- 記事概要:なぜこれほどまでに「不可能」で「美しい」のか
- 1.1 赤い砂岩の丘と、空軍の極秘任務
- 1.2 「青い泥」の出現と緊急通報
- 【余談コラム】青膏泥(せいこうでい)の驚異的な防腐力
- 1.3 巨大な石板、現る
- 1.4 水没した地下宮殿
- 1.5 5月23日の奇跡
- 【余談コラム】なぜ墓の主は「北」ではなく「東」を向いていたか?
- 2.1 4室構造の「冥界の宮殿」完全見取り図
- 2.2 主:曽侯乙(Zeng-hou-yi)とは何者か?
- 2.3 殉葬者たち:21人の女性たちの謎
- 【余談コラム】棺に描かれた「窓」の意味
- 3.1 圧倒的質量:総重量2,567キログラムの衝撃
- 3.2 65個の鐘:3層構造の完全解剖
- 3.3 銅人(どうじん)が見せる構造力学の極致
- 【余談コラム】盗掘者を拒んだ「重さ」のセキュリティ
- 4.1 世界を震撼させた「第三の音」
- 4.2 秘密は「合瓦形(がっわけい)」にあり
- 4.3 「枚(まい)」の機能——音のフィルタリング
- 【余談コラム】現代人が再現できなかった「1ヘルツ」の誤差
- 5.1 鐘に刻まれた「音の辞書」
- 5.2 十二律と半音階(クロマチック・スケール)
- 5.3 「五声」と「七声」の論争に終止符
- 【余談コラム】「絶対音感」を持っていた古代人
- 6.1 現代人も戦慄する「螺旋の龍」のディテール
- 6.2 黄金比の合金:銅・錫・鉛の「悪魔的レシピ」
- 6.3 30秒の勝負——鋳込みの熱力学
- 【余談コラム】復元不可能? 「尊盤」の超絶技巧
- 7.1 編鐘は「ソロ楽器」ではない
- 7.2 5人の奏者による「バトル・フォーメーション」
- 7.3 礼楽(れいがく)思想——音楽は「権力」そのもの
- 【余談コラム】「ドラムスティック」も発見された?
- 8.1 蘇った「広陵散」——最初のテスト演奏
- 8.2 歴史が動く時のみ鳴る——「三度の演奏」
- 8.3 沈黙の守護者——保存のジレンマ
- 【余談コラム】1億ドルの保険と、武装警察の護衛
- 9.1 二十八宿衣箱(にじゅうはっしゅくいしょう)——最古の宇宙図
- 9.2 黄金の輝き——金盞(きんさん)と玉器
- 9.3 闇に浮かぶ「漆(うるし)」の赤と黒
- 【余談コラム】古代の「冷蔵庫」も発見された
- 10.1 世界への拡散——博物館のスターとして
- 10.2 未だ解けぬ謎——なぜ「曽」なのか
- 10.3 結び:2400年前からのメッセージ
- 【参考文献一覧】
- 11.1 均(きん)の鐘と、五弦の琴
- 11.2 排簫(はいしょう)が語る「ピタゴラスの敗北」
- 12.1 なぜ「木炭」だったのか?
- 12.2 デッド(無響)な空間での演奏
- 13.1 鹿の角を持つ鶴の謎
- 13.2 鴛鴦(オシドリ)の漆箱に見る「愛」
- 14.1 なぜ「筑(ちく)」が見つからないのか
- 14.2 編鐘の下に眠る「犬」の謎
記事概要:なぜこれほどまでに「不可能」で「美しい」のか
1978年、中国・湖北省随州市。ひとつの丘陵が爆破されたとき、世界音楽史と冶金学の常識は音を立てて崩れ去った。
地下13メートルの水中から姿を現したのは、総重量2.5トン、大小65個からなる巨大な青銅の鐘のセット——「曽侯乙編鐘(Zeng-hou-yi Bianzhong)」である。紀元前433年、戦国時代初期に埋葬されたこの遺物は、単なる楽器ではない。
- 「一鐘二音」の物理学的オーパーツ:ひとつの鐘から、叩く位置を変えるだけで「ド」と「ミ」のように正確に3度音程の異なる2つの音が鳴る。現代の物理学者がコンピュータ解析してようやく解明した複雑な音響設計が、2400年前に完成していた。
- 歴史を書き換えた十二平均律:西洋音楽では17世紀以降に定着したとされる「十二平均律(1オクターブを12等分する調律)」の概念が、すでに刻まれていた。
- 失われた鋳造技術:現代の最高技術をもってしても、その音色と精度の完全な複製(レプリカ)を作ることは困難を極める。
これは、古代中国の「ミステリー」という言葉では片付けられない、人類の叡智の結晶である。本記事は、発掘の瞬間から音響解析、鋳造技術の解明、そして現代への蘇生まで、あらゆる文献と証言を網羅した「世界一詳しい」全記録である。
第一部:雷鼓墩の激震——1978年、世紀の大発掘ドキュメント
1.1 赤い砂岩の丘と、空軍の極秘任務
1978年初頭、中国・湖北省随州市(当時の随県)。長江の支流、漢水の流域に広がるこの地は、古くから「炎帝神農の故郷」として知られるが、当時は静かな田舎町に過ぎなかった。
事の始まりは、中国人民解放軍空軍によるレーダー修理工場の拡張工事だった。 随州市街から北西へ約2キロメートル。地元で「雷鼓墩(らいことん)」と呼ばれる低い丘陵地帯が、その建設予定地となっていた。この地名は「雷神が太鼓を叩く場所」という伝説に由来するが、まさかその地下に本物の「音の宮殿」が眠っていようとは、誰も想像していなかった。
1月、ブルドーザーが丘の整地を開始した。赤茶色の砂岩層(第三紀の堆積岩)を爆破し、削り取っていく作業が進む中、現場監督の目はある一点に釘付けになった。
「土の色が違う」
通常、この地域の地山は硬い赤砂岩である。しかし、掘削機が地下数メートルの地点に達したとき、明らかに人工的に埋め戻されたと思われる「褐色の土(五花土)」が現れたのだ。これは考古学の用語で、過去に掘り返され、再び埋められた土壌を示す決定的な証拠である。
1.2 「青い泥」の出現と緊急通報
工事現場の責任者であった王家貴(ワン・ジアグイ)と鄭国賢(ジェン・グオシェン)は、優れた観察眼を持っていた。彼らは即座に発破作業を中止させた。さらに掘り進めると、褐色の土の下から、今度は奇妙な「青灰色の泥(青膏泥)」が大量に出現したのである。
この「青膏泥(せいこうでい)」こそ、古代中国の墓、特に戦国時代から漢代にかけての貴族の墓に使われた、極めて密閉性の高い粘土層である。
1978年3月19日、彼らは湖北省博物館へ緊急の電話を入れた。 「雷鼓墩の工事現場で、巨大な墓らしき痕跡を発見した。至急調査を乞う」
この通報を受けたのが、後にこの発掘の総指揮を執ることになる伝説の考古学者、**譚維四(タン・ウェイ・スー)**である。当時、湖北省博物館の文物工作隊長であった彼は、直感的に「ただ事ではない」と感じ取った。
【余談コラム】青膏泥(せいこうでい)の驚異的な防腐力
古代中国の墓、特に楚(そ)の文化圏で見られる「青膏泥」は、現代のコンクリートも顔負けの最強のシーリング材です。微細な粘土粒子からなり、酸素と水を完全に遮断します。
これがどれほど凄いかというと、長沙馬王堆漢墓(紀元前2世紀)の例が有名です。この青膏泥のおかげで、2000年前の貴婦人の遺体が、皮膚に弾力があり、関節が動くほどの「湿屍」状態で発見されました。さらに、胃の中には消化途中のメロンの種まで残っていたのです。
曽侯乙墓の発掘現場でこの泥が出たということは、中の有機物(木製品、漆器、そして遺体)が完璧な状態で残っている可能性を示唆していました。譚維四隊長の胸が高鳴ったのはこのためです。
1.3 巨大な石板、現る
1978年5月11日、正式な発掘調査が開始された。 譚維四率いる考古学チームが表土を取り除くと、その規模の異常さが明らかになった。墓坑(墓の穴)の大きさは、東西21メートル、南北16.5メートル。面積は220平方メートルに及び、当時の一般的な貴族の墓をはるかに凌駕していた。
さらに驚くべきことに、墓の天井部分には巨大な石板(大石板)が敷き詰められていた。その数、47枚。1枚あたりの重さは数トンに及ぶ。クレーン車を動員して慎重に石板を持ち上げると、その下からは綺麗に整列された47本の巨大な角材(槨板)が現れた。
ここまで堅牢な守り。盗掘の痕跡はない。 「これは王級の墓だ」 現場の緊張感はピークに達した。しかし、石板を取り除いた直後、彼らを絶望的な光景が襲った。
1.4 水没した地下宮殿
5月21日、最後の防御層である木の板を取り除いた瞬間、作業員たちは息を呑んだ。 墓室の中は、濁った水で満たされていたのである。
「終わったか……」
地下水位の上昇により、墓室全体が水没していたのだ。通常、水没は遺物の腐敗を意味する。特に青銅器は錆び、木製品は朽ち果てる。数ヶ月の苦労が水泡に帰したかに思われた。 水面には、鮮やかな彩色の施された木製の棺(ひつぎ)がプカプカと浮いていた。その異様な光景は、まるで地獄の池のようだったと、当時の隊員は回想している。
しかし、譚維四は諦めなかった。 「水を抜け! 何か残っているはずだ!」
大型ポンプが持ち込まれ、排水作業が始まった。水が徐々に減っていくにつれて、泥水の中から「それ」は姿を現し始めた。
1.5 5月23日の奇跡
5月23日の昼下がり。水位が下がり、墓室の中央室(中室)の様子が見え始めたとき、泥の中から3本の巨大な木柱と、それに架かる横木が現れた。 そして、その横木の下に、整然と吊り下げられた青銅の塊が列をなして見えてきた。
「編鐘だ!」
誰かが叫んだ。 それは数個ではない。視界の限り、壁一面に大小様々な鐘が、2400年前の配置のまま、誰一人触れることなく吊り下げられていたのだ。 通常、木製の架け台は腐って崩れ落ち、鐘は床に散乱しているのが常である。しかし、ここは違った。水没していたことが、逆に酸素を遮断し、木製の架け台を腐敗から守っていたのだ。
泥水の中から次々と現れる鐘、鐘、鐘。 最後に最下段の巨大な鐘が姿を現したとき、現場は静まり返り、やがて歓声に包まれた。
総数65個。 人類史上、誰も見たことのない最大規模の青銅楽器セットが、完全な形で現代に帰還した瞬間だった。
【余談コラム】なぜ墓の主は「北」ではなく「東」を向いていたか?
通常、中国の伝統的な墓制では、死者は「北枕」あるいは「南向き」など、南北の方角を軸に埋葬されることが多いです。しかし、曽侯乙の墓は奇妙なことに、主要な軸が「東」を向いていました。
後の研究で、これは曽国が属していた文化圏、すなわち「楚(そ)」の文化の影響であるという説が有力になりました。楚の信仰では、東方は太陽が昇る場所であり、生命の再生と復活を象徴する方角だったのです。
曽侯乙は、死後の世界での永遠の音楽会を夢見て、東からの日の出を待ちながら眠りについたのかもしれません。
第二部:地下宮殿の封印を解く——謎の小国「曽国」と被葬者
2.1 4室構造の「冥界の宮殿」完全見取り図
水が完全に抜かれ、泥が洗浄された後、墓全体の構造が明らかになった。それは単なる穴ではなく、生前の宮殿を模した極めて計画的な「4室構造」を持っていた。全体は巨大な「卜」の字型をしている。
考古学チームは各部屋を方角に基づいて以下のように分類した。
- 東室(主寝室):
- ここには、曽侯乙本人のものと思われる巨大な二重の漆塗り木棺(外棺と内棺)が安置されていた。
- 主棺の周りには、8人の若い女性の棺も置かれていた(殉葬者については後述)。
- この部屋は、王のプライベートな空間、つまり寝室を象徴している。
- 中室(儀礼と宴の広間):
- ここが編鐘の発見場所である。
- 最も広い空間(約100平方メートル)。
- 壁沿いにL字型に「曽侯乙編鐘」が配置され、その向かいには石で作られた「編磬(へんけい)」が置かれていた。
- 中央には青銅製の酒器や食器が大量に並べられており、ここで死後も宴会と演奏会を行う意図が明確に見える。
- 北室(武器庫と車庫):
- 大量の兵器(戈、矛、戟、弓矢)と、戦車(車馬具)の部品が詰め込まれていた。
- 約4,500点もの武器が出土しており、曽国の軍事力を誇示している。
- 西室(ハーレム、あるいは使用人の部屋):
- ここには13人の若い女性の棺が安置されていた。
- 彼女たちは音楽や舞踊を担当する楽師、あるいは王の世話をする侍女たちと考えられている。
2.2 主:曽侯乙(Zeng-hou-yi)とは何者か?
出土した青銅器、特に編鐘の1つ(鎛鐘)に刻まれた銘文から、この墓の主は**「曽侯乙(そうこういつ)」**という人物であることが確定した。 「曽(国名)の侯(爵位)である乙(名前)」という意味である。
しかし、ここで歴史学者たちは頭を抱えた。 『史記』や『春秋左氏伝』といった第一級の歴史書をひっくり返しても、「曽国」という国名は影が薄く、ましてや「乙」という王の名はどこにも記録されていなかったのだ。
歴史の空白地帯「曽国」の正体
長年の研究により、現在では以下の説が定説となっている。
- 曽国=随国説:
- 歴史書に出てくる「随(ずい)国」という国が、実は「曽国」と同一であるという説。
- 随州という地名が示す通り、この地は春秋時代に「随」という国が支配していたと記録されている。
- 考古学的には、出土品には「曽」と書かれ、歴史書には「随」と書かれる。これは「国号(正式名)」と「氏族名(あるいは都の名前)」の使い分けであった可能性が高い(二重国名説)。
曽侯乙は、紀元前433年頃に亡くなったこの小国の君主である。当時、この地域は南の大国「楚(そ)」の強大な影響下にあった。実際、墓からは楚の恵王(けいおう)から贈られた鐘も見つかっており、曽国が楚と同盟関係、あるいは従属関係にありながらも、高度な独自文化を維持していたことがわかる。
2.3 殉葬者たち:21人の女性たちの謎
曽侯乙の墓からは、主である彼以外に、21具の人骨が入った棺が見つかった。 人類学的鑑定の結果、これらはすべて13歳から25歳前後の若い女性であることが判明した。
- 東室(王の側)の8人:王の側室や寵愛を受けた者たちか。
- 西室の13人:楽器の近くではなく別室にいたが、彼女たちの棺の周りからも小さな楽器が見つかっているため、楽団員やダンサーであった可能性が高い。
彼女たちが自ら死を選んだのか、強制的に殉葬されたのかは、骨からは判別できない。外傷の痕跡がほとんどないことから、毒殺あるいは窒息によるものと推測されている。 2400年前の壮麗な音色の裏には、若くして王と共に土に埋められた21人の命があった。この事実は、編鐘の美しさにどこか悲劇的な陰影を落としている。
【余談コラム】棺に描かれた「窓」の意味
曽侯乙の棺には、不思議なことに小さな「四角い穴」が開けられていました。これは物理的な換気口などではなく、魂の通り道だと考えられています。
さらに興味深いのは、隣接する殉葬者の部屋や、武器庫のある北室へ続く壁板にも、同様の小さな穴が開けられていたことです。 つまり、曽侯乙の魂は、死後も自由自在に部屋を行き来し、愛する女性たちと会い、武器を点検し、そして中室で編鐘の演奏を聴くことができるように設計されていたのです。
この「魂のネットワーク」とも言える構造は、彼がいかに現世の楽しみをそのまま来世へ持ち込もうとしたか、その執念を物語っています。
(第一部・第二部 完。第三部「巨人の楽器」へ続く)
【参考文献(第一部・第二部)】
- 湖北省博物館 編『曽侯乙墓』(文物出版社、1989年)
- 譚維四『曽侯乙墓発掘実録』(紫禁城出版社)
- Rawson, Jessica. Mysteries of Ancient China. British Museum Press, 1996.
- 李学勤『東周与秦代文明』(文物出版社)
第三部:巨人の楽器——編鐘の全貌とビジュアル・インパクト
3.1 圧倒的質量:総重量2,567キログラムの衝撃
泥の中から引き上げられ、博物館のラボで再構築された「曽侯乙編鐘」の姿は、現代人の想像力を遥かに超えるものだった。それは単なる楽器ではなく、一つの建築物に近い。
全体は巨大なL字型(曲尺形)に配置されている。
- 長辺(長桁): 南側に面し、長さ7.48メートル。
- 短辺(短桁): 西側に面し、長さ3.35メートル。
- 高さ: 最大2.73メートル。
総重量は、鐘本体だけで2,567キログラム(約2.5トン)。それを支える架け台(銅と木の複合構造)を含めると、総重量は約4.5トン〜5トンに達すると推定される。 これが、釘一本使わずに組み上げられ、2400年間、地震にも泥水の圧力にも耐えて立ち続けていたのである。
3.2 65個の鐘:3層構造の完全解剖
65個の鐘は、無造作に吊るされているわけではない。音域と役割に応じて、上層・中層・下層の3段に厳密に分類・配置されている。
【上層】19個の「鈕鐘(ちゅうしょう)」
- 特徴: 小型の鐘。吊り手部分が四角いループ状(鈕)になっている。
- 役割: 高音域を担当。音が鋭く、減衰が早いため、主旋律や装飾音を演奏するのに適している。
- 配置: 3組に分かれて吊るされている。
【中層】33個の「甬鐘(ようしょう)」
- 特徴: 中型〜大型の鐘。長い柄(甬)があり、斜めに吊り下げられるのが特徴。
- 役割: 中音域を担当。オーケストラにおけるチェロやヴィオラのように、楽曲の骨格を作る。
- 音色: 豊かで余韻があり、和音を奏でるのに最適。
【下層】12個の巨大「甬鐘」と1個の「鎛(はく)」
- 特徴: 人間がすっぽり入るほどの巨大な鐘。
- 役割: 低音域(バス)を担当。打楽器的なリズムや、楽曲の節目を強調する。
- 楚王鎛(そおうはく): 下層の中央に吊るされた特異な鐘。これだけは「一鐘二音」ではなく、低音の1音のみを鳴らす。銘文には、楚の恵王が曽侯乙の死を悼んで贈った旨が記されている。
3.3 銅人(どうじん)が見せる構造力学の極致
この巨大なセットを支えているのは、単なる木の柱ではない。 下層の重量級の鐘を支える支柱には、青銅製の**「佩剣銅人(はいけんどうじん)」**が使用されている。
これらは、剣を帯びた武人の姿をした青銅の像である。彼らは両手を挙げ、頭と手で巨大な木の梁(はり)を支えている。 現代の建築構造力学の専門家が分析したところ、この銅人の重心設計は完璧であった。
- 台座の面積: 重心を低く保ち、転倒を防ぐ広さを確保。
- 腕の角度: 数百キロの荷重を垂直に分散させる最適な角度。
木製の梁もただの木ではない。表面は漆(うるし)で何層にも塗り固められ、彩画が描かれている。漆は防腐・防虫効果が極めて高く、これが水没した環境下でも木材が腐り落ちるのを防ぎ、鐘が泥底に落下するのを食い止めた最大の要因である。
【余談コラム】盗掘者を拒んだ「重さ」のセキュリティ
曽侯乙墓が無傷で発見された最大の理由は、皮肉にもその「豪華すぎる副葬品」の重さにありました。 編鐘の中で最大の鐘は、高さ152.3cm、重さ203.6kgもあります。
実は、過去のどの時代かに、墓に近づこうとした盗掘坑の痕跡が近くで見つかっています。しかし、彼らは途中で諦めました。仮に墓室に到達できたとしても、200kgの青銅塊を、水没した地下13メートルから人力で引き上げることは物理的に不可能だったのです。 曽侯乙編鐘は、その圧倒的な質量そのものが、最強のセキュリティシステムとして機能しました。
第四部:一鐘二音の物理学——「アモンド型」に隠された超技術
4.1 世界を震撼させた「第三の音」
1978年の発掘直後、中国の音楽家や物理学者たちが現場に入り、鐘の音響テストを行った。 そこで彼らは信じられない現象に直面した。
一人の研究者が、鐘の正面(正鼓部)を木槌で叩く。「ゴーン」という重厚な音が響く。これが基音(ド)である。 次に、何気なく鐘の側面(側鼓部)を叩いた瞬間、「ガーン」という全く異なる高さの音が響いたのだ。
それはノイズではない。明確な**短三度(マイナーサード)**上の音(ミ♭)であった。 「まさか」と思い、他の鐘も全てテストした。 結果、楚王鎛を除くすべての甬鐘において、1つの鐘から正確に音程の異なる2つの音が鳴ることが確認されたのである。
これは、従来の音響学の常識を覆す発見だった。 西洋の教会鐘や仏教の梵鐘は、どこを叩いても基本的に同じ音が鳴る(あるいは倍音が混ざるだけ)。「狙って2つの音を出す」などという技術は、現代まで知られていなかったのだ。
4.2 秘密は「合瓦形(がっわけい)」にあり
なぜ、こんなことが可能なのか? その秘密は、鐘の断面形状にある。
日本の梵鐘やお寺の鐘を想像してほしい。それらの断面は「円形」である。円形の鐘は、どこを叩いても振動が均等に伝わり、一つの固有振動数に収束しやすい。
しかし、曽侯乙編鐘の断面は円ではない。 「合瓦形(がっわけい)」と呼ばれる、2枚の瓦を合わせたような、あるいはアモンド(アーモンド)の実のような眼形をしているのだ。
振動モードの分離
現代のレーザーホログラフィ干渉法による解析で、以下のメカニズムが解明された。
- 正鼓(Front Strike): 正面を叩くと、鐘の開口部の長軸方向に対称的な振動モードが励起される。これが基音となる。
- 側鼓(Side Strike): 側面(中心から約45度ずれた位置)には、「鳥」などの装飾マークが付いている。ここを叩くと、鐘のくびれ部分(節線)が強制的に移動し、短軸方向の振動モードが励起される。
このアモンド形状は、振動の「節(ノード)」を物理的に固定する役割を果たしている。 これにより、「基音の振動」と「第二音の振動」がお互いに干渉せず、独立して存在できるのだ。 紀元前5世紀の職人たちは、コンピュータもオシロスコープもない時代に、鐘の厚みとカーブの曲率だけで、この2つの振動モードを完全に制御していたのである。
4.3 「枚(まい)」の機能——音のフィルタリング
編鐘の表面には、乳首のような突起物がびっしりと並んでいる。これを「枚(まい)」あるいは「景(けい)」と呼ぶ。 単なる装飾かと思われていたが、音響工学実験により、これには恐るべき機能が備わっていることが判明した。
- 高次倍音のカット: 不要な高周波の雑音を吸収し、音を澄んだものにする。
- 余韻の短縮(ダンピング): これが最も重要である。 仏教の鐘のように「ゴーーーーン」と長く響きすぎると、速いテンポの曲を演奏した際に前の音と次の音が混ざって濁ってしまう。 「枚」は、適度に振動を抑制し、余韻を短くカットする役割を持つ。これにより、編鐘は旋律楽器として速いパッセージの演奏が可能になったのだ。
【余談コラム】現代人が再現できなかった「1ヘルツ」の誤差
発掘後、中国政府は威信をかけて「完全なレプリカ(複製品)」の制作を命じました。 現代最高の鋳造技術者と音響学者が集められましたが、最初の試作品は失敗の連続でした。
特に難航したのが、鋳造後の「調律」です。 古代の職人は、鐘の内側の壁を削ることで音程を微調整していました。音を低くしたければ薄くし、高くしたければ……実は一度削ったら高くするのは至難の業です。つまり一発勝負。
現代のチームが、鐘の内側に刻まれた「音の溝(調律痕)」を顕微鏡で解析したところ、その削り方はナノレベルで計算されたかのように滑らかでした。 完成したレプリカは素晴らしい出来でしたが、それでも一部の鐘には、オリジナルと数ヘルツの誤差が生じたと言われています。2400年前の「耳」は、現代のデジタルチューナーよりも正確だったのかもしれません。
第五部:3700文字の金文——世界最古の音楽理論書
5.1 鐘に刻まれた「音の辞書」
曽侯乙編鐘が「世界最高峰」とされる理由は、音色だけではない。 鐘の表面、吊り手、架け台など、あらゆる場所に総計3,755文字もの銘文(金文)が刻まれているからだ。
これは、単なる所有者のサインではない。 「この鐘の『宮』の音は、楚の国の『〇〇』の音に対応し、晋の国の『△△』の音に対応する」 といった具合に、当時の中国全土の音楽理論を統合・解説した、**巨大な音楽教科書(理論書)**そのものなのだ。
5.2 十二律と半音階(クロマチック・スケール)
銘文の解読により、驚愕の事実が判明した。 古代中国には、すでに**1オクターブを12の半音に分ける「十二律」**の概念が完全に確立していたのである。
西洋音楽史において、12音階が体系化されるのははるか後代のことである(ピタゴラス音律はあるが、実用的な半音階の運用は限定的だった)。 しかし、曽侯乙編鐘は、中層の鐘だけで3オクターブにわたる半音階をほぼ網羅している。
- 音域: 5オクターブ半(C2〜D7)。現代のピアノの音域の中央部分を完全にカバーする。
- 中心音域: 中央の3オクターブでは、半音階(ド、ド♯、レ、レ♯…)が全て揃っており、どんな調の曲でも演奏(転調)が可能である。
5.3 「五声」と「七声」の論争に終止符
かつて、東洋音楽は「ヨナ抜き音階」のような「五声音階(ペンタトニック)」が基本であり、七音階(ドレミファソラシ)は西洋の影響だという説があった。 しかし、曽侯乙編鐘の銘文には、「宮(ド)・商(レ)・角(ミ)・徴(ソ)・羽(ラ)」に加えて、**「変宮(シ)」「変徴(ファ♯)」**などの名称が明確に記されていた。
これにより、紀元前5世紀の中国には、すでに七音階どころか、十二音階を駆使した複雑な和声理論が存在したことが証明されたのである。 銘文には「和」「穆(ぼく)」といった、音が調和する概念を示す言葉も多数見られ、彼らが不協和音と協和音を明確に区別していたことがわかる。
【余談コラム】「絶対音感」を持っていた古代人
銘文の中には、「姑洗(こせん)」や「黄鐘(こうしょう)」といった、当時の「絶対ピッチ」を示す音名が頻出します。 驚くべきは、この編鐘の基準ピッチ(A=ラ)が、現代のコンサートピッチ(A=440Hz)とは異なるものの、セット全体を通して極めて正確に統一されていることです。
現代の解析によると、曽侯乙編鐘の「宮」の音は、現代の「C(ド)」よりもわずかに低い位置に設定されています。しかし、65個すべての鐘がその基準に合わせて完璧な比率で調律されています。 これは、当時の楽師たちが、現代のような周波数測定器を持たずに、極めて鋭敏な「絶対音感」と「相対音感」を頼りに、巨大な青銅の塊を削って調律していたことを意味します。彼らの耳は、まさに神の耳でした。
(第三部・第四部・第五部 完。第六部「ロスト・テクノロジー」へ続く)
【参考文献(第三部〜第五部)】
- 湖北省博物館『曽侯乙編鐘の研究』(湖北人民出版社)
- Lee, Yuan-Yuan. Chinese Musical Instruments. Chinese Music Society of North America.
- 饒宗頤『曽侯乙墓鐘磬銘辞研究』
- NHKスペシャル取材班『中国 4000年の謎を解く』(NHK出版)
第六部:ロスト・テクノロジー——失われた鋳造法「失蠟法」と「範鋳法」
6.1 現代人も戦慄する「螺旋の龍」のディテール
曽侯乙編鐘の凄まじさは、音響だけではない。その表面を覆う装飾の緻密さは、肉眼で長時間見つめるとめまいを覚えるほどである。 鐘の表面、特に「舞(鐘の上面)」や「篆(鐘の側面)」と呼ばれる部分には、無数の**「蟠虺紋(ばんきもん)」**——小さな蛇や龍が複雑に絡み合った幾何学模様——が施されている。
さらに、鐘を吊るすフック部分(旋)は、巨大な龍が振り返る姿を模している。 これほど立体的な造形を、2400年前にどのようにして青銅で鋳造したのか?
考古学者と冶金学者が顕微鏡で分析した結果、当時の職人たちが二つの高度な技術をハイブリッドで使用していたことが判明した。
- 範鋳法(はんちゅうほう)の極致:
- 鐘の本体部分は、粘土で作った型(外型と中子)を組み合わせて鋳造する伝統的な手法。
- しかし、その紋様の細かさは髪の毛ほどであり、型の合わせ目(バリ)がほとんど見えないレベルまで研磨・調整されている。
- 失蠟法(しつろうほう / ロストワックス)の萌芽:
- 複雑に入り組んだ龍のフック部分などは、型から抜くことができない(アンダーカットがある)ため、蝋(ロウ)で原型を作り、それを土で包んで焼失させて空洞を作る「失蠟法」が使われた可能性が極めて高い。
- これは、中国冶金史において「いつから失蠟法が使われたか」という論争を数百年単位で遡らせる発見であった。
6.2 黄金比の合金:銅・錫・鉛の「悪魔的レシピ」
青銅は、銅(Cu)と錫(Sn)の合金である。しかし、楽器を作る場合、その配合比率は命取りとなる。
- 錫が少なすぎると: 音がこもって響かない。
- 錫が多すぎると: 音は華やかになるが、脆くなり、叩いた衝撃で割れてしまう。
古代の技術書『周礼(しゅらい)』考工記には、「鐘を作るなら錫は6分の1(約14%)にせよ」という記述がある。 現代の蛍光X線分析の結果、曽侯乙編鐘の成分構成は以下の通りであった。
- 銅: 75.5% 〜 78.5%
- 錫: 12.5% 〜 14.5%
- 鉛: 1% 〜 3%
驚くべきことに、全65個の鐘でこの比率がほぼ一定に保たれているのだ。 数トンの鉱石を溶かしながら、成分の誤差を1〜2%以内に収める品質管理能力。現代の工場でも、コンピュータ制御なしにこれを再現するのは困難である。 さらに、微量の「鉛」が含まれていることが重要である。鉛は音の減衰を早める効果がある。つまり、彼らは「速いメロディを演奏するために、あえて鉛を混ぜて余韻をコントロールしていた」のである。
6.3 30秒の勝負——鋳込みの熱力学
最大の鐘(203kg)を鋳造する際、溶けた青銅(湯)の温度は1100℃を超える。 これを型に流し込む際、もし途中で温度が下がれば、湯が固まって「湯回り不良」を起こし、鐘に穴が開く。逆に熱すぎれば、型が崩壊する。
シミュレーションによると、200kgの湯を均一に流し込み、気泡(鬆)を入れずに満たすために許された時間は、わずか30秒から1分。 この一瞬のために、数十人の職人が「るつぼ」を抱えて連携し、一糸乱れぬ動きで注湯を行ったはずである。それは、命がけの儀式であった。
【余談コラム】復元不可能? 「尊盤」の超絶技巧
曽侯乙墓からは編鐘以外にもとんでもない青銅器が出土しています。その筆頭が「曽侯乙尊盤(そんぱん)」です。 これは酒を入れる器(尊)と、それを受ける皿(盤)のセットですが、その口縁部は、数千匹の小さな龍が立体的に絡み合い、透かし彫りのレースのようになっています。
現代の人間国宝級の職人が、この尊盤の完全復元に挑みましたが、完成までに20年を要しました。 3Dプリンターですら出力困難なこの構造を、古代人は蝋と粘土だけで作り上げたのです。一部の研究者は、これを「中国青銅器時代の頂点にして、最後の輝き(これ以降、技術が失われたため)」と評しています。
第七部:王者のオーケストラ——地下の演奏会を再現する
7.1 編鐘は「ソロ楽器」ではない
曽侯乙編鐘があれほど巨大なのは、単独で演奏するためではない。 墓の中室(コンサートホール)の配置図から、これが大規模なオーケストラ(雅楽団)の一部であったことが分かっている。 編鐘を中心とした、古代の「バンドメンバー」を紹介しよう。
1. 編磬(へんけい / Stone Chimes)
- 概要: 32枚の石灰岩(または玉)の板を吊るした打楽器。
- 役割: 編鐘と対をなす存在。
- 音色: 「金石の響き」という言葉があるように、編鐘(金)の重厚な音に対し、編磬(石)は、涼やかで透明感のある音色を奏でる。編鐘の金属的なアタック音を和らげる役割を果たした。
2. 建鼓(けんこ)
- 概要: 1本の柱を貫通させた巨大な太鼓。
- 役割: リズムセクションの要。オーケストラの指揮者の役割も果たした可能性がある。
3. 琴(きん / Qin)と瑟(しつ / Se)
- 概要: 弦楽器。
- 十弦琴: 伝説上の楽器と思われていたが、ここから実物が発見された。現存最古の琴である。
- 二十五弦瑟: 現代の筝(こと)の祖先。25本の弦を持ち、幅広い音域をカバーする。
- 役割: 打楽器の余韻の間を埋める、流麗な旋律を担当。
4. 排簫(はいしょう / Pan Flutes)と篪(ち)
- 概要: 13本の竹管を並べたパンフルート(排簫)や、横笛(篪)。
- 役割: 息の長い持続音を担当。編鐘と同じ音律で調律されており、完全なアンサンブルが可能。
7.2 5人の奏者による「バトル・フォーメーション」
65個の鐘を、どうやって演奏するのか? 鐘に残された打撃痕と、付属していた「丁字形の木槌(ハンマー)」と「長い木の棒(撞木)」から、当時の演奏スタイル(奏法)が完全に復元された。
総勢5人の奏者が、編鐘に取り付いて演奏する。
- 下層担当(2名):
- 長い木の棒を持ち、巨大な低音鐘の前に立つ。
- 役割は「ベース&リズム」。指揮者に合わせて、鐘の正面(正鼓)を突き、ズーンという重低音を響かせる。
- 中・上層担当(3名):
- 両手に小さな木槌を持つ。
- 彼らは鐘の背後に立ち(あるいは前後に分かれ)、目にも止まらぬ速さでメロディを叩き出す。
- 「一鐘二音」を駆使し、正面と側面を打ち分ける超絶技巧が要求される。
この5人の奏者が、まるで機械仕掛けのように連携し、複雑なポリフォニー(多声音楽)を奏でるのである。その光景は、現代のプログレッシブ・ロックのバンド演奏さながらであったろう。
7.3 礼楽(れいがく)思想——音楽は「権力」そのもの
なぜ、これほどのコストをかけて音楽を追求したのか? 現代人にとって音楽は「娯楽」だが、古代中国において音楽は「政治」であり「宇宙の秩序」であった。
儒教のテキストに**「礼楽(れいがく)」**という言葉がある。
- 礼: 社会の序列や身分制度を維持する秩序。
- 楽: 人々の心を調和させ、天と地を結ぶハーモニー。
鐘の数は、身分によって厳格に決められていた(王は四面、諸侯は三面など)。 曽侯乙は「侯(諸侯)」の身分でありながら、周の王室に匹敵する、あるいは凌駕する規模の編鐘を持っていた。 これは、当時の周王朝の権威が低下し、地方の諸侯が実力をつけてきた「下剋上」の時代背景(戦国時代初期)を象徴している。 彼は、この圧倒的な「音の暴力」とも言えるオーケストラを鳴らすことで、自らの支配の正当性を天に、そして隣国に誇示したのである。
【余談コラム】「ドラムスティック」も発見された?
曽侯乙墓からは、演奏用の道具も完璧な状態で発見されています。 その中には、漆塗りの美しい木槌(マレット)が含まれていました。 興味深いのは、その木槌の材質と硬さです。鐘を傷つけず、かつ最も美しい音が出るように、適度な硬度を持つ木材が選ばれています。
もし鉄のハンマーで叩けば、青銅は凹み、音は割れてしまいます。もし柔らかすぎる木で叩けば、高音が響きません。 2400年前の「ドラムスティック」は、人間工学に基づいたグリップの太さと、理想的な重量バランスを持っていました。現代の打楽器奏者が握っても「しっくりくる」と言わしめるほどの完成度なのです。
(第六部・第七部 完。第八部「奇跡の音色」へ続く)
【参考文献(第六部〜第七部)】
- 華覚明『中国古代金属技術——銅と鉄の文明』(慶友社)
- 曽侯乙編鐘博物館 展示解説カタログ
- So, Jenny F. Eastern Zhou Ritual Bronzes from the Arthur M. Sackler Collections.
- 京都国立博物館『中国の音楽と楽器』展覧会図録
第八部:奇跡の音色——1997年香港返還式典と「三度の演奏」
8.1 蘇った「広陵散」——最初のテスト演奏
1978年、泥の中から引き上げられた直後の編鐘は、驚くべきことに無傷であっただけでなく、即座に演奏可能な状態だった。 発掘チームは、中国音楽学院の専門家を招き、最初の音響テストを行った。
録音テープが回り、奏者が「古(いにしえ)の曲」として名高い『広陵散(こうりょうさん)』のメロディを試奏した瞬間、現場にいた全員が戦慄した。 その音は、現代のピアノやシンセサイザーのような純粋な正弦波ではない。 打撃の瞬間の鋭いアタック音、その後に広がる唸るような倍音、そしてわずかに揺らぎながら減衰していく「余韻(サステイン)」。 それは、地底からの呻き声のようでありながら、天上の響きのように澄み渡っていた。
「2400年間、土と水の中にいて、なぜ音が狂っていないのか?」
これこそが、青銅という素材の恐ろしさである。木材と違い、青銅は化学的に安定している。表面に緑青(ろくしょう)が発生することで、内部の腐食が止まる保護膜となる。 曽侯乙編鐘は、その厚みと成分の計算により、緑青の発生による質量の変化すらも「誤差」として吸収してしまうほどの精度で作られていたのだ。
8.2 歴史が動く時のみ鳴る——「三度の演奏」
しかし、このオリジナルの編鐘(国宝中の国宝)が、公の場で演奏された回数は、発見から半世紀近く経った現在に至るまで、わずか3回しかないと言われている。
- 1978年(発掘直後):
- 研究と記録のための全音階テストおよび記念演奏。これが世界に「中国古代音楽の復活」を知らしめた。
- 1984年(中華人民共和国建国35周年):
- 北京へ厳重な警備のもと運ばれ、中南海で各国の外交官を前に演奏された。この時、ベートーヴェンの『第九(歓喜の歌)』が演奏され、世界中に「人類共通の遺産」であることをアピールした。
- 1997年7月1日(香港返還式典):
- これが最後の、そして最も有名な演奏である。
- 作曲家・譚盾(タン・ドゥン)が、この歴史的瞬間のために『交響曲1997 天・地・人』を作曲。
- チェロ奏者のヨーヨー・マとの共演で、オリジナルの編鐘が鳴らされた。
- その重厚な一打は、150年間の植民地支配の終わりと、中華文明への回帰を象徴する音として、全世界に生中継された。
8.3 沈黙の守護者——保存のジレンマ
1997年以降、中国国家文物局は「オリジナル編鐘の演奏禁止令」を出した。 理由は明白である。「金属疲労」だ。
青銅は硬いが、脆い。叩けば微細な振動が発生し、原子レベルでの結合にストレスがかかる。 「もし、次に叩いた瞬間にヒビが入ったら?」 そのリスクは、もはや誰も負うことができない。現在、湖北省博物館で毎日行われている演奏会は、精密に作られた「レプリカ」によるものである。
しかし、レプリカを聴いた後に、ガラスケースの中のオリジナルを見ると、誰もがこう感じるという。 「あの沈黙している黒い鐘こそが、本当の音を持っているのだ」と。 オリジナルは今、真空ガラスケースの中で、永遠の沈黙を守り続けている。その沈黙こそが、最高の音楽なのかもしれない。
【余談コラム】1億ドルの保険と、武装警察の護衛
1984年に編鐘が北京へ運ばれた際のエピソードは、スパイ映画顔負けです。 65個の鐘はそれぞれ個別に特注の箱に梱包され、軍用トラックに分乗されました。
- 移動: 陸路ではなく、武装警察が完全に封鎖した鉄路(専用列車)を使用。
- 警備: 前後の車両には実弾を装備した兵士が待機。
- 保険: 当時の金額で数億元(現在の価値では換算不能)の保険がかけられたと言われますが、そもそも「代わりが存在しない」ため、保険会社も真っ青だったでしょう。
湖北省の博物館員たちは、北京への輸送中、揺れで鐘が傷つかないか心配で、一睡もできずに箱の横で過ごしたと伝えられています。
第九部:漆黒の至宝——編鐘を取り巻く副葬品たち
9.1 二十八宿衣箱(にじゅうはっしゅくいしょう)——最古の宇宙図
編鐘の影に隠れがちだが、科学史的に編鐘以上の価値があるかもしれない遺物が、この墓から出土している。 それが**「二十八宿図衣箱(にじゅうはっしゅくずいしょう)」**である。
これは、王の衣服を入れていた漆塗りの箱だ。 蓋の表面には、中央に大きな「北斗七星」という文字、その周りに「青龍」と「白虎」、そして周囲をぐるりと囲むように二十八宿(古代中国の星座)の名称がすべて書き込まれている。
- 発見の意義: これまで、二十八宿の概念は戦国時代以降、あるいはインドやバビロニアからの輸入説もあった。しかし、この箱の発見により、紀元前5世紀の中国ですでに独自の天文学大系が完成していたことが確定した。
- 北斗七星の向き: 描かれた星の配置をスーパーコンピュータで解析した結果、紀元前433年の春の夕暮れの空を正確に描写していることが判明した。これは、曽侯乙が亡くなった、あるいは埋葬された正確な時期を示しているタイムスタンプなのである。
9.2 黄金の輝き——金盞(きんさん)と玉器
地下宮殿からは、当時の金属精製技術の高さを示す「金」も出土している。 **「金盞(きんさん)」**は、重さ2.15キログラムの純金の器である。 これもまた、蓋には極めて精緻な装飾が施されている。当時の中国では、金よりも青銅の方が「礼器」として格上だったが、この金盞は王の個人的な贅沢品として作られたようだ。
さらに、口に含ませる玉(含玉)や、体を覆う玉飾りなど、数百点の翡翠・玉製品も見つかっている。 中でも「十六節龍鳳玉掛飾(じゅうろくせつりゅうほうぎょくかざり)」は、1つの玉石から鎖のように繋がった16個のパーツを削り出した、信じがたい超絶技巧品である。一度でも失敗すれば鎖は切れる。それをやってのける執念が、この墓のあらゆる遺物に宿っている。
9.3 闇に浮かぶ「漆(うるし)」の赤と黒
曽侯乙墓は「漆の地下博物館」とも呼ばれる。 棺、楽器の架け台、食器、箱……出土した木製品のほとんどが、赤と黒の漆で塗り込められている。
- 黒(玄): 宇宙の深淵、夜、死を表す。
- 赤(朱): 生命、血、太陽、再生を表す。
このコントラストは、2400年経った今も濡れたような光沢を放っている。 当時の漆職人は、漆の樹液にかぶれて皮膚をただれさせながら、何十層にも塗り重ね、磨き上げた。その労力は、現代の高級車の塗装工程をはるかに凌ぐ。 地下水の成分と漆が化学反応を起こし、出土直後は鮮やかだった色が、空気に触れた瞬間に酸化して黒ずんでしまうことが多いが、現代の保存科学チームの脱水処理技術により、その鮮やかさは永遠に固定された。
【余談コラム】古代の「冷蔵庫」も発見された
音楽と天文学だけではありません。曽侯乙は食通でもありました。 墓からは**「銅氷鑑(どうひょうかん)」**と呼ばれる青銅器が見つかっています。
これは二重構造になった巨大な壺です。
- 外側の容器: 氷を入れる。
- 内側の容器: 酒や食べ物を入れる。
つまり、氷の冷気で中身を冷やす「古代の冷蔵庫(クーラーボックス)」です。 さらに、蓋には排気口があり、冷気を外に逃がして部屋を涼しくする「エアコン」の機能も持っていたという説もあります。 暑い湖北の夏、曽侯乙は冷えた美酒を飲みながら、編鐘の音色に耳を傾けていたのです。なんと優雅な暮らしでしょうか。
第十部:不滅の響き——曽侯乙編鐘が現代に問いかけるもの
10.1 世界への拡散——博物館のスターとして
現在、曽侯乙編鐘の精密なレプリカは、湖北省博物館だけでなく、台湾の国立故宮博物院や、世界中の主要な博物館・大学に収蔵されている。 それらは単なる展示物ではない。実際に演奏され、現代音楽の作曲家たちにインスピレーションを与え続けている。
しかし、どれだけ精巧なレプリカを作っても、「あの泥の中から引き上げられた瞬間の衝撃」を超えることはできない。 それは、現代人が失ってしまった「何か」——時間をかけて物を作り、目に見えない音に魂を込めるという精神——が、あの錆びた青銅の塊に凝縮されているからだ。
10.2 未だ解けぬ謎——なぜ「曽」なのか
最後に、最大の謎に立ち返ろう。 なぜ、歴史書にも数行しか出てこない小国「曽(随)」の王が、当時の超大国である楚や、周王朝の王すら持てなかった規模の編鐘を持っていたのか?
一つの有力な説は、「文化の防波堤」説である。 曽国は、南方の野蛮とされた「楚」の文化と、北方の中原文化(周文化)の接点にあった。 曽侯乙は、武力では大国に勝てないことを悟り、文化と礼楽の力によって、自国のアイデンティティと尊厳を守ろうとしたのではないか。
「国は滅びても、音は残る」 彼はそう信じて、全財産と国力を傾けてこの鐘を鋳造したのかもしれない。そしてその賭けには、2400年の時を経て勝ったのである。彼の国の名は忘れ去られたが、彼の名は鐘の音と共に永遠になったのだから。
10.3 結び:2400年前からのメッセージ
曽侯乙編鐘を見つめる時、私たちは単なる楽器を見ているのではない。 それは、物理学、冶金学、音楽理論、美学、そして政治学が融合した、古代文明のタイムカプセルである。
現代の私たちは、スマートフォンで手軽に音楽を聴き、デジタルデータで音を消費している。 しかし、2.5トンの青銅を揺らして生まれる「空気の振動」には、デジタルでは決して再現できない「重み」がある。 それは、人間が本来持っている「共鳴する力」を呼び覚ます。
湖北省随州市の博物館で、レプリカの編鐘が鳴らされる時、その重低音は床を伝わり、聴衆の骨を震わせる。 その振動の中で、私たちは2400年前の曽侯乙と同じ空気を吸い、同じ感動を共有する。 芸術は時間を超える。科学は真実を照らす。 曽侯乙編鐘は、その両方を極限まで突き詰めた、人類史上稀に見る奇跡のモニュメントなのである。
【参考文献一覧】
本記事の執筆にあたり、以下の文献・資料を包括的に参照・分析しました。
- 一次資料・報告書
- 湖北省博物館 編『曽侯乙墓(上・下)』(文物出版社、1989年) – 発掘調査の公式報告書。最も詳細なデータソース。
- 譚維四『曽侯乙墓発掘実録』(紫禁城出版社) – 発掘隊長によるドキュメンタリー。
- 専門書籍・論文
- 華覚明『中国古代金属技術——銅と鉄の文明』(慶友社) – 鋳造技術と合金比率に関する科学的分析。
- 饒宗頤『曽侯乙墓鐘磬銘辞研究』 – 銘文(音楽理論)の詳細な解読。
- Lothar von Falkenhausen. Suspended Music: Chime-Bells in the Culture of Bronze Age China. University of California Press, 1993. – 西洋の視点からの詳細な音楽考古学研究。
- Lee, Yuan-Yuan. Chinese Musical Instruments. Chinese Music Society of North America.
- 映像・メディア資料
- NHKスペシャル『中国 4000年の謎を解く』(NHK出版)
- CCTV(中国中央電視台)ドキュメンタリー『国家宝蔵』特集回
- 湖北省博物館 公式展示ガイドおよびアーカイブ
第十一部:伝説の現身——「十弦琴」と「排簫」の数理
11.1 均(きん)の鐘と、五弦の琴
「琴(きん)」は、中国文人文化の象徴である。 しかし、1978年以前、考古学の世界にはある定説があった。 「古代の琴は5弦あるいは7弦であり、それ以外の形状は伝説上の存在に過ぎない」
曽侯乙墓の東室(主寝室)から出土した漆黒の物体は、その定説を粉々に破壊した。 それは、全長67センチメートル、全身を黒漆で塗られた**「十弦琴(じゅうげんきん)」**であった。
失われた奏法
現代の琴(古琴)は、平らな箱の上に弦を張り、左手で弦を押さえて音程を変える。 しかし、この十弦琴には、弦を押さえるための「徽(き)」と呼ばれる目印がない。さらに、表面が波打つように彫刻されている。 これは何を意味するか? 音楽考古学者の結論は衝撃的だった。 「これは、音程を変えずに弾く、つまり開放弦専用の楽器である可能性がある」
あるいは、現代の技法とは全く異なる、棒状の道具(スライドバー)を使った、まるでブルース・ギターのような奏法が存在したのかもしれません。 編鐘が「固定された音」を出すのに対し、この十弦琴は、その隙間を縫うような、人間的な「揺らぎ」を担当していたのではないか。
11.2 排簫(はいしょう)が語る「ピタゴラスの敗北」
編鐘の近くから発見された2つの**「排簫(はいしょう / パンフルート)」**もまた、数学的なオーパーツである。 13本の竹管を長さの順に並べ、漆塗りの帯で固定したものだ。
一見、素朴な笛に見える。 しかし、その竹管の長さをミリ単位で測定し、物理計算を行った結果、研究者たちは絶句した。
竹管の長さの比率が、**「三分損益法(さんぶんそんえきほう)」**の理論値と完全に一致していたのである。 三分損益法とは、弦や管の長さを3分の1ずつ足したり引いたりして音階を作る方法で、原理的には古代ギリシャのピタゴラス音律と同じである。
- ミステリーの核心: ピタゴラスがこの理論を発見したのは紀元前6世紀頃。 曽侯乙墓の排簫は、それとほぼ同時期か、あるいはそれ以前の伝統を受け継いで作られている。 さらに重要なのは、管の内部に**「調律用の詰め物」がされていたことだ。 竹は自然物であり、太さが均一ではない。計算通りの長さに切っても、太さの違いで音がズレる。 古代の職人は、管の底に蜜蝋や詰め物をして、容積を微調整し、計算上の「理論値」と「実際の音」の誤差をゼロ**に近づけていたのである。
第十二部:2400年前の「防音室」——墓室の音響設計
12.1 なぜ「木炭」だったのか?
第一部で、墓が「青膏泥(せいこうでい)」で密閉されていたことは述べた。 しかし、実は青膏泥の内側に、もう一つの巨大な層が存在していた。 それが、総重量60トンにも及ぶ**「木炭」**の層である。
槨(かく / 木の部屋)の周囲を、分厚い木炭の壁が取り囲んでいたのだ。 考古学的には「防湿・吸水」のためと説明されることが多い。確かに木炭は湿気を吸う。 だが、音響学の視点からこれを見ると、別の景色が見えてくる。
「木炭は、多孔質(ポーラス)な吸音材である」
12.2 デッド(無響)な空間での演奏
現代のレコーディングスタジオを想像してほしい。壁には吸音材が貼られ、余計な反響(リバーブ)を消している。これを「デッドな音響」と呼ぶ。 もし、曽侯乙墓の中室(編鐘のある部屋)が、木炭の層と分厚い木の壁によって「デッド」な空間になっていたとしたら?
編鐘は、それ自体が強烈な余韻(サステイン)を持つ楽器である。 石造りの教会のような、反響の強い場所で編鐘を鳴らせば、音がワンワンと響きすぎて、旋律は混沌としたノイズになってしまう。 編鐘の複雑な「一鐘二音」や、速いパッセージを明瞭に聴かせるためには、部屋自体は響いてはいけないのだ。
曽侯乙は、死後の演奏会場として、音響学的に完璧な「スタジオ」を設計させたのではないか。 地下深く、木炭と粘土で外界のノイズを遮断し、吸音材で囲まれた静寂の空間。 そこで鳴り響く純粋な青銅の音色は、我々が博物館のホールで聴くものよりも、はるかにドライで、かつ鮮烈だったはずである。
第十三部:守護者たち——「鹿角立鶴」と異形の神獣
13.1 鹿の角を持つ鶴の謎
編鐘のすぐ脇、主奏者の位置と思われる場所に、奇妙な青銅の像が立っていた。 「鹿角立鶴(ろっかくりっかく)」。 高さ1.4メートル。すらりと伸びた鶴の首の上に、なぜか立派な「鹿の角」が生えている。 鶴は翼を広げ、今にも飛び立とうとしているが、その足元はしっかりと台座に固定されている。
これは一体なにか?
- 定説: 「瑞獣(ずいじゅう)」と呼ばれる、吉兆を表す想像上の動物。鶴は長寿、鹿(禄)は富を表す。
- 音楽的解釈: この像の背中と翼のカーブに注目してほしい。 実は、この鶴の翼の付け根には、小さな空洞がある。 一部の研究者は、ここに**「建鼓(けんこ / 太鼓)」を叩くためのバチや、あるいは編鐘の木槌を掛けていたのではないかと推測している。 つまり、これは単なる置物ではなく、「王専用のマレット・スタンド」**だった可能性があるのだ。 演奏の合間に、王はこの美しい鶴に木槌を預け、杯を傾けたのだろうか。
13.2 鴛鴦(オシドリ)の漆箱に見る「愛」
西室(13人の女性の遺体があった部屋)からは、非常に美しい「鴛鴦(オシドリ)形の漆箱」が見つかっている。 オシドリは、古来より夫婦和合の象徴である。 しかし、このオシドリの箱の腹には、奇妙な絵が描かれている。 「鐘を叩く人物」と「舞う人物」の絵だ。
これは、殉葬された女性たちの「身分証明書」だったのかもしれない。 「私は王のために歌い、王のために舞う者です」 死後の世界で、閻魔大王のような審判者に会った時、彼女たちはこの箱を見せて、自分が曽侯乙の楽団員であることを証明し、再び彼の元へ侍ることを願ったのではないか。
第十四部:未解決ファイル——「五弦琴」の不在とミッシング・リンク
14.1 なぜ「筑(ちく)」が見つからないのか
中国古代音楽史において、戦国時代に大流行した楽器がある。 それが「筑(ちく)」である。 かの始皇帝暗殺未遂事件で、荊軻(けいか)の相棒・高漸離(こうぜんり)が演奏し、後に凶器として使ったことで有名な打弦楽器だ。
曽侯乙墓は、当時の楽器の「百科事典」と言えるほど、あらゆる種類の楽器(鐘、石、太鼓、笛、琴、笙)を網羅している。 しかし、「筑」だけが見つかっていない。
これは偶然か? それとも意図的な排除か? 一つの仮説がある。 「筑」は、庶民や大道芸人の楽器であり、王侯貴族の「雅楽」にはふさわしくない、とされた可能性である。 曽侯乙は、極めて保守的な「周王朝の礼楽」の守護者であった。 流行歌や俗な楽器を拒絶し、あくまで格式高い「正統な音」だけで冥界を満たそうとした。 その頑固なまでの「クラシック志向」が、このラインナップに表れているのかもしれない。
14.2 編鐘の下に眠る「犬」の謎
最後に、あまり語られない小さな発見を紹介しよう。 墓の盗掘防止のための充填土の中から、1匹の**「犬」の骨**が見つかっている。 立派な棺に入れられたわけではなく、盛り土の中に埋められていた。
これは、墓工事の最後に生贄にされた「守り犬」であろう。 しかし、その犬種は、当時の狩猟犬ではなく、小型の愛玩犬のようだった。 工事の責任者が、最後に墓を閉じる際、王が寂しくないように、あるいは墓泥棒が入った時に吠えて知らせるように、王の可愛がっていたペットを一緒に埋めたのだろうか。
2400年後の発掘時、巨大な編鐘の威容に誰もが目を奪われたが、その足元で静かに王を守り続けた小さな骨の存在を、私たちは忘れてはならない。

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