レンガの間にナイフの刃も入らない。接着剤が見えないのに1000年崩れないチャム塔の謎

CHAM TOWERS ・ 目地なき塔

レンガの間に
ナイフの刃も入らない。
接着剤の見えない塔、1000年

ベトナム中部に立つチャンパ王国のレンガ塔。レンガの継ぎ目にモルタルがまったく見えないのに、熱帯のスコールと台風に1000年耐えてきた。しかも焼いたレンガに直接彫刻が彫られている。どうやって造ったのか——俗説の「丸焼き説」から、樹液とすり合わせの解明劇、そしてB52の絨毯爆撃に1週間耐えた主塔の悲劇まで。

ベトナム中部
チャンパ王国(2〜19世紀)
ミーソン聖域=世界遺産
現存 約50基
製法は長年未解明
目地のないレンガ積み(模式) 図:世界ミステリー図鑑
継ぎ目の見えない赤いレンガの塔。ミーソン聖域には約70の建造物が確認された。

ベトナム中部の密林に、赤いレンガの塔が立っている。近づいてよく見ると、奇妙なことに気づく。レンガとレンガの間に、目地(モルタル)が見えないのだ。

英語圏の資料は「継ぎ目にナイフの刃すら差し込めない」と表現する。それでいて塔は、熱帯のスコールと台風に数百年から1000年以上耐えてきた。しかも壁面には、焼き上がったレンガに直接、踊り子や花の彫刻が彫られている。普通の硬いレンガに後から彫れば、割れる。

接着剤は何か。なぜ彫れるのか。この謎は考古学の長年の未解明問題で、修復が進まなかった最大の理由も「作り方が分からないから」だった。

チャンパ王国 ― 1600年続いた海の国

塔を建てたのはチャンパ王国。紀元192年、後漢末の混乱に乗じて中部ベトナムで独立した海洋交易国家で、以後およそ1600年にわたり存続した。インド文明を受け入れ、ヒンドゥー教のシヴァ神を奉じた。

聖地がミーソンだ。4世紀末、バドラヴァルマン王が自分の名とシヴァ神を合体させた「バドレーシュヴァラ」というリンガ(シヴァの象徴)を奉献したのが始まりで、以後4〜13世紀の約900年間、歴代の王が塔を建て増しし続けた。フランスの調査で約70の建造物が確認され、1999年に世界遺産に登録されている。

王国は1471年に大越の遠征で事実上滅亡し、1832年に完全併合された。だがチャム族は今もベトナム中南部に暮らし、一部の塔では今も祭祀が続いている。

悲劇も刻まれている。ベトナム戦争中の1969年8月、ミーソン一帯は米軍の絨毯爆撃を受けた。チャンパ建築の最高傑作と呼ばれた主塔A1(高さ約24m)は、1週間の絨毯爆撃でも倒れず、最後は直撃弾で完全に破壊された。現在は土台とリンガ台座が残るのみで、見学路の脇には今も爆弾のクレーターが口を開けている。1000年の風雨に耐えた塔を倒したのは、自然ではなく20世紀の戦争だった。

俗説 ― 「塔ごと丸焼きにした」説

目地が見えない理由として、地元で長く語られたのが「生レンガ焼成説」だ。日干しの生レンガを積んで塔の形を作り、塔ごと火で焼き固めた——だから継ぎ目が溶け合って見えないのだ、と。

豪快で魅力的な説だが、現在はほぼ否定されている。高さ20メートルを超える塔の内外を均一な温度で焼くことは不可能で、実際のレンガの焼きムラとも合わない。だが「丸焼き説」が長く信じられたこと自体が、この塔の継ぎ目がいかに異様かの証明でもある。

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解明 ― 樹液と「すり合わせ」の国際捜査劇

謎解きは国際共同作業になった。イタリアのレリチ財団を中心とする調査団(1997年〜、修復は2003〜2013年、伊政府出資約160万ドル)がミーソンGグループを修復する過程で、レンガの間から薄い有機物の層——樹脂を検出したと報告した。

正体の有力候補は、ベトナム中部の巨木ダウザイ(フタバガキ科)の樹脂油だ。この樹脂は強い粘着力と完全な防水性を持ち、現地の漁師が木造船の防水塗料として昔から使ってきた身近な素材である。これを粘土やレンガ粉と混ぜてごく薄く塗った——というのが現在の最有力説だ(サトウキビ汁やもち米を挙げる伝承もある。諸説あり)。

もう一つの鍵が「すり合わせ接合」である。上のレンガを、水や樹液を付けて下のレンガにこすり合わせ、微細な摩耗粉と樹脂で完全に密着させる技法だ。ポーランド・イタリア・インド・ベトナムの国際研究の最大の発見とされ、「目地が見えない」謎への現時点の答えになっている。

現在の答え
目地が見えない樹脂を挟み、レンガ同士をすり合わせて密着(薄目地すり合わせ技法)
焼成レンガに彫刻できる籾殻や藁の炭粉を10〜15%混ぜ、800〜1000度で低温焼成した軽量多孔質レンガ(2025年の分析)
苔が生えない開気孔率18〜25%で水を素早く吸って吐く。表面が乾きやすい
接着剤の正体ダウザイ樹脂が有力(サトウキビ汁・もち米説もあり、諸説あり)

2017〜2022年には、インド考古局(ASI)が約225万ドルをかけてK・H・Aグループを修復した。参加したインド人専門家は語っている。「樹脂を粉と混ぜて接着剤にした。古代チャムの職人は極めて正確で、レンガ1枚の位置すら変えられなかった」。修復中の2020年には、発掘で9世紀の一枚岩リンガまで見つかった。

皮肉 ― 直した部分だけが、先に朽ちる

この物語でいちばん考えさせられるのは、修復の皮肉だ。2000年代の修復で使われた現代のレンガは、約20年で腐食が進み、鮮やかな赤に変色してしまった。ポー・ナガル塔では修復のわずか半年後、新しい壁面が苔と塩の結晶で覆われた。

一方、1000年前のオリジナルのレンガは、今も苔をはじき、立ち続けている。1000年もった本物より、直した部分が先に朽ちる——ベトナム国内のメディアが繰り返し報じる、現在進行形の逆転現象だ。クアンナム省には、試作を重ねて古代レンガの特性の90%まで再現した窯元が一人いる。「チャムレンガの秘密を握る州でただ一人の男」と呼ばれている。

塔は廃墟だけではない。ニントゥアン省のポクロンガライ塔(13世紀末建立)は今も生きた聖地で、毎年チャム暦7月のカテ祭では、神像に衣を着せ、沐浴させる儀式が行われる。ニャチャンのポー・ナガル塔では、チャム族とベトナム人仏教徒の両方が同じ女神を拝む。塔は博物館ではなく、信仰の現役なのだ。

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結論 ― 秘密は「特別な材料」ではなく「異常な丁寧さ」だった

チャム塔の謎の答えは、失われた超技術ではなかった。地元の木の樹脂と、低温で焼いた軽いレンガと、そして1枚ずつすり合わせて密着させる、気の遠くなるような丁寧さ。材料はすべて身近にあった。誰にも真似できなかったのは、手間のほうだ。

B52の絨毯爆撃に1週間耐え、1000年の風雨をしのぎ、修復用の現代レンガより長持ちする。その強さの源が「接着剤の性能」ではなく「職人の精度」だったという結末は、どんなオーパーツ説よりも凄みがある。レンガ1枚の位置すら動かせない精密さ——それが、ナイフの刃も入らない継ぎ目の正体である。

192年
チャンパ王国が成立。海洋交易で栄える。
4世紀末
ミーソンで最初の奉献。以後900年間、塔の造営が続く。
1471年
大越の遠征で首都陥落。王国は事実上滅亡し、技術も途絶える。
1885年
フランス人カミーユ・パリが密林の廃墟を再発見(1889年説もあり)。
1969年
米軍の絨毯爆撃。最高傑作の主塔A1が破壊される。
1999年
ミーソン聖域が世界遺産に登録。
2003年〜
伊・印・越の国際修復。樹脂とすり合わせ技法がほぼ解明される。

参考資料・出典

Ha & Phan ほか (2025) “Likely Technology Making the Ancient Cham Bricks Lightweight, Carvable, and Durable.” Heritage 8(5), 173. DOI:10.3390/heritage8050173

VietnamNet (2019) “Mysteries of My Son Sanctuary unveiled through restoration.”(ASI修復・専門家証言)

Wikipedia (English) “Mỹ Sơn” “Champa”(1969年爆撃・世界遺産・王国史)

UNESCO World Heritage Centre “My Son” 修復関連ニュース(レリチ財団)

Vietnam.vn 修復レンガの劣化報道/窯元グエン・クア氏の記事

VietnamPlus / VietnamNet ポクロンガライ塔・カテ祭 / Lonely Planet / Smarthistory ポー・ナガル塔

Wikipedia (français) “Sanctuaire de Mỹ Sơn”(カミーユ・パリの再発見)

本記事は謎解きの読み物です。接着剤の正体(ダウザイ樹脂が有力、サトウキビ汁・もち米説あり)、再発見年(1885/1889年)、A1塔の高さには諸説あります。「丸焼き説」は現在ほぼ否定されています。事実確認日:2026年8月4日。

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この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

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