OPERATION
PAUL BUNYAN
1本の木を伐るために、米国は空母機動部隊・B-52爆撃機・813名の精鋭を動かした。
冷戦史上、最も奇妙で、最も危険な「木こり作戦」の全貌。
1本の木が
世界を揺らした日
序章 — 想像を絶する「木こり作戦」
想像してほしい。あなたが木を1本切り倒すために、空母機動部隊を沖に待機させ、B-52核爆撃機を朝鮮半島上空に飛ばし、800人以上の精鋭戦闘員をチェーンソーの護衛として展開した、という事態を。
これは冗談でも、小説の設定でもない。1976年8月21日、朝鮮半島の非武装地帯(DMZ)で実際に起きた出来事だ。米国とその同盟国・韓国は、一本のポプラの木を切るために、冷戦史上最も奇妙な軍事作戦を発動した。その作戦の名は「ポール・バニヤン作戦(Operation Paul Bunyan)」——アメリカの伝説的な巨大木こりにちなんで名付けられた、史上最も大規模で、最も武装された「木こり作戦」である。
3日前の8月18日、その木の枝を剪定しようとしたアメリカ軍将校2名が、北朝鮮兵士によって斧で殺された。それだけのことだった——少なくとも表面上は。しかし、その出来事は、朝鮮戦争休戦から23年が経過しても凍りついたままだった半島を再び戦争の瀬戸際まで連れて行った。
ジェラルド・フォード米国大統領はホワイトハウスで緊急会議を開き、ヘンリー・キッシンジャー国務長官は「北朝鮮の兵舎を爆撃すべきだ」と主張し、CIA長官は作戦前夜に作戦の詳細を詰めた。在韓米軍はDEFCON3(核戦争一歩手前)を発令し、ソウル近郊の橋の爆破準備が整えられ、沖縄からは1,800名の海兵隊が追加で朝鮮半島へ向かった。
そして作戦当日、16名のエンジニアがチェーンソーを手に木の前に立った。
木は42分で切り倒された。北朝鮮は150〜200名の重武装兵士を展開したが、圧倒的な力の差を前に、ただ沈黙して立ち尽くすしかなかった。木が倒れた数時間後、金日成は史上初めて、DMZでの暴力行為に対する「遺憾」を表明した。
これは、単なる木の話ではない。冷戦が生み出した世界で最も危険な地帯に生きた人々の物語であり、一国の最高指導者が「威信」と「面子」のために世界を核戦争の淵に連れて行った出来事の記録だ。そして——後に韓国大統領となる男が、若き特殊部隊員として参加していたという、驚くべき余話を持つ事件でもある。
朝鮮半島の「火薬庫」
DMZという特殊な世界1950年に勃発した朝鮮戦争は、1953年7月27日の休戦協定によって「一時停止」した。しかしこれはあくまで「休戦」であり、正式な平和条約ではない。南北朝鮮は技術的には現在も交戦状態にある——この事実は、今日においても変わらない。
休戦ラインに沿って設けられた非武装地帯(DMZ:Demilitarized Zone)は、東西に全長248キロメートル、幅4キロメートルにわたって朝鮮半島を横断する。その名前に反して、DMZは地球上で最も重武装された地帯のひとつだ。地雷が無数に埋められ、両側には銃眼を備えたコンクリートの要塞が立ち並び、重火器を携えた兵士たちが昼夜問わず睨みを利かせている。
DMZの全長は約248km。北緯38度線の前後2kmずつ、合計4kmの幅を持つ緩衝地帯。両側合わせておよそ100万個以上の地雷が埋められているとされ、皮肉なことに人間の立ち入りが極めて困難なため、絶滅危惧種を含む多様な野生動物の聖域となっている。朝鮮トラが目撃されたとの報告もある。
そのDMZの中央部に、板門店(パンムンジョム)という小さな集落がある。1951年から1953年にかけて休戦交渉が行われた場所であり、戦後は「共同警備区域(JSA:Joint Security Area)」として国連軍(主にアメリカ軍と韓国軍)と朝鮮人民軍が共同で管理する特殊地帯になった。
1953年以降も、DMZでは数えきれないほどの小規模な「事件」が繰り返されてきた。北朝鮮側による銃撃、韓国側への潜入工作、米軍哨戒隊への攻撃——これらは表向きの平和の裏で静かに続いていた。
1968年01月21日: 北朝鮮特殊部隊31名が青瓦台へ奇襲攻撃。大統領暗殺未遂。
1968年01月23日: 北朝鮮軍が公海上で米情報収集艦「プエブロ号」を拿捕。乗組員83名を約11ヶ月間人質に。
1969年04月15日: 北朝鮮戦闘機が日本海上空で米海軍のEC-121偵察機を撃墜。搭乗員31名全員死亡。
1975年04月30日: 南ベトナム崩壊、サイゴン陥落。北朝鮮は米国の「弱体化」を好機と判断。
1976年8月に入ると、北朝鮮はDMZにおける緊張を意図的に高め始めた。そしてJSAには一本のポプラの木が立っていた。「帰還せぬ橋」の近く、国連軍のチェックポイント3番(CP-3)と観測所5番(OP-5)の間に位置するその木は、夏になると葉が繁り、視界を遮るようになっていた。これが、全てを変えることになる。
木を巡る前哨戦
1976年8月18日、その朝事件が起きた日の朝、板門店の空気は8月の朝鮮半島特有の湿気と熱気を帯びていた。午前10時30分、2.5トントラックが一台、問題のポプラの木の傍らに停車した。
ニューヨーク州ニューバーグ出身。ウェストポイント卒業後、ベトナム戦争に従軍。帰国まであと1週間を残した状態での死だった。妻マーシャと3人の子供が帰りを待っていた。
サウスカロライナ州コロンビア出身。朝鮮赴任からわずか数週間しか経っていなかった若い将校。
北朝鮮人民軍のJSA警備将校。「ブルドッグ中尉」というあだ名で呼ばれていた。事件当日、攻撃前に腕時計を外してハンカチに包んだ行動が、計画的犯行の証拠とされる。
パク・チョル上級中尉は「この木は偉大なる首領・金日成同志がお植えになったものだ」と述べ剪定中止を要求した。ボニファス大尉はこれを一蹴し「続けろ」と命令した。
パクはゆっくりと腕時計を外し、丁寧に白いハンカチに包み、上着のポケットに入れた。これが、攻撃開始の合図だった。
「殺せ」
20〜30秒の地獄午前10時45分頃、パク・チョルは叫んだ。
「チュゴラ!(殺せ!)」
続く戦闘はわずか20〜30秒で終わった。しかしその短い時間の中で、二名のアメリカ人将校が死亡し、生き残った者たちには生涯消えない傷が刻まれた。
北朝鮮兵士たちは、剪定用の斧を奪い、クロウバーと棍棒とともに国連軍へと突進した。ボニファス大尉は後ろから少なくとも5名の北朝鮮兵士に組み倒され、繰り返し叩かれた。バレット中尉は近くの窪地に追い込まれ、約90分間にわたって交代で斧を持った兵士たちに攻撃され続けた。
バレット中尉は搬送中に死亡した。ボニファス大尉はその場で既に死亡していた。
「チームが現場から引き揚げて人数を確認した時、ボニファス大尉とバレット中尉がいないことに気づいた。その瞬間の、あの底なしの恐怖を、私は生涯忘れない」
— 事件生存者の証言 / 米陸軍記念式典(2017年)ホワイトハウスに届いたチェーンソー
フォード大統領の決断と作戦立案フォードにとってこの事件は、個人的な政治的危機でもあった。ちょうど1週間後に共和党全国大会が控えており、レーガンとの指名争いを戦っていた。そのような状況での北朝鮮による米軍将校の公然殺害——絶対に弱腰を見せられない場面だった。
オプションA: 外交ルート — 事前に北朝鮮に通告し、国際的監視のもと木を剪定
オプションB: 最大兵力での無通告実力行使 — 警告なしに圧倒的兵力で木を伐採
オプションC: 軍事報復 — 北朝鮮の軍事施設への砲撃・ロケット攻撃
フォードが最終承認したのはオプションB(+B-52フライオーバーと空母機動部隊展開)。
フォードの判断は「圧倒的な武力を見せつけながら、しかし直接の軍事衝突は避ける」という方針だった。作戦名「ポール・バニヤン」——アメリカの伝説的な巨大木こりにちなんだ名が決まった。
8月20日夜から21日未明にかけて、B-52爆撃機がグアムから離陸し、空母USSミッドウェー(CV-41)が沿岸に向かって機首を変え、沖縄からは1,800名の海兵隊員が出動準備に入った。作戦開始時刻:1976年8月21日午前7時00分。
ポール・バニヤン作戦 全詳細
史上最も武装された「木こり作戦」の全容813名の兵士、27機のヘリコプター、B-52爆撃機部隊、F-4ファントム、F-111爆撃機、空母USSミッドウェー機動部隊——これ全ての中心にいたのは、16名のエンジニアとチェーンソーだった。
「護衛」として参加した韓国陸軍第1特殊部隊旅団の64名は、表向きは「拳銃と斧の柄のみ」で武装していた。しかし車が停車した瞬間、荷台のサンドバッグを外に放り投げると——M16ライフル、M60機関銃、M79グレネードランチャーが現れた。さらに数名の特殊部隊員は、シャツを開いてM18クレイモア地雷を胸に縛り付けていることを露わにし、北朝鮮兵士たちに向かって「来い!渡ってみろ!」と叫んだ。
AH-1コブラ攻撃ヘリコプター7機と20機のUH-1がJSAの南側上空を旋回。
F-4ファントムII、韓国空軍のF-5とF-86が視認できる高度を飛行し威圧効果を演出。
B-52ストラトフォートレス(グアム発)が黄海を北上し、平壌へのベクターを取りながら朝鮮半島上空を飛行。
空母USSミッドウェー(CV-41)機動部隊が展開。艦上には40機以上の搭載機が発艦準備を整えた。
42分間の戦慄
1976年8月21日 07:00 — 作戦実行23台の車列が、北朝鮮に事前通告なくJSAに進入。その時間、北朝鮮のJSA観測所には兵士がたった1名だけ詰めていた。
作戦開始から5分後、UNCは北朝鮮側に「1976年8月18日に未完了となった作業を平和的に終わらせるため入った」と通知。
チェーンソーのエンジンが始動し、ポプラの木への最初の刃が入った。13台のチェーンソーがフル回転。
北朝鮮は150〜200名の重武装兵士を急行させた。しかし地平線に現れたヘリコプターと戦闘機の群れを前に、バスから降りられなかった。
木は倒された。スティルウェル大将の予測「45分」より3分早い42分での完了。高さ約6メートルの切り株が意図的に残された。
「展開した兵力の規模は、彼らの頭を吹っ飛ばした(blew their fucking minds)」
— 北朝鮮戦術無線を傍受していた米軍情報分析官 / Don Oberdorfer著『The Two Koreas』より金日成の「遺憾」
朝鮮半島初の公式謝罪と、その歴史的意味「板門店の共同警備区域においてこのような事件が発生したことは遺憾である。今後このような事件が再発しないよう努力しなければならない。そのためには双方が努力すべきである」
— 金日成(朝鮮民主主義人民共和国国家主席)、1976年8月21日
これは1953年の朝鮮戦争休戦以来、北朝鮮がDMZにおける暴力行為に対して責任を認めた最初の事例だった。ポール・バニヤン作戦の示した圧倒的な戦力があったからこそ——というのが米国側の一致した見解だった。
JSAはこの後、MDLに沿って物理的に分割された。今日、板門店を訪れる観光客が見る「両側から睨み合う兵士」の風景は、ポール・バニヤン作戦後に設置されたものだ。
余談と秘話
大統領になった特殊部隊員、スワッガースティック、そして核の傘1976年8月21日、23歳の文在寅は韓国陸軍第1特殊部隊旅団の一員として、ポール・バニヤン作戦に参加していた。それから41年後の2017年、文在寅は韓国大統領に選出された。対北朝鮮政策では「対話」を重視し2018年の南北首脳会談を主導した人物が、かつてクレイモア地雷を携えた特殊部隊員として北朝鮮兵士と対峙していたというのは、歴史の深い皮肉だ。
切り倒されたポプラの木材の一部は、在韓米陸軍第8軍司令官のスワッガースティック(指揮杖)として生まれ変わり、以後の司令官に儀式的に引き継がれた——「DMZの危険を常に意識せよ」という教訓を引き継ぐ儀式として。
後の研究者たちはポール・バニヤン作戦を「朝鮮半島における最後の平時核危機」と呼んでいる。ノーティラス研究所の分析では「あの3日間、朝鮮半島は1953年の休戦協定締結以来、最も核戦争に近い状態にあった」と評価されている。
木の後に残ったもの
遺産と、今日も続く緊張ポプラの切り株は1987年まで残された。11年間、それは「帰還せぬ橋」のそばに立ち、二人の将校の死を証言し続けた。1987年、切り株は撤去され、代わりに真鍮のプレートを刻んだ石造りの記念碑が設置された。
国連軍は毎年8月18日、この記念碑の前で式典を執り行っている。ポール・バニヤン作戦は今日、軍事戦略家の間で「抑止力の劇場(Deterrence Theatre)」の古典的事例として研究されている。
「アート(ボニファス)をよく知る全員が感じた衝撃を、私は今でも覚えている。くだらない木のせいで、北朝鮮の臆病者どもに殺された——という、全国民が感じた怒りとともに」
— ボブ・ハモンド(ボニファスの同期、ウェストポイント第A1中隊同窓)1976年以降、北朝鮮がDMZでアメリカ人を直接殺害することは一度も起きていない。あの朝に示された「覚悟」は、半世紀近くを経た今も、朝鮮半島の均衡の一部として生きている。
出典一覧
参考文献・資料[01] Wikipedia: “Korean axe murder incident” — https://en.wikipedia.org/wiki/Korean_axe_murder_incident
[02] Oberdorfer, Don. The Two Koreas: A Contemporary History. Basic Books, 1997.
[03] DVIDS: “Operation Paul Bunyan” — https://www.dvidshub.net/news/351275/operation-paul-bunyan
[04] Atavist Magazine: “Axes of Evil” (2018) — https://magazine.atavist.com/
[05] ADST: “An Axe Murder Triggers a Standoff in Korea’s DMZ, 1976” — https://adst.org/
[06] GlobalSecurity.org: “Operation Paul Bunyan” — https://www.globalsecurity.org/
[07] Nautilus Institute: “THE AUGUST 1976 INCIDENT REVISITED” (2018)
[08] BBC News: “The DMZ ‘gardening job’ that almost sparked a war” (2019) — https://www.bbc.com/
[09] Stars and Stripes: “DMZ ceremony marks 45th anniversary of American soldiers’ axe slaying” (2021)

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