開始。地下の構造が紀元前400年頃の鉄器時代のフォゴウであることを確認した。
2008年〜現在:メネージ考古グループの長期発掘
2008年、地域住民を中心としたメネージ考古グループ(Meneage Archaeology Group: MAG)が結成され、ボーデン・フォゴウを中心とした長期的なコミュニティ発掘プロジェクトが始動した。ジェームズ・ゴシップが主導するこのプロジェクトは現在も進行中だ。
発掘の成果は目覚ましい。2014年には、これまで確認されていた主通路のL字型折れ曲がり(dog-leg)が発見された。この折れ曲がり構造は既知のどのフォゴウにもない唯一のものだ。2018年には、主入口の西側に岩盤に刻み込まれた石段が発見され、地下4メートルまで降りる側通路の存在が明らかになった。2021年、満を持してTime Teamが再びコーンウォールに戻り、ボーデン・フォゴウの調査を行った(シリーズ21)。
ボーデン・フォゴウの発掘で特に注目を集めたのは、北アフリカ産の輸入陶器の破片が出土したことだ。また、高品質なガリア(現在のフランス)産のサミアン・ウェア(Samian ware)の破片も発見されている。これらは、鉄器時代のコーンウォールが地中海世界と活発な交易を行っていたことを示すと同時に、なぜ辺境の農場跡にそのような輸入品があったのかという新たな謎も生み出している。フォゴウの隣で砕かれた石臼(クエルン)と、「儀礼的な竪穴(ritual shaft)」と推測される深い穴も見つかっており、この場所が単なる農業集落以上の特別な性格を持っていたことを示唆している。
Time Team 2021年調査の詳細
2021年秋、Time Teamは10年ぶりの新エピソードを制作するため、ボーデン・フォゴウに戻ってきた。新プレゼンターとしてガス・ケイスリー=ヘイフォード(Dr. Gus Casely-Hayford)博士(V&Aイースト初代ディレクター)とナタリー・ヘインズ(Natalie Haynes)(古典学者)が参加し、100名近い参加者が現地に集まった。
ヘインズはフォゴウ内部を体験した感想として、「空間内に明確な区画の感覚がある。まるで古代ギリシャの概念でいう『リミナル(limen)』——ふたつの世界の敷居——の体験のようだ」と語った。Time Team の調査によって、フォゴウとその周囲の防壁(enclosure ditch)が地下通路で接続されていた可能性が浮上し、ドローンや地中探査機による測量で複数の未発掘部位が確認された。2022年のMAGの発掘でこの接続が確認され、フォゴウの構造がさらに複雑であることが明らかになった。
出土したトレヴィスカー・ウェア(Trevisker ware)の陶器片の脂質分析(lipid analysis)が現在進行中だ。陶器に染み込んだ微細な脂肪分を分析することで、かつて容器に何が入れられていたかを特定できる可能性がある。その結果によっては、フォゴウの機能についての重要な手がかりが得られるかもしれない。
Chapter 04
謎の四大仮説・大対決
The Battle of Theories
フォゴウが何のために造られたのか——この問いをめぐって、考古学者・歴史家・神秘研究家たちは長年にわたり熱い議論を交わしてきた。現在主に提唱されている仮説は大きく四つだ。それぞれの論者たちの主張を徹底的に比較・対決させてみよう。
食料・物品貯蔵庫説
Food & Goods Storage Theory
最もオーソドックスな見解。地下空間は年間を通じて一定の低温を保つため、食料保存に適しているというものだ。古代の歴史家ディオドロス・シクロス(Diodorus Siculus, 紀元前90年頃〜紀元前30年頃)は「ブリテン島の鉄器時代人は穀物を地下の貯蔵庫に保管していた」と記録しており、これが食料庫説の古代文献的根拠とされる。
スコットランドやアイルランドの類似構造物「スーテレイン(souterrain)」が食料や乳製品の保存に使われていた証拠があることも、この説を支持する。トレウォードレーヴァやカーン・ユーニーで発見された「灰のピット(ash pit)」はカモメの卵の保存に使われていた可能性があるとされ、トレヴェニーグでは炭・動物骨・鳥骨の黒い脂肪質の層が見つかっており、食料保存の痕跡と解釈されている。
支持論拠
地下の安定した低温環境/スーテレインとの類似/ディオドロスの古代文献/一部での食物残渣発見
反論・弱点
コーンウォールの湿潤な気候では穀物は腐敗する。フォゴウは過度に精巧すぎる(石積み壁、巨大石板の屋根は単なる食料庫には不釣り合い)。多くは両端が封鎖されており、食料の搬出入が困難。クリープ通路では荷物を運べない。隣接集落には専用の「クロウ」「ハル」と呼ばれる貯蔵小屋がある。
主要論者:ジェームズ・ゴシップ(Cornwall Archaeological Unit)、ナンシー・エドワーズ(Nancy Edwards)
避難所・防衛拠点説
Refuge & Defensive Theory
急襲に備えた隠れ場所という説。スーテレインの研究者として知られるケネス・マクレガー(Kenneth MacGregor, 2004)が最初に系統的に提唱したもので、現在 Wikipedia などでは「最も証拠に支持されている説」として紹介されることもある。ナンシー・エドワーズもこの説を支持し、「クリープ通路、隠し部屋、抜け穴(sally port)という設計、そして大半のスーテレインが地上からは見えなかったという事実は、急襲時の保護を提供するために有効だっただろう」と書いている。
実際、鉄器時代のコーンウォールは部族間の争いが絶えず、また後のローマ軍の進出もあった。地上から見えない隠れ場所が価値を持ったことは十分考えられる。出口が複数あること(クリープ通路が地表に出る場所が複数あるケースがある)は、包囲された際の逃亡経路と解釈できる。
支持論拠
地上からほぼ見えない設計/クリープ通路は追跡者を阻む/複数の出入口/鉄器時代の戦乱状況/スーテレインとの類似(ただし設計は異なる)
反論・弱点
多くのフォゴウは両端が封鎖されており、避難すれば「袋のねずみ」になる。燻し出しや煙を使えば簡単に追い出せる。すぐ近くに専用の丘上要塞(hillfort)がある(カーン・ユーニーから400mにカー・ブレーン・ヒルフォート)。スーテレインは隠し通路や偽通路などの防御設計を持つが、フォゴウにはそれがない。
主要論者:ケネス・マクレガー(2004)、ナンシー・エドワーズ
儀礼・宗教的聖所説
Ritual & Religious Sanctuary Theory
フォゴウは宗教的儀礼のための特別な空間だったという説。この仮説は現在、多くの考古学者の間で最も魅力的な説として支持が高まっている。根拠は多岐にわたる。
まず、天文的アライメントだ。イアン・クックの研究によれば、確認されたフォゴウはほぼすべて夏至の日の出方向(北東)に向いており、2例のみが夏至の日の入り方向(北西)を向いている。また、カーン・ユーニーの蜂の巣室は冬至の夜明けに太陽光が入口から差し込む方向に向いている。これはストーンヘンジやニューグレンジ(アイルランド)の天文的アライメントと類似した設計思想を示している。
次に、ボレイの人物浮彫刻だ。入口柱石に刻まれた人物像は、宗教的な守護神か聖所への「入口の守り手」を示すと考えられる。フォゴウに装飾彫刻を施す理由が、単なる食料庫や避難所なら存在しない。さらに、集落の設計における中心性も重要だ。フォゴウは常に集落の中心か、最も重要な場所に位置しており、周辺の建物より明らかに堅固に建設されている。これを「中世の教会」と「周囲の藁葺き小屋」の関係に例える研究者(P・ヘリング 1994年)もいる。
カーン・ユーニーでは、フォゴウが集落よりも先に建設されていたことが明らかになっている。つまり、住民たちはフォゴウのある場所に集落を作ったのだ——このことは、フォゴウが単なる集落の付属施設ではなく、場所そのものに宗教的意味があったことを強く示唆する。
支持論拠
天文的アライメント(夏至・冬至)/ボレイの装飾彫刻/集落より先に建設された事例/集落中央の配置(「石造りの教会」的機能)/過剰に精巧な構造(実用目的を超えている)/「意図的な充填(deliberate infill)」——使用後に自ら埋め戻した形跡
反論・弱点
ケルト・ドルイド教の礼拝は屋外で行われることが知られており、密閉された地下空間は一般的なケルトの礼拝スタイルとは一致しない。儀礼的使用を示す遺物(供物品・人骨など)がほとんど発見されていない。天文アライメントは「象徴的(symbolic)」にすぎず実際に光は入らなかったとクック自身も認めている。
主要論者:イアン・マクニール・クック(1993)、コーンウォール古代遺跡保護ネットワーク(CASPN)
女性の儀礼空間説
Women’s Ritual Space Theory
フォゴウは主に女性に関連した儀礼や活動——発酵・醸造・保存食品の製造、イニシエーション、月経に関連した隔離儀礼、出産——のための空間だったという説。コーンウォールのアース・ミステリー研究グループ「アンシェント・ペンウィス(Ancient Penwith)」が特にこの見解を推進している。
多くの古代文化において、発酵・醸造(ビール・ヨーグルト・チーズ)は女性の管轄下にある活動だった。フォゴウの安定した低温・高湿度環境は、これらの発酵食品の製造・保存に確かに適している。フォゴウへの入口は大人がかがんで通らなければならない低さで、これはある種の「通過儀礼的」な設計——子宮に入るような体験——を意図していた可能性がある。
また「アースワムブ(earth womb:大地の子宮)」としての象徴的解釈も根強い。「大地に戻る」という死と再生のテーマは、多くの古代文化に普遍的であり、フォゴウの閉鎖的な地下空間は「大地母神の胎内」を象徴するという解釈が成立しうる。カーン・ユーニーの蜂の巣室が冬至に太陽光を受けるのは、「冬至=太陽の誕生(再生)」を大地母神の子宮の中で祝う儀礼と一致する。
支持論拠
発酵・醸造に適した環境/子宮的な閉鎖空間の象徴性/大地母神信仰との整合性/冬至アライメント(再生の象徴)/クリープ通路の「産道的」設計
反論・弱点
女性専用空間を示す直接的な考古学的証拠がない。他の主要理論よりも思弁的な側面が強い。「子宮的設計」という解釈は現代的な投影である可能性がある。
主要論者:アンシェント・ペンウィス(Ancient Penwith)、各種エコロジー考古学者
現時点での結論
謎は、謎のまま
これら四つの仮説のどれかひとつが「正解」である保証はない。研究者の多くが現在支持するのは、「フォゴウの目的は単一ではなかった」という多機能説だ——儀礼的な空間であると同時に、時には食料の保存に使われ、時には避難場所にもなった。重要な点は、フォゴウが700年以上にわたって使用され続けた事実であり、その長い歴史の中で機能が変化した可能性も高い。
ジェームズ・ゴシップは「機能的実用性と、より深い儀礼的目的は、相互に排他的である必要はない」と語る。穀物はコミュニティにとって文字通り「命の与え手」であり、保護・尊重・崇拝の対象たりえた。「大聖堂と穀倉の両方」——それがフォゴウの本質かもしれない。
Chapter 05
各フォゴウ詳細プロフィール
Site by Site — Into the Dark
コーンウォールに現存する主要なフォゴウは、それぞれが異なる個性と謎を持っている。同じ「フォゴウ」という名で呼ばれながら、設計・立地・伝説・保存状態はどれひとつ同じものはない。ここでは6つの主要サイトを詳細に見ていこう。
① ハリジー・フォゴウ(Halliggye Fogou)
Trelowarren Estate, Mawgan, Helston, TR12 6AF / 英国遺産(English Heritage)管理
コーンウォール最大・最良保存のフォゴウ。5〜4世紀BCに建設され、鉄器時代からローマ・ブリテン期(約75 BC〜AD 50頃に改修)にかけて700年間使われた。T字型の通路構造を持ち、主通路(長さ約27メートル)と側通路が組み合わさった複雑な設計だ。
最も異様な特徴のひとつが「スタンブリング・ブロック(stumbling block)」——通路の途中にある、完全には掘り取られなかった岩盤の突起だ。考古学的調査から、この部分は「後から付け加えた」構造であることが判明しており、単純につまずく危険物というよりは、通路の「境界」を示す意図的な設計という見方が有力だ。「ここから先は別の世界」という境界線——生者と死者の、この世と異界の——を示す儀礼的装置だったのかもしれない。
現在はイングリッシュ・ヘリテージの管理下にあり、5月〜9月の間、無料で内部見学が可能だ。ただし10月〜4月は閉鎖される——内部に生息するコウモリ(Greater Horseshoe Bat: ヨーロッパオオヒナコウモリ)の越冬保護のためだ。訪問者に貸し出す懐中電灯があるが、電池が切れていることが多いので自前で準備することを地元は強く勧めている。内部に入って光を消すと、「墓穴のように真っ暗」と形容される完全な暗闇を体験できる。
ハリジーの内部で越冬するヨーロッパオオヒナコウモリ(Greater Horseshoe Bat)は、イギリスで最も絶滅が危惧されているコウモリ種のひとつだ。かつてはイングランド全土に分布していたが、農地の変化・殺虫剤の使用・古い建物の改修などで個体数が激減し、現在はコーンウォールとウェールズにしか生息していない。2400年前の鉄器時代に人間が造った地下空間が、今では絶滅危惧種の最後の砦となっているのは、歴史の奇妙な皮肉だ。
② カーン・ユーニー・フォゴウ(Carn Euny Fogou)
Brane, Sancreed, Near Penzance / コーンウォール遺産財団管理
ウェスト・ペンウィスの心臓部に眠る、考古学的に最も重要なフォゴウ。ペンザンスの南西約10キロ、ブレーン(Brane)の農地の中に、鉄器時代のコートヤード・ハウス集落「カーン・ユーニー」がある。この集落は紀元前500年頃から紀元後410年頃まで、1000年近くにわたって人が住み続けた。
フォゴウの長さは約20メートル、高さは1.8メートル以上。特筆すべきは、南西端から分岐する蜂の巣室(beehive chamber)の存在だ。直径4.6メートル、高さ2.4メートルのこのドーム状の部屋は、コルベル(持ち出し積み)工法で造られた完全な球形空間で、全体が地下に埋まっている。1964年〜72年の発掘で、この蜂の巣室が集落よりも先に建設されたことが判明した。
フォゴウの東端に後から付け加えられた傾斜入口は、冬至の夜明けの太陽が差し込む方向に向いている——正確に蜂の巣室の奥の「祭壇のような窪み(recess)」を照らすように設計されている。アイルランドのニューグレンジ(紀元前3200年)やスコットランドのマエズハウ(紀元前2800年)と同じ冬至アライメントを持つこの事実は、フォゴウに儀礼的意図があったことを示す最も強力な証拠のひとつだ。
フォゴウの床には排水溝(drainage channel)が敷設されており、これが儀礼空間としての使用を補強する——「清潔さ」への配慮は、単なる食料倉庫には不必要な要素だ。発掘時に灰のピット(ash pit)も発見され、かつてカモメの卵の保存に使われていたと推測されている。
③ ボレイ・フォゴウ(Boleigh Fogou)
Rosemerryn, Near Lamorna / 私有地(事前予約要)
コーンウォール全体のフォゴウの中で、最も「神秘的」と称される場所だ。その理由は、フォゴウに唯一の装飾彫刻があることにある——入口の西側柱石に刻まれた人物像の浮き彫り。高さ約25センチのこの像は、細長い体に頭部を持つ簡素な人型で、ケルトの神格、あるいはフォゴウの守護者を表すと考えられている。
フォゴウは長さ11メートルで、L字型のクリープ通路を持つ。特筆すべきは内部の高さで、大人が立って歩けるほど天井が高い(他の多くのフォゴウより広々としている)。1912年、この土地にロースメリン(Rosemerryn)邸が建設された際、フォゴウを取り囲んでいた古代集落の大部分が破壊された。建設したのはベンジャミン・リーダー(Benjamin Leader)というニューリン派の画家で、第一次世界大戦で命を落とした。その後この家を買ったのは、作家のクロスビー・ガースティン(Crosbie Garstin)——著名な画家ノーマン・ガースティン(Norman Garstin)の息子で、この場所に着想を得た小説『フクロウの家(Owls House)』を書いた。
ボレイという地名は「虐殺の場」を意味する。937年、コーンウォールの最後のケルト人王ハウエル(Hywel ap Rhys)がサクソン人のアゼルスタン王と戦い、ここで敗北した——その血がラモルナ川に注いで海まで赤く染めたと伝えられる。フォゴウはその戦場のすぐそばにある。
④ ペンディーン・ヴァウ(Pendeen Vau)
Pendeen Manor Farm, Near Penzance / 私有地(農場に許可要)
Y字型の通路を持つ珍しいフォゴウ。ペンディーン・マナー農場(かつて歴史家ウィリアム・ボーレースが暮らした農場)の敷地内にあり、訪問には農場主への許可が必要だ。泥だらけの農場を横切り、牛糞を避けながらたどり着くこの場所は、最も「原始のまま」のフォゴウとして知られる。
ペンディーン・ヴァウには、コーンウォールのフォゴウ中で唯一明確に記録された幽霊伝説がある——「白衣の貴婦人(Lady in White)」だ。クリスマスの時期になると、口に薔薇を咥えた白衣の女性の幽霊がフォゴウの入口付近に現れるという。彼女を目撃した者には死が訪れるとされ、死の予兆をもたらす「バンシー的な」幽霊として恐れられてきた。
考古学者のゲイリー・ホワイト(Dr. Gary White)は、この伝説を「冬至に儀礼を行った古代の女性巫女(priestess)の記憶が、民話として残ったもの」ではないかと解釈している。フォゴウが冬至(クリスマス直前)に関わる儀礼に使われていたなら、そこに定期的に現れる「神聖な女性」の記憶が何世紀もかけて幽霊伝説に変化した可能性は十分考えられる。
⑤ ボーデン・ヴィーン・フォゴウ(Boden Vean Fogou)
Near Manaccan, Lizard Peninsula / 継続発掘中(MAGによる)
前述した通り、1996年に農夫クリス・ホスケンのトラクターが発見した「最近再発見されたフォゴウ」。15年以上の継続発掘によって、コーンウォールで最も研究の進んでいるフォゴウとなっている。構造はL字型の主通路と、ユニークなdog-leg(急な折れ曲がり)、そして岩盤に刻み込まれた石段を持つ地下4メートルの副通路で構成される。
出土品の中で特に注目を集めたのはブロンズのダガー(青銅の短剣)——現在はトルロのロイヤル・コーンウォール博物館に収蔵されている——と、北アフリカ産の輸入陶器の破片だ。後者の存在は、鉄器時代のコーンウォールが地中海世界と広範な交易を行っていたことを示すが、なぜ農場の地下構造物の付近にそのような高価な輸入品があったのかは未解明だ。
2022年の発掘で確認された「フォゴウと周囲の防壁を結ぶ地下通路」の発見は特に重要だ。フォゴウが集落の防御システムと物理的に接続されていたことを示しており、避難所説に一定の根拠を与えると同時に、「なぜ防壁と儀礼空間が連結されているのか」という新たな疑問も生む。
⑥ トレウォードレーヴァ(Trewardreva)——「ピスキー・ホール」
Constantine / 保存良好
地元では長年「ピスキー・ホール(Piskey Hall)」または「ピクシー・ホール(Pixie Hall)」という愛称で親しまれてきた。ピスキー(Piskie)とはコーンウォールの伝承妖精で、いたずら好きで人間をからかうが根は悪くないとされる存在だ。このフォゴウがピスキーの住み処だという伝説は、地下の暗い空間が「異界の入口」として人々に認識されていたことを示している。
Chapter 06
天文アライメントの謎
Stones, Stars, and the Solstice
古代の建造物と天体の動きを結びつける「天文アライメント(astronomical alignment)」は、ストーンヘンジやエジプトのピラミッドで知られる現象だ。フォゴウにも同様の設計意図が存在するとすれば、それは単なる実用構造物では説明がつかない。
イアン・クックの発見
1993年の研究書でイアン・クックは、コーンウォールのフォゴウの方位を詳細に分析した。その結果、確認されたほぼすべてのフォゴウが夏至の日の出方向(北東、約52°)に主軸を向けており、例外として2例だけが夏至の日の入り方向(北西)に向いていた。
ただしクック自身も認めているように、これらは「象徴的(symbolic)」なアライメントだ——実際にフォゴウの内部に夏至の光が差し込む構造になっているわけではない(多くは地中深く、入口が複数あったり、通路が曲がっていたりする)。しかしその意図的な方位選択は、フォゴウの建設者たちが太陽の動き——農業・季節・宗教と密接に結びついた宇宙論的な観念——を意識していたことを示唆する。
一部の考古学者は、このアライメントを「意味のある設計選択」として評価しながらも、「太陽アライメントを持つだけで儀礼的施設と断定するのは飛躍」と慎重な姿勢を崩さない。P・ヘリング(P. Herring, 1994年、Cornish Archaeology Journal Vol.33)は「アライメントの発見は重要だが、フォゴウが祭儀的構造物であることを確定させる要素は少ない」と述べた。
カーン・ユーニー:冬至の奇跡
最も劇的な天文アライメントの証拠は、カーン・ユーニーの蜂の巣室にある。1964年〜72年の発掘で確認されたこの事実は、アライメント研究に新たな次元を加えた——冬至(12月21日前後)の夜明けに、地平線から昇る太陽の光が、フォゴウの東端の入口を通り、主通路を抜け、蜂の巣室の奥にある「祭壇のような窪み」を正確に照らすのだ。
この現象はアイルランドのニューグレンジ(Newgrange)の「冬至の光の奇跡」——5000年前に建設された巨石墳墓の内部が、冬至の夜明けだけ太陽光で満たされる——と同じ原理だ。コーンウォールの先史時代の建設者たちが、アイルランドやウェールズの同時代人と同じ宇宙論的世界観を共有していたことを示している。冬至は「太陽の再生」を祝う最重要の儀礼的時期であり、この事実はフォゴウが少なくとも冬至祭礼と深く結びついていたことを強く示唆する。
| フォゴウ名 | 主軸方位 | 天文的対応 | 備考 |
|---|---|---|---|
| カーン・ユーニー | 東〜北東(ENE) | 冬至の日の出(蜂の巣室への光入射確認済み) | 最も明確なアライメント証拠 |
| ハリジー | 北東〜南西(NE-SW) | 夏至の日の出方向(象徴的) | クック調査による |
| ボレイ | 北東〜南西(NE-SW) | 夏至の日の出方向(象徴的) | 人物彫刻入口は西向き |
| ペンディーン・ヴァウ | 北東〜南西(NE-SW) | 夏至の日の出方向(象徴的) | Y字型の二叉が異方向 |
| ボーデン | 北東〜南西(NE-SW) | 夏至の日の出方向(象徴的) | 発掘継続中のため詳細未確定 |
錫採掘と太陽信仰
考古学者T・M・ロウ(TM Rowe)は2005年の著書『コーンウォールの先史時代(Cornwall in Prehistory)』で、フォゴウと錫採掘の関係について重要な問いを立てている——「錫の採掘がコーンウォール固有の活動であるように、フォゴウもコーンウォール固有のものである。これは偶然ではないのではないか?」
鉄器時代のケルト文化では、大地から金属を取り出す行為は宗教的な側面を持っていた。金属は地の神(earth deity)の持ち物であり、採掘は神への儀礼を伴うべきものだったと考えられていた可能性がある。コーンウォールが古代地中海世界との錫交易の中心地であったことを踏まえると、フォゴウは錫採掘という「大地の富を略奪する」行為に先立つ、または伴う大地の神への贖罪と感謝の儀礼空間だったという解釈が浮かび上がる。
ウェスト・ペンウィスのフォゴウが、錫採掘で有名な地域に密集しているのは確かだ。クックも「フォゴウは大地を掘削する者と、土地の肥沃さおよび地下の鉱物的富を支配すると信じられた神々との接点を提供する場所だった」と述べている。
Chapter 07
民話と怪異——フォゴウの暗黒面
Folklore, Phantoms & the Fairy Realm
考古学が解明できない謎を、民衆は物語で埋めてきた。フォゴウにはコーンウォールの豊かな超自然的想像力が凝縮されており、ピスキー(妖精)から死の予兆の幽霊、守護蛇まで——地下の暗闇に棲む存在たちが語り継がれてきた。
ピスキーの通り道
コーンウォールの民俗伝承において、フォゴウはしばしばピスキー(Piskie)——コーンウォール固有の妖精——の住処あるいは通路として描かれる。トレウォードレーヴァ・フォゴウが「ピスキー・ホール」と呼ばれるのはその典型だ。ピスキーは地下を通って移動すると信じられており、フォゴウはその「地下道ネットワーク」の一部だと考えられていた。
ピスキーは本質的に「いたずら者」だ。人間を迷子にし(これを「ピスキー・リード(piskie-led)」と呼ぶ)、家畜を動かし、バターを作れなくさせる。しかし危害を加えることは少なく、むしろ怠慢な者を戒め、勤勉な者を助けるともされる。ピスキーを怒らせると農業が不作になるため、農民たちは刈り入れの際に少量の作物を「ピスキーへの贈り物」として畑に残す習慣を持っていた。
白衣の貴婦人と死の予兆
ペンディーン・ヴァウの「白衣の貴婦人」伝説は前述したが、この種の幽霊はコーンウォールのフォゴウ全般に関連して語られることがある。白い服を着た女性の霊は、ケルト的・ブリトン的なバンシー(Bean Sídhe)の系譜に連なる存在で、死の訪れを告げる予兆として多くのケルト文化圏に存在する。
考古学者のゲイリー・ホワイトが指摘するように、冬至に特定のフォゴウに現れるとされる「神聖な女性」の記憶が、何世紀もの間に「危険な幽霊」へと変容した可能性は高い。かつて太陽再生の儀礼を執り行った女性祭司(priestess)の姿が、キリスト教化の過程で「忌まわしい幽霊」へと変わっていったのではないか——そう考えると、民話の中に古代宗教の記憶が化石のように保存されているのかもしれない。
守護蛇の伝説
コーンウォールの少なくとも一か所のフォゴウについて、こんな伝説が語られている——「フォゴウの深部には、巨大な蛇が住んでいる。夜になると蛇は通路を出て、埋蔵された宝物を守る。フォゴウの石を壊したり、神聖な目的以外に使ったりすると、蛇が呪いをかける」という。
蛇は多くのケルト文化において大地の精霊を象徴する。蛇が地下から現れるイメージは、地中深くから出てくる鉱物(錫)や、死と再生の循環を表すとも解釈される。アイルランドではダーナ神族(Tuatha Dé Danann)が地下の世界(シードゥ)に住むとされており、コーンウォールのフォゴウにも「地下の神的存在の住処」という観念が重なって見える。
スパイ活動と密輸業者の伝説
より世俗的な、しかし同じくらい面白い伝説も存在する。18〜19世紀のコーンウォールは密輸(スマグリング)が広く行われた時代だった。ブランデー・タバコ・茶などの輸入禁制品がコーンウォールの入り組んだ海岸線から密かに陸揚げされ、地下に隠された。地元の牧師が亡霊の話を流布させて夜道を閉鎖し、その隙に密輸業者が荷物を運んだという話は有名だ(タランド教区のリチャード・ドッジ牧師の話がその典型)。
フォゴウも密輸業者の隠し場所として使われたのではないかという説がある。確かに地下の冷暗所はブランデーの保存に好適だ。しかし実際の記録は少なく、多くは後世の想像の産物と見られている。それよりも、フォゴウが「危険で近づいてはいけない場所」として語られることで、子供たちやよそ者がむやみに近づかないための抑止力として機能したという可能性の方が、歴史的にはあり得そうだ。
民話の地層
「薄い場所(Thin Places)」の概念
コーンウォールには古くから、「シン・プレイス(thin places)」という概念がある——この世とあの世のヴェール(隔て)が薄くなっている場所で、二つの世界が重なり合い、異界の存在が現れやすい聖地だ。フォゴウは典型的な「シン・プレイス」として、地域の人々に認識されてきた。地下に向かって降りていく行為は、文字通り「あの世へ近づく」体験として理解されていた。カーン・ユーニーで日暮れ時に地下の入口から影のような人影が出てくるのを見たという証言が残っており、「古代の死者たちが今もあの通路を歩いている」という感覚を地域の人々は持ち続けてきた。
Chapter 08
類似構造との比較
From Scotland to the Pueblo — Underground Across Cultures
フォゴウはコーンウォールにしか存在しないが、地下石積み構造物という発想は世界各地に存在する。これらの類似構造を比較することで、フォゴウの特異性と普遍性の両方が浮かび上がる。
スコットランド・アイルランドのスーテレイン(Souterrain)
フォゴウと最もよく比較される構造物が、スコットランド・アイルランド・ブルターニュ(フランス)に多数存在するスーテレイン(souterrain)だ。「スーテレイン」はフランス語で「地下(sous-terrain)」を意味し、同様の地下石積み通路構造物を指す。
スーテレインとフォゴウには多くの共通点がある——地下の石積み構造、集落への付属、狭いクリープ通路など。しかし重要な差異もある。スーテレインは主に食料・乳製品の保存と避難場所として使われたという比較的明確な証拠があり(一部には牛を繋ぐための鎹(かすがい)が発見されているケースもある)、また偽通路や隠し扉など、より明確な防御的設計を持つものも多い。
重要な点は、フォゴウはスーテレインとは独立した設計伝統から生まれた可能性があることだ。イアン・クックは「フォゴウはスコットランドやアイルランドから輸入されたコンセプトではなく、西コーンウォールの長い巨石建設(メガリシック)伝統の延長上にある」と主張した。確かにフォゴウは、より古い巨石墳墓(chambered cairn)と構造的に類似した要素を持つ。
| 構造物 | 地域 | 年代 | 目的の証拠 | フォゴウとの違い |
|---|---|---|---|---|
| スーテレイン(Souterrain) | スコットランド、アイルランド | 鉄器時代〜中世 | 食料保存・避難(比較的明確) | 防御設計あり、フォゴウより多用途 |
| スーテレイン(Souterrain) | ブルターニュ(フランス) | 鉄器時代 | 食料保存(比較的明確) | 文化的背景が異なる(ガリア文化) |
| キヴァ(Kiva) | アメリカ南西部(プエブロ族) | 紀元前300年〜現代 | 宗教的儀礼(明確) | 円形・地上部もある・現在も使用 |
| ハイポゲウム(Hypogeum) | マルタ | 紀元前3600〜2500年 | 葬祭・オラクル儀礼(明確) | はるかに大規模・新石器時代 |
| チャンブル・ケアン(Chambered cairn) | ブリテン島全域 | 新石器時代(紀元前4000〜2500年) | 埋葬・祖先崇拝(明確) | フォゴウの前身的構造物とも |
プエブロ族のキヴァとの驚くべき類似
地理的にも文化的にも全く関係のないアメリカ南西部のプエブロ族が建設したキヴァ(Kiva)との類似は、研究者を驚かせる。キヴァとは、プエブロ族の集落に必ずある円形(あるいは方形)の半地下式の構造物で、宗教的儀礼・コミュニティの会議・イニシエーション(成人式)・精霊との交信などに使われる。梯子で地下に降りる構造、制限された入口、暗い空間——これらはフォゴウのクリープ通路や地下へのアクセスと概念的に類似している。
Wikipedia のフォゴウの項目でも、「フォゴウはプエブロ族のキヴァと機能的に類似していた可能性がある」と指摘している。このことは、「大地の下に降りて神聖な力と接触する」という宗教的観念が、文化的接触なしに独立して生まれる人類の普遍的な衝動の一つである可能性を示唆している。
マルタのハイポゲウム
「地下の神殿」という点で最も極端な事例は、地中海のマルタ島にあるハル・サフリエニのハイポゲウム(Ħal Saflieni Hypogeum)だ。紀元前3600〜2500年という新石器時代に造られたこの三層構造の地下神殿は、ユネスコ世界遺産に登録されており、7000体以上の遺骨が発見されていることから葬祭施設兼宗教的聖所として使われたことが明確に分かっている。
ハイポゲウムの「オラクルの部屋(Oracle Room)」では、低いバリトンの声で話すと驚くほどの反響が生じ、これが予言(オラクル)の発声に意図的に利用されたと考えられている。フォゴウの密閉された地下空間も、同様の音響効果を生む可能性があり、コーンウォールでもオラクル的儀礼が行われていた可能性を示唆する研究者もいる。
Chapter 09
最新研究の最前線
New Light on Ancient Dark
フォゴウ研究は21世紀に入って新しい局面を迎えている。現代考古学の技術——地中探査、脂質分析、ドローン測量——と、コミュニティ考古学の粘り強い発掘が、2500年の謎に新たな光を当てつつある。
ボーデン長期発掘プロジェクト(2008年〜現在)
前章でも触れたように、メネージ考古グループ(MAG)によるボーデン・ヴィーン・フォゴウの長期発掘プロジェクトは、フォゴウ研究を大きく前進させている。2024年現在も発掘は継続中であり、新たな発見が随時報告されている。
2021年のTime Team調査に参加した考古学者カレンザ・ルイス(Carenza Lewis)は、フォゴウ研究の困難さについてこう語った——「フォゴウは、私たちが問いを立てるよりも速く謎を増やしていく。一つの通路を掘れば、接続された別の謎が現れる。一つの陶器を分析すれば、なぜここにあるのかという疑問が生まれる。」
脂質分析:陶器から食料の歴史を読む
現在進行中の研究として特に注目されるのが、ボーデン出土のトレヴィスカー・ウェアの脂質分析(lipid analysis)だ。土器の素材に染み込んだ微細な脂肪酸分子を質量分析計で分析することで、その容器にかつて何が入っていたかを特定できる。乳製品・肉類・植物油・アルコールなど、異なる食品はそれぞれ異なる脂質シグネチャを残す。
この分析結果は2024年以降に発表予定であり(2026年3月時点でまだ最終報告書は公開されていない)、フォゴウで「何が行われていたか」について初めて物的証拠に基づいた答えが得られる可能性がある。もし発酵飲料(ビール・ミード)の脂質が発見されれば、儀礼的饗宴説が強化される。乳製品なら食料庫説。血液成分なら犠牲儀礼——結果がどうなるにせよ、フォゴウ研究の歴史的転換点となるだろう。
地中レーダーと磁気探査
2021年のTime Team調査では、ドローンによる航空撮影・地中探査レーダー(GPR)・磁気探査(magnetometry)など複数の非破壊調査技術が使用され、ボーデン周辺の地下に多数の未発掘の構造物があることが確認された。2021年のGPR調査では、フォゴウから放射状に広がる複数の未知の構造物の輪郭が検出されており、フォゴウが単独の構造物ではなく、より広範な地下ネットワークの一部である可能性が浮上している。
ダムノニー族とローマ帝国の接触
ボーデンからの北アフリカ産陶器・ガリア産サミアン・ウェアの出土は、フォゴウ研究に新たな問いを加えた——コーンウォールのフォゴウは、ローマ帝国の拡大に対するダムノニー族の文化的抵抗と関係があるのだろうか?
考古学者ジェームズ・ゴシップは「コーンウォールのダムノニー族はローマのクラウディウス帝(紀元後43年)によるブリテン侵攻の後も、事実上の独立を保ち続けた。彼らはローマの商品を輸入しながらも、独自の文化・宗教・社会組織を維持した。フォゴウはその文化的独自性の象徴かもしれない」と述べている。リザード半島近傍のヘルフォード川(Helford River)は古代から地中海交易の重要なルートであり、ボーデンはその交易路の近くに位置している。北アフリカ産陶器は、錫を買いにきた商人たちがもたらしたのかもしれない。
「意図的な充填」の謎
最近の考古学的調査で明らかになった驚くべき事実のひとつが、「意図的充填(deliberate infill)」の証拠だ。ハリジー・カーン・ユーニー・ボーデンなど複数のフォゴウで、通路が「外から崩れ落ちたのではなく、内側から丁寧に埋め戻された」痕跡が確認されている。
これは何を意味するのか? 考古学的文脈から見れば、フォゴウが使用されなくなったとき(あるいはその場所が放棄されるとき)、住民たちが意図的にフォゴウを「閉じた」ことを示す。これは単純な建築物の廃棄ではなく、神聖な空間を適切な方法で「封印する」宗教的行為と解釈できる——寺院が廃棄される際に丁寧に儀式的に閉じられるように。この「意図的充填」という事実は、儀礼・宗教説を最も強く支持する証拠のひとつと見なされている。
最新のBoden Time Team再訪(2023年12月)
2023年12月、Time Teamはボーデン・フォゴウに再度戻り、2021年調査後の新発見を紹介する「リターン・エピソード」をYouTubeで公開した(Patreonサポーター向けには延長版が提供された)。MAGの発掘で2022年に確認された「フォゴウと防壁を結ぶ石積み通路」の全容が3Dモデルとして再現され、ボーデン・フォゴウの構造がいかに複雑かが改めて示された。発掘は現在も継続中だ。
Epilogue
謎は解けない、それでいい
The Value of the Unknown
地 下へ向かう階段を、人類は常に恐れながら、しかし抗い難い引力に引き寄せられながら下ってきた。死者の国、神々の隠れ家、未知の力の源——地下は常に「向こうの世界」と接する場所だった。
フォゴウを造った鉄器時代のコーンウォール人たちは、文字を残さなかった。彼らの神話は伝わらず、神の名も、祭りの意味も、儀礼の言葉も、今となっては誰も知らない。残されたのは、花崗岩と粘板岩で積まれた壁と、2400年間崩れない石の天井だけだ。
それでも——あるいはそれゆえに——フォゴウは語りかけてくる。懐中電灯を消して暗闇の中に立ったとき、冷たい空気が肌を包み、水分を含んだ土の匂いが鼻をくすぐるとき、何千年もの時間が一瞬に凝縮されたような感覚が訪れる。
考古学者のジェームズ・ゴシップはかつてこう言った——「これは失われた宗教の場所だ。人々が何を崇拝していたか、私たちには分からない。それが理由ではないかと思う——あなたがここに立って、感じるときの、あの感覚の理由が。」
謎が謎のままであることは、失敗ではない。それは、かつてここにいた人々が完全には理解されないほどに独自の世界観と精神を持っていたことの証明だ。フォゴウの暗闇は、人類の想像力の根源——「分からないから、もっと知りたい」という衝動——を今も生き続けさせている。
地下への扉は、今日も開いている。
Sources
出典・参考文献
Bibliography & References
一次資料・学術書
書籍
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- Cooke, Ian McNeil. Carn Euny Iron Age Village & Fogou and Other Nearby Ancient Sites (Antiquities of West Cornwall, Guide 3). Men-an-Tol Studio.
- Vivyan, RR, Blight, JT and Iago, W. The Halliggye Fogou: An Ancient Cornish Earth Mystery. Penzance, 2001.
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学術論文・ジャーナル
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- The Cornish Bird. “The Parson Ghost Layers — Cornwall’s Exorcists.” https://cornishbirdblog.com/
World Mysteries Encyclopedia — worldmysteriesencyclopedia.com
Cornwall, United Kingdom · Iron Age · c. 500 BC — AD 400

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