- 序章:不可能への招待状
- 第1章:消えたゴルフII級 —— K-129の最期
- 第2章:神の耳 —— SOSUSと音響解析
- 第3章:深海のハイエナ —— USSハリバットの出撃
- 第4章:CIAの介入 —— 「10%ではなく、100%を」
- 第5章:不可能への挑戦 —— 3つの物理的障壁
- 第6章:完璧な隠れ蓑 —— ハワード・ヒューズの登場
- 第7章:異形の巨船 —— 「ヒューズ・グローマー・エクスプローラー」
- 第8章:最大の秘密 —— 「ムーンプール」の魔術
- 第9章:鋼鉄の爪 —— 「クレメント」
- 第10章:出航 —— 世界を騙す旅へ
- 第11章:鋼鉄の糸 —— 5000メートルへの降下
- 第12章:運命の亀裂 —— 物理法則の報復
- 第13章:虚しい帰還 —— ムーンプールの中身
- 第14章:敵への敬礼 —— 6人の水兵
- 第15章:暴露 —— 泥棒に入った泥棒
- 第16章:伝説の回答 —— グロマ−・レスポンス
- 第17章:白い象の行方 —— グローマー・エクスプローラーのその後
- 第18章:モスクワへの手土産 —— 1992年の雪解け
- 第19章:アゾリアンの遺産 —— 失敗か成功か?
- 終章:深海の静寂
- 余談1:名前の間違い —— 「ジェニファー」ではない
- 余談2:国連を騙した代償 —— 海洋法条約の誕生
- 余談3:エンジニアリングの奇跡 —— 「ジンバル」の塔
- 余談4:放射能の恐怖 —— プルトニウムの粉
- 余談5:泥棒に入った泥棒 —— スッマ社侵入事件の詳細
- 余談6:ハワード・ヒューズの奇行 —— 一度も見ていない
- 余談7:残された「爪」 —— クレメントの行方
- 余談8:映画化の噂と、ベン・アフレック
- 余談9:戦慄の仮説 —— 「K-129は核攻撃を仕掛けようとしていた?」
- 余談10:船上のカルチャーショック —— 「カツラ」の男たち
- 余談11:本物の「マンガン団塊」 —— 伝説のお土産
- 余談12:タイタニック発見とのリンク —— ロバート・バラードの告白
- 余談13:幻の続編 —— 「プロジェクト・マタドール」
序章:不可能への招待状
1968年、世界は冷戦の熱病に浮かされていた。 ベトナム戦争は泥沼化し、プラハの春は戦車に踏み潰され、キング牧師とロバート・ケネディが暗殺された。 世界中が悲鳴を上げているその裏で、北太平洋の冷たい海の下で、歴史を変える「音」が響いた。
それは、ソビエト連邦が誇る弾道ミサイル搭載潜水艦**「K-129」**が圧壊する音だった。
この瞬間から、CIA(アメリカ中央情報局)による、6年間にわたる壮大な秘密作戦が幕を開ける。 予算は現在の価値で約40億ドル(約6000億円)。 巻き込んだのは、伝説の大富豪ハワード・ヒューズ。 目的はただ一つ。 「水深5000メートルの海底から、2000トンの鉄の塊を、誰にも気づかれずに盗み出すこと」
これは、スパイ活動ではない。 人類の限界を超えた、深海への強盗ミッションである。
第1章:消えたゴルフII級 —— K-129の最期
1-1. 太平洋の狼
ソ連海軍の潜水艦「K-129」は、当時の西側諸国にとって悪夢そのものだった。
- 艦種: ゴルフII級(Golf-II class)ディーゼル弾道ミサイル潜水艦
- 全長: 98.9メートル
- 積載兵器:
- R-21(NATO名:SS-N-5 Serb)核弾道ミサイル × 3基
- 核魚雷 × 2基
- 特異性: 1メガトン級の核弾頭を搭載し、ハワイやアメリカ西海岸を射程に収めていた。
1968年2月24日、K-129はカムチャッカ半島のペトロパブロフスク基地を出港した。 乗員は98名。任務は、ハワイ北東の哨戒海域への展開。 しかし、3月8日の定時連絡を最後に、その信号は途絶えた。
1-2. ソ連艦隊の大捜索
3月中旬、太平洋上のソ連海軍がパニックに陥ったのを、アメリカ海軍の情報部は察知した。 カムチャッカから、ウラジオストクから、数十隻の艦艇と航空機が一斉に出撃したのだ。 彼らは必死にソナーを海中に投下し、何かを探していた。 その動きは「攻撃」ではなく「捜索」だった。
アメリカ海軍情報局(ONI)は結論づけた。 「ソ連は、自分の潜水艦を見失ったのだ」
1-3. 諦め
2ヶ月にわたる大規模な捜索の末、ソ連艦隊は何も見つけられないまま母港へ引き上げた。 広大な太平洋において、どこで沈んだかもわからない潜水艦を見つけるのは、干し草の山から針を探すよりも難しい。 ソ連は、K-129とその乗員98名、そして貴重な核ミサイル3発を「行方不明」として諦めた。 彼らは、**「我々が見つけられないものを、アメリカが見つけられるはずがない」**と信じていたのだ。 しかし、彼らは致命的な誤算をしていた。 アメリカには、海全体を盗聴する「耳」があったのだ。
第2章:神の耳 —— SOSUSと音響解析
2-1. 海底の盗聴網「SOSUS」
当時、アメリカ海軍は極秘裏に**SOSUS(ソーサス / Sound Surveillance System)**と呼ばれるシステムを運用していた。 これは、海底ケーブルで結ばれた高性能な水中聴音機(ハイドロフォン)のネットワークであり、太平洋の底に張り巡らされていた。 本来の目的は、ソ連の潜水艦のスクリュー音を探知し、追跡することだった。
2-2. 破滅の音紋
「K-129が消えた」という情報を得たアメリカ海軍は、過去のSOSUSの記録を洗い直した。 そして、3月8日のデータに、奇妙な**「異常音」**が記録されているのを発見した。
それは、1回の大爆発音ではなかった。 「ドーン」という短い衝撃音のあと、少し間を置いて、長く引きずるような破壊音。 音響分析官たちは、この音の正体を正確に突き止めた。
- 最初の音: 潜水艦内部での爆発(バッテリーの爆発か、ミサイルの誤爆)。
- 2つ目の音: 船体が限界深度を超え、水圧によって一瞬で押し潰される**「圧壊(Implosion)」**の音。
2-3. トライアングル測量
SOSUSの基地は複数箇所(ハワイ、カリフォルニア、ミッドウェイなど)にある。 複数の地点で記録された「音の到達時間のズレ」を計算することで、音源の位置を三角測量で特定できる。 計算の結果、場所は北緯40度06分、東経179度57分付近。 ハワイの北西、約1,560海里(約2,900km)の地点。 誤差はわずか数キロメートル。 ソ連が太平洋全域を探し回っている間に、アメリカは**「沈没地点にピンを立てていた」**のだ。
第3章:深海のハイエナ —— USSハリバットの出撃
3-1. 誰にも見えない潜水艦
場所はわかった。しかし、そこには何があるのか? 確認のために送り込まれたのは、アメリカ海軍で最も特殊な潜水艦**「USSハリバット(SSN-587)」**だった。
ハリバットは、元々はミサイル潜水艦だったが、秘密工作用に改造されていた。
- 特殊装備: 船体下部に「バチスカーフ(深海探査艇)」のような張り出し区画を持ち、そこから遠隔操作無人探査機(ROV)である**「フィッシュ(Fish)」**を曳航できた。
- カメラ: 「フィッシュ」には、ストロボライトと高性能カメラ、そしてソナーが満載されていた。
3-2. 恐怖の捜索「オペレーション・サンドダラー」
1968年7月、ハリバットは極秘任務「オペレーション・サンドダラー」として出港した。 現場海域に到着したハリバットは、水深5000メートルの海底に向けて「フィッシュ」を降ろした。 有線ケーブルの長さは数キロメートル。 母船が少しでも動けばケーブルは切れ、フィッシュは失われる。 乗員たちは、何週間もの間、暗室で送られてくる粒子の荒い白黒写真を凝視し続けた。 写るのは、泥、泥、泥。
3-3. 鋼鉄の墓標
数週間後、ついにその時が来た。 カメラが捉えたのは、海底に横たわる巨大な影。 K-129だった。 潜水艦は爆発によって損傷していたが、驚くべきことに、「核ミサイル格納区画」と「司令塔(セイル)」の主要部分は、比較的原形をとどめていた。 そして、その周囲には、無念の死を遂げたソ連水兵の遺骨の一部も散らばっていた。
ハリバットは、2万枚以上の写真を撮影し、帰還した。 その写真は、ホワイトハウスとCIA本部に衝撃を与えた。 そこには、冷戦のパワーバランスを一変させる「宝の山」が眠っていたからだ。
- 核ミサイル(R-21): ソ連の最新核技術の結晶。
- 暗号機と乱数表: ソ連海軍の通信を解読するための「聖杯」。
- 核魚雷: 西側の技術を凌駕すると噂された兵器。
第4章:CIAの介入 —— 「10%ではなく、100%を」
4-1. 海軍の限界
アメリカ海軍は当初、「マジックハンドのような装置で、ミサイルや暗号機だけをつまみ上げる」案を検討した。 しかし、水深5000メートル(約16,500フィート)という深さが壁となった。
- 水圧は約500気圧。指先ほどの面積に500kgの重さがかかる世界。
- ターゲットの重さは数トン〜数十トン。
- 既存の深海探査艇では、パワーが足りない。
海軍は「技術的に不可能」として諦めかけた。 その時、CIAの科学技術本部(DS&T)が手を挙げた。 彼らは、U-2偵察機や偵察衛星コロナを開発した、クレイジーな技術者集団だった。
4-2. ジョン・パランゴスキーの野望
CIAの計画責任者、ジョン・パランゴスキー(John Parangosky)は、常識外れの提案をした。 「部品だけ盗むのではない。潜水艦を丸ごと引き上げる」
会議室は静まり返った。 K-129の重量は、水を吸った状態で約2000トン。 それを5000メートルの海底から引き上げる? 自由の女神を、エベレストの高さまで吊り上げるようなものだ。 しかも、ソ連の偵察衛星や監視船が見ている太平洋のど真ん中で、「誰にも気づかれずに」?
「正気じゃない」 誰もがそう言った。 しかし、パランゴスキーはニヤリと笑った。 「だからこそ、ソ連は警戒しない。そんなことができるとは夢にも思わないからだ」
こうして、コードネーム**「プロジェクト・アゾリアン」**が承認された。 ニクソン大統領の特別許可のもと、CIAは「史上最大の泥棒道具」の開発に着手する。
第5章:不可能への挑戦 —— 3つの物理的障壁
この作戦には、当時の工学技術を遥かに超える、3つの致命的な課題があった。
5-1. 「パイプ」の問題
どうやって引き上げるか? ワイヤーロープでは、自分自身の重さで切れてしまう。 彼らが考案したのは、油田掘削用の**「鋼鉄製パイプ」**を継ぎ足して、5000メートルの彼方まで伸ばす方法だった。 しかし、5000メートルのパイプの総重量だけで数千トンになる。 船は、潜水艦+パイプの重量を支えなければならない。
5-2. 「爪(クレメント)」の問題
海底の潜水艦を掴むための巨大な捕獲装置が必要だ。 CIAはこれを**「キャプチャー・ビークル(Capture Vehicle)」、通称「クレメント(Clementine)」**と名付けた。
その大きさは体育館ほどもあり、巨大な鋼鉄の爪を持っていた。 これを精密に制御し、泥に埋まった潜水艦を優しく、かつ強力に抱きかかえなければならない。
5-3. 「隠蔽」の問題
これが最大の問題だった。 巨大な船を作り、太平洋の真ん中で数ヶ月間も停泊させ、巨大なパイプを降ろし続ける。 ソ連が見たら「何をしているんだ?」と怪しむに決まっている。 絶対に怪しまれない、**「完璧なカバーストーリー(偽の目的)」**が必要だった。
「深海で巨大な作業をしていても不自然ではなく、巨額の資金を持っていて、多少奇抜な行動をしても『あいつならやりかねない』と思われる変人」 そんな人物が、この世に一人だけいた。
ハワード・ヒューズである。
第6章:完璧な隠れ蓑 —— ハワード・ヒューズの登場
6-1. 狂気の大富豪
ハワード・ヒューズ。航空機王、映画プロデューサー、そして晩年は極度の潔癖症と強迫性障害でホテルのペントハウスに引きこもっていた変人億万長者。 CIAにとって、彼こそがこの作戦における「神」だった。
なぜヒューズなのか?
- 資金力: 彼なら数億ドルの巨大プロジェクトを個人で動かしても不自然ではない。
- 変人ぶり: 「ヒューズがまた何か変なことを始めた」と思わせれば、誰も真面目に理由を探ろうとしない。
- 愛国心: 彼は政府との太いパイプを持っており、国防総省の極秘プロジェクトにも慣れていた。
CIAの要請を受けたヒューズは、快諾した(というより、彼の部下が代理でサインした)。 こうして、「グローバル・マリン社」という海洋掘削会社がフロント企業として設立され、世紀の大嘘が発表された。
6-2. 嘘の物語「マンガン団塊採掘」
1970年代初頭、メディアは大々的に報じた。 「ハワード・ヒューズ、海底の秘宝『マンガン団塊』の採掘に乗り出す!」
**マンガン団塊(Manganese nodules)**とは、深海底に転がっているジャガイモ大の鉱物の塊だ。マンガン、ニッケル、コバルトなどを含む。 当時、これは「未来の資源」として注目されていたが、採算が合わないとされていた。 しかし、ヒューズなら? 「あの変わり者なら、採算度外視でやるかもしれない」 「彼だけが知る新技術があるのかもしれない」
世界中の投資家、鉱山会社、そしてソ連の情報部までもが、このストーリーを信じ込んだ。 まさか、マンガン団塊が「ただの石ころ」で、本当の目的がその下にある「ソ連の潜水艦」だとは、誰一人として想像しなかった。
第7章:異形の巨船 —— 「ヒューズ・グローマー・エクスプローラー」
7-1. 史上空前の建造計画
フィラデルフィアのサン・シップビルディング造船所で、巨大な船の建造が始まった。 その名は**「ヒューズ・グローマー・エクスプローラー(HGE)」**。
- 全長: 189メートル
- 全幅: 35メートル
- 排水量: 63,000トン
- 特徴: 船体中央にそびえ立つ、巨大な石油掘削リグのようなタワー(デリック)。
作業員たちは「最新鋭の採掘船を作っている」と信じていたが、設計図の一部は極秘扱いされ、特定のエリアには立ち入り禁止区域が設けられていた。
7-2. 自動船位保持システム(DPS)
5000メートルのパイプを垂らすためには、船は波や風の中でも、数センチ単位で定位置に止まり続けなければならない。アンカー(錨)は届かない。 そこで開発されたのが、最先端の**「自動船位保持システム(Dynamic Positioning System)」**だ。 船底に取り付けられた複数のスラスター(プロペラ)が、コンピュータ制御で細かく動き、船を一点に釘付けにする。 これは当時の宇宙開発技術に匹敵する、オーパーツ的なテクノロジーだった。
第8章:最大の秘密 —— 「ムーンプール」の魔術
この船には、外からは絶対に見えない、ある「空洞」があった。 これこそが、パランゴスキーが仕掛けた最大のトリックである。
8-1. 船の中の海
船体の中央底部には、長さ60メートル、幅22メートル、高さ20メートルほどの巨大な格納庫があった。 その床は開閉式になっており、海と直結していた。 これが**「ムーンプール(Moon Pool)」**だ。
8-2. 見えない引き上げ
通常の引き上げ船なら、クレーンで吊り上げた荷物は海面上に露出し、甲板に置かれる。 しかし、そんなことをすれば、上空を飛ぶソ連の偵察衛星に「潜水艦を盗んだ」とバレてしまう。
グローマー・エクスプローラーの計画はこうだ。
- ムーンプールの底を開く。
- そこから爪(クレメント)を降ろす。
- 潜水艦を掴んで引き上げる。
- 潜水艦を、水面に出すことなく、そのまま船底のムーンプール内部へ「収納」する。
- 底を閉じて海水を排水する。
こうすれば、外からは**「何も引き上げていない」**ように見える。 潜水艦は、誰の目にも触れることなく、船の「胎内」で解体・調査されるのだ。 まさに完全犯罪のための密室トリックである。
第9章:鋼鉄の爪 —— 「クレメント」
9-1. ロッキードの秘密兵器
潜水艦を掴むための「キャプチャー・ビークル(クレメント)」の設計は、航空宇宙産業の巨人、ロッキード社(現ロッキード・マーティン)のミサイル部門に委託された。 彼らはカリフォルニアの巨大なはしけ船(バージ)の中で、秘密裏にこれを建造した。
9-2. 構造
クレメントは、巨大なカニのような形をしていた。
- 重量: 約2000トン(これ自体が潜水艦と同じくらい重い)。
- 爪: 油圧で動く巨大な鋼鉄の指が多数ついており、K-129の円筒形の船体を包み込むように把持する。
- センサー: 先端には強力なライトとテレビカメラ、そしてソナーが装備され、5000メートル上の母船から遠隔操作される。
この巨大な爪は、普段はムーンプールの中に隠されているか、あるいは専用の潜水はしけ「HMB-1」の中に隠されており、絶対に人の目に触れることはなかった。
第10章:出航 —— 世界を騙す旅へ
10-1. 南米回り
1973年、完成したグローマー・エクスプローラーは東海岸を出発した。 しかし、船幅が広すぎてパナマ運河を通れないため、南米のマゼラン海峡を回る長旅に出た。 太平洋に到着した船は、ロングビーチで爪(クレメント)を秘密裏に搭載した。 (この搭載作業も、はしけごと沈めて船底からドッキングさせるという、夜陰に乗じた離れ業で行われた)
10-2. ソ連の監視
1974年6月20日、ついにグローマー・エクスプローラーは「採掘現場(K-129の沈没地点)」に向けて出航した。 現場に到着し、作業を開始すると、すぐに招かれざる客が現れた。 ソ連海軍のミサイル追跡船**「チャズマ」と救助タグボート「SB-10」**だ。
彼らは不審に思い、グローマー・エクスプローラーの周りを旋回した。 双眼鏡で監視し、ヘリコプターを飛ばして写真を撮った。 CIAのクルーたちは緊張した。 「バレたか? 攻撃されるか?」 作業員たちは甲板に出て、わざとらしく「マンガン団塊のサンプル」を弄ったり、日光浴をしてリラックスしたふりをした。 無線では「採掘ドリルの調子が悪いなぁ」などと嘘の会話を流し続けた。
10-3. 運命の誤解
ソ連の艦長は報告した。 「アメリカの巨大な船がいる。採掘実験をしているようだ。動きは鈍く、軍事的な脅威はない」 彼らは、まさか自分たちの足元5000メートル下にある「同胞の墓」を掘り返しているとは夢にも思わず、数週間の監視の末、「ただの民間船だ」と判断して去っていった。
CIAは胸を撫で下ろした。 最大の危機は去った。 あとは、5000メートルの彼方にある獲物を掴み、引き上げるだけだ。 しかし、本当の地獄はここからだった。 物理法則と、老朽化した潜水艦の脆さが、彼らに牙を剥くことになる。
第11章:鋼鉄の糸 —— 5000メートルへの降下
11-1. パイプ・ストリングの悪夢
1974年7月、グローマー・エクスプローラーは定位置についた。 自動船位保持システム(DPS)が唸りを上げ、船を波の上で静止させる。 ムーンプールの底が開き、巨大な爪「クレメント」が暗黒の海へと降ろされ始めた。
ここからの作業は、気の遠くなるような反復作業だった。 長さ60フィート(約18メートル)の鋼鉄製パイプを、一本ずつ繋いでは降ろし、繋いでは降ろす。 これを数百回繰り返すのだ。 パイプの総重量だけで数千トン。 もしパイプの継ぎ目が一つでも破断すれば、クレメントは海底に落下し、船体は反動ではね上がり、最悪の場合、船が真っ二つに折れる危険性があった。
11-2. 泥の上のダンス
数日後、ソナーとカメラが海底を捉えた。 K-129はそこにいた。右舷を下に横たわっている。 オペレーターたちは、5000メートル上のコントロールルームで、モニターを見ながらジョイスティックを操作した。 クレメントの位置調整はミリ単位だ。 海流、パイプのねじれ、船の揺れ。すべてを計算し、巨大な爪を潜水艦の真上に導く。
「接触(コンタクト)」 クレメントが着底した。 爪がK-129の船体を抱きかかえるように展開し、そして閉じた。 油圧が作動し、鋼鉄の指が腐食した船体に食い込む。 計器が「把持完了」を示した。
第12章:運命の亀裂 —— 物理法則の報復
12-1. 上昇開始
「引き上げ開始(リフト・オフ)」 強力な油圧ジャッキが唸り、パイプを引き上げ始めた。 泥に埋まっていたK-129が、ズズズ……と海底から剥がれる。 数千トンの負荷が船にかかり、船体が軋んだ。 しかし、システムは耐えた。 K-129はゆっくりと、死の世界から生者の世界へと上昇を始めた。
1000メートル、2000メートル……。 作業は順調に進んでいるように見えた。 CIAのパランゴスキーも、現場の指揮官も、成功を確信し始めていた。 「歴史が変わるぞ」 彼らは祝杯の準備すら考えていたかもしれない。
12-2. 衝撃音
水深約2000メートル〜3000メートル(諸説あり)付近まで引き上げた時だった。 船内に、鈍く、しかし巨大な衝撃音が響き渡った。 「バン!!」
モニターを見ていたオペレーターが叫んだ。 「荷重が軽くなりました! 急激に低下!」 カメラの映像の中で、信じられない光景が展開されていた。
クレメントの爪の一部(マルエージング鋼製の超硬度爪)が、過度の負荷に耐えきれず、「パキン」と砕け散ったのだ。 支えを失ったK-129の船体は、その負荷に耐えられなかった。 元々爆発と水圧で弱っていた船体の中央部に亀裂が入り、次の瞬間、ボキリと折れた。
12-3. 再落下
潜水艦の後ろ3分の2——つまり、核ミサイルサイロの一部、司令塔、そして暗号室がある重要区画——が、爪から滑り落ちた。 巨大な鉄塊は、ゆっくりと回転しながら深海へと沈んでいった。 再び海底に激突し、粉々になるまで、CIAの男たちはただ呆然とモニターを見つめることしかできなかった。
残ったのは、クレメントが辛うじて掴んでいた**「艦首(前部)の3分の1」**だけだった。 そこには魚雷発射管はあるが、最大のターゲットである弾道ミサイルや暗号機が含まれている可能性は低かった。 「なんてことだ……」 40億ドルをかけたクレーンゲームは、景品を落としてしまったのだ。
第13章:虚しい帰還 —— ムーンプールの中身
13-1. 放射能と悪臭
引き上げるか、捨てるか。 CIAは決断した。「あるものだけでも持ち帰る」。 残された艦首部分は、そのままムーンプールへと引き上げられた。 底のハッチが閉じられ、海水が排水された。
作業員たちが防護服を着て、濡れた潜水艦の残骸に近づいた。 強烈な腐敗臭と、微量の放射能検知音が響く。 そこは地獄のような光景だった。 捻じ曲がった鉄、爆発の跡、そして深海のヘドロ。
13-2. 回収されたもの
CIAの技術者たちは、残骸の中を必死に捜索した。 当初の目的(ミサイルと暗号機)の多くは、海底に落ちた部分にあったとされるが、いくつかの成果はあった。
- 核魚雷: 2発の核弾頭付き魚雷が無傷で回収されたと言われている。
- マニュアル類: 艦内機器の操作マニュアルや日誌の一部。
- その他: ソ連の冶金技術や溶接技術を示すサンプル。
そして、彼らが予期していなかった、最も重い「発見」があった。
第14章:敵への敬礼 —— 6人の水兵
14-1. 遺体発見
潰れた区画の中から、6人のソ連水兵の遺体が発見された。 6年間の深海生活で、遺体の保存状態は特殊な状況(サポ化など)にあったが、身元の特定が可能な遺品も残されていた。 彼らは息子であり、夫であり、祖国の英雄だった。
14-2. 水葬の決断
CIAは冷酷なスパイ組織だが、海で死んだ者への敬意は持っていた。 また、将来的にソ連にこの作戦がバレた時、「遺体を丁重に扱った」という事実は外交上の切り札になる。 彼らは、敵国の水兵たちのために、正式な**「水葬(Burial at Sea)」**を行うことを決定した。
14-3. 1974年9月4日
グローマー・エクスプローラーの甲板(あるいはムーンプール内)で、厳粛な儀式が執り行われた。 遺体は金属製の棺に納められた。 アメリカ海軍とCIAの要員たちが整列し、敬礼する中、スピーカーから**「ソビエト連邦国歌」**が流された。 アメリカの工作船の上で、敵国の国歌が流れるという、冷戦史上最も奇妙で、最も人間的な瞬間だった。
牧師が祈りを捧げ、ロシア語と英語で言葉が述べられた。 「彼らは祖国のために奉仕し、海に散った。安らかに眠れ」 棺は静かに海へと投下され、再び深海へと帰っていった。 この一連の様子は、カラーフィルムで記録され、厳重に機密保管された(後に、冷戦終結後にロシア側に提供された)。
第15章:暴露 —— 泥棒に入った泥棒
15-1. 失敗の隠蔽
グローマー・エクスプローラーは帰港した。 作戦は「部分的成功」だったが、コストに見合うものではなかった。 CIAは「もう一度行って、残りの部分(ミサイル)を回収する」計画(プロジェクト・マタドール)を立てた。 しかし、運命はそれを許さなかった。
15-2. スッマ社の強盗事件
1974年6月、ハワード・ヒューズの持ち株会社「スッマ社(Summa Corporation)」のオフィスに、コソ泥が入った。 彼らは金庫を破り、現金と一緒にいくつかの書類を盗んだ。 その中に、運悪く**「プロジェクト・アゾリアンに関するメモ」**が含まれていたのだ。
強盗たちは、自分たちが盗んだ書類の価値に気づき、CIAを脅迫しようとしたか、あるいはメディアに売り込もうとした。 噂は広まり、ニューヨーク・タイムズの敏腕記者、シーモア・ハーシュ(Seymour Hersh)の耳に入った。
15-3. 報道協定の崩壊
CIA長官ウィリアム・コルビーは必死に動いた。 「これを報道しないでくれ。人命(まだ生きているかもしれない次の作戦)に関わる」と主要メディアに要請した。 しかし、1975年2月、ロサンゼルス・タイムズがスクープを掲載し、続いてジャック・アンダーソンが全国ネットで暴露した。 「CIA、海底のソ連潜水艦を引き上げ」
世界中が仰天した。 ソ連は激怒した。 「マンガン団塊採掘」という壮大な嘘は、白日の下に晒された。 2度目の回収作戦は即時中止となった。
第16章:伝説の回答 —— グロマ−・レスポンス
16-1. 肯定も否定もしない
メディアが殺到し、情報公開法(FOIA)に基づく開示請求がCIAに嵐のように届いた。 「潜水艦を引き上げたのか?」「核ミサイルはあったのか?」
CIAは答えに窮した。 認めれば、ソ連との戦争になりかねない。 嘘をつけば、議会で偽証罪に問われる。 そこでCIAの法務顧問が生み出したのが、後に伝説となる**「グロマー・レスポンス(Glomar Response)」**と呼ばれる回答定型文だった。
“We can neither confirm nor deny the existence of the information requested.” (我々は、要求された情報の存在について、肯定も否定もできない)
「やってない」とは言わない。「やった」とも言わない。 「その書類があるかどうかすら言えない」という、究極の煙に巻く手法。 この言葉は、これ以降、アメリカ政府の「伝家の宝刀」となり、UFOから暗殺計画まで、あらゆる場面で使われるようになった。 その語源は、この奇妙な船「グローマー・エクスプローラー」にあるのだ。
第17章:白い象の行方 —— グローマー・エクスプローラーのその後
17-1. ゴースト・フリート
作戦が露見した後、グローマー・エクスプローラーはその役割を失った。 これほど巨大で、維持費がかかり、しかも「潜水艦引き上げ」という特殊すぎる機能しか持たない船を欲しがる者はいなかった。 船はアメリカ政府のお荷物(ホワイト・エレファント)となり、カリフォルニア州サイスン湾の「予備艦隊(ゴースト・フリート)」に係留された。 錆びつき、鳥の巣となりながら、20年以上も放置された。
17-2. 嘘が真実に
しかし、歴史の皮肉が起きた。 1990年代後半、深海での石油掘削技術が求められるようになると、この船の持つ「自動船位保持システム(DPS)」と「巨大なパイプ吊り上げ能力」が再評価されたのだ。 船はグローバル・サンタフェ社に売却され、20年かけて莫大な費用をかけて改装され、**「本物の深海掘削船(GSF Explorer)」として生まれ変わった。 CIAが作った「マンガン団塊採掘という嘘」のカバーストーリーが、30年の時を経て、形を変えて「本物の民間事業」**になったのである。
17-3. 巨人の最期
その後、世界中の海で海底油田を掘り続けたこの伝説の船も、原油価格の低落と共に役目を終えた。 2015年、船は中国の解体業者に売却された。 冷戦時代、共産主義の秘密を盗むために作られた船が、最後は共産圏の国でスクラップにされる。 これもまた、歴史の皮肉だった。
第18章:モスクワへの手土産 —— 1992年の雪解け
18-1. ロバート・ゲーツの訪問
1991年、ソビエト連邦が崩壊し、冷戦が終わった。 1992年10月、当時のCIA長官ロバート・ゲーツは、新生ロシアのモスクワを訪問し、ボリス・エリツィン大統領と会談した。 ゲーツは、友好の証として「あるもの」を持参していた。
18-2. ベルとビデオテープ
ゲーツがエリツィンに手渡したのは、以下の2つだった。
- K-129の時鐘(シップ・ベル): 引き上げられた残骸から見つかった、艦名が刻まれた鐘。
- ビデオテープ: 1974年9月4日に行われた、6人のソ連水兵の「水葬」の記録映像。
エリツィンとロシア海軍の将校たちは、その映像を食い入るように見つめた。 彼らは、アメリカ人が遺体をゴミのように捨てず、ソ連国歌を流し、牧師が祈りを捧げ、最大限の軍礼をもって葬送する姿に衝撃を受けた。
18-3. 遺族への福音
それまで、ソ連政府はK-129の乗員家族に対し、「彼らは行方不明になった」としか伝えていなかった。家族たちは「裏切って亡命したのではないか」という疑いをかけられることすらあった。 しかし、この映像によって、彼らが「祖国のために殉職した英雄」であることが証明されたのだ。 CIAの作戦は、本来は「墓荒らし」だった。 しかし、その最後に行われた人間的な儀式が、20年後に両国のわだかまりを溶かす「癒やし」となったのである。
第19章:アゾリアンの遺産 —— 失敗か成功か?
19-1. 情報としての失敗
純粋に諜報活動として見れば、プロジェクト・アゾリアンは**「失敗」**に近い。 40億ドル(現在の価値)を投じて、肝心の核ミサイルと暗号機(の大部分)を取り逃がしたからだ。 コストパフォーマンスは最悪だった。
19-2. 工学としての勝利
しかし、工学的な視点では、これはアポロ計画に匹敵する**「奇跡」**だった。 水深5000メートルから2000トンの物体を引き上げる技術は、当時存在しなかった。CIAはそれをゼロから作り上げた。 このプロジェクトで開発された「DPS(自動船位保持)」や「重防食技術」、「深海作業ロボット」の技術は、現在の海洋石油掘削や、海底ケーブル敷設技術の基礎となっている。 我々が今、海底資源を利用できるのは、CIAがハワード・ヒューズと組んで無茶をしたおかげかもしれない。
19-3. マンガン団塊の誤算
さらに面白い副作用がある。 ヒューズが「マンガン団塊を採る」と大嘘をついたせいで、世界中の企業や国連が「アメリカが本気なら、マンガン団塊は儲かるに違いない!」と勘違いし、莫大な投資をして深海調査を始めてしまった。 結果として、海洋地質学が飛躍的に進歩し、国連海洋法条約の制定にも影響を与えた。 一人の嘘が、世界の産業構造を変えてしまったのだ。
終章:深海の静寂
今、北太平洋の北緯40度、東経179度。 水深5000メートルの暗黒の底には、K-129の残りの部分——ミサイル発射管と、90名以上の乗員の遺骨——が、誰にも邪魔されることなく眠っている。 そのすぐそばには、砕け散ったクレメントの巨大な爪の破片も転がっているはずだ。
プロジェクト・アゾリアン。 それは、東西冷戦という狂気の時代が生んだ、あまりにも巨大で、あまりにも馬鹿げていて、そしてどこかロマンチックな冒険だった。
「肯定も否定もできない」 CIAは今も公式には詳細を語らない。 しかし、技術者たちの情熱と、深海に散った男たちへの敬意だけは、確かにそこに存在した。
(全4部・完)
【全編・参考文献リスト】
- Polmar, Norman and Michael White (2010).Project Azorian: The CIA and the Raising of the K-129. Naval Institute Press.
- (最も詳細で信頼性の高いノンフィクション)
- CIA FOIA Reading Room. “The Glomar Explorer.”
- (2010年に機密解除されたCIAの公式文書群)
- Sontag, Sherry and Christopher Drew (1998).Blind Man’s Bluff: The Untold Story of American Submarine Espionage.
- (邦題『潜水艦諜報戦』。潜水艦スパイ活動の古典的名著)
- Craven, John Pina (2001).The Silent War: The Cold War Battle Beneath the Sea.
- (作戦に関わった科学者による回顧録)
CIA史上最大の狂気「プロジェクト・アゾリアン」【番外編:嘘から出た真実と、名前の間違い】
余談1:名前の間違い —— 「ジェニファー」ではない
多くのミリタリーマニアや古い文献で、この作戦は**「プロジェクト・ジェニファー(Project Jennifer)」と呼ばれています。 しかし、これは間違い**です。
【機密区分の誤解】 本当の作戦名は**「アゾリアン(Azorian)」です。 では「ジェニファー」とは何か? これは、この作戦に関する情報を扱うための「セキュリティ・クリアランス(機密取扱資格)」のコードネーム**でした。 「君はジェニファー・クリアランスを持っているか?」=「君はこの潜水艦引き上げの話を聞く資格があるか?」という意味です。 メディアにリークされた際、記者がこれをプロジェクト名だと勘違いして広めてしまったのです。 CIA内部では、「ジェニファー」と呼ぶと「あ、こいつ素人だな」と笑われたそうです。
余談2:国連を騙した代償 —— 海洋法条約の誕生
ハワード・ヒューズがついた「マンガン団塊を採掘する」という嘘は、あまりにも魅力的すぎました。 そのせいで、世界中の外交官がパニックになりました。 「アメリカが深海の資源を独り占めしようとしている!」
【嘘が生んだ法律】 これにより、国連では「深海の資源は誰のものか?」という議論が沸騰しました。 発展途上国が猛反発し、それがきっかけとなって**「国連海洋法条約(UNCLOS)」**の制定交渉が加速したのです。 現在の「排他的経済水域(EEZ)」や「深海底は人類の共同財産」という概念が固まった背景には、CIAのついた嘘が(皮肉にも)大きく影響しています。 スパイの嘘が、国際法を作ってしまったのです。
余談3:エンジニアリングの奇跡 —— 「ジンバル」の塔
グローマー・エクスプローラーの船体中央にある巨大なタワー(デリック)。 実はこれ、船に直接固定されていません。 **「巨大なジンバル(回転軸)」**の上に乗っているのです。
【船だけが揺れる】 波で船が左右前後に揺れても、重いタワーとパイプだけは、常に「垂直」を保つように設計されていました。 当時の映像を見ると、タワーが止まっていて、船の床だけがグニャグニャ動いているように見えます。 これは「ヒーブ・コンペンセーション(上下動補償)」の究極系であり、この技術がなければ、現在の深海石油掘削(ドリルシップ)は存在しませんでした。 CIAは潜水艦を盗むために、石油業界を50年進化させてしまったのです。
余談4:放射能の恐怖 —— プルトニウムの粉
引き上げたK-129の残骸を扱う際、作業員たちは見えない恐怖と戦っていました。 それは**「プルトニウム汚染」**です。
【アルファ線の脅威】 核ミサイルや核魚雷が破損している可能性がありました。 プルトニウムは、微粒子となって空中に舞い、それを吸い込むと肺がんを引き起こす猛毒です。 作業員たちは、真夏の太平洋上で、分厚い防護服とフルフェイスのマスクを装着し、ガイガーカウンターが鳴り響く中で作業しました。 回収された潜水艦の内部は、ヘドロと油と放射性物質が混ざり合った、この世で最も危険な廃棄物だったのです。
余談5:泥棒に入った泥棒 —— スッマ社侵入事件の詳細
作戦がバレたきっかけとなった強盗事件。これがまた間抜けな話です。 1974年、ハワード・ヒューズの会社「スッマ社」に侵入した4人の強盗は、金庫から現金を盗みましたが、一緒に「極秘文書」も持ち出しました。
【脅迫の失敗】 彼らは最初、CIAを脅迫しようとしました。 「潜水艦のことをバラされたくなければ金を払え」 しかし、CIAはテロリストとは交渉しません。FBIに通報しました。 FBIが捜査を始めると、地元警察(LAPD)にも情報が伝わり、そこから新聞記者へと情報が漏れていきました。 国家最高機密が、**「チンピラの小遣い稼ぎ」**のせいで崩壊したのです。 セキュリティにおける「ヒューマンエラー」の典型例として、今でも教訓になっています。
余談6:ハワード・ヒューズの奇行 —— 一度も見ていない
作戦の主役(スポンサー役)であるハワード・ヒューズですが、彼はこの巨大な船をどう思っていたのか? 実は、彼は一度もグローマー・エクスプローラーに乗船していません。 それどころか、現物を見に行ったことすらありません。
【電話だけの承認】 当時のヒューズは、ラスベガスのホテルの最上階から一歩も出ず、爪も髪も伸ばし放題で、裸で過ごしていたと言われています。 彼はCIAとの会議にも出ず、部下が電話で「ボス、CIAが船を作りたいそうです」「いいぞ、やれ」と伝えただけだったという説が有力です。 40億ドルの船は、彼にとっては「暇つぶしのテレビ番組」程度の関心事だったのかもしれません。
余談7:残された「爪」 —— クレメントの行方
引き上げに使われた巨大な爪「クレメント」。 作戦終了後、あまりにも特殊すぎて使い道がないため、解体されました。 しかし、その一部(巨大な油圧シリンダーや、鋼鉄の指の一部)は、今でもアメリカ国内のどこかの倉庫、あるいはスクラップ置き場に、人知れず眠っているという噂があります。
もし、あなたがアメリカの砂漠地帯のジャンクヤードで、異常に巨大で頑丈な「カニの爪のような鉄塊」を見つけたら……。 それはソ連の核ミサイルを掴んだ、歴史の証人かもしれません。
余談8:映画化の噂と、ベン・アフレック
この「アルゴ」にも似た信じられない実話は、何度もハリウッドで映画化の話が持ち上がっています。 実際、ジョージ・クルーニーやベン・アフレックが関心を持っているという報道が過去にありましたが、なぜか実現していません。
【リアリティがありすぎる】 理由の一つは、「嘘のスケールが大きすぎて、フィクションに見えてしまう」からだとか。 「深海5000メートルから2000トンの潜水艦を、マンガン団塊採掘のフリをして盗む」 脚本家がこれを書いたら、プロデューサーに「もっと現実味のある設定にしろ」と没にされるでしょう。 事実は、脚本家の想像力を超えているのです。
余談9:戦慄の仮説 —— 「K-129は核攻撃を仕掛けようとしていた?」
K-129がなぜ沈んだのか? 公式には「バッテリー爆発」や「衝突事故」とされていますが、一部の軍事専門家や歴史家(ケネス・シューエルなど)は、もっと恐ろしい**「ローグ(暴走)潜水艦説」**を唱えています。
【偽装攻撃計画】 この説によれば、K-129は事故で沈んだのではありません。 艦内の一部の過激派が、「ハワイ(真珠湾)に向けて核ミサイルを発射しようとしていた」というのです。 しかも、ソ連の攻撃に見せかけるのではなく、「中国の潜水艦による攻撃」に見せかけて発射し、アメリカと中国を戦争させようとしていた(当時、中ソ対立が激化していたため)。
しかし、ソ連の核ミサイルには「フェイルセーフ(安全装置)」があり、正規の手順を経ずに発射しようとしたため、ミサイルがサイロ内で自爆し、潜水艦ごと吹き飛んだ……というシナリオです。 もしこれが真実なら、CIAが必死に引き上げようとした真の目的は、暗号機ではなく、「なぜ発射しようとしたのか(誰の命令か)」を記録した日誌や、発射装置の状態を確認するためだったことになります。 彼らは、第3次世界大戦の「不発弾」処理をしていたのかもしれません。
余談10:船上のカルチャーショック —— 「カツラ」の男たち
グローマー・エクスプローラーには、2種類の乗組員が乗っていました。
- ラフネック(Roughnecks): 本物の石油掘削作業員。荒っぽく、酒と女の話が大好きな海の男たち。
- ベルベット・グローブ(Velvet Glove): CIAの特殊技術者たち。
【バレバレの変装】 CIAの男たちは、ラフネックに溶け込むために、長髪のカツラを被り、付け髭をし、汚い服を着て「俺たちも掘削屋だぜ」という演技をしていました。 しかし、食事中にうっかり「量子力学」の話をしたり、聞き慣れないクラシック音楽を聴いたりしたため、ラフネックたちには**「あいつら絶対におかしい」「何かの宗教団体か?」**と完全に怪しまれていたそうです。 閉鎖空間での「隠し事」は、技術的課題よりもストレスが溜まるものだったようです。
余談11:本物の「マンガン団塊」 —— 伝説のお土産
カバーストーリーを守るために、CIAは実際に海底からマンガン団塊をいくつか「採掘」して見せる必要がありました。 作業の合間に、クレメント(爪)やバスケットを使って、実際に少量のマンガン団塊が回収されました。
【CIAの文鎮】 これらの石ころは、関係者の間で**「数億ドルの価値がある石」**として記念品になりました。 今でも、元CIA職員の家の書斎や、博物館の倉庫に、「グローマー・エクスプローラーが採ったマンガン団塊」としてひっそり飾られているものがあります。 それは単なる鉱物ではなく、国家予算を湯水のように使った証拠品なのです。
余談12:タイタニック発見とのリンク —— ロバート・バラードの告白
映画『タイタニック』で有名になった沈没船タイタニック号の発見者、ロバート・バラード博士。 彼は1985年にタイタニックを見つけましたが、実はあれも**「米海軍の極秘任務のカバーストーリー」**でした。
【アゾリアンの系譜】 海軍は、沈没した原子力潜水艦「スレッシャー」と「スコーピオン」の原子炉の状態を調査したかったのです。 しかし、堂々と調査すればソ連にバレる。 そこでバラードに「タイタニックを探すフリをして、ついでに潜水艦を見てきてくれ」と依頼したのです。 「民間調査を装って軍事目的を果たす」 この手法は、まさにプロジェクト・アゾリアンが確立した**「深海偽装工作(Deep Sea Cover)」の成功体験**があったからこそ、承認された作戦でした。 アゾリアンがなければ、タイタニック発見も数十年遅れていたかもしれません。
余談13:幻の続編 —— 「プロジェクト・マタドール」
作戦が暴露されて中止になる直前まで、CIAは本気で**「2回目の航海」を準備していました。 その名も「プロジェクト・マタドール(Project Matador)」**。
【完全回収への執念】 1回目の失敗(潜水艦の破断)を教訓に、クレメント(爪)を改良し、落下した「ミサイルを含む後半部分」を確実に拾い上げる計画でした。 もし、泥棒事件による情報漏洩がなく、メディアの暴露があと半年遅れていれば? アメリカはソ連の核ミサイル技術の全てを手に入れ、冷戦の終了が数年早まっていたかもしれません。 あるいは、2度目の作業中にソ連艦隊に気づかれ、公海上で武力衝突(実戦)が起きていた可能性もあります。 歴史は、たった一人の泥棒(スッマ社侵入犯)によって分岐したのです。

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