AIが暴いた砂漠の暗号
——ナスカの地上絵893体、
2000年の沈黙が語り始めた
ハチドリ、サル、クモ、シャチ——そして「斬首された人間の頭部」。
空からしか見えないその全貌は、いまAIによって解き明かされつつある。
砂漠に刻まれた893の暗号
ペルー共和国の首都リマから南へ約440km。パンアメリカン・ハイウェイを7時間ほど走り続けると、やがて車窓の景色から緑が完全に消え失せる。アンデス山脈の西斜面と太平洋に挟まれた、年間降水量わずか数ミリという地球上で最も乾燥した土地のひとつ——ナスカ台地(Pampa de Nazca)が、果てしなく広がっている。
標高約500m。赤褐色の酸化鉄に覆われた礫(れき)が一面に敷き詰められた大地は、朝の太陽を浴びると暗い赤紫に、夕方には血のように赤く染まる。風はほとんど吹かず、雨もほぼ降らない。生命の気配が希薄なこの荒涼たる台地に、人類史上最大の謎のひとつが横たわっている。
ナスカの地上絵——。紀元前200年頃から紀元後700年頃にかけて、古代ナスカ人が大地に刻んだ巨大な幾何学模様と動植物の絵。最大のものは全長300mを超え、最も長い直線は65kmにわたって一直線に伸びる。ハチドリ、コンドル、サル、クモ、シャチ。そして「ナイフを持ったシャチ」「斬首された人間の頭部」「頭飾りを付けた神官」——不穏なモチーフも少なくない。
しかし、この記事を書いている2026年3月時点で、ナスカの地上絵をめぐる状況は、わずか2年前とはまったく異なっている。
2024年9月、山形大学ナスカ研究所とIBM研究所の共同研究チームは、AIを用いてわずか6ヶ月で303体の新しい具象的地上絵を発見したと発表した(米国科学アカデミー紀要PNAS掲載)。さらに2025年7月には追加で248体を発見し、具象的地上絵の総数は893体に達した。これは2020年時点で確認されていた430体から2倍以上の数字であり、AIによる発見速度は従来の16倍に加速された。しかもまだ未調査の候補地が968箇所残されている。
世界遺産に登録されたのは1994年。それから30年以上が経った今、ナスカの地上絵は「すでに知り尽くされた古代の謎」どころか、現在進行形で急速に塗り替えられている、世界で最もホットな考古学のフロンティアなのだ。
地上絵はなぜ、空からしか全貌が見えない場所に描かれたのか。誰が、どのように、何の目的で。小道ごとに異なるテーマが設定されていることが判明した2024年の発見は、古代ナスカ人が地上絵を「文字の代わりとなるメディア」として使っていた可能性を初めて科学的に裏付けた。文字を持たなかった文明が、大地に物語を刻む——その試みの全貌を、最新の研究成果とともに解き明かしていく。
発見の歴史
——1927年、徒歩で始まった100年の探求
ナスカの地上絵の「最初の発見」が誰によるものかは、実は単純ではない。地元のペルー人は太古からその存在を知っていた可能性がある。周辺の丘や山に登れば、いくつかの直線や台形は肉眼でも確認できるからだ。しかし、その巨大さと全貌が西洋世界に知られるようになったのは、20世紀に入ってからのことである。
記録に残る最古の言及は、実に1547年にまで遡る。スペインの征服者(コンキスタドール)ペドロ・シエサ・デ・レオンが、砂漠に「道標のような印」があると書き残している。しかし、体系的な研究が始まるのは、さらに400年近く後のことだった。
約100年間の発見史を振り返ると、興味深いパターンが見えてくる。最初の70年間(1927〜2000年頃)に確認された具象的地上絵は約430体。ところがAI導入後のわずか2年間で、その数はほぼ倍増した。テクノロジーの爆発的進化が、考古学のタイムスケールそのものを根底から変えてしまったのだ。
しかし、発見が増えれば謎が解けるというわけではない。むしろ逆だ。893体の地上絵が明らかにしたのは、我々がナスカ文明について知らないことの膨大さだった。
ナスカ文明とは何か
——砂漠に花開いた800年の王国
地上絵の「作者」について語る前に、まずナスカ文明そのものを理解しなければならない。地上絵はナスカ文明の最も有名な遺産だが、この文明の全体像はそれよりもはるかに複雑で、豊かで、そして暗い。
ナスカ文化は、紀元前200年頃から紀元後800年頃まで、現在のペルー共和国南部の海岸砂漠地帯で栄えた。アンデス文明の「前期中間期」(地方発展期)に属し、北部のモチェ文化、ボリビアのティアワナコ文化と並ぶ南米古代文明の雄である。首都を持たない分散型社会であったが、宗教的中心地としてカワチ遺跡が存在し、広さ1.5km²の区域に高さ30mのピラミッドや40以上の墳墓、巨大な祭祀広場が築かれていた。
時代:紀元前200年頃〜紀元後800年頃(約1000年間)|地域:ペルー南部海岸砂漠(イカ州ナスカ市周辺)|先行文化:パラカス文化(紀元前800年〜紀元前100年)|宗教中心地:カワチ遺跡(ナスカ川流域)|特筆事項:文字を持たない。多彩色土器がアンデス文明屈指。地下水路(プキオ)の高度な灌漑技術。人身供犠とトロフィーヘッドの慣習。
ナスカ文明の前身はパラカス文化(紀元前800年〜紀元前100年頃)である。パラカス人は高度な織物技術と頭蓋骨の人為的変形(クレイドルボーディング)の慣習で知られ、その美術様式と宗教的観念はナスカ文化に直接引き継がれた。パラカスのミイラを包んでいた極彩色の「マント」は、南米考古学の至宝とされる。
ナスカの人々の主な生業は農業だった。トウモロコシ、カボチャ、サツマイモ、キャッサバ、アチラ(食用カンナ)を栽培し、わずかながら漁業も行った。非食用作物としては綿花(織物用)、コカ、サン・ペドロ・サボテン(幻覚作用があり、儀式に使用)、ヒョウタン(容器・楽器)が栽培された。家畜としてリャマが飼われ、荷役・毛皮・食肉・儀式の生け贄と多目的に利用された。テンジクネズミ(クイ)も儀式用の犠牲獣として使われた。
しかし、ナスカが位置するのは年間降水量わずか数ミリという極度の乾燥地帯である。そのような場所で数百年にわたり農業を営むためには、水の確保が死活問題だった。ナスカ人がこの課題に対して編み出した解決策こそ、地上絵と並ぶもうひとつの驚異——プキオ(地下水路システム)であり、これについては第7章で詳述する。
社会構造について言えば、ナスカは厳格な階層社会であった。奴隷制の明確な証拠はないが、支配層と庶民の間には大きな格差が存在した。庶民は「キンチャ」と呼ばれる葦の骨組みに泥を塗った簡素な住居に暮らし、公共建築(ピラミッド、神殿、水路)の建設に労働力として動員された。
ナスカ文明の芸術作品として特に名高いのが多彩色土器である。アンデス文明のなかでも屈指の色彩感覚を誇り、初期は動植物の写実的な描写が主流だったが、後期になるにつれて戦争に関する図像が増え、「首級(トロフィーヘッド)」がしばしば描かれるようになった。このモチーフの変遷は、ナスカ社会が次第に軍事的・暴力的な方向へ変容していったことを物語っている。
つまり、ナスカ文明は自らの技術力で砂漠を征服し、同じ技術力で自らを滅ぼした可能性がある。地上絵を描く知性と、生態系を破壊する愚かさが、同じ民族のなかに同居していた。この矛盾こそが、ナスカ文明の最も人間的な部分であり、最も考えさせられる部分でもある。
さて、この文明が残した最大の遺産——地上絵の全貌を見ていこう。
地上絵の全貌
——線タイプと面タイプ、2つの異なる世界
ナスカの地上絵と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのはハチドリやサルの巨大な絵だろう。しかし2024年の研究が明らかにしたのは、ナスカの地上絵には根本的に異なる2つのカテゴリが存在するという事実だった。この区別を理解することが、地上絵の謎を解く最大の鍵となる。
第一のカテゴリは「線タイプ」(Line type)。いわゆる「ナスカの地上絵」として有名なものの大部分がこれに該当する。全長数十メートルから300メートル超の巨大な動植物や、65kmに及ぶ直線、台形、三角形の幾何学図形。航空写真で容易に識別でき、上空からしかその全体像が見えない。ハチドリ(全長約96m)、コンドル(約135m)、サル(約135m)、クモ(約46m)、シャチ、ペリカンなど、約70種類の具象的な絵が含まれる。
第二のカテゴリは「面タイプ」(Relief type / Area type)。2024年のAI調査で大量に発見されたのがこちらである。全長は平均約9メートルと線タイプに比べて格段に小さく、地表の石を面的に除去して描かれる。航空調査では発見が極めて困難で、徒歩調査やAIによる画像解析によって初めて存在が確認された。人間、神官、斬首された頭部、リャマ、インコ、猫科動物、半獣半人などが描かれている。
| 特徴 | 線タイプ | 面タイプ |
|---|---|---|
| サイズ | 数十m〜300m超 | 平均約9m |
| 制作手法 | 地表の石を線状に除去(溝を掘る) | 地表の石を面的に除去(レリーフ) |
| 主なモチーフ | 野生動物(ハチドリ、コンドル、クモ等)・植物 | 人間、首級、神官、家畜(リャマ)、猛禽類 |
| 分布 | 直線・台形のネットワークに沿って分布 | 曲がりくねった小道沿いに分布 |
| 推定目的 | 共同体レベルの儀礼活動に使用 | 小集団の情報共有「掲示板」 |
| 発見方法 | 航空調査で比較的容易 | 徒歩調査・AI画像解析が必要 |
| 確認数(2025年時点) | 約70体(具象)+800以上(幾何学) | 893体以上(急増中) |
この2つのカテゴリの違いは、単なるサイズの差ではない。モチーフ、制作場所、推定目的のすべてが異なる。線タイプの巨大な地上絵は、ナスカ台地の北部に集中し、直線や台形のネットワークに沿って分布している。そこに描かれるのは主に野生動物——シャチ(海の王)、コンドル(空の象徴)、ハチドリなど——であり、天・地・海の水の循環を象徴しているとも解釈される。カワチ神殿に通じる道と接続しており、共同体全体が参加する大規模な宗教儀礼のために制作されたと考えられている。
一方、面タイプの地上絵は、ナスカ台地を縦横に走る古代の小道(トレイル)沿いに分布している。これらの小道は計画的に作られた直線のネットワークとは異なり、明確な始点も終点もなく、曲がりくねっている。個人または小集団が日常的に歩いていた道の痕跡と考えられ、その沿道に描かれた面タイプの地上絵は、歩きながら見る「掲示板」のような役割を果たしていたと推定される。
2025年の最新調査では、驚くべき発見がなされた。各小道に沿って描かれた地上絵には、一貫した「テーマ」が存在するのだ。ある小道沿いには斬首された頭部とそれを手に持つ人物が繰り返し描かれ、「人身供犠」がテーマであることがわかった。別の小道では猛禽類(コンドル等)が集中的に描かれ、さらに別の小道ではリャマのみが描かれていた。これは地上絵が無作為に配置されたのではなく、物語性あるいはメッセージ性を持って構成されていた可能性を強く示唆している。
主要な地上絵のモチーフを、サイズとともに整理してみよう。
| モチーフ | タイプ | サイズ | 備考 |
|---|---|---|---|
| ハチドリ | 線 | 約96m | ナスカの象徴。長いくちばしの一本線が特徴 |
| コンドル | 線 | 約135m | 翼を広げた姿。天空の使者の象徴 |
| サル | 線 | 約135m | 渦巻き状の尾が特徴。指が9本しかない |
| クモ | 線 | 約46m | オリオン座を表すとする説あり |
| シャチ | 線 | 約65m | 海の王。ナスカ土器にも頻出 |
| ペリカン | 線 | 約285m | 最大の動物地上絵のひとつ |
| トカゲ | 線 | 約180m | パンアメリカン・ハイウェイが体を横切る |
| ナイフを持ったシャチ | 面 | 数m〜 | 2024年AI調査で発見。不穏なモチーフ |
| 斬首された頭部 | 面 | 数m〜 | トロフィーヘッド文化との関連 |
| 頭飾りを付けた神官 | 面 | 数m〜 | 2024年発見。宗教的儀式の描写か |
| 「宇宙人」 | 線 | 約30m | 丘の斜面に描かれた人型。片手を上げている |
注目すべきは、線タイプと面タイプでモチーフの傾向が明確に分かれている点だ。線タイプは「自然界の野生動物」が主であるのに対し、面タイプは「人間の活動」——特に人身供犠、家畜の管理、宗教儀式——に関連するモチーフが多い。これは、2つのタイプが異なる社会的機能を持っていたことを裏付ける。
さて、サイズも目的も異なるこれらの地上絵は、どのようにして制作されたのだろうか。
どうやって描いたのか
——杭とロープの驚異的な精密工法
「空からしか見えない巨大な絵を、古代人がどうやって描いたのか?」——この問いは、ナスカの地上絵を知った人が最初に抱く疑問であり、宇宙人説を含むさまざまな空想を生んできた原因でもある。しかし、考古学と実験科学はこの問いに対して、驚くほど明快な答えを出している。
まず、地上絵の物理的な構造は極めてシンプルである。ナスカ台地の地表は、酸化鉄を含む赤褐色の礫(小石)で覆われている。この礫を取り除くと、その下には明るいクリーム色から黄白色の砂質土壌が現れる。暗い石を取り除いて明るい地面を露出させる——これがナスカの地上絵の制作原理であり、それ以上でもそれ以下でもない。取り除かれた石は線の両脇に低い堤のように積み上げられた。溝の深さはわずか10〜30cm。それだけである。
ナスカ台地は年間降水量がわずか数ミリで、強風もほとんどない。粘土質の土壌は夜間に吸湿して湿り、日中の太陽熱で乾燥して硬化する。このサイクルが石の位置を固定し、浸食を防いでいる。つまりナスカの地上絵は「保存されている」のではなく、「消える条件が存在しない」のだ。ただし近年、エルニーニョ現象の激化や気候変動による異常降雨が地上絵の保存状態を脅かし始めている。
制作方法について、研究者たちの合意はほぼ固まっている。ナスカの人々は杭とロープを用いた比例拡大法で地上絵を描いた。まず小さなスケッチ(おそらく土器の表面などに描かれたもの)を原図として用意し、それをグリッド(格子)に分割する。次にロープと杭で同じグリッドを巨大スケールで地表に再現し、各グリッド内の曲線をロープで追跡しながら石を取り除いていく。直線部分は2本の杭の間にロープを張ることで完璧な真っ直ぐさを実現した。
この仮説は単なる推測ではない。1982年にアメリカの探検家ジム・ウッドマンのグループが、ナスカの技術で実際に地上絵を再現する実験を行い、成功している。必要な道具はロープ、杭、そして人力だけ。一人の監督者が指示を出し、数十人の労働者が石を運ぶ。1体の小型地上絵なら数日、大型のものでも数週間あれば十分に制作可能であることが実証された。
宇宙人の助けは、まったく不要なのである。
ただし、いくつかの疑問は残る。完成した絵を「上から確認する」方法は何だったのか。これについては、近くの丘や山に登れば部分的に確認できるとする説が主流だが、より大胆な仮説として、ウッドマンは「ナスカの人々は簡易な熱気球を作って上空から確認した可能性がある」と提唱した。ナスカの土器のなかには袋状の物体が描かれたものがあり、また古代ペルーの織物技術は当時世界最先端であったため、技術的には不可能ではないという。ただし、この仮説を支持する物的証拠は見つかっていない。
もうひとつの疑問は、65kmにも及ぶ完璧な直線をどうやって引いたのかという点だ。地平線の彼方まで一直線に伸びるこれらの線は、現代のレーザー測量に匹敵する精度を持つ。考えられるのは、3本以上の杭を一直線に並べる「見通し法」である。遠くの杭が近くの2本の杭と一直線になるまで位置を調整する——この原始的だが正確な方法を繰り返すことで、理論上はどこまでも直線を延長できる。
制作方法の解明は進んでいる。しかし、「なぜ作ったのか」という問いには、いまだ決定的な答えが出ていない。その議論に入る前に、ナスカの地上絵に人生のすべてを捧げた一人の女性の物語を語らなければならない。
マリア・ライヘ
——「100の命があってもナスカに捧げる」
ナスカの地上絵の歴史は、一人の女性の人生と不可分に結びついている。マリア・ライヘ(Maria Reiche, 1903–1998)——ドイツ・ドレスデン生まれの数学者にして考古学者。「砂漠の貴婦人(La Dama de Nazca)」「地上絵の女王(Lady of the Lines)」と呼ばれたこの女性は、文字通り人生のすべてをナスカの地上絵に捧げた。
ライヘの物語は、1932年に始まる。29歳の若きドイツ人数学者は、ペルーのクスコにあるドイツ領事館で子供たちの家庭教師として働くために海を渡った。第一次世界大戦で父を亡くし、平和主義者であった彼女は、南米の大地に魅了された。1934年、クスコでサボテンの棘が刺さり、壊疽のために右手の指を1本失うという事故に見舞われる。後にこのエピソードが、不思議な因縁をもたらすことになる。
1939年、リマで翻訳者・教師として生活していたライヘは、カフェでポール・コソックと出会う。コソックは古代灌漑システムの研究のためにペルーを訪れたアメリカの歴史学者だったが、偶然発見したナスカの地上絵に心を奪われていた。彼の論文をスペイン語に翻訳する仕事を引き受けたライヘは、やがて助手として現地調査に同行することになる。
1941年6月、ライヘはセスナ機からナスカ台地を初めて見下ろした。眼下に広がる巨大な幾何学模様と動物の絵に、数学者の魂は瞬時に火をつけられた。「あの瞬間から、私はナスカ以外の何も考えられなくなった」と、彼女は後に語っている。
コソックが1948年にペルーを去った後、ライヘは一人で研究を続ける道を選んだ。1946年、彼女はナスカ台地のただ中に小屋を建て、そこに住み始めた。電気も水道もない砂漠の小屋。彼女は毎朝、ほうきを持って砂漠に出かけ、地上絵の上に積もった砂と石を掃き清めた。脚立に登って高所から絵の輪郭を確認し、数学的な計測と記録を繰り返した。地元の人々は、砂漠を一人で歩き回り、ぼろぼろのほうきで地面を掃き続ける外国人女性を見て、「あの人は魔女だ」と噂した。
ライヘは地上絵の数学的精度に驚嘆した。彼女の分析によれば、ナスカの人々は何らかの標準的な測定単位(おそらく腕の長さ)を用いて、小さな原図を正確に拡大していた。さらに彼女は、地上絵が天文暦(太陽暦・月暦)としての機能を持つという理論を提唱した。巨大なサルの地上絵はおおぐま座を表し、クモはオリオン座に対応する。地上絵の直線は至点や分点の方角を示す——。1949年に出版された彼女の著書『砂漠の神秘(Mystery on the Desert)』は、この理論を世界に広めた。
しかし、ライヘの天文暦説は後にアメリカの天文学者ジェラルド・ホーキンスやアンソニー・アヴェニによって検証され、「統計的に有意な天文学的一致は見られない」と否定されることになる。ライヘ自身も晩年にはこう認めている——「40年かけて研究しても、すべての謎を解明できないかもしれないと渋々認めざるを得なくなった」。
だが、ライヘの最大の功績は理論ではなく保護にあった。1955年、ペルー政府がナスカ台地を灌漑農地として開発する計画を発表した時、ライヘは記者会見を開いて猛反対し、計画を中止に追い込んだ。1976年には自費で監視人を雇い、観光客が地上絵の上を歩くことを阻止した。さらに6人の常勤警備員を配置し、ナスカ台地全体の巡回体制を築いた。
1985年、ライヘは眼の治療のためにアメリカへ渡ったが、専門医の診断は絶望的だった。「視力はもう回復しない」と告げられた彼女は、穏やかにこう答えた——「受け入れるしかない。砂漠で過ごした初期の頃に、もっと目を大事にすべきだった」。
そしてある日、彼女は地上絵のサルの指が9本しかないことに気づいた。サボテンの事故で自身も9本指になっていたライヘは、この偶然に深く動揺したという。さらにカエルとトカゲの地上絵も指が1本足りないことを発見し、「前世でナスカの王女だったのかもしれない」と冗談とも本気ともつかない言葉を残している。
1992年、ペルー政府はライヘにペルー国籍を授与した。1994年、彼女が半世紀にわたって守り続けたナスカの地上絵は、ついにユネスコ世界文化遺産に登録された。1998年6月8日、95歳のマリア・ライヘはリマの空軍病院で卵巣癌により死去。彼女の遺体は、妹ルナーテとともに、愛したナスカの地に埋葬された。かつての自宅は「マリア・ライヘ博物館」として公開され、ナスカの空港は「マリア・ライヘ空港」と命名されている。
天文暦説は否定された。しかし、ライヘがいなければ、ナスカの地上絵はとうの昔に農地として掘り返され、消滅していたかもしれない。彼女は理論家としてではなく、守護者として歴史に名を刻んだのだ。
なぜ描かれたのか
——6つの仮説が激突する
ナスカの地上絵に関する最大の謎——「なぜ描かれたのか」。この問いに対して、100年間にわたり数多くの仮説が提唱されてきた。ここでは主要な6つの仮説を、その論拠と弱点とともに検証する。
仮説① 天文暦説(マリア・ライヘ / ポール・コソック)
最も古典的な仮説。地上絵は巨大な天文カレンダーであり、直線は至点・分点の方角を、動物の絵は星座を表す。ライヘはサルがおおぐま座に、クモがオリオン座に対応すると主張した。コソックはナスカ台地を「世界最大の天文学の書物」と呼んだ。しかし1990年、天文学者ジェラルド・ホーキンスとアンソニー・アヴェニがコンピュータ解析で検証した結果、統計的に有意な天文学的対応は確認できなかった。一部の線には天文学的方位との一致が見られるが、それはランダムでも起こりうる程度の確率であり、決定的証拠とは言えない。
仮説② 水の信仰説(ヨハン・ラインハルト)
1985年に発表された有力仮説。考古学者ヨハン・ラインハルトは、ナスカの宗教と経済において山岳信仰と水源崇拝が支配的な役割を果たしていたことを実証した。地上絵の直線は水の神々を祀る聖地への「聖なる道」であり、動物の絵は水と豊穣に関連する神々のシンボルである。アンデス地域に広く見られる山の神への祈りの伝統と一致しており、最も広く支持されている仮説のひとつ。
仮説③ 巡礼路・儀式行進説(マイケル・コー / アンソニー・アヴェニ)
地上絵の直線は実際に歩くための道(巡礼路)であり、ナスカの人々は宗教的儀式の一環としてこの線の上を行進した。アヴェニは、直線と台形が放射状のパターンを形成し、その収束点が河川流域の入口や高台に位置することを発見した。すなわち、水が流入する場所で神々に感謝する儀式が行われたと推測される。この仮説はインカ帝国の「セケ」システム(クスコから放射状に伸びる仮想直線に沿った神殿ネットワーク)との類似性からも支持される。
仮説④ 掲示板・メディア説(坂井正人 / 山形大学 2024年〜)
最新の仮説であり、2024年のPNAS論文で提唱された。面タイプの地上絵は、ナスカ台地を縦横に走る小道沿いに分布し、歩きながら見る「掲示板」のような役割を果たしていた。文字を持たなかったナスカ文明において、地上絵は情報共有のためのメディアであった可能性がある。小道ごとにテーマ(人身供犠、野鳥、家畜など)が異なることから、各小道は特定の共同体や信仰グループに関連していたと考えられる。2025年7月の発表では、地上絵の配列に「物語性」が存在する可能性が指摘された。
仮説⑤ 地下水路マーカー説(デイヴィッド・ジョンソン)
独立研究者デイヴィッド・ジョンソンは、マサチューセッツ大学の研究者と共同で、地上絵が地下水脈の位置を示す地図であるという仮説を提唱した。台形は帯水層の上に位置し、ハチドリは大きな井戸の場所を示す——。プキオ(地下水路)の分布と地上絵の位置に相関があることが根拠だが、この相関が偶然でないことを統計的に証明するには至っていない。ジョンソンのダウジング(占い棒)による水脈探査の方法論も科学界からは懐疑的に見られている。
仮説⑥ 宇宙人の滑走路説(エーリッヒ・フォン・デニケン)
1968年のベストセラー『未来の記憶(Chariots of the Gods)』で提唱された。ナスカの直線は宇宙船の滑走路であり、地上絵は宇宙人へのメッセージであるという主張。科学的根拠は皆無であり、考古学界では完全に否定されている。マリア・ライヘはこの説を特に激しく批判し、地上絵のモチーフがナスカの土器や織物に描かれた図像と完全に一致していることを示すことで、地上絵がナスカ文化の内部から生まれたものであることを実証した。ただし、この説が世界的に注目を集めたことでナスカの地上絵が有名になり、結果的に保護の機運が高まったという皮肉な側面もある。
現在の学術的コンセンサスは、「単一の説では説明できない。地上絵は複合的な機能を持つ文化的システムだった」というものである。線タイプは共同体レベルの宗教儀礼、面タイプは小集団レベルの情報共有。両者は異なる社会的次元で機能し、全体としてナスカ社会の宇宙観・宗教・水の管理を反映していた。
この「水」との関係を深く理解するためには、ナスカ文明が築いたもうひとつの驚異——地下水路「プキオ」を知る必要がある。
水という命綱
——プキオと地下水路1500年の驚異
地上絵だけがナスカ文明の驚異ではない。年間降水量わずか数ミリの砂漠で800年にわたって農業文明を維持するためには、水の安定供給が不可欠だった。ナスカの人々がこの課題に対して編み出した解決策——プキオ(Puquio)——は、地上絵に劣らぬ工学的偉業である。
プキオとはスペイン語で「泉」を意味するが、その実態は精巧な地下水路システムである。ナスカ市周辺に36基のプキオが現存し、驚くべきことにそのうちの大部分が今なお機能しており、現代の農業灌漑に使われている。1500年以上前に建設されたインフラが、21世紀の今も新鮮な水を砂漠に届けているのだ。
プキオの構造は、地表からは螺旋状の穴として見える。Googleマップで上空から見ると、砂漠に不規則に並ぶ丸い穴の列として確認できる。この螺旋状の穴は地下水路への通気口・アクセス口であり、人が螺旋階段のように降りていくことでメンテナンスが可能になっている。
地下では、アンデス山脈の伏流水を捕捉する暗渠(あんきょ)が走っている。水路の天井は、腐食に強いワランゴの木(Prosopis limensis)で補強され、床面には浸透を防ぐために粘土が敷かれている。増水時の負荷を緩和するため、開水路区間では全体が緩やかに蛇行するよう設計されている——これは2000年前の土木技術としては驚異的な配慮だ。
2016年、イタリアの環境分析方法研究所のローサ・ラサポナーラ博士は、衛星写真を用いたプキオの大規模調査結果を発表した。この研究により、プキオの漏斗状の形状が風を利用して地下の空気循環を促進し、水を効率的に集約するメカニズムを持っていることが明らかになった。つまりプキオは単なる井戸ではなく、風力を利用した地下水の揚水システムだったのだ。
ナスカ市中心部から東へ約3km、ナスカ川沿いに位置するカンターヨの送水路は、プキオの中でも特に保存状態が良い。螺旋状のアクセス穴が連なるその景観は壮観であり、観光客が螺旋階段を降りて地下水路の水流を直接確認できる数少ない場所のひとつである。入場は無料。
地上絵と地下水路の関係は、前章で触れた「地下水路マーカー説」を通じて議論されてきた。この仮説は決定的証拠を欠いているものの、ナスカ文明において水の管理が社会の最重要課題であったことは疑いない。地上絵の宗教的機能——水の神々への祈り、豊穣への願い——は、プキオという実用的インフラと表裏一体の関係にあった。ナスカの人々は祈りと工学の両方で水と対峙していたのである。
闇の儀式
——トロフィーヘッドと人身供犠
ナスカ文明には、現代人から見ると戦慄を覚える側面がある。トロフィーヘッド——敵(あるいは儀式的犠牲者)の頭蓋骨を切り取り、額に穴を開けて紐を通し、装飾品として持ち歩く慣習——は、ナスカ文化の中核的な宗教実践のひとつだった。
カワチ遺跡の発掘調査では、人間の頭部だけが大量に埋葬された場所が見つかっている。周辺からは頭部のない遺体や、人工的に作られた頭部の模像も出土した。ナスカの多彩色土器には、斬首の場面、首級を手に持つ神官、刺首された頭部が揺れるロープ——こうした不穏な図像が繰り返し描かれている。
2024年のAI調査で発見された面タイプの地上絵は、この闇の儀式と地上絵の直接的な関連を初めて可視化した。ある小道に沿って、「斬首された頭部」と「それを手に持つ人物」が繰り返し描かれていることが確認されたのだ。この小道のテーマはまさに「人身供犠」であり、小道を歩く者はその信仰体系を絵によって追体験していたと推定される。
トロフィーヘッドの目的については、「戦争の戦利品」「豊穣の儀式のための供物」「祖先崇拝の一形態」など複数の解釈がある。近年のDNA分析では、頭蓋骨の持ち主がナスカ人自身の集団に属していた例が確認されており、外部の敵の首だけでなく自集団の成員が犠牲にされた可能性も浮上している。
ナスカ文明のもうひとつの特異な慣習が、頭蓋骨の人為的変形である。乳幼児期に頭部を板や布で圧迫し、頭蓋骨を意図的に長く変形させる。この慣習はパラカス文化から受け継がれ、後のインカ帝国でも続けられた。さらに中米のマヤ文明にも同じ慣習が見られ、新大陸の広範な文化圏に共有された信仰体系の存在を示唆している。
地上絵は美しい。しかし、その背後には血と供犠の宗教があった。ナスカの地上絵を「古代のアート」として鑑賞するだけでは、その本質を見誤る。それは生と死、水と血、祈りと暴力が交差する、古代ナスカ人の宇宙観そのものだったのだ。
AIが変えた考古学
——山形大学×IBMの衝撃
2024年9月、米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された一本の論文が、考古学界を揺るがした。タイトルは「AI-accelerated Nazca survey nearly doubles the number of known figurative geoglyphs and sheds light on their purpose」——「AIによってナスカ調査が加速され、既知の具象的地上絵がほぼ倍増、その目的に光が当たった」。
論文の主著者は、山形大学人文社会科学部の坂井正人教授(文化人類学・アンデス考古学)。山形大学は2004年からペルー文化省の許可を得てナスカの地上絵の研究と保護を正式に託されており、「世界で唯一、ナスカの地上絵の研究を制度的に担う大学」として20年以上にわたる現地調査を続けてきた。
転機となったのはIBMトーマス・J・ワトソン研究所との共同研究プロジェクトである。ナスカ台地は約450km²(東京23区の約7割に相当)という広大な面積を持ち、従来の方法——航空写真を人間の目で一枚一枚確認する——では、全域の調査に途方もない時間がかかっていた。
IBMの研究者たちが開発したのは、少量のトレーニングデータでも高い検出精度を発揮する畳み込みニューラルネットワーク(CNN)モデルだった。通常のAIモデルは訓練に数万枚の画像を必要とするが、ナスカの場合、既知の地上絵はわずか430体。そこからの学習データは限られていた。IBM研究所は独自の地理空間プラットフォーム「PAIRS」を活用してデータをクリーンアップし、少量データでも機能するモデルを構築した。
①飛行機から撮影した膨大な量の航空写真をAIに入力 → ②AIがナスカ台地を格子状に分割し、各区画に「地上絵が存在する確率」をスコアリング → ③高スコアの区画を候補としてリストアップ(計1,309件) → ④考古学者が候補地を徒歩・ドローンで実地検証 → ⑤新たな地上絵を確認。平均36件の候補を精査するごとに1件の地上絵が発見された。
調査は2022年9月から2023年2月にかけて実施され、ペルー文化省の許可のもと、ナスカ台地を徒歩で踏査する形で行われた。延べ1,440労働時間を投入した地上検証の結果、303体の新しい具象的地上絵が確認された。そのうち178体はAIモデルが提案した候補から、125体は追加のフィールドワークで発見された。
AIによる発見速度は、従来の手法の16倍に達した。20年間で累積318体だった発見数が、わずか6ヶ月で303体追加されたのだ。さらに2025年7月、大阪・関西万博ペルー館で発表された追加調査では、2023年と2024年に実施された新たな現地調査によりさらに248体が発見され、具象的地上絵の総数は893体に到達した。
しかもまだ終わりではない。AIが高確率で地上絵の存在を示した候補地のうち、968箇所が未調査のまま残されている。さらにAIの推定では、小道に沿って分布する面タイプの地上絵は最終的に1,000点を超える可能性があるとされている。
この研究の最も重要な成果は、単なる発見数の増加ではない。大量の地上絵が発見されたことで、初めて統計的に有意なパターン分析が可能になったのだ。線タイプと面タイプのモチーフの違い、小道ごとのテーマの存在、分布パターンと地形の関係——これらの知見は、少数の地上絵を研究していた時代には得られなかったものである。
坂井教授は今後の展望として、LIDARデータを用いて小道を歩く際の「視覚体験」を再現するシミュレーションの開発と、地上絵沿いに分布する土器の年代測定にAIを活用する計画を発表している。文字を持たなかった文明が大地に刻んだ「メッセージ」を、AIが読み解く——その試みは、まだ始まったばかりだ。
危機と保護
——グリーンピース事件からユネスコ登録まで
ナスカの地上絵は、その繊細さゆえに常に破壊の危機にさらされてきた。たった10〜30cmの溝——赤い石を取り除いて白い地面を露出させただけの構造——は、人間の一歩で容易に損傷する。そして実際に、何度も損傷は起きている。
最も国際的な批判を浴びたのは、2014年12月のグリーンピース事件だ。国連気候変動会議(COP20)がリマで開催された期間中、国際環境NGOグリーンピースのメンバー約20人が、ナスカの地上絵のすぐ隣に巨大な黄色い布でメッセージ「TIME FOR CHANGE! THE FUTURE IS RENEWABLE(変革の時!未来は再生可能エネルギーに)」を設置した。
問題は、彼らが規制区域に許可なく侵入し、靴で地上絵周辺の地表を踏み荒らしたことである。ナスカの繊細な地表では、足跡さえ数百年残る。ペルー政府は激怒し、グリーンピースに対して法的措置を取ると宣言。グリーンピース・インターナショナルのクミ・ナイドゥ事務局長(当時)は公式に謝罪したが、ペルー国民の怒りは収まらなかった。実際に地上絵の「ハチドリ」近辺に足跡による損傷が確認され、この事件は環境保護団体が文化遺産を破壊するという深刻な矛盾を世界に露呈した。
しかし、地上絵への脅威はグリーンピースだけではない。
2018年1月、トラック運転手が規制区域にトラックを乗り入れ、地上絵3体を損傷する事件が発生した。運転手は高速道路を避けてショートカットしようとしただけだと主張したが、タイヤの跡は広範囲に及んだ。
ダカールラリーのペルー通過も、地上絵への潜在的な脅威として懸念されてきた。レース車両が砂漠を走り回ることで、未発見の地上絵が損傷される可能性がある。
そして最大の長期的脅威は気候変動である。ナスカ台地が2000年間地上絵を保存できたのは、年間降水量がほぼゼロに近いという極端な乾燥気候のおかげだ。しかし近年、エルニーニョ現象の激化に伴い、ナスカ地域でも異常降雨が増加している。2009年と2012年には記録的な大雨がナスカ周辺を襲い、地上絵の一部で浸食被害が報告された。気候変動が現在のペースで進行すれば、ナスカの地上絵は数世紀以内に判読不能になる可能性がある。
保護の歴史を振り返れば、その出発点はやはりマリア・ライヘだった。彼女が1955年に灌漑開発計画を阻止し、1976年に監視体制を構築し、1994年のユネスコ世界遺産登録を実現したことは前述の通りである。現在はペルー文化省が管理を担い、山形大学ナスカ研究所が学術面での保護と研究を担っている。展望台(ミラドール)が設置され、観光客はセスナ機でのフライトか、パンアメリカン・ハイウェイ沿いの展望塔から地上絵を見ることが推奨されている。
しかし、毎年増加する観光客と気候変動の二重の脅威に対して、現在の保護体制が十分かどうかは議論が分かれる。AIによる発見が加速し、地上絵の全体像が明らかになりつつある今こそ、保護体制もまたアップデートされなければならない。
砂漠はまだ語り終えていない
2025年現在、ナスカの地上絵をめぐる状況は、1941年にマリア・ライヘがセスナ機から台地を見下ろした時とは、根本的に異なっている。893体の具象的地上絵が確認され、さらに968箇所の未調査候補地が残されている。面タイプの地上絵の総数は最終的に1,000体を超えると推定されている。
AIは発見を加速しただけではない。大量のデータが揃ったことで、初めてナスカの地上絵を「システム」として読み解くことが可能になった。線タイプは共同体の儀礼、面タイプは小集団の情報共有。小道ごとに異なるテーマ。モチーフの分布パターン。これらすべてが指し示すのは、ナスカの地上絵が単なる絵ではなく、文字を持たない文明が創り出した、大地に刻まれた情報伝達システムだったという可能性だ。
坂井正人教授はこう指摘する——文字のなかったアンデス文明では、土器や壁、布に描かれた絵の組み合わせに、社会的に重要な情報が書き込まれている例が数多くある。ならば、1,000点を超えるナスカの地上絵の分布にも、ナスカ社会にとって重要な情報が含まれているはずだ。今後の課題は、この「情報の解読」にある。
ナスカの地上絵は、「古代のミステリー」として消費される対象ではない。それは今この瞬間も、AIと考古学者の手によって新たな知見が掘り起こされ続けている、生きた研究対象である。
マリア・ライヘは言った——「インディオたちの精神の中に入り込み、彼らのように考え、彼らのように働かなければ、答えは見つからない」。AIは彼女のほうきの代わりに砂漠をスキャンしているが、その精神は変わらない。答えを求めて、砂漠を歩き続けること。
砂漠はまだ、語り終えていない。
- Sakai, M. et al. “AI-accelerated Nazca survey nearly doubles the number of known figurative geoglyphs and sheds light on their purpose.” Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS), 2024. https://doi.org/10.1073/pnas.2407652121
- 山形大学プレスリリース「AIによってナスカ調査が加速したことで、既知の具象的な地上絵の数がほぼ倍増し、地上絵の目的が明らかになった」2024年9月24日. https://www.yamagata-u.ac.jp/jp/information/press/20240924
- 山形大学プレスリリース「ナスカ地上絵、AI支援の調査で248点新発見、具象的な地上絵の総数893点に」2025年7月28日. https://www.yamagata-u.ac.jp/jp/information/press/20250728/1/
- Reiche, Maria. Mystery on the Desert: A Study of the Ancient Figures and Strange Delineated Surfaces Seen In and From the Air Near Nazca, Peru. Stuttgart, 1949 (revised 1968).
- Reiche, Maria. Contributions to Geometry and Astronomy in Ancient Peru. Lima, 1993.
- Reinhard, Johan. The Nazca Lines: A New Perspective on their Origin and Meanings. Lima: Editorial Los Pinos, 1985.
- Aveni, Anthony F. (ed.). The Lines of Nazca. Philadelphia: American Philosophical Society, 1990.
- Hawkins, Gerald S. “The Nazca Drawings: A Replication Study.” American Philosophical Society, 1990.
- Von Däniken, Erich. Chariots of the Gods? Unsolved Mysteries of the Past. New York: G.P. Putnam’s Sons, 1968.(邦訳:『未来の記憶』角川書店)
- Lasaponara, Rosa & Masini, Nicola. “Ancient Nazca Puquios System from Space.” Journal of Archaeological Science, 2016.
- Proulx, Donald A.「ナスカの社会と文化(Nasca Society and Culture)」『世界遺産ナスカ展 地上絵の創造者たち』TBS、2006年.
- Silverman, Helaine & Proulx, Donald A. The Nasca. Blackwell Publishers, 2002.
- Wikipedia「ナスカの地上絵」https://ja.wikipedia.org/wiki/ナスカの地上絵(2026年1月24日更新版参照)
- Wikipedia “Nazca Lines” https://en.wikipedia.org/wiki/Nazca_lines(2026年3月13日更新版参照)
- Wikipedia “Maria Reiche” https://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Reiche(2026年1月26日更新版参照)
- CNN.co.jp「ナスカの地上絵、AI活用で新たに303個発見 目的めぐる謎に光」2024年10月5日. https://www.cnn.co.jp/fringe/35224566.html
- Newsweek日本版「AI技術が加速させた『ナスカ地上絵』の調査…303点の新発見」2024年9月25日. https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/09/516426.php
- 日本経済新聞「山形大学、ナスカの地上絵248点発見 大阪万博ペルー館で成果披露」2025年7月28日.
- サライ.jp「2000年前とは思えない高度な土木技術のミステリー|ナスカ文化を支えた奇跡の送水路「アクエドゥクト」」2019年11月. https://serai.jp/tour/381822
- Trowelblazers.com “Maria Reiche” 2020年7月. https://trowelblazers.com/2020/07/29/maria-reiche/
- LimaEasy “Maria Reiche (1903-1998) – Biography” https://www.limaeasy.com/peru-guide/history-of-peru/peruvian-personalities-founders/maria-reiche-1903-1998-biography
- Flashbak “Maria Reiche and the Mystery of the Nazca Lines” 2023年5月. https://flashbak.com/maria-reiche-and-the-mystery-of-the-nazca-lines-461047/
- webムー「『ナスカの地上絵』以外の謎を追う!長頭人、3本指ミイラ、恐竜の絵、熱気球…」https://web-mu.jp/history/8741/
- Atlas Obscura “Nazca Lines” https://www.atlasobscura.com/places/nazca-lines-peru
- Nazca Lines Tours “Nazca Lines Theories: The Mystery of the Geoglyphs” https://www.nazcalinestour.com/nazca-lines-theories/
- AISmiley「AI支援調査によりナスカの地上絵を新たに248点発見」2025年8月12日. https://aismiley.co.jp/ai_news/expo-2025-yamagata-nazca/

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