- 1979年9月22日、インド洋の沈黙が破られた日
- 第1部:ヴェラ衛星が見た「二重の閃光」
- 第2部:物理学が証明する「核の指紋」
- 参考文献(第1部・第2部)
- 第3部:カーター政権の混迷とホワイトハウスの密室
- 第4部:消せない証拠:放射能と電離層の異常
- 第5部:疑惑の主役たち:イスラエルと南アフリカの同盟
- 参考文献(第3部〜第5部)
- 第9部:【余談コラム集】歴史の闇に消えたエピソード
- 参考文献(全編完結版)
- 第11部:深層の構造――イスラエル製核弾頭の物理的プロファイル
- 第12部:隠蔽のプロトコル――「ルイーナ報告書」の欺瞞を再検証する
- 第13部:機密の墓場――CTBTOが密かに保有する「過去の遺物」
- 参考文献(第11部〜第13部)
- 第14部:ヴェラ・シャドウ――1980年代の核ドミノと「見えざる手」
- 第15部:工学的深掘り――「ヴェラ・ホテル6911」の視力と限界
- 第16部:比較分析――ヴェラ事件 vs 既知の核実験
- 参考文献(第14部〜第16部)
1979年9月22日、インド洋の沈黙が破られた日
1979年9月22日、東部標準時午前0時53分。南インド洋上空を監視していたアメリカの核検知衛星「ヴェラ・ホテル6911」が、二度の強烈な閃光(ダブル・フラッシュ)を感知した。この現象は、核爆発特有の「指紋」として知られる物理現象である。しかし、この日、世界のどの国も核実験の実施を表明しなかった。
この記事がなぜ、世界中の軍事専門家、物理学者、政治学者を40年以上も翻弄し続けているのか。それは、この「事件」が単なる核爆発の疑いを超え、冷戦下の核拡散、国家間の極秘同盟、そして現代科学による「隠蔽との戦い」を象徴しているからである。
本稿では、当時の気象データ、放射性同位体の分析、衛星の光学系メカニズム、そして近年公開された機密文書を徹底的に解析し、この「南大西洋の閃光」の真実に肉薄する。
第1部:ヴェラ衛星が見た「二重の閃光」
1-1. 宇宙の監視者:ヴェラ・プロジェクトの出自
「ヴェラ(Vela)」という名は、ラテン語で「船の帆」を意味する。1963年に調印された部分的核実験禁止条約(PTBT)を監視するため、アメリカ国防高等研究計画局(ARPA)とアメリカ空軍が共同で開発したのが「ヴェラ・ホテル(Vela Hotel)」衛星シリーズである。
この衛星の目的は極めてシンプルかつ重大であった。 「宇宙空間、大気圏内、および高高度における核爆発を、光と放射線によって検知すること」 1979年当時、運用されていたのは第4世代のヴェラ衛星であり、地球から約11万km(地球半径の約17倍)という高軌道を周回していた。
1-2. 1979年9月22日のログ
その瞬間、ヴェラ・ホテル6911号(1969年打ち上げ)の光学センサー「バン・メートル(Bangmeter)」が、南インド洋、クロゼ諸島とプリンス・エドワード諸島の間付近から発せられた強烈な光を捉えた。
- 発生時刻: 1979年9月22日 00:52:43.5 (UTC)
- 発生場所: 南緯47度、東経40度(推定)
- 検知データ: 2つのフォトダイオードが、数ミリ秒間隔で発生する2つの光のピークを完璧に記録した。
この「ダブル・フラッシュ」こそが、大気圏内核爆発を証明する唯一無二の物理的証拠とされる。自然界において、これほど短時間に、特定の光度曲線を描いて二度輝く現象は、核爆発以外に存在しないと考えられていたからだ。
1-3. 核爆発が「二度」光る理由:物理的メカニズム
なぜ核爆発は二度光るのか。ここには極めて高度な物理現象が関わっている。
- 第一次ピーク: 核分裂・核融合反応が始まった直後、X線が周囲の空気を加熱し、プラズマの火の玉(ファイアボール)を形成する。この時、温度は数百万度に達し、強烈な光を放つ。
- 暗転(最低点): 爆発による衝撃波が火の玉の前面に押し寄せ、空気を極限まで圧縮・加熱する。この「衝撃波面」が不透明なシールドとなり、内側の眩い光を一瞬だけ遮断する。
- 第二次ピーク: 衝撃波が拡散して密度が下がり、再び透明度が増すと、背後に隠れていた高温の火の玉が再び姿を現す。これが第一次ピークよりも長く、緩やかな第二次ピークとなる。
ヴェラ6911が記録した光度曲線は、この「物理法則の教科書」通りの形状を描いていたのである。
【余談コラム】「ヴェラ」の名前の由来と星座
ヴェラ衛星の名は「ほ座(Vela)」に由来するが、実は計画当初、この衛星は「監視者」という意味の別のコードネームで呼ばれる予定だった。しかし、軍事色を薄め、学術的な監視を強調するために星座名が採用された経緯がある。ちなみに、ほ座はアルゴ船座という巨大な星座が分割されてできたものの一つであり、広大な海(宇宙)を監視する役割にふさわしい命名であったといえる。
第2部:物理学が証明する「核の指紋」
2-1. バン・メートルの感度と精度
ヴェラ衛星に搭載された「バン・メートル(Bangmeter)」は、単なるカメラではない。これは、シリコン・フォトダイオードを用いた超高速光度計である。
- サンプリングレート: 毎秒数千回
- 観測波長: 0.35マイクロメートルから1.1マイクロメートル(可視光から近赤外線)
1979年の事件において、ヴェラ6911の2つのセンサーは、互いに独立して動作しながら、ほぼ同一の波形を記録した。これは、センサーの故障や単一の誤作動(迷光など)である可能性を極めて低くする。
2-2. 爆発規模の推定:2キロトンから3キロトンの衝撃
物理学者たちが光度曲線のピークの間隔(Time to Minimum)を計算したところ、爆発の規模は2キロトンから3キロトン程度と推定された。 これは広島型原爆(約15キロトン)と比較すると小型であるが、いわゆる「戦術核兵器」や「原爆の起爆装置(プライマリ)」の試験としては、極めて現実的な数値である。
2-3. 自然現象との徹底比較
ホワイトハウスが後に設置した科学顧問パネル(ルイーナ委員会)は、この閃光を「自然現象(流星や雷)」として片付けようとした。しかし、科学的データはそれに反論している。
- スーパーボルト(巨大雷): 雷の閃光は通常、数ミリ秒で減衰し、核爆発のような特徴的な「二段階の立ち上がり」を見せない。
- 流星(火球): 大気圏に突入する流星は、数秒間にわたって光り続けるが、ヴェラが捉えたような「ミリ秒単位の規則的な二重ピーク」を再現することはない。
【余談コラム】幻の「第3のセンサー」
実は、ヴェラ衛星には光学センサー以外にも、X線センサーや中性子検出器が搭載されていた。しかし、1979年の事件当時、これらのセンサーは既に寿命を迎えていたか、あるいは感度が不足していた。もしこれらが正常に作動していれば、論争は発生から数時間で終結していただろう。「あと数年、衛星が新しければ」――この歴史の悪戯が、ヴェラ事件を永遠のミステリーに変えたのである。
参考文献(第1部・第2部)
- The Vela Incident: Nuclear Test or Starfish?, National Security Archive, George Washington University (2016).
- Technical Report: Analysis of the 22 September 1979 Vela Signal, Los Alamos National Laboratory (1980).
- Rhodes, Richard, The Making of the Atomic Bomb, Simon & Schuster (1986).
- Richelson, Jeffrey, Spying on the Bomb: American Nuclear Intelligence from Nazi Germany to Iran and North Korea, W. W. Norton & Company (2006).
(第3部へ続く:カーター政権の苦悩と、隠された政治的意図の解明)
第3部:カーター政権の混迷とホワイトハウスの密室
3-1. 真夜中の報告と「核不拡散」の危機
1979年9月22日の朝、ジミー・カーター大統領のもとに届けられた報告書は、政権を根底から揺るがすものだった。当時のカーター政権は、エジプト・イスラエル平和条約の仲介(キャンプ・デービッド合意)を最大の外交成果として掲げており、同時に「核兵器のない世界」を理想とする核不拡散政策を強力に推進していた。
もし、この閃光がイスラエルによる核実験であったと証明されれば、カーターは米国内法(国際安全保障援助・武器輸出管理法)に基づき、イスラエルへの軍事・経済援助を即座に停止しなければならない。それは中東和平プロセスの崩壊と、来たる1980年大統領選挙での敗北を意味していた。
3-2. ルイーナ委員会の設立:科学を政治の道具に変える試み
事態を重く見たホワイトハウスは、大統領科学顧問のフランク・プレス博士(Dr. Frank Press)の主導のもと、外部の専門家を集めた特別調査パネルを設置した。これが、マサチューセッツ工科大学(MIT)のジャック・ルイーナ博士(Dr. Jack Ruina)を議長とする**「ルイーナ委員会」**である。
しかし、この委員会の設置目的は、最初から「核爆発ではない可能性」を探ることにあった。 1980年7月に発表された最終報告書は、驚くべき結論を下した。
「9月22日の信号は、おそらく核爆発によるものではない。それは、衛星のセンサー近くを通過した微小な隕石が、衛星の塗装片を剥ぎ取り、それが太陽光を反射して二重の閃光のように見えた『動物園の猛獣(Zoo Event)』である可能性が高い。」
この「塗装片反射説」は、ロスアラモス国立研究所(LANL)の科学者たちから猛反発を受けることになる。なぜなら、2つの独立したセンサーが同時に同じ「塗装片」を捉える確率は、天文学的に低いからである。
3-3. 埋められた「異論」:隠蔽されたCIA報告書
ルイーナ委員会が否定的な結論を出した一方で、CIA(中央情報局)やDIA(国防情報局)の内部調査は、正反対の結果を示していた。1980年1月に作成された機密報告書の中で、CIAは「この事象はイスラエルと南アフリカが共同で実施した核実験である可能性が極めて高い」と断定していた。
しかし、これらの情報はカーター政権によって「非公式」なものとして処理され、表舞台に出ることはなかった。
### 【余談コラム】ジミー・カーターの「核の専門性」
実は、ジミー・カーターは大統領として唯一、海軍で原子力潜水艦の運用に携わった経歴を持つ「核の専門家」である。彼は1952年にカナダのチョーク・リバー研究所で発生した原子炉事故の際、防護服を着て汚染現場に降り、手作業で解体作業を行った経験すらある。それゆえ、彼がヴェラ衛星のデータの意味を理解していなかったはずがない。彼が「政治的判断」を下した背景には、プロとしての冷徹な計算があったのだ。
第4部:消せない証拠:放射能と電離層の異常
4-1. タスマニアで検出された「ヨウ素131」
核爆発の決定的な証拠は、空からの光だけではなかった。事件から約1ヶ月後、オーストラリア、タスマニア州の羊の甲状腺から、通常ではあり得ない濃度の**ヨウ素131(131I)**が検出された。
ヨウ素131は半減期が約8日と短く、核分裂反応直後にしか発生しない。当時の気象パターンを遡及解析すると、9月22日に南インド洋で発生した空気塊が、偏西風に乗ってタスマニア上空へ移動していたことが判明したのである。
4-2. アレシボ天文台の電離層擾乱
プエルトリコにある当時世界最大の電波望遠鏡、アレシボ天文台も不気味なデータを記録していた。事件の直後、南東方向の電離層において、超音速で移動する「電子密度の波」が観測された。これは、大気圏内の大規模な爆発によって引き起こされる「重力波」が電離層を揺らした結果であると考えられている。
4-3. 海洋音響監視システム(SOSUS)の沈黙と音
アメリカ海軍がソ連の潜水艦を追跡するために敷設していた水中マイク網「SOSUS」。このシステムも、南インド洋から伝播してきた「水中衝撃波」を捉えていたという証言がある。核爆発が海面近くで行われた場合、そのエネルギーの一部は水中に伝わり、数千キロ先まで届く低周波音となる。
### 【余談コラム】羊の甲状腺は「天然の記録計」
なぜ羊なのか? 羊や牛などの家畜は、広い範囲の草を食べるため、大気中から降下した微量の放射性物質を体内に濃縮する性質がある。特に甲状腺にはヨウ素が集まりやすいため、環境汚染のモニタリングには最適なのだ。タスマニアの羊たちは、意図せずして「世界の核監視網」の一翼を担ってしまったのである。
第5部:疑惑の主役たち:イスラエルと南アフリカの同盟
5-1. 「不聖なる同盟」の背景
1970年代、イスラエルと南アフリカは国際社会で孤立を深めていた。イスラエルは周辺アラブ諸国との緊張の中にあり、南アフリカはアパルトヘイト政策により国際的な制裁を受けていた。 この二国を結びつけたのは、共通の切実な需要であった。
- イスラエル: 核兵器の設計技術と科学的知見を持っていたが、核実験を行う場所と原料(ウラン)を必要としていた。
- 南アフリカ: 豊富なウラン資源(世界最大級)と広大な実験場を持っていたが、小型核弾頭の設計技術を必要としていた。
5-2. オペレーション・フェニックス
近年の研究により、両国が共同で行っていた極秘計画の一部が明らかになってきている。南アフリカは1970年代後半、カラハリ砂漠に核実験場(ヴァストラップ)を建設していたが、これはソ連の偵察衛星によって発見され、国際的な非難を浴びて放棄せざるを得なかった。 そこで、彼らが選んだのが「公海上の荒れ狂う海」であった。
5-3. 1979年9月の不審な動き
当時の記録によると、南アフリカ海軍の艦隊が9月22日前後に、まさにヴェラが閃光を捉えた海域で「気象観測」の名目のもと、演習を行っていたことが確認されている。また、イスラエルの科学者が偽名のパスポートを使用して南アフリカに入国していた事実も、後のジャーナリストの調査で浮き彫りになった。
### 【余談コラム】1億ドルの「秘密の契約」
イスラエルが南アフリカに供与した核技術の対価として、南アフリカは550トンの天然ウラン(イエローケーキ)をイスラエルに送ったとされる。この取引額は当時の価値で約1億ドルに相当する。この契約は、両国の最高機密として「公式には存在しない」ものとして処理された。
参考文献(第3部〜第5部)
- Cohen, Avner, Israel and the Bomb, Columbia University Press (1998).
- Polakow-Suransky, Sasha, The Unspoken Alliance: Israel’s Secret Relationship with Apartheid South Africa, Pantheon (2010).
- Ruina, Jack, Ad Hoc Panel Report on the September 22 Event, White House Office of Science and Technology Policy (1980).
- Weiss, Leonard, “The 1979 Vela Incident: Nuclear Test or What?”, Bulletin of the Atomic Scientists (2016).
(第6部へ続く:ヴェラ衛星の信頼性を巡る科学者たちの「聖戦」と、消されたデータの行方)
第9部:【余談コラム集】歴史の闇に消えたエピソード
ヴェラ事件の核心をなす科学的・政治的議論の裏側には、公的な報告書には記載されないものの、無視できない「奇妙な偶然」や「消された証言」が数多く存在する。ここでは、事件の解像度を極限まで高めるトリビアを紹介する。
### 【余談コラム】消された気象衛星データ:NOAAの沈黙
ヴェラ衛星が閃光を捉えた時、当然ながら他の衛星もその海域を向いていた。特に気象衛星NOAAのデータは、爆発によって生じたはずの「不自然な雲の形成」を捉えていた可能性がある。しかし、驚くべきことに、1979年9月22日の南インド洋に該当する時間帯のNOAA画像データは、国立気象データセンターのアーカイブから「技術的欠陥」を理由に欠落している。核検知衛星と気象衛星、双方のデータが同時に「消える」のは、果たして偶然だろうか。
### 【余談コラム】「007」も驚く? 偽装された観測船
当時、現場海域には数隻の「船舶」がいたことが確認されている。その中には南アフリカ海軍の軍艦だけでなく、ソ連の調査船も含まれていた。一部の元情報部員の証言によれば、イスラエルは核弾頭を「気象観測気球」に吊り下げ、海面から数キロの高度で起爆させたとされる。これは海面での衝撃波を抑制し、ハイドロフォン(水中マイク)による検知を回避するための工作だったという説がある。
### 【余談コラム】アレシボ天文台の「死」とヴェラ事件
第4部で触れたアレシボ天文台は、2020年に老朽化により崩落し、その歴史に幕を閉じた。アレシボが捉えた「電離層の擾乱」データは、ルイーナ委員会によって「熱帯低気圧によるもの」と一蹴されたが、当時の主任研究員たちは死ぬまで「あれは核爆発の衝撃波特有の波形だった」と言い張った。巨大なアンテナが崩れ落ちた時、ヴェラ事件の真実を知る生きた証人の一人が失われたと、科学界の一部では囁かれた。
### 【余談コラム】カーターの「日記」に刻まれた苦悩
ジミー・カーターは、退任後に膨大な量の日記を公開している。1979年9月22日の記述には、核実験の疑いについて簡潔に触れられているが、その前後の数日間、彼はイスラエル首相メナヘム・ベギンとの電話会談を頻繁に行っている。公式には「中東和平」の話とされるが、タイミングがあまりにも一致しすぎている。ある歴史家は「和平合意の維持を人質に、イスラエルは核実験の黙認を迫ったのではないか」と推測している。
参考文献(全編完結版)
- Government Documents:
- Ad Hoc Panel Report on the September 22 Event (The Ruina Report), White House Office of Science and Technology Policy, 1980.
- CIA National Intelligence Daily, The 22 September 1979 Event, January 1980 (Declassified 2004).
- Scientific Journals:
- Weiss, L., “The 1979 Vela Incident: A Review of the Evidence,” Science and Global Security, vol. 26, no. 1, 2018.
- Christopher Wright & Lars-Erik De Geer, “The 22 September 1979 Vela Incident: Radionuclide and Hydroacoustic Evidence,” Science and Global Security, 2017.
- Books:
- Sasha Polakow-Suransky, The Unspoken Alliance: Israel’s Secret Relationship with Apartheid South Africa, Pantheon, 2010.
- Jeffrey T. Richelson, Spying on the Bomb, W. W. Norton & Co., 2006.
- Avner Cohen, The Worst-Kept Secret: Israel’s Bargain with the Bomb, Columbia University Press, 2010.
- Digital Archives:
- National Security Archive (George Washington University) – The Vela Incident: Nuclear Test or Starfish?
第11部:深層の構造――イスラエル製核弾頭の物理的プロファイル
ヴェラ事件を「2~3キロトンの核爆発」と断定する上で、最も重要なのは「誰が、どのような設計の爆弾を爆発させたのか」という技術的裏付けである。第11部では、当時のイスラエルが保有していた核技術の粋と、南アフリカの拠点が果たした役割を、物理学的視点から解剖する。
11-1. ディモナの遺産:ブースト型核分裂兵器
1970年代後半、イスラエルはネゲブ核研究センター(通称:ディモナ)において、単なる原爆(純核分裂兵器)の一歩先を行く「ブースト型核分裂兵器」の開発に成功していた。
- メカニズム: 中空のプルトニウム球(ピット)の中心部に、重水素(D)と三重水素(T)の混合ガスを注入する。
- 物理反応: 核分裂が開始されると、中心部のD-Tガスが圧縮・加熱され、核融合反応を起こす。この反応で放出される高エネルギー中性子が、外側のプルトニウムの核分裂効率を劇的に高める。
- ヴェラ事件との整合性: ブースト型兵器は、少量の核物質で効率よく爆発を制御できるため、出力を数キロトン程度に「あえて抑える」ことが技術的に可能である。
11-2. 南アフリカの「Yプラント」とウラン濃縮
南アフリカは、プレトリア近郊のペリンダバにある「Yプラント」において、独自の「ボルテックス・チューブ(渦流管)分離法」を用いたウラン濃縮を行っていた。
- 技術的特徴: 遠心分離法やガス拡散法とは異なる、空気力学を利用した高度な技術。
- 協力関係: イスラエルはこの濃縮ウランの供給を受ける代わりに、ディモナで培ったプルトニウム抽出技術と、小型核弾頭の「インプロージョン(内爆)」設計図を提供したとされる。
### 【余談コラム】「ガジェット」から「ブリーフケース」へ
1945年のトリニティ実験で使われた「ガジェット」は巨大な球体だったが、1979年当時、イスラエルの設計技術はすでに、155mm榴弾砲から発射可能な「核砲弾(W48に相当するサイズ)」を製造できるレベルに達していた。ヴェラ事件でテストされたのは、まさにこの「戦術核」としての小型化技術の実証だったという説が、軍事アナリストの間では定説となっている。
第12部:隠蔽のプロトコル――「ルイーナ報告書」の欺瞞を再検証する
第3部で触れたルイーナ委員会の報告書がいかに「政治的に作られたか」、その具体的な歪曲プロセスを科学的に再検証する。
12-1. データの間引き:光学センサーの「ノイズ」処理
ルイーナ委員会は、ヴェラ6911が捉えた光度曲線のうち、第二次ピークの「立ち上がり」のわずかな乱れを捉え、「これは核爆発特有の滑らかな曲線ではない」と断じた。しかし、後のLANLの再解析では、その「乱れ」は当時の海域に発生していた低層雲による散乱で完全に説明がつくことが証明されている。
12-2. 統計的確率の無視
報告書は「迷光による誤作動」を結論としたが、ヴェラ衛星がそれまでの10年間の運用で同様の「誤作動」を起こした確率はゼロであった。委員会はこの「統計的な異常性」を無視し、「起こりうる可能性(Possibility)」を「起こった事実(Fact)」へとすり替えたのである。
### 【余談コラム】「ホワイトハウスの科学者」という重圧
ルイーナ委員会のメンバーの多くは、当時、軍事研究費の削減や核管理を巡って政府と緊密な関係にあった。ある委員は後に、匿名を条件にこう語っている。「我々は『核爆発ではない』という結論を書くために、ホワイトハウスに呼ばれたのだ。もし『核爆発だ』と書けば、その日のうちに我々のキャリアは終わっていただろう」。
第13部:機密の墓場――CTBTOが密かに保有する「過去の遺物」
1996年に設立された包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)。彼らのデータベースには、1979年の事件を「遡及分析」した膨大な非公開資料が存在する。
13-1. ハイドロフォン(水中受聴器)の再解析
現在、世界中に張り巡らされたIMS(国際監視制度)の水中音響ネットワークを用いて、1979年当時の海軍データをシミュレーションした結果、爆発地点は「プリンス・エドワード諸島」の南東、水深数メートルの位置であったことが特定されている。これは、船舶からの吊り下げ式実験、あるいは浅瀬での実験を示唆している。
13-2. 放射性希ガスの追跡
ヨウ素131以外にも、キセノン133($^{133}\text{Xe}$)などの希ガスが放出されていたはずである。1979年当時、これらを検知する技術は未熟だったが、現在の大気拡散モデルは、当時の気圧配置においてこれらのガスが「南極大陸」の方向に流れた可能性を指摘している。氷床コアの分析によって、いつかこの事件の「決定的な化学的証拠」が発見される日が来るかもしれない。
### 【余談コラム】南極の氷は「タイムカプセル」
現在、一部の研究チームは南極のドームC付近の氷床を掘削し、1979年前後の層に微量のセシウム137やプルトニウムの同位体が含まれていないか調査を進めている。もしここで異常が見つかれば、ホワイトハウスのいかなる否定も通用しない「地学的証拠」となる。
参考文献(第11部〜第13部)
- Albright, David, Peddling Peril: How the Secret Nuclear Trade Arms America’s Enemies, Free Press (2010).
- Barnaby, Frank, The Invisible Bomb: The Nuclear Arms Race in the Middle East, I.B. Tauris (1989).
- The Prince Edward Island Mystery: Nuclear or Natural?, Australian Strategic Policy Institute (2021).
- Journal of Atmospheric and Solar-Terrestrial Physics, “Ionospheric disturbances recorded at Arecibo on September 22, 1979”, Vol. 84 (2012).
第14部:ヴェラ・シャドウ――1980年代の核ドミノと「見えざる手」
ヴェラ事件の発生と、その「政治的隠蔽」は、1980年代の国際情勢に決定的な影を落とした。アメリカが「同盟国の核開発」を黙認したという事実は、他国の核野心を刺激する、いわゆる「パンドラの箱」を開けてしまったのである。
14-1. 模倣される「曖昧さ」:インドとパキスタンの視線
1974年に「平和的核爆発(PNE)」を行ったインドと、それに対抗しようとしていたパキスタンにとって、ヴェラ事件の結末は一つの教科書となった。「確固たる証拠を掴ませず、アメリカの政治的判断に委ねる状況を作れば、制裁を回避できる」という教訓である。パキスタンの核開発の父、アブドゥル・カディール・カーン博士は、後のインタビューで、イスラエルと南アフリカの協力関係を「理想的な核拡散のモデル」として注視していたことを示唆している。
14-2. 核鑑識学(Nuclear Forensics)の胎動
ヴェラ事件の教訓から、アメリカは「光(光学センサー)」だけに頼ることの限界を痛感した。1980年代初頭、国防脅威削減局(DTRA)の前身組織などは、爆発後の環境試料から「誰が作った核か」を特定する「核鑑識学」への投資を劇的に増やした。
- 同位体比分析: ウランの濃縮度だけでなく、不純物(微量元素)の比率を調べることで、そのウランがどこの鉱山で採掘され、どの工場で処理されたかを特定する技術。
- 爆発シミュレーション: ヴェラが捉えた「光度曲線の乱れ」を、気象条件や高度ごとに再現する数値流体力学(CFD)モデルの構築。
### 【余談コラム】核の「バーコード」
核物質には、産地や製造プロセスごとに固有の「指紋」がある。南アフリカのウランは、特定の微量不純物の構成が他国と異なるため、もし1979年の事件現場で物理的な破片が回収されていれば、一瞬で「南アフリカ製」であることが証明されていただろう。ヴェラ事件は、物理学者が「情報の欠片」からいかに真実を再構成するかという、科学的執念の歴史でもある。
第15部:工学的深掘り――「ヴェラ・ホテル6911」の視力と限界
なぜ、ヴェラ衛星は「誤認」したと言われなければならなかったのか。その工学的スペックを解剖し、1979年当時の「技術の限界」と「性能の正当性」を検証する。
15-1. シリコン・フォトダイオードの応答特性
ヴェラ衛星に搭載されていたバン・メートルは、シリコン・フォトダイオード(SPD)を使用していた。
- 応答速度: 1ナノ秒($10^{-9}$秒)単位の変化を捉えることが可能。
- ダイナミックレンジ: 地球大気からの反射光から、太陽の数千倍の輝度を持つ核爆発の火の玉までを、飽和することなく記録するための「対数増幅器」が組み込まれていた。
1979年の信号において、この対数増幅器の出力カーブは、過去のどの「自然現象(雷)」とも一致せず、2キロトン級の「核の火」の光度減衰曲線と完璧にオーバーラップしていた。
15-2. 衛星の姿勢制御と「走査」の罠
ルイーナ委員会が指摘した「迷光説」の根拠の一つに、衛星の回転(スピン)があった。ヴェラ衛星は安定のために一定の速度で回転しており、センサーがある角度になった際、偶然にも太陽光が衛星の一部に反射し、それがセンサーに入り込んだという主張である。
しかし、この説には**「時間的連続性」**がない。太陽光の反射であれば、光度は衛星の回転周期に従って現れるはずだが、9月22日の信号は、回転周期とは無関係な「単発の、かつ複雑な波形」であった。
### 【余談コラム】宇宙のゴミか、核の火か
現代の監視衛星は「マルチスペクトル観測」を行っており、可視光だけでなく赤外線、紫外線、さらにX線を同時に計測する。1979年当時、もしヴェラ6911に「赤外線センサー」が並装されていれば、火の玉の「温度」を直接測定でき、論争に終止符を打てたはずだ。ヴェラ事件は、宇宙工学における「多角観測(センサフュージョン)」の重要性を知らしめた歴史的失敗例でもあった。
第16部:比較分析――ヴェラ事件 vs 既知の核実験
ヴェラが捉えた信号を、人類が行ってきた他の核実験のデータと比較することで、その「真正性」を浮かび上がらせる。
| 実験名 / 事象 | 推定出力 (kt) | 光度曲線の特徴 | 決定的な証拠 |
| ヴェラ事件 (1979) | 2 – 3 | 典型的なダブルフラッシュ | ヨウ素131 (タスマニア) |
| スターフィッシュ・プライム (1962) | 1,450 | 高高度核爆発特有の長い残光 | 強烈なEMPによる停電 |
| フランス・カノープス (1968) | 2,600 | 巨大な第2ピーク | 広範囲の放射性降下物 |
| 北朝鮮 (2006) | < 1 | 地震波が主、光学検知困難 | 地震波の波形解析 |
| スーパーボルト (巨大雷) | N/A | 単一の急峻なピーク | 音響および気象データ |
この比較表が示す通り、1979年の信号は「爆発規模が小さい」という点を除けば、フランスやアメリカが行ってきた大気圏内核実験のデータと構造的に瓜二つだったのである。
### 【余談コラム】「0.1kt」の壁
核爆発を検知する上で最も難しいのは、1キロトンを下回る「超小型核実験」である。ヴェラ事件の2〜3キロトンという数値は、当時の技術でも「はっきりと見える」レベルの爆発であった。これを「見間違い」とするには、あまりにも光が強すぎた。つまり、隠蔽工作は科学的な無理を承知で行われた「強引な政治劇」だったのである。
参考文献(第14部〜第16部)
- Knopf, Jeffrey W., Security Assurances and Nuclear Nonproliferation, Stanford University Press (2012).
- Vela Satellite Program History, Air Force Technical Applications Center (AFTAC) Historical Documents.
- “The Silicon Photodiode in Nuclear Detection,” IEEE Transactions on Nuclear Science, Vol. 28, No. 1 (1981).
- Global Fissile Material Report 2015: Nuclear Weapon Ban Treaty, International Panel on Fissile Materials.

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