メアリー・セレスト号の謎:語り継がれる幽霊船の真実
メアリー・セレスト号の謎:語り継がれる幽霊船の真実

大西洋の深淵にその名を刻む「メアリー・セレスト号」。この船の名前を聞いて、多くの人々が連想するのは、乗組員が忽然と姿を消した、史上最も不可解な幽霊船の物語でしょう。それは単なる海難事故では片付けられない、まるで神隠しにあったかのような、背筋の凍る出来事でした。発見された時、船体は無傷で、積荷も手つかず、食料や水も豊富に残されていたにもかかわらず、なぜか人間だけが消え失せていた――。この奇妙な事件は、1872年の発生以来、150年以上の時を超えて、世界中の人々の想像力を掻き立て続け、海のミステリーとして語り継がれています。
第1部:大西洋に漂う沈黙の船体 ― 事件の概要と発見の瞬間
1872年12月5日、大西洋のど真ん中で、人類は海洋史上最も異様な光景の一つを目撃することになります。その日、アメリカのブリガンティン船「デ・グラシア号」は、ニューヨークからイタリアのジェノヴァへ向かう航海の途中でした。北大西洋上、アゾレス諸島とポルトガルの間のおよそ南東600マイル(約965キロメートル)、北緯38度20分、西経17度15分の地点で、デ・グラシア号のジョンソン船長(David Morehouse Johnson)が指揮を執る船が、奇妙な動きをする一隻のブリガンティンを目撃しました。
奇妙な出会いと不穏な兆候
ジョンソン船長は、経験豊かなベテラン船乗りでした。彼はまず、その船が明らかな危険信号を発することなく、しかし奇妙なほど無秩序に航行していることに気づきました。帆の一部が破損しているようにも見えましたが、それ以上に、乗組員が舵を取っている気配がないことに強い違和感を覚えました。正午の太陽の下、その船はまるで幽霊のように、風にまかせて漂っていたのです。
双眼鏡でその船を詳しく確認すると、ジョンソン船長は驚愕しました。その船は、見慣れた「メアリー・セレスト号」だったのです。彼は以前、ニューヨークの桟橋でメアリー・セレスト号とその船長、ベンジャミン・ブリッグス(Benjamin Spooner Briggs)と会ったことがあり、両船長は友人関係にあったと言われています。知人の船が、このような異常な状態で漂流していることに、ジョンソン船長は即座に危険を察知しました。彼は、何か重大な緊急事態が起こっていることを確信し、部下のモアハウス一等航海士(Oliver Devoe Morehouse)と数名の乗組員(ジョン・ライト、アベル・フォスディック、ボズウェル・ヘインズ)に、救助艇を下ろしてメアリー・セレスト号への乗り込みを命じました。
船内調査:時間に取り残された世界
モアハウス一等航海士らが乗り込んだメアリー・セレスト号の船内は、まさに異様な静寂に包まれていました。大西洋の荒波に揺れる甲板には、一部ロープが散乱し、帆も損傷していましたが、全体的に船体は航行可能な状態を保っていました。積荷である工業用アルコールの樽はしっかりと固定されており、崩れた形跡はありません。しかし、どこを探しても、誰一人として乗組員の姿はありませんでした。
モアハウスは、船の隅々まで徹底的に調べました。
- 甲板上:
- メインハッチが開放されていた:通常、荒天時や長時間の航海では厳重に閉じられるはずのメインハッチが、開け放たれていました。これは、急いで船を離れる必要があったか、あるいは何かを積み下ろそうとしていた途中だった可能性を示唆します。
- 救命ボートの欠落:船尾に設置されていたはずの救命ボートがなくなっていました。これは乗組員が自主的に船を放棄したことを最も強く示唆する証拠です。ただし、救命ボートは通常、荒れた海で安全に下ろすのは非常に困難であり、それがなぜ、そしてどのようにして行方不明になったのかは大きな謎です。
- 帆の損傷:一部の帆が損傷し、索具(リギング)も乱れていましたが、これは一般的な嵐によるものとも考えられ、決定的な異常を示すものではありませんでした。
- 居住区と船長室:
- 未完成の航海日誌:船長のブリッグスの寝室の机の上には、航海日誌が丁寧に置かれていました。最後の記入は、発見の約10日前の1872年11月25日付で、その後のページは空白でした。日誌には、特に異常な天候や出来事の記録はなく、最終的にはアゾレス諸島サンタマリア島の西100マイル地点を航行中であることが記されていました。まさに、何か途中で突然、筆を置かざるを得ない事態が起こったかのようでした。
- 私物の残存:船長の六分儀(航海用具)や時計、乗組員の衣服、パイプ、トランプ、個人的な手紙、さらには船長の妻サラが使っていたミシンやピアノ、娘のソフィアのおもちゃなど、貴重品を含む個人的な物品がそのまま残されていました。これは略奪の可能性を完全に否定するものであり、乗組員が急いで船を離れた割には、貴重品を持ち出そうとしなかったという矛盾を生み出しました。
- 台所の食事:調理室では、調理中の食事がそのまま放置されており、調理器具も散らばっていました。火はすでに消えていましたが、まるで食事の準備の最中に何かが起こり、皆が急いでその場を離れたかのような、生活の痕跡が色濃く残されていました。
- 貨物倉:
- 積荷の無傷:メアリー・セレスト号の積荷は、イタリアのジェノヴァ向けに積まれた9800リットル(1700樽)の変性アルコールでした。これは主に工業用に使用されるもので、揮発性が高く、引火しやすい性質を持っています。しかし、これらの樽は全て無傷でしっかりと固定されており、液体が漏れた形跡もありませんでした。略奪の痕跡は皆無で、貨物倉も整然としていました。
- その他の異常:
- 船首の損傷:船の船首部分に、まるで鋭利な刃物で切られたかのような、約3メートルにわたる索(ロープ)の損傷が見られました。これが偶然の事故によるものなのか、意図的なものなのかは不明でした。
- 不自然なコンパス:航海士用のコンパスがわずかにずれていることが判明しました。これは激しい揺れや衝突があった可能性を示唆するかもしれませんが、他の証拠と結びつけるのは困難でした。
- 航海計器の欠落:船の正確な位置を特定するために不可欠なクロノメーター(高精度の時計)と六分儀も行方不明となっていました。これは、乗組員が船を放棄する際に、少なくとも航海に必要な最低限の道具を持ち出したことを示唆しています。
人影のない船が、静かに大西洋を漂っている。この不気味な光景こそが、「メアリー・セレスト号の謎」の始まりとなりました。デ・グラシア号のジョンソン船長は、メアリー・セレスト号をジブラルタルまで曳航することを決め、この前代未聞の事態は、すぐに世界中の新聞の見出しを飾ることになります。
第2部:メアリー・セレスト号、その船と乗組員たち ― 出航までの背景と人物像
メアリー・セレスト号は、単なる貨物船ではありませんでした。その船体は、数奇な運命を辿るかのように、改名と改修を繰り返してきました。そして、最後の航海に乗り出した乗組員たちは、それぞれの人生を背負った人々でした。
船の誕生と不運な始まり:アマゾン号の時代
メアリー・セレスト号の物語は、1861年にカナダのノバスコシア州アマーシュで建造されたブリガンティン船「アマゾン号」として始まりました。全長は約31メートル、総トン数は約282トンの中型船でした。しかし、その処女航海から、まるで呪われたかのように不運に見舞われます。最初の船長であるロバート・マクラーレンは、船がニューヨークからロンドンへ向かう航海の途中で病に倒れ、大西洋上で息を引き取りました。その後も、アマゾン号は何度か座礁事故を起こしたり、他の船と衝突したりするなど、航海のたびに何らかの問題が発生したと言われています。そのため、船乗りたちの間では「縁起の悪い船」と囁かれるようになりました。
新たな門出:メアリー・セレスト号への改名と改修
不運続きのアマゾン号は、1867年にアメリカ人実業家リチャード・W・ヘインズによって買い取られ、ニューヨークで大規模な改修を受けました。船体は延長され、構造も強化されました。そして、不運な過去を断ち切るかのように、その名前も「メアリー・セレスト号」と改められました。この新たな船名は、純粋さや希望を連想させるもので、船の新たな門出を象徴するかのようでした。改修後、船はニューヨークを母港とする複数の共同所有者によって運営されることになりました。
船長ベンジャミン・S・ブリッグス:信頼と経験の航海士
メアリー・セレスト号の最後の船長となったのは、当時37歳のベンジャミン・S・ブリッグスでした。彼はマサチューセッツ州ウェアハム出身の敬虔なメソジスト教徒であり、代々続く船乗りの家系の出身でした。長年にわたる航海経験を持つ、非常に有能で信頼の厚い船長として知られていました。彼の航海士としての評判は高く、厳格でありながらも人望があり、乗組員からも厚く信頼されていました。彼は無謀な行動を嫌い、常に安全を最優先する人物でした。
ブリッグス船長は何よりも家族を大切にし、航海中に妻と幼い娘を同伴することも珍しくありませんでした。彼の妻サラ・ブリッグスもまた、海を愛し、夫と共に過ごすことを望んでいました。
最後の航海に乗り出した10名
今回のメアリー・セレスト号の航海も例外ではありませんでした。ブリッグス船長は、彼の妻であるサラ・ブリッグス(Sarah Elizabeth Briggs, 31歳)と、当時まだ2歳だった愛娘のソフィア・マチルダ・ブリッグス(Sophia Matilda Briggs, 2歳)も同乗させていました。彼らに加え、8名の乗組員が乗り込んでいました。
この総勢10名が、メアリー・セレスト号と共に大西洋へ旅立った、最後の人間たちとなりました。
- 船長:ベンジャミン・S・ブリッグス (Benjamin S. Briggs, 37歳) – 経験豊富な熟練の船長。
- 一等航海士:アルバート・G・リチャードソン (Albert G. Richardson, 28歳) – ニューヨーク出身の信頼できる若手航海士。
- 二等航海士:アンドリュー・ギリッグ (Andrew Gilling, 25歳) – 同じく経験のある若手航海士。
- 調理師兼雑用係:エドワード・W・ヘッド (Edward W. Head, 23歳) – アメリカ人。
- 甲板員4名: 彼らは皆、ドイツ人またはデンマーク人でした。当時の商船では、国際色豊かな乗組員が一般的でした。
- フォルティン・シュルト (Volkert Lorenzen, 29歳) – ドイツ人。
- アリ・ファウンダー (Arian Faunder, 25歳) – ドイツ人。
- アスムス・アンドリエン (Asmus Andriessen, 27歳) – ドイツ人。
- ボーセ・ロレンツェン (Boyse Lorenzen, 23歳) – ドイツ人。
- 乗客:
- サラ・ブリッグス (Sarah Elizabeth Briggs, 31歳) – 船長の妻。
- ソフィア・マチルダ・ブリッグス (Sophia Matilda Briggs, 2歳) – 船長の娘。
この乗組員たちは、船長夫妻の他に、ベテランの水夫や若手の船員で構成されており、皆、堅実で経験豊富な者たちばかりでした。船内で問題を起こすような人物は一人もいなかったとされています。
ニューヨークからの出航:1872年11月7日
1872年11月7日、メアリー・セレスト号は、ニューヨーク港のスタテン島沖から大西洋へと出航しました。行先はイタリアのジェノヴァで、積荷は前述の通り、当時約3万5000ドル相当の価値を持つ1700樽(約9800リットル)の変性アルコールでした。このアルコールは、主に工業用(燃料、溶剤など)として使用されるもので、高純度で引火性が高い危険物でした。
航海は当初、順調に進んでいるかのように見えました。出航から約3週間後の11月25日、最後の航海日誌の記入によれば、メアリー・セレスト号はアゾレス諸島の西方を順調に航行していました。そしてその数日後、偶然にもデ・グラシア号と遭遇し、ジョンソン船長とブリッグス船長は互いに挨拶を交わしています。この時点では、メアリー・セレスト号に何ら異常は見られませんでした。
しかし、この最後の出会いの後、メアリー・セレスト号は、突如として、その姿を消し、そして前代未聞の状態で発見されることになるのです。
第3部:疑惑と捜査の始まり ― ジブラルタルでの予審と最初の結論
メアリー・セレスト号がデ・グラシア号によってジブラルタル港に曳航された後、その不可解な状況は瞬く間に大きな注目を集めました。イギリスの領土であるジブラルタルは、当時、地中海への入り口として重要な海事拠点であり、あらゆる国際的な海難事故の調査が行われる場所でした。この異例の事態を調査するため、イギリス海事裁判所は直ちに**予審(Salvage Court Hearing)**を開始しました。
予審の目的とジブラルタルの注目
予審の主な目的は、メアリー・セレスト号がデ・グラシア号によって「放棄された」と見なされるに足る状況にあったか否かを判断し、デ・グラシア号に支払われるべき**サルベージ料(救助料)**の金額を決定することでした。しかし、事件があまりにも異例であったため、この調査は単なるサルベージ料の決定を超えて、乗組員の失踪という最大の謎へと発展していきました。
ジブラルタルの人々、そして世界中の新聞は、この「幽霊船」のニュースに熱狂しました。初期の報道は憶測に満ち、様々な荒唐無稽な説が飛び交いました。
- 海賊による襲撃か? しかし、船内の貴重品や積荷が手つかずであったことから、この説はすぐに説得力を失いました。海賊が金品に目もくれず、人だけを消し去ることは考えにくいからです。
- 乗組員による反乱・殺人か? 船長のブリッグスは尊敬される人物であり、乗組員との間に問題があったという証拠はありませんでした。また、船内に争いの痕跡、血痕や銃痕、武器などの証拠も見当たりませんでした。
- 怪物との遭遇か? 当時としては荒唐無稽な話ですが、大洋の彼方で起こった不可解な事件ゆえに、こうした奇妙な推測もされました。
- 保険金詐欺か? ブリッグス船長と船主が結託して船を放棄し、保険金を得ようとしたという疑いも浮上しました。しかし、ブリッグス船長の人格や、船がほぼ無傷で発見された事実から、この説もすぐに否定されました。
厳密な調査とソロモン検事総長の疑惑
予審は、ジブラルタル副裁判長であるフレデリック・ソロモン(Frederick Solly-Flood)検事総長の指揮のもと、入念に進められました。ソロモン検事総長は、この事件に非常に深く関与し、独自の強い見解を持つことになります。彼は当初から、デ・グラシア号の乗組員がメアリー・セレスト号の乗組員を殺害し、船を奪ったのではないかという強い疑念を抱いていました。
メアリー・セレスト号は、ジブラルタル港に停泊させられ、専門家による徹底的な検査が行われました。
- 船体の損傷: 船首の外板(バウ)に、鋭利な刃物でつけられたような長さ約3メートルの深い傷が発見されました。ソロモンは、これが斧によるものだと主張しました。また、船底には不審な赤色の斑点が付着していました。ソロモンはこれが血痕であると強く主張し、政府分析官の検査を要求しました。しかし、分析の結果、それは血痕ではなく、錆と木材の着色料、あるいはワインの染みであると結論付けられました。
- メインマストの傷: メインマストの下部にも、奇妙な傷が見つかりました。これもまた、ソロモンは暴力的な行為を示唆するものと見なしました。
- ポンプの異常: 船のポンプが分解された状態で見つかりました。これは、船が浸水した際に排水しようとしていた可能性を示唆しましたが、その割には船内に浸水の形跡はほとんどありませんでした。
デ・グラシア号のジョンソン船長とモアハウス一等航海士は、何度も証言台に立ち、発見時の状況を詳細に説明しました。彼らの証言は、船がまさに「放棄された」状態であったことを裏付けるものでした。しかし、ソロモン検事総長は彼らの証言を徹底的に疑い、時には感情的になることもありました。彼はデ・グラシア号の乗組員に対し、過酷な尋問を行い、彼らがメアリー・セレスト号の乗組員を殺害し、遺体を海に投棄したのではないかと公然と示唆しました。
ソロモンは、**「船は血まみれだった」**と主張し、自身の理論を裏付けようとしました。しかし、客観的な証拠、特に化学分析の結果は彼の主張を支持しませんでした。
予審の結論と残された疑問
結局、ジブラルタルでの予審は、デ・グラシア号にメアリー・セレスト号の価値のわずか6分の1(約1700ポンド、当時の約8300ドル)という、比較的少額のサルベージ料を認める裁定を下しました。これは、予審がデ・グラシア号の乗組員に対するソロモン検事総長の疑念を完全に払拭できなかったことを示唆していると解釈されることもあります。もし彼らの救助が全面的に賞賛されるべき行為であれば、通常はより高額の報酬が支払われるからです。
しかし、最も重要な問題である乗組員の失踪については、明確な結論を出すことができませんでした。裁判所は、何らかの「暴力的な行為」があった可能性を完全に排除せず、しかしその具体的な原因については特定できませんでした。結局のところ、乗組員がなぜ、そしてどのようにして忽然と姿を消したのかは、謎のまま残されたのです。
この曖昧な結論は、後世にわたるメアリー・セレスト号の謎の議論に拍車をかけることになります。公式の調査が答えを出せなかったことで、人々の想像力はさらに掻き立てられ、様々な説が生まれ、今日に至るまで語り継がれる伝説となっていったのです。
第5部:事件を巡る主要な仮説とその検証
メアリー・セレスト号の謎は、その異様さゆえに、多種多様な解釈と推測を生み出してきました。ここでは、主要な仮説を一つずつ検証し、その妥当性と限界を探ります。
1. 海賊による襲撃説
これは事件発生当初から最も有力視された仮説の一つです。大西洋には当時、海賊行為が全くなかったわけではありませんでした。
- 内容: メアリー・セレスト号が海賊に襲われ、積荷は奪われなかったものの、乗組員全員が殺害されるか、あるいは拉致されてしまったという説です。船首の索の損傷や、メインマストの傷が、暴力的な争いの痕跡であると解釈されました。
- 検証と反論:
- 積荷と貴重品の温存: この説の最大の弱点は、船内の貴重品(船長の六分儀や時計、乗組員の私物)や、高価な積荷であるアルコールが一切手つかずで残されていたことです。一般的な海賊の目的は金品であり、労をかけて船を襲いながら、何の略奪もしないというのは極めて不自然です。
- 争いの痕跡の欠如: 船内には、大規模な争いがあったことを示す明確な血痕や銃痕、乱闘の痕跡が見られませんでした。ジブラルタル予審でソロモン検事総長が主張した「血痕」も、後に錆やワインの染みと判明しました。
- 歴史的文脈: 当時、大西洋上での大規模な海賊行為は、以前と比較してかなり減少していました。また、メアリー・セレスト号のような比較的小型の商船を狙うメリットも限定的でした。
- 結論: 積荷や私物が無傷であった点、争いの痕跡がなかった点から、海賊による襲撃説は極めて可能性が低いとされています。
2. 乗組員による反乱・殺人説
乗組員が船長に反抗し、皆殺しにした、あるいは内紛が起きて殺し合いになったという、これもまた初期に唱えられた陰惨な仮説です。
- 内容: 船長ブリッグスの厳格な規律に対する不満、あるいは個人的な対立がエスカレートし、乗組員が反乱を起こしてブリッグス船長一家と忠実な乗組員を殺害し、救命ボートで逃走したというものです。
- 検証と反論:
- 船長の評判: ブリッグス船長は非常に信頼され、尊敬される人物であり、乗組員との関係も良好だったとされています。反乱を引き起こすような明確な動機は見当たりませんでした。
- 乗組員の質: 乗組員たちは、経験豊富で堅実な者ばかりで、特に問題を起こすような人物はいなかったと記録されています。
- 証拠の欠如: 前述の通り、船内に大規模な暴力的な争いの痕跡、血痕、武器などが一切見つかっていません。もし反乱が起きて殺し合いになったのなら、必ず何らかの証拠が残るはずです。
- 目的の不明確さ: 反乱を起こして船を奪ったのなら、なぜ船を放棄し、荒れた海に救命ボートで逃走したのか、その後の目的が不明確です。
- 結論: 証拠の欠如と動機の不明確さから、この説も決定的なものとは言えません。
3. 保険金詐欺説
ジブラルタルの予審でソロモン検事総長が疑ったように、船主やブリッグス船長自身が保険金を騙し取るために船を放棄したという仮説です。
- 内容: メアリー・セレスト号の所有者が、船を放棄して沈没したように見せかけ、保険金を詐取しようとした。そのために、乗組員を秘密裏に下船させた、あるいは殺害したというものです。
- 検証と反論:
- 船の状態: 船はほぼ無傷で、曳航可能な状態で発見されました。保険金詐欺を企むのであれば、船を完全に沈没させるか、損傷を大きくして回復不可能に見せかけるのが常套手段です。無傷の船を放棄して保険金を請求するのは、あまりにもリスクが高すぎます。
- ブリッグス船長の人格: ブリッグス船長は非常に高潔な人物として知られており、犯罪に手を染めるような人物像とはかけ離れています。彼が家族を危険に晒してまで詐欺行為を行うとは考えにくいでしょう。
- 乗組員の行方: もし乗組員が秘密裏に下船させられたのなら、彼らがその後どうなったのか、誰一人として公の場に現れなかったのかという説明がつきません。
- 結論: 船の状態と船長の人格から、保険金詐欺説も極めて信憑性が低いとされています。
4. 積荷のアルコールによるガス爆発(または引火)説
これが、現在最も有力な仮説の一つとして、科学的な視点から考察されることが多い説です。
- 内容: 積荷の工業用アルコールが、温度変化や揺れによって蒸発し、その可燃性ガスが船倉に充満した。何らかのきっかけで小規模な爆発(または引火)が発生し、乗組員は船が爆発炎上すると誤解して、パニックに陥り、急いで救命ボートに乗り込んだ。しかし、船に繋いでいたロープが何らかの理由で切れるか、あるいは彼らが誤って切り離してしまい、船から離れすぎてしまった結果、大西洋の荒波に呑み込まれたか、あるいは遥か沖合に流されてしまったというものです。
- 検証と根拠:
- 積荷の性質: 積荷の変性アルコールは引火点が低く(エタノールの場合約13℃)、揮発性が高い物質です。航海中の温度変化や船の揺れによって、樽からガスが漏れ出し、船倉に滞留する可能性は十分にありました。
- 爆発の痕跡の欠如: 船内に大規模な爆発の痕跡がないという反論に対しては、「デフラグレーション(Deflagration)」という現象で説明されます。これは、可燃性ガスが燃焼する際の「急速な燃焼」であり、爆発音はするものの、船体を破壊するほどの破壊力はありません。爆発ではなく、単なる引火による「燃焼フラッシュ(flash fire)」であった可能性もあります。これにより、乗組員は生命の危機を感じ、煙や熱から逃れるために急いで船外へ避難したと考えられます。
- メインハッチの開放: メインハッチが開放されていたのは、ガス抜きのため、あるいは爆発後の煙を排出するためだった、と解釈できます。
- 救命ボートの行方不明: パニック状態で救命ボートに乗り込んだのであれば、十分な準備をする時間もなく、食料や水を持たずに飛び出したことも説明できます。船にロープで繋がっていたとしても、急な波や風で切れる可能性、あるいはパニックの中で誤って切り離してしまった可能性も否定できません。
- 船長の慎重な性格: ブリッグス船長が非常に慎重な人物であったことを考えると、たとえ小さな爆発や引火であっても、積荷がアルコールである以上、船全体が爆発炎上する危険性を過大評価し、乗組員の安全を優先して一時避難を命じた、というシナリオは矛盾しません。
- 乗組員の不在: 船が漂流している間に彼らを捜索する船がおらず、最終的に彼らが大西洋で生存できなかったという結果にも繋がります。
- 結論: この説は、残された物的証拠と科学的根拠、そして人間の心理的側面を比較的矛盾なく説明できるため、現在最も有力な仮説とされています。ただし、決定的な証拠(例えば、ガス爆発の痕跡がより明確であること)がないため、依然として「仮説」の域を出るものではありません。
5. 水上竜巻(ウォータースパウト)説
大西洋上で頻繁に発生する水上竜巻が原因で、乗組員が船外に投げ出された、あるいはパニックで避難したという説です。
- 内容: 航海中に強力な水上竜巻に遭遇し、それが船を直撃した。これにより、乗組員が吹き飛ばされたり、あるいは船の安定性が失われるほどの激しい揺れが発生し、船長が一時的な避難を命じた。しかし、竜巻の通過後に船に戻ろうとしたところ、激しい波や流されによって船から離されてしまったというものです。
- 検証と反論:
- 発生の可能性: 水上竜巻は大西洋では実際に発生します。突然発生し、局地的に甚大な被害をもたらすことがあります。
- 物的証拠の欠如: もし水上竜巻が直撃したのであれば、船体やマスト、帆に甚大な損傷が見られるはずです。しかし、メアリー・セレスト号の損傷は、水上竜巻によるものとしては軽微であり、全体的に構造的な損傷は見られませんでした。
- 日誌の記録: 最後の航海日誌には、穏やかな天候が記録されており、激しい嵐や竜巻に遭遇したという記述はありません。ただし、竜巻は突発的に発生し、短時間で通過するため、日誌に記載する間もなかった可能性はゼロではありません。
- 結論: 説としては可能性はありますが、物的証拠との整合性が低いため、有力な説とは見なされていません。
6. 船酔いによる一時避難説(奇妙な説)
これは比較的奇妙な仮説ですが、一部で言及されることがあります。
- 内容: ブリッグス船長の妻サラが激しい船酔いに苦しんでおり、新鮮な空気を吸わせるために、一時的に救命ボートを降ろし、船にロープで繋いだ状態で外に出ていた。その際に、何らかの理由でロープが切れてしまい、そのまま流されてしまったというものです。
- 検証と反論:
- 船長の性格との矛盾: 経験豊富なブリッグス船長が、たとえ妻のためとはいえ、航海中に不安定な救命ボートに乗り出すという、無謀かつ危険な行動を命じる可能性は極めて低いと考えられます。特に2歳の幼い娘も同伴していたことを考えると、そのリスクは計り知れません。
- 乗組員全員の同行: なぜ乗組員全員がこれに付き合う必要があったのか、という説明がつきません。
- 結論: 船長の性格や状況の整合性から、非常に信憑性の低い仮説です。
7. デ・グラシア号による犯行説(ジブラルタル予審で疑われた説)
ジブラルタルのソロモン検事総長が強く疑った仮説です。
- 内容: デ・グラシア号のジョンソン船長や乗組員が、メアリー・セレスト号の乗組員を殺害し、船を奪ってサルベージ料を得ようとしたというものです。ソロモン検事総長は、船内の「血痕」や奇妙な損傷をその根拠としました。
- 検証と反論:
- 証拠の欠如: 「血痕」は後に否定され、暴力的な争いの明確な証拠もありませんでした。
- ジョンソン船長の評判: ジョンソン船長もまた、ブリッグス船長と同様に尊敬されるベテランの船乗りであり、友人関係にあった船を襲う動機が見当たりません。また、デ・グラシア号の乗組員も事件後も平静を保ち、特に不審な行動は見られませんでした。
- サルベージ料の少なさ: もし犯罪を犯したとすれば、得られたサルベージ料は危険を冒してまで行うには少なすぎるものでした。
- 結論: 裁判所でも証拠不十分とされ、現在ではほぼ否定されている仮説です。
第6部:謎を深める要因と、事件の文化的影響
メアリー・セレスト号の謎がこれほどまでに人々の関心を惹きつけ、今日まで語り継がれるのは、いくつかの複合的な要因が絡み合っているためです。そして、この事件は単なる海難事故の枠を超え、多くのフィクション作品に影響を与え、文化的なアイコンとなっていきました。
謎が深まる要因
- 物的証拠の矛盾: 船がほぼ無傷で、積荷や貴重品が残されているにもかかわらず、人間だけが消え去ったという、あまりにも奇妙な矛盾が、様々な解釈の余地を与えました。
- 明確な結論の不在: ジブラルタルでの公式な予審が、乗組員の失踪について明確な答えを出せなかったことが、その後の憶測や議論に拍車をかけました。当局が解明できなかった、という事実が、神秘性を高めたのです。
- 未解決の結末: 乗組員が一人も発見されなかったことが、永遠の謎として残る最大の要因です。もし生存者が一人でもいれば、真相が明らかになった可能性がありました。
- 報道の過熱: 事件発生直後から、新聞各社はこの不可解な出来事をセンセーショナルに報じました。誤報や誇張も多く含まれ、それがさらに謎を深める結果となりました。特に、アーサー・コナン・ドイルの短編小説「ジェイ・アスタカの告白」(”J. Habakuk Jephson’s Statement”)は、創作でありながらあまりにも真に迫っていたため、多くの読者がこれを事実と誤解し、メアリー・セレスト号の物語をさらに広めることになりました。
- 人間の想像力: 人は未解決の謎に対し、物語を創り出す傾向があります。幽霊船、エイリアンの誘拐、海の怪物など、超常現象やSF的な解釈さえも生まれました。
文学的・文化的影響
メアリー・セレスト号の物語は、多くの作家、映画監督、芸術家にインスピレーションを与えてきました。
- アーサー・コナン・ドイルの「ジェイ・アスタカの告白」: 先述の通り、これはメアリー・セレスト号の事件を題材にした最も有名なフィクション作品です。彼は、生存者がいなくなった船内で、黒人による復讐と集団自殺という、当時の偏見に基づく陰鬱なストーリーを描きました。この作品はフィクションでありながら、事件のイメージ形成に大きな影響を与えました。
- H.P.ラヴクラフトの「ダゴン」: 怪奇小説の巨匠ラヴクラフトも、メアリー・セレスト号の事件に触発され、クトゥルフ神話の一端を描いた短編小説「ダゴン」の中で、主人公が漂流する船を発見し、怪奇な体験をする描写があります。
- その他のフィクション: ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」でも、ネモ船長がメアリー・セレスト号に言及する場面があると言われています。現代においても、メアリー・セレスト号は小説、映画、テレビドラマ、ドキュメンタリー、ビデオゲームなどで繰り返し取り上げられ、未解決の謎、失踪、幽霊船の代名詞として定着しています。
第7部:現代における再評価と新たな視点 ― 科学的考察と風化
メアリー・セレスト号の謎は、150年以上の時を経た今もなお、世界中の人々を魅了し続けています。しかし、現代においては、単なるミステリーとしてではなく、より科学的かつ合理的な視点から再評価が試みられています。新たな研究手法や気象データ、海洋学の知識が、この未解決事件に新たな光を当てようとしています。
新たな気象学的考察:マイクロバーストとスコールライン
従来の「水上竜巻説」は、船体への決定的な損傷が見られないことから否定されてきましたが、現代の気象学の知見からは、より局地的な、しかし非常に強力な気象現象の可能性が指摘されています。
- マイクロバースト(Microburst): これは、積乱雲から発生する強力な下降気流が地面や水面に衝突し、四方に広がる現象です。短時間で局地的に突風をもたらし、小さな領域に大きな被害を与えることがあります。もしメアリー・セレスト号が強力なマイクロバーストに遭遇した場合、突然の突風によって船が激しく傾き、乗組員が甲板から投げ出されたり、パニックに陥って船を放棄する決断をした可能性も考えられます。短時間の現象であるため、航海日誌に記録される間もなかったかもしれません。
- 激しいスコールライン: 広範囲な嵐ではなく、突発的で非常に激しいスコールライン(線状降水帯のようなもの)に遭遇し、急な暴風雨と高波に襲われた可能性もゼロではありません。これにより、船が一時的に危険な状態に陥り、救命ボートによる一時避難を余儀なくされた、というシナリオです。
これらの気象現象は、船体の構造的な破壊をもたらさずに、乗組員を一時的に船外へ退避させる、あるいは巻き込むほどの強力な影響を与える可能性があります。
海洋学からの考察:海流と漂流予測
メアリー・セレスト号と救命ボートの漂流経路を、現在の海洋学の知見に基づいてシミュレーションする試みも行われています。
- 救命ボートの行方: もし乗組員が救命ボートで船を離れたのであれば、彼らが最終的にどうなったのかが最大の疑問です。発見地点からジブラルタルへの曳航経路と、当時の北大西洋の主要な海流パターンを組み合わせることで、救命ボートがどこへ流されたかを推測することができます。もし救命ボートが船から離れてしまい、そのまま海流に乗って漂流したとすれば、広大な大西洋で発見される可能性は極めて低かったでしょう。食料や水がなかったことを考えれば、生存は絶望的であったと推測されます。
- 船の漂流: メアリー・セレスト号自体が約10日間も漂流し、その後デ・グラシア号によって発見されたことは、当時の風と海流が比較的穏やかであったことを示唆します。これは、乗組員が船を放棄した時点での天候が必ずしも最悪ではなかった、というアルコールガス爆発説を補強する材料にもなります。
技術的な視点:船体設計と構造
メアリー・セレスト号は、カナダで建造された木造のブリガンティン船であり、その時代の一般的な帆船でした。しかし、過去に何度も座礁や衝突事故を起こし、大規模な改修を受けています。
- 不安定性の可能性: 改修によって船体が延長されたことが、特定の条件下での船の安定性に影響を与えた可能性も指摘されています。しかし、船長ブリッグスは経験豊富であり、船の特性を熟知していたはずです。
- 資材の劣化: 長年の使用と度重なる事故によって、見えない部分で資材の劣化が進んでいた可能性も否定できません。それが、例えば予期せぬ小さな船体の歪みや、ガス漏れを引き起こす要因になった、と考えることもできます。
これらの現代的な視点は、単なる推理の域を超え、科学的なデータやシミュレーションを用いて、事件の背後に隠された「真実」に迫ろうとするものです。しかし、決定的な証拠がない以上、これらもまた「仮説」の域を出るものではありません。
第8部:結論なき謎、そして語り継がれる理由
メアリー・セレスト号の物語は、150年以上の時を超えてもなお、未解決のまま残されています。多くの仮説が提唱され、科学的な分析が試みられてきましたが、乗組員10名がなぜ、そしてどのようにして忽然と姿を消したのか、その真相は深海の底に沈んだままです。
なぜ「幽霊船」の伝説は続くのか
メアリー・セレスト号がこれほどまでに人々の想像力を掻き立て、語り継がれるのには、いくつかの本質的な理由があります。
- 究極の未解決事件: 現代科学をもってしても、決定的な証拠が見つからず、明確な結論が出ない事件は、人々の好奇心を刺激し続けます。人間は、未解決の謎に対して、自らの想像力で物語を埋めようとする傾向があるからです。
- 不気味な状況: 船が無傷で、食料も水も豊富にあり、生活の痕跡がそのまま残されているにもかかわらず、人間だけが消え去ったという状況は、私たちの日常的な理解を超越しています。それはまるで、時間が止まったかのような、あるいは突然次元の裂け目に吸い込まれたかのような、超自然的な出来事を連想させます。
- 海の神秘と恐怖: 大洋は、広大で深遠であり、古くから人間に畏敬の念と同時に恐怖を与えてきました。海の真ん中で起こった不可解な事件は、その神秘性と恐怖を具現化したものとして、人々の心に深く刻み込まれます。嵐や海獣、未知の存在など、海には人間がコントロールできない力が存在する、という根源的な認識が、この物語をより強く印象づけます。
- フィクションとの融合: アーサー・コナン・ドイルをはじめとする多くの作家がこの事件を題材にしたことで、メアリー・セレスト号の物語は、単なる歴史的事実を超えて、文学やエンターテイメントの世界で独自の生命を持ちました。フィクションが現実の謎に深みを与え、人々の記憶に定着させた側面は非常に大きいと言えるでしょう。
- 「もしも」の問いかけ: もし自分がその船の乗組員だったらどうしただろうか? 何が起こったのだろうか? という「もしも」の問いかけが、読者や聞き手の想像力を掻き立てます。
最終的な考察:可能性の集約
現在、最も有力とされているのは、「積荷のアルコールガス爆発(デフラグレーション)とパニックによる一時避難、そして救命ボートの離脱・遭難」という複合的なシナリオです。
- 穏やかな海上で、何らかの原因(例えば、船の揺れや温度変化)で積荷の樽からアルコールガスが漏れ出し、船倉に充満した。
- 突然、小さな爆発音(デフラグレーション)や、ガスが瞬間的に燃焼する「火花」のような閃光が発生した。これは船体を破壊するほどのものではないが、乗組員にとっては非常に恐ろしい体験であった。
- ブリッグス船長は、船が本格的に炎上する危険性(特にアルコールが積荷であるため)を懸念し、家族と乗組員の安全を第一に考え、緊急避難を指示した。
- 乗組員は救命ボートを降ろし、船に繋がれた状態で一時的に船外へ退避した(メインハッチ開放、救命ボート欠如、クロノメーターと六分儀の持ち出しがこれを裏付ける)。
- しかし、その直後、不測の事態(急な波、ロープの劣化、パニックによる切断など)によって救命ボートとメアリー・セレスト号を繋ぐロープが切れてしまった。
- メアリー・セレスト号は風と海流に乗って漂流を開始し、救命ボートに乗った乗組員たちは広大な大西洋で孤立無援となり、最終的に生存することができなかった。
このシナリオは、残された全ての物的証拠と、船長や乗組員の性格、当時の海の状況などを比較的矛盾なく説明できます。しかし、これらはあくまで「最も可能性の高い」推測であり、決定的な裏付けがない限り、「真実」として断定することはできません。
メアリー・セレスト号の謎は、今後も永遠に解かれることのない、人類の海の物語の一部として語り継がれていくでしょう。それは、海の広大さ、自然の猛威、そして未解明の出来事に対する人間の好奇心の象徴として、私たちに多くの問いかけを投げかけ続けるのです。