三十人が消えたと語られ中国のバミューダと呼ばれる谷、黒竹溝の謎

三十人が消えたと語られ中国のバミューダと呼ばれる谷、黒竹溝の謎

山神は人の声を嫌い、怒ると毒の霧を吐く。谷へ入った敗残兵三十人は誰も戻らなかった、と語られている。四川省の山奥、黒竹溝。年に三百二十日霧がかかるこの谷では、コンパスの針までが二十度狂う。

霧に包まれた峨眉山の森

Colin W / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

人を消すのは谷か、それとも語りか

黒竹溝は中国四川省楽山市の峨辺彝族自治県にある山地の谷で、国家級自然保護区になっている。1950年に三十人、1966年と1976年に各三人が消えたという話で「中国のバミューダ」と呼ばれ、彝語の旧名は死亡の谷を意味すると紹介される。2014年には実際に登山者の遭難が起き、地磁気の調査で最大約20度のコンパスの偏りも測られた。古い失踪には氏名も日付も記録が見当たらず、2026年の公告は無許可の立入を禁じている。

主な疑問

  1. 三十人の兵士は本当に谷へ消えたのか
  2. 霧と磁場は、人をどこまで迷わせるのか
  3. なぜこの谷は「死亡の谷」と呼ばれるようになったのか
場所
四川省楽山市 峨辺彝族自治県
保護区
2万9643ヘクタール、高低差約3000メートル
霧
年間320日(詳細計画の記載)
立入
2026年の公告で無許可の入域を禁止

毒の霧を吐く山神と、死亡の谷

谷の入口に石門関という場所がある。そこに山神の摩朗がいて、人や犬の声に怒ると毒の霧を吐くという話が広く紹介されている。だから声を立ててはいけない。霧が立ったら進んではいけない。彝語の旧名「斯豁」は「死亡の谷」を意味する、とも語られてきた。急に霧が立つ山に、人々は神の名で境界を引いたのである。

この谷の名が全国に知られるようになったのは1990年代以降である。「中国のバミューダ」という呼び名は探検番組と観光宣伝によく合った。遠い地球の裏の魔の海と同じ緯度にある、という話も付いた。もっとも保護区の座標は北緯28度台が中心で、「北緯30度の魔の帯」は丸めて作られた物語に近い。

谷の話には、彝族の土地に漢族の探検者が入っていく構図もある。山神の話を信じるなら、谷は神の領分である。外から来た兵士や測量隊や調査隊が消える話は、境界を越えた者への戒めのようにも聞こえる。語る側が誰であれ、人々は谷の奥に入らないための言葉を持っていた。

四川省の峨辺県の位置図
四川省の中の峨辺彝族自治県の位置。黒竹溝は県の南西の小涼山の山地にある。Croquant / Wikimedia Commons / CC BY 3.0画像を拡大

黒竹溝は成都から約246キロ、峨辺の県城からも約63キロ離れる。山地の高低差は約3000メートルで、低地の年平均気温が16度前後でも高い所は氷点下3〜4度になる。短い距離の中に亜熱帯から亜寒帯までが積み重なった場所である。谷そのものの写真は、保護区の立入規制もあり、自由に使えるものがほとんどない。この記事の山の写真は周辺の峨辺と峨眉山のものである。

峨辺の双河村と高速道路
峨辺の双河村。谷へ入る前にも山の交通が長く続く。黒竹溝そのものの写真でない。MNXANL / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大
峨辺を流れる大渡河
峨辺を流れる大渡河。県が急な河谷と山地の接点にあることを示す。aldamlee / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0画像を拡大
峨辺の大渡河橋
峨辺の大渡河の橋。この奥に黒竹溝の山々が続く。Liuxingy / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大
大渡河のダムと町
大渡河のダムと町。周辺の地形を伝える写真である。MNXANL / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大

消えた三十人、三人、三人

最も大きく語られるのは1950年の話である。国共内戦の末期、胡宗南配下の残部三十人余りが黒竹溝へ入り、一人も生還しなかったという。西昌へ退く軍の話として、大きな歴史の流れに無理なく収まる。2016年の中国新聞社の記事は、景区管理委員会の主任の説明としてこの数字を載せている。

次に語られるのは1966年の話である。人民解放軍の測量隊から食料の調達に出た三人の兵士が消えた。1976年には四川省の森林調査隊員三人が消えたという。県を挙げて捜索し、数か月後に三人の骨が見つかったと書く記事もある。どれも読む者の背筋を冷やす。霧の谷へ入った者が、声も残さず消えるのである。

敗残兵たちの話は想像をかき立てる。追われて山へ逃げ込み、霧に巻かれ、飢えて、帰る道を失う。彼らがどこまで奥へ進んだのか、誰も語れない。国共内戦の末期には、西昌へ退く軍が実際に南西の山へ入っている。大きな歴史の流れの中に、名もない小さな部隊が飲み込まれた話として、これほど収まりのよい話もない。

30

人余り。1950年の敗残兵

3

人。1966年の測量兵

3

人。1976年の森林調査員

記録を探すと、古い三件には同じ穴が開いている。1950年の話に部隊名、指揮官名、入山日、捜索主体、遺留品は示されない。1966年の話に部隊番号も氏名もなく、別の紹介文では年が1995年、人数が2人に変わる例さえある。1976年の話も、媒体によって骨の発見が加わったり消えたりする。十本の記事が一人の後年の証言を引いているなら、独立した証拠は一つである。

だから史実でないと断定できるわけでもない。山の中の出来事は残りにくく、当時の軍や林業の記録が公開されていないだけかもしれない。名簿が一枚出てくれば話は変わる。伝説として語り継がれる話と、資料で追える話を分けておくことが、謎を守る方法にもなる。

峨眉山の森の木道
峨眉山の森の木道。黒竹溝の近隣の湿潤な森である。George N / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大
赤い岩と竹の山道
赤い岩と竹の山道。四川の山地ではこうした道が谷の奥へ続く。David Stanley / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大

戻ってきた二十四人と、戻らなかった鳩

紹介文には逆の話も現れる。1991年、林業関係者7人と作業員17人の合計24人が霧の中で方向を失い、約20時間後に全員が無事に戻ったという。原記録には遡れないが、もし本当なら谷が人を選んで消すというより、濃霧と地形が大人数の専門家さえ迷わせることを語っている。ただ無事に戻った話は、死者の話ほど繰り返されない。

磁場で鳥が帰れなくなるという説明は魅力的である。ただ鳩の帰巣地も、個体識別も、天候も示されていない。戻らなかったことは事実かもしれないが、原因を地磁気に絞ることはできない。谷の評判は、こうして一つまた一つと小さな話を吸い込み、大きくなっていった。

2007年には、テレビ番組の撮影で4羽の伝書鳩を放し、7日後も戻らなかったという話が報道に載った。動物までが方向を失う谷。印象の強い話だが、訓練歴も放した地点も天候も示されていない。捕食の可能性もある。

2016年には、黒竹溝で失踪したと家族が届け出て大規模な捜索が行われた後、本人が意図的に連絡を絶っていたと分かり、景区側が約6.3万元の費用を請求した。魔の谷の評判は、危険を警告するだけでなく、自分で謎を試したい人や失踪を演出する人まで呼び込んだ。

四川の谷の渓流
四川の谷の渓流。雨の多い山では、水音が人の声を消す。David Stanley / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大
雲海に立つ峨眉山の断崖

雲の下の谷へ

尾根を一つ越えれば、もう方角が分からない。

雲海に立つ峨眉山の断崖。黒竹溝の北東の山で、同じ四川盆地の縁の空気を伝える。George N / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大

2014年8月、五人のルートが二つに割れた

古い三件と違い、2014年の遭難は時間を追える。インターネットで知り合った5人が黒竹溝へ入った。8月20日、行動中に3人と2人へ分かれる。2人は下山したが、残る3人が戻らない。通報は同行者が帰宅してからで、入山から数日が過ぎていた。

捜索隊は林場、谷、尾根を複数の経路から調べた。9月には腕時計とズボンが見つかり、時計の日付は8月24日で止まっていたと報じられた。10月までに二人の遺体が確認されたが、隊を募った一人の行方は、2016年の追跡報道でも分からないままだった。

四川の山の滝
四川の山の滝。遠くの谷筋へ下りれば、戻るのに大きな体力が要る。David Stanley / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大

失踪した三人と下山した二人は、ネットで集まった即席の集団だったと報じられている。互いの体力も判断の基準も共有していない集団では、速度の差が生まれたとき待つか引き返すか分かれるかが揃いにくい。別れた後の仲間がどこへ向かうつもりだったのかを、下山した側が正しく説明できなければ、探す範囲は一気に広がる。

尾根の反対側へ越えただけで行政区や流域が変わる。最後の確かな位置が弱いと、考えなければならない移動先は線でなく面に広がる。時計が止まった理由も電池か衝撃か浸水か分からず、そのまま死亡の時刻とは言えない。物が一つ出るたびに物語を完成させたくなる気持ちを、この谷は試してくる。

ここには突然人を飲み込む瞬間は見えない。初対面の集団、未開放の区域、分離、通報の遅れ、限られた通信、膨大な捜索面積、急な斜面。だが、それでもなお一人が見つからない。見つからないことを超常と呼ぶ必要はないが、未解決は未解決のまま残る。

  1. 1950年
    三十人の話国民党の残部が消えたと語られる。
  2. 1966年
    三人の測量兵食料調達の兵士が消えたと語られる。
  3. 1976年
    森林調査員三人の失踪と骨の話が語られる。
  4. 1991年
    二十四人霧で迷い約20時間後に全員生還と紹介される。
  5. 2007年
    伝書鳩4羽が7日後も戻らなかったと報じられる。
  6. 2014年
    現実の遭難5人が割れ、3人が戻らない。
  7. 2016年
    地磁気の発表1443地点の調査結果が公表される。
  8. 2016年
    偽の失踪捜索費用が請求される。
  9. 2026年
    立入の公告無許可の入域が禁じられる。

霧は毒でなく、方向と距離を奪う

黒竹溝の詳細計画の説明書は、年平均相対湿度を85パーセント以上、霧の日を年間320日と記す。定義の確認は要るが、計画を作る側が霧を日常の条件として扱っていることは重い。湿った空気が谷に入り、斜面で持ち上げられて冷える。尾根と谷を雲が行き来する。晴れていた目印が数分で消えれば、同じ方向へ進んでいるという感覚は失われる。

霧そのものが人を倒す必要はない。視距離を縮め、分岐を見落とさせ、濡れた斜面を隠し、気温の低下を隠すだけで足りる。山神が毒の霧を吐くという話は、この危うさを知っていた人々の言葉だったのかもしれない。声を立てるなという禁忌も、音で方向を確かめられない霧の中では別の意味を帯びてくる。

霧の中の峨眉山の森と寺
霧の中の峨眉山の森と寺。視界が急に変わる四川盆地の縁の山である。George N / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大
雲の湧く峨眉山の崖
雲の湧く峨眉山の崖。黒竹溝の現地でないが、同じ空気を伝える。pookieevans / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0画像を拡大

コンパスは本当に狂う

それまで「コンパスが狂う」は探検談の一部だった。測点、異常帯、ナノテスラ、玄武岩という言葉が加わると、怪談は消えず、科学の数字をまとった新しい形へ変わった。「迷都解密」という見出しも現れたが、解けたのはコンパスが偏る地質の理由である。超常と科学は、一つの観光の物語の中に並ぶことになった。

2014年から約2年をかけた調査について、新華社は地上1443地点、575平方キロの測定と航空磁気資料の整理が行われたと報じた。目立つ異常帯は二つある。保護区北部の馬鞍山から石門関へ東西に延びるものと、景区西部の馬鞍山から南北に延びるものである。山神がいると語られた石門関の名がここに現れる。

異常の幅は多くの地点で約500ナノテスラ、局所的に数千ナノテスラ、露出した玄武岩の近くで1万ナノテスラ級の例があり、コンパスは最大約20度偏ったという。探検談の一部だった「針が狂う」に、測定の数字が付いたのである。ただし偏りは谷全体で一様でなく、GPSや地形図と併せれば補正もできる。

20度は無視できない。長い距離をコンパスだけで進めば、誤差は横へ広がる。霧の中で太陽も尾根も見えなければ、針だけが頼りになる。その針が数百ナノテスラから1万ナノテスラの幅で揺れる場所では、昔の測量隊や兵士が道を失っても不思議でない。もし古い失踪が本当なら、彼らの手にGPSはなかった。

磁場が人を失神させるという話も出回っているが、公開された報告が示したのは岩石と磁場の分布、コンパスの偏りで、人の急な症状を示す臨床データはない。調査に参加した専門家派遣の記事には、観光開発の資源として活用する需要があったとも書かれている。解けたのは一部の地域で針が偏る地質の理由で、誰がどこで消えたかではない。

方位磁針
方位磁針。偏りのある場所では、示す北と地図の進行方向を補正しなければならない。Gabriel Fredrick Sindahnai / Wikimedia Commons / CC BY 4.0画像を拡大
水に浮かべた縫い針の磁針
水に浮かべた縫い針の磁針。単純な道具ほど、岩の磁気に素直に従う。作者不詳 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0画像を拡大

測られたこと

2016年までの公開報道

  1. 地上1443地点
  2. 二つの異常帯
  3. 局所で1万ナノテスラ級
  4. コンパスの偏り最大約20度

測れないこと

磁気測量の外にある問い

  1. 古い失踪が史実か
  2. 2014年の最後の一人の行方
  3. 遭難への寄与の割合
  4. 人体への影響

山神を語った人々

語られる物語がいつ、誰によって、どの彝族の共同体から採られたのかは、まだ十分に確かめられていない。「斯豁」の語源も言語学の資料まで遡って確認できず、観光や報道の記事が同じ訳を繰り返している。急に霧が立つ場所へ立入の禁忌を与える物語は、危険な地形に引かれた社会の境界として働きうる。迷信として退けるのは簡単だが、それも正確でない。

1990年代以降に広まった呼び名の裏で、地元の人々がどう谷を呼び、どう語ってきたのかは十分に記録されていない。石門関の山神の話も、いつの誰の語りなのかを確かめる必要がある。個別の伝承を一つの「彝族文化」へまとめてしまえば、話した人々の顔が消える。谷の謎には、語り手を探すという別の謎も重なっている。

彝語の呪いの経文
彝語の呪いの経文。四川省博物館の所蔵で、黒竹溝の伝説を記した資料でない。Daderot / Wikimedia Commons / CC0 1.0画像を拡大
彝族の竹の矢筒
彝族の竹の矢筒。山で暮らした人々の持ち物である。Daderot / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大
ノス語の分布図
ノス語の分布図。彝語北部の言葉が話された地域を示す。Ubs6u!d-pongsakorn / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大

霧の中で山に呑まれた人の話は、語り手が替わるたびに形を変えただろう。数字は記憶に残り、物語を完成させる。「約30人」「3人」「3か月後」という細かさは、確かさに見えて、語りの力でもある。地元の伝承、実際の遭難、科学調査、観光の名前が互いを補強して、この谷の評判を作り上げた。

死の場所である前に、命の避難所

峨辺県政府は、黒竹溝にジャイアントパンダ、ターキン、ウンピョウ、レッサーパンダなどが分布し、標高1600〜2700メートルにハンカチノキが見られると説明する。野人の噂まで語られる谷は、科学の目で見れば貴重な生き物が残る森である。人の利用が少なく、植生が濃く、地形と気候の差が大きい。原始の森の気配は、何かが潜む証拠としても語られるが、確認されている多様な種こそが立入規制の理由になっている。

標高によって植物が変わり、高山のシャクナゲが花を開く。四川山鷓鴣のような希少な鳥もいるとされる。観光の語りはこの原始性を、何かが潜んでいる証拠として使いたがる。だが野生動物の目撃、足跡、鳴き声には生物学の同定と位置の情報が要る。伝承を消す必要はないが、それを遭難の原因にするには別の証拠がいる。

竹林のジャイアントパンダ
竹林のジャイアントパンダ。秦嶺で撮られた写真で、黒竹溝の個体でない。no rights reserved / Wikimedia Commons / CC0 1.0画像を拡大
レッサーパンダ
レッサーパンダ。黒竹溝で公表される保護動物の比較の写真である。Shiv’s fotografia / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大
ハンカチノキの花
ハンカチノキの花。公表されている主要な保護植物の一つである。Myrabella / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大
ハンカチノキの木
ハンカチノキの木。白い苞が幽霊のように揺れるので、英語でゴーストツリーとも呼ばれる。Flocci Nivis / Wikimedia Commons / CC BY 4.0画像を拡大
四川ターキンの親子
四川ターキンの群れ。飼育施設で撮られた比較の写真である。GodeNehler / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大
四川ターキンの母子
ターキンの母子。GodeNehler / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大

四つの読みと、閉ざされた谷

2026年、峨辺彝族自治県政府は自然保護区と風景名勝区で、承認のない観光、徒歩縦走、野営、撮影を禁止すると公告した。違法な核心区への侵入には罰金と生態修復の責任がありうる。科学が全部を解いたから安全になったという結論でない。霧は出る。未開放の区域は広い。2014年の死は消えない。

承認を受けない観光、徒歩縦走、野営、撮影を禁じる。
— 峨辺彝族自治県政府の公告、2026年の趣旨(編集部要約)

山神と毒の霧

根拠・背景

霧の中で迷う恐れと、入ってはいけないという禁忌を語る。

問題点

採録の出どころが不明で、毒を示す測定もない。

地磁気の異常

根拠・背景

コンパスの偏りと探検談に合う。

問題点

局所的で、失踪の人数や遺体の不明を説明しない。

霧と地形の連鎖

根拠・背景

2014年の遭難と1991年の生還の話をよく説明する。

問題点

古い三件の史実性までは確かめられない。

語りが作った谷

根拠・背景

数字の揺れと同じ引用源の循環を説明する。

問題点

2014年の最後の一人は語りでは消えない。

霧が視界を奪い、濡れた植生が足場を隠し、谷と尾根の反復が現在地の推定を狂わせる。誤った支谷へ下りれば元の稜線へ戻る体力が要る。どれも単独ならありふれた山の危険だが、同時に起きると人の位置はたちまち不確かになる。そこへ針の偏りが一押しする。

規制は谷が超常的だから設けられたのでない。希少な生態系を守り、捜索する側を危険へさらし公共の費用を使う無許可の入山を減らすためである。一方で、立入を禁じたことが谷の神秘を深めるのも確かだろう。入れない谷には、語りだけが入っていく。

四川の竹林の滝
四川の竹林の滝。山の奥には、まだ誰も確かめていない場所が多く残る。David Stanley / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大

最後の一人がどこへ向かったのか。三十人の兵士の名簿はどこかにあるのか。山神の話はいつ誰が語り始めたのか。谷は今、境界の内側に閉ざされている。好奇心は境界を越える免許にならない。だから霧の向こうの問いは、もうしばらく霧の向こうにある。

研究と解釈

古い三件の失踪は後年の説明に現れ、原記録は確認されていない。2014年の遭難には捜索と遺体がある。局所的なコンパスの偏りは測定された。2026年の公告が無許可の入域を禁じている。

峨辺県政府の公告と案内、国家林業草原局の保護区資料、中国新聞社・新華社・人民網・澎湃新聞の報道、黒竹溝の詳細計画、四川統一戦線の記事。

霧と地形が方向を奪い、磁気の異常が迷いを増やし、評判が危険な入山を呼ぶ循環と読むのが最も無理がない。

生データと古い名簿には届いていない。原資料が出れば、古い三件の扱いは変わる可能性がある。

三つの問いの、今のところ

  • 1

    三十人の兵士は本当に谷へ消えたのか

    語りの輪郭はあるが、部隊名も氏名も確認できていない。否定もできず、肯定もできない話として残っている。

  • 2

    霧と磁場は、人をどこまで迷わせるのか

    霧は確かに視界を奪い、針は局所的に偏る。だが遭難のどこまでが磁気の影響かは測れていない。

  • 3

    なぜこの谷は「死亡の谷」と呼ばれるようになったのか

    危険な地形に引かれた禁忌と、1990年代以降の観光の呼び名が重なったのだろう。語源はまだ確かめられていない。

峨秀湖から見た峨眉山

三十人の名は、まだどの紙にも見つかっていない。

霧は今年も三百二十日、谷を覆うのだろう。

語られた谷と測られた谷のあいだに、一人の行方だけが残っている。

书剑飘零 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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この記事を書いた人

世界各地の遺跡や不思議な出来事、伝説を紹介しています。公開資料や研究論文、博物館の解説などを読み比べながら記事を書き、写真の確認や公開後の訂正も一人で行っています。

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