アフ・トンガリキに並ぶ15体のモアイ像と朝の空

ロンゴロンゴイースター島の木板に刻まれた、誰も読めない1万5千の記号

読み方を知っていた人びとは、記録される前に島から消えた。残ったのは世界に26点の木片だけである。

これは文字なのか。それとも、朗誦を助けるための記憶装置にすぎないのか。160年たっても、その一点すら決着していない。

写真:Voltamix/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

この記事の概要

南太平洋のラパ・ヌイ(イースター島)には、記号を彫り込んだ木の板があった。1864年に上陸した宣教師は「どの家にもある」と書いている。だが、その2年前に起きた奴隷狩りで、板を読み書きできる階層はすでに島から連れ去られていた。現存するのは26点、記号の総数は1万5千を超える。2024年の放射性炭素年代測定は、そのうち1点の木が1493年から1509年のあいだに伐採されたことを示した。ヨーロッパ人がこの島に到達する200年以上前である。

この主題の三つの謎

  1. ロンゴロンゴは言語を記録する文字なのか、朗誦の記憶装置なのか
  2. 記号はいくつあるのか。52とも120とも600とも数えられている
  3. ヨーロッパ人を見る前に生まれたのか、見たあとに生まれたのか

所在
ラパ・ヌイ(チリ領イースター島)。現物は26点すべて島外
記録
1864年、修道士ウジェーヌ・エローによる最初の報告
現存
26点。記号の総数1万5千以上。最長はサンティアゴの杖(約126センチ)
素材
トキワハマボウが中心。ほかに南アフリカ産イヌマキ、ヨーロッパ船のトネリコ材
書字方向
逆牛耕式。左下隅から始まり、一行ごとに板を180度回転させる
解読状況
未解読。合意されているのはマハリ板の「暦」部分の構造のみ
目次

島に残された「話す板」

最初に気づいたのは、島に住みついた一人のフランス人修道士だった。

1864年、イースター島のほとんどすべての家に、記号を彫り込んだ木の板や杖があった。住人はそれを歌うように読み上げてみせた。

ラパ・ヌイ(イースター島)は、南太平洋のほぼ中央にある。もっとも近い有人島まで約2,000キロ、南米大陸までは約3,700キロ。地球上でもっとも孤立した居住地のひとつである。

1864年1月、フランス人修道士ウジェーヌ・エローが、この島に定住した最初の外国人として上陸した。彼は島に9か月ほど滞在し、のちにこう書き残している──島のほとんどすべての家に、記号を彫り込んだ木の板や杖がある、と。島の人びとはそれを コハウ・ロンゴロンゴ(kohau rongorongo/「朗誦する板」の意とされる)と呼んだ。

修道士ウジェーヌ・エローの肖像写真
ウジェーヌ・エロー(1820–1868)。1864年、島に定住した最初の外国人として木板の存在を記録した。Wikimedia Commons / パブリックドメイン
タヒチ初代司教フロランタン・エティエンヌ・ジョーセンの肖像
タヒチ初代司教フロランタン・エティエンヌ(テパノ)・ジョーセン。板を受け取り、収集と「翻訳者」探しを命じた。Wikimedia Commons / パブリックドメイン

エローの報告は、すぐには注目されなかった。事態が動いたのは1869年である。タヒチの初代司教テパノ・ジョーセンのもとに、改宗したラパ・ヌイの人びとから贈り物が届いた。人毛を編んだ長い紐が、一枚の木板に巻きつけてあった。紐が主で、板は糸巻き代わりだったのだ。

ジョーセンは紐ではなく板に驚いた。彼はただちに島にいたイポリット・ルーセル神父に手紙を書き、板をすべて集めること、そして読める人間を探すことを求めた。しかし届いた板はわずかで、しかも「読める」と称する島民たちの朗誦は、同じ板を前にしても食い違った。

1914年頃のハンガロア村。草葺きの家々と教会、背後にラノ・カウ火山
1914年頃のハンガロア村。奥に見えるのがラノ・カウ火山。キャサリン・ラウトレッジ探検隊の記録写真より。『The Mystery of Easter Island』(1919) / パブリックドメイン

ジョーセンが頼ったのは、タヒチで農園労働者として働いていたラパ・ヌイ出身の男性、メトロ・タウア・ウレだった。メトロは板を手に取り、節をつけて延々と朗誦してみせた。ジョーセンはその音を書き取り、記号と単語を対応させた一覧表を作った。これが「ジョーセン・リスト」である。

ところが後世の研究者がこのリストを検証すると、深刻な問題が見つかった。メトロは板を回転させながら読んでおり、同じ記号に別の場面で別の語を当て、記号の数と発話された語の数が対応していない。彼は文字を読んでいたのではなく、記号を見て連想した内容を即興で語っていた可能性が高い、と今日では考えられている。

板を読める者はもう誰もいない。歌える者はいるが、それは記憶であって、読解ではない。

1914–15年、キャサリン・ラウトレッジ探検隊が島で得た証言の要旨

教会の前に集まったラパ・ヌイの人びとの集合写真
教会前に集まったラパ・ヌイの人びと。1914–15年のマナ探検隊が撮影。この世代には、すでに板を「読める」者はいなかった。『The Mystery of Easter Island』(1919) / パブリックドメイン
ロンゴロンゴ・テキストB「アルク・クレンガ」表面全景。横長の板に何行もの記号列
テキストB「アルク・クレンガ」表面。板の全長にわたって溝が彫られ、その底に記号が並ぶ。ローマの聖心会本部が所蔵。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

現存26点、世界に散った木片

島に一点も残らなかったという事実が、この文字の運命を物語っている。

今日、本物と認められているロンゴロンゴのテキストは26点しかない。刻まれた記号の総数は1万5千を超えるが、そのうち大半は数点の大きな板に集中している。残りは掌に載るほどの破片や、胸飾り、杖である。

26点はすべて島の外にある。ローマ、サンティアゴ、ロンドン、ウィーン、サンクトペテルブルク、ベルリン、ホノルル、ワシントン、ニューヨーク、パリ、そしてタヒチ。1860年代から70年代にかけて宣教師・船員・領事らが持ち出したものだ。

ロンゴロンゴ・テキストA「タフア」a面の中央部分。横長の板に細かな記号が並ぶ
テキストA「タフア」a面(中央部)。ヨーロッパ船のトネリコ製オールの水掻き部分を加工したものと判明している。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
ロンゴロンゴ・テキストA「タフア」b面の中央部分
同じくタフアのb面。表裏の両面に、溝を彫ってその中に記号を並べる方式が徹底されている。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
記号 通称 所蔵地 特徴
A タフア ローマ ヨーロッパ製オールの転用。セイヨウトネリコ材
B アルク・クレンガ ローマ 両面に緻密な彫り。ローマ所蔵の代表作
C マハリ ローマ 約29センチ。唯一「暦」と合意された行を含む
D エシャンクレ パペーテ(タヒチ) 1869年、人毛の紐の糸巻きとして渡った板
G・H 小/大サンティアゴ板 サンティアゴ Gには系譜と推定される一節がある
I サンティアゴの杖 サンティアゴ 長さ約126センチ。最長かつ唯一「区切り記号」を持つ
J・L 大/小レイミロ ロンドン 板ではなく三日月形の胸飾り
K ロンドン板 ロンドン 他テキストと並行する文を含む
M・N 大/小ウィーン板 ウィーン Nは南アフリカ産イヌマキ材
P・Q 大/小サンクトペテルブルク板 サンクトペテルブルク Pも南アフリカ産材。漂着材の可能性
X 鳥人像 ニューヨーク 木彫像の表面に刻まれたテキスト
Y パリの嗅ぎ煙草入れ パリ 板を切り刻んで箱に作り替えたもの

表は代表的なものだけを挙げた。AからZまでの記号は、ドイツの民族学者トーマス・バルテルが1950年代に整理した体系に由来する。以後、研究者はテキストを「Pr2」「Ab1」のように、アルファベット+面+行番号で呼ぶようになった。

アルク・クレンガ裏面の全景
アルク・クレンガの裏面。表裏で記号の密度や彫りの深さが異なり、複数の手が関わった可能性が議論されている。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
アルク・クレンガ裏面の末端部。板の縁で行が折り返している
板の端の処理。行は端まで来ると折り返す。木の自然な形に合わせて溝の長さが変えられている。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
ロンゴロンゴ・テキストK「ロンドン板」裏面
テキストK「ロンドン板」裏面。大英博物館所蔵。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
ロンゴロンゴ・テキストK「ロンドン板」表面
同じ板の表面。Kの文面は、大サンティアゴ板Hおよび小サンティアゴ板Gと並行する箇所を持つ。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
三日月形の木製胸飾りレイミロ。縁に一行の記号が刻まれている
胸飾り「レイミロ」に刻まれたテキストL。板ではない器物にも同じ記号体系が使われた。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
ロンゴロンゴ・テキストD「エシャンクレ」a面
テキストD「エシャンクレ」a面。上下に切り欠きがあり、そこに人毛の紐が巻かれていた。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
ロンゴロンゴ・テキストD「エシャンクレ」b面
同b面。1869年にタヒチへ渡り、パリ・ベルギー・イタリアを経て、1975年からタヒチの博物館に長期貸与されている。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

牛耕式──読み終えたら板をひっくり返す

書き方については、確かなことが二つある。書字方向と、彫る道具である。

読み始めるのは板の左下隅。そこから右へ進み、行の終わりまで来たら、板そのものを180度回転させて次の行に移る。一行ごとに天地が入れ替わるこの方式を、逆牛耕式(リバース・ブストロフェドン)と呼ぶ。牛が畑を耕すように左右に往復するが、単に折り返すのではなく、文字自体が上下反転する点が特異だ。

見分け方

ある行の記号が「頭を上」にして並んでいれば、その一行上(または一行下)の記号は「頭を下」にしている。板を横から見て、記号の向きが交互に入れ替わっていれば、それは逆牛耕式である。

ロンゴロンゴ・テキストC「マハリ」a面の全景
テキストC「マハリ」a面。約29センチの板に1,000前後の記号。行ごとに記号の天地が入れ替わるのが確認できる。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

彫刻の工程も、顕微鏡観察からかなり詳しくわかっている。まず黒曜石の薄い剥片で輪郭を荒彫りし、次にサメの歯で溝をなぞって仕上げる。二段階の作業である。黒曜石は島内のラノ・カウなどで採れ、サメの歯は入手が難しい貴重品だった。

板の素材も一様ではない。多くはトキワハマボウ(Thespesia populnea、いわゆるパシフィック・ローズウッド)だが、テキストAはヨーロッパ船のオールの水掻きを削り出したセイヨウトネリコ、N・P・Sは南アフリカ産のイヌマキ材である。樹木の乏しい島で、人びとは漂着材や外来船の廃材まで動員して板を作り続けた。書く素材を確保することが、それだけ切実だったということだ。

バルテルによるマハリ板a面の線描模写。全行が図式化されている
バルテルによるマハリ板a面のトレース。Wikimedia Commons / パブリックドメイン

模写という中間物

実物の高精細写真が出回るまで、研究者が見ていたのはこの種の線描だった。

バルテルの模写は記号の番号体系と一体で作られており、長らく研究の共通基盤になってきた。ただし模写は解釈を含む。どの線を彫り跡と見なし、どこを摩耗と見なすかは描き手の判断であり、そこで消えた情報は復元できない。近年のRTI撮影が重要なのは、この中間物を経由せずに彫り跡そのものを見られるからである。

小サンティアゴ板のグリフを拡大した写真。人型や鳥型の記号が確認できる
小サンティアゴ板の記号を拡大したもの。人型・鳥型・魚型・幾何学形が組み合わさる。Wikimedia Commons / パブリックドメイン

記号はいくつあるのか

未解読文字の解読は、記号の総数を確定することから始まる。その最初の一歩が終わっていない。

数十なら音節文字、数百なら音節と表語の混合、数千なら表語文字。数が体系の性格を決める。ところがロンゴロンゴでは、研究者によって答えが一桁ちがう。

バルテル(1958年)
三桁の番号を割り当てる体系を作った。番号は約600に及ぶが、のちに基本字形は約120で、残りは異体字と合字だと整理している
ポズドニャコフ兄弟(2007年)
統計的な分析により、52の記号だけで全テキストの99.7パーセントを説明できると報告した
その他の推計
基本形はおよそ130前後で、表語と音節の混合体系ではないかとする見方も根強い

差が大きく見えるが、対立しているわけではない。問題は「どこまでを同じ記号と見なすか」の線引きにある。人型の記号が手に何かを持っている場合、それは別の記号なのか、同じ記号の変形なのか。鳥の頭に人の胴がついていたら、合字なのか独立した字なのか。判断基準が違えば、総数は5倍にも10倍にも変わる。

ロンゴロンゴ・テキストG「小サンティアゴ板」表面の全景
テキストG「小サンティアゴ板」表面。チリ国立自然史博物館所蔵。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
ロンゴロンゴ・テキストG「小サンティアゴ板」裏面の全景
同じ板の裏面。第6行には、人名の列挙=系譜ではないかと疑われている一節がある。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

1957年、ソ連の研究者ニコライ・ブチノフと、マヤ文字解読で知られるユーリー・クノローゾフは、小サンティアゴ板の裏面第6行に注目した。そこでは、短い記号の並びが一定のリズムで繰り返され、各単位の頭に同じ記号が付いている。二人はこれを系譜──「Aの子B、Bの子C……」という形式ではないかと考えた。

魅力的な仮説だったが、決め手を欠いた。前提となる記号(彼らが「の子」と読んだもの)は他のテキストでは別の文脈にも現れ、系譜として読み通すと意味が破綻する箇所が出る。現在、この読みは「あり得る解釈の一つ」以上の地位を得ていない。

小サンティアゴ板の第6行を拡大した細長い写真。同じ形の記号が規則的に繰り返される
系譜と推定された小サンティアゴ板Gv6行の一部。Wikimedia Commons / パブリックドメイン

主張

ブチノフとクノローゾフ、1957年

短い記号の並びが一定のリズムで繰り返され、各単位の頭に同じ記号が付く。これは「Aの子B、Bの子C」という形式の系譜ではないか。人名の列挙であれば、記号の大半は固有名詞ということになる。

反証

その後の検証

「の子」と読まれた記号は、他のテキストでは別の文脈にも現れる。系譜として読み通すと意味が破綻する箇所が出る。現在この読みは「あり得る解釈の一つ」以上の地位を得ていない。

ロンゴロンゴ・テキストH「大サンティアゴ板」裏面
テキストH「大サンティアゴ板」裏面。G・Kと共通する文面を持ち、同じ内容が複数の板に書き写されていたことを示す。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
同じ文が三枚の板に現れる。記号列が「たまたま並んだ模様」ではなく、写し取るべき定まった内容を持っていたということだ。
ラノ・カウ火山の巨大な火口湖と、縁に位置するオロンゴ遺跡
ラノ・カウ火山の火口湖。右手の縁にオロンゴ遺跡がある。黒曜石の産地でもあり、ロンゴロンゴを彫る刃はここから来た。Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0

唯一、意味が合意された三行

1万5千字のうち、研究者の大多数が内容を認めている箇所は、たった一か所しかない。

マハリ板(テキストC)のa面、第6行から第8行にかけて(第5行と第9行も含む可能性がある)の一節である。

バルテルが1958年に指摘したこの部分には、三日月形の記号が少しずつ形を変えながら繰り返し現れ、その合間に円盤状の記号が挟まる。民族誌に記録されたラパ・ヌイの「月の夜の名前」の一覧と並べてみると、配列が驚くほどよく一致する。月齢カレンダーである。

ロンゴロンゴ・テキストC「マハリ」b面の全景
マハリ板b面。この板は他のテキストに比べて絵画的な記号が多く、内容を推定しやすいとされる。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
マハリ板の月齢カレンダー部分を拡大した写真。三日月形の記号が連続して並ぶ
カレンダー部分の実物。三日月形の記号が少しずつ角度と太さを変えながら並ぶ。Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

読み取れる構造

Ca6–Ca8、第5行と第9行を含む可能性

三日月形の記号が少しずつ形を変えながら反復し、その合間に円盤状の記号が挟まる。民族誌に記録されたラパ・ヌイの「月の夜の名前」の一覧と並べると、配列が驚くほどよく一致する。新月から満月(モトヒ)へ向かう前半と、その後の後半に分かれる。

月齢カレンダー行を線描でトレースした図。三日月の連続が明瞭に見える
同じ箇所のトレース。反復の構造が明瞭になる。Mkim1963 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

さらに踏み込んだ解釈もある。三日月記号の間に置かれた特定の記号群は、単なる日付ではなく「閏の夜を挿入するかどうかを判断するための指示」ではないか、というものだ。朔望月は約29.5日で、30夜の名前を持つ暦とはずれていく。そのずれを、月の見かけの大きさを観測して調整する──という運用が記号化されている、と考える研究者がいる。

ここは慎重に

ここで「読めた」のは構造であって、音ではない。どの記号がラパ・ヌイ語のどの語に対応するかは、依然としてわかっていない。暦だと合意されているのは、記号の配列パターンが既知の暦の構造と一致するからであって、文字として解読できたからではない。

2024年、炭素が動かしたもの

この文字は、ヨーロッパ人を見る前に生まれたのか、見たあとに生まれたのか。

1770年、スペイン船が島を訪れ、併合文書に島の首長たちの「署名」を求めた。首長たちはそこに記号らしきものを描いている。ここから、「島民は西洋の書字を見て、その真似としてロンゴロンゴを作ったのではないか」という説が生まれた。これを刺激伝播説という。もし正しければ、ロンゴロンゴは1770年以降の発明ということになる。

2024年2月、ボローニャ大学のシルヴィア・フェラーラらのチームが『Scientific Reports』誌に発表した論文が、この議論に新しい材料を投げ込んだ。ローマの聖心会が所蔵する4点の板から微量の試料を採り、放射性炭素年代測定にかけたのである。

3

19世紀の木材。宣教師が来た前後の時代に作られた板ということになる

1493–1509

残る1点の木が伐採された年。ヨーロッパ人がこの島に到達する1722年より200年以上前

この結果は刺激伝播説にとって不利だ。少なくとも板の素材は、接触以前に存在した。ロンゴロンゴが島内で独自に発明された文字である可能性は、それだけ高まった。人類史のなかで文字が独立に発明された例は、メソポタミア、エジプト、中国、メソアメリカなど数えるほどしかない。ラパ・ヌイがその一つに加わるかもしれない、ということになる。

ただし決定打ではない

炭素年代が語るのは「木がいつ切られたか」であって、「記号がいつ彫られたか」ではない。200年前の古材に、19世紀の誰かが彫った可能性を完全には排除できない。論文の著者たち自身が、この留保を明記している。

博物館に展示されたロンゴロンゴ板の複製。木の質感と彫りの深さがわかる
博物館に展示された「語る板」の複製(フォンク博物館、ビーニャ・デル・マル)。実物は光と温湿度に弱く、常設展示されることはほとんどない。Yastay / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
MAPSE博物館の展示ケースに並ぶロンゴロンゴ板の複製
ラパ・ヌイ島内のMAPSE博物館に展示される複製。島に本物は一点もない。Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
魚の形に削られた木板に記号が刻まれている複製品
魚形に削られた板の複製。器物の形そのものが内容と関係していた可能性も指摘される。Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
ガラスケースに収められた魚形ロンゴロンゴ板
MAPSE博物館の魚形板。記号は魚の体表に沿って彫られている。Carlos Reusser Monsalvez / Wikimedia Commons / CC BY 2.0

読み手が消えた十年

未解読である最大の理由は、記号が難しいからではない。

読める人間が、記録される前に全員いなくなった。それだけである。

1862年12月から翌年にかけて、ペルーの奴隷船団がラパ・ヌイを襲った。狙われたのはグアノ(海鳥の糞の堆積)採掘の労働力である。連れ去られた人数には諸説あるが、島の人口のかなりの部分が失われた。そして連れ去られた者のなかには、首長、祭司、そして板を読み書きできる階層が含まれていた。文字を扱う知識は、島のごく一部の人間にしか属していなかったのだ。

国際的な抗議を受けてペルー政府は送還を命じたが、帰還の途上で天然痘と結核が広がり、生きて島に戻れた者はごくわずかだった。彼らが持ち帰った疫病が、島に残っていた人びとをさらに減らした。1870年代、島の人口は200人を切った。

1919年刊行の書籍に掲載されたイースター島の地形図
キャサリン・ラウトレッジ『イースター島の謎』(1919年)掲載の地形図。彼女の調査が、板の伝承をたどれた最後の機会だった。Wikimedia Commons / パブリックドメイン

板そのものも失われていった。宣教師の指導下で「異教の遺物」として焼かれたもの、単に薪にされたもの、釣り糸を巻く道具として使い潰されたもの──1870年代の島では、木材そのものが貴重品だった。1864年に「どの家にもあった」ものが、数年後には数えるほどになっていた。

アナケナ浜に立つモアイ像の列と白い砂浜、青い海
アナケナ浜。伝承では、島に最初に上陸したホツ・マトゥア王がここに着いたとされる。一説では、王は板を携えて渡ってきたとも語られる。Joe Ross / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0

挑戦と、その顛末

160年のあいだに「解読」は何度も宣言された。そのほとんどは検証を通らなかった。

最長のテキストであるサンティアゴの杖(テキストI)は、解読者にとって最大の獲物であり続けてきた。長さ約126センチ、記号数は数え方によって差があり、およそ2,300から2,900とされる。2008年にフランスの研究団体CEIPPが精査した際には、判読可能なもの2,208個、不鮮明なもの261個、摩滅して判別不能なもの約35個と報告された。

この杖が特別なのは、記号列の途中に縦の区切り線が入っている点である。26点のうち、明確な区切り記号を持つのはこれだけだ。区切りが単語境界なのか、節の切れ目なのか、あるいは呪文の一単位なのか──ここが解ければ、文の構造がつかめる。

サンティアゴの杖の表面を接写した写真。記号が密に並ぶ
サンティアゴの杖の接写。曲面に沿って記号が刻まれている。Wikimedia Commons / パブリックドメイン

唯一の区切り記号

テキストI、長さ約126センチ

記号列の途中に縦の区切り線が入る。26点のうち、明確な区切りを持つのはこれだけだ。区切りが単語境界なのか、節の切れ目なのか、呪文の一単位なのか──ここが解ければ文の構造がつかめる。解読者がこの杖に集まるのはそのためである。

サンティアゴの杖の一区画を拡大した写真
杖の一区画。縦線による区切りが見える。Wikimedia Commons / パブリックドメイン

1995年、ニュージーランドの言語学者スティーヴン・ロジャー・フィッシャーは、サンティアゴの杖に「X が Y と交わって Z を生んだ」という形式の創世讃歌が繰り返されている、と発表した。区切り線で分けられた単位が、三つ組の構造を持つという主張である。

この説は一般向けの報道では大きく扱われたが、専門家の受け止めは厳しかった。杖以外のテキストに同じ構造を適用すると成り立たず、「三つ組」と見なされた箇所の多くが実際には二つ組や四つ組であること、読みが循環論法になっていることが指摘された。現在、フィッシャーの解読が承認されているとは言えない。

近年も、インターネット上では「完全解読」を称する文書がたびたび公開される。だが査読誌に載り、他の研究者の追試を経たものは、いまのところ存在しない。ある解読が本物かどうかを判定する基準はすでに共有されている──同じ規則を全テキストに適用して破綻しないこと、未使用のテキストで予測が当たること、既知のラパ・ヌイ語の音韻・文法と矛盾しないこと。この三つを越えた提案は、まだ出ていない。

比較のために言えば、クレタ島で見つかったファイストスの円盤に残された刻印はわずか242個、記号の種類は45しかない。データ量が絶望的に足りないから解けないのだ。ロンゴロンゴはその60倍以上の記号を持つ。それでも解けない。量の問題ではなく、対照できる「答え」が存在しないという問題である。

問題は「誰も読めない」ことではない。「読めたと主張する人が多すぎて、どれも検証に耐えない」ことである。

文字なのか、記憶の杖なのか

そもそもロンゴロンゴは「文字」なのか。これも決着していない。

A

真正の文字体系だとする立場

記号の出現頻度が自然言語の分布に近い。複数の板に同じ文面が写されている。区切り記号がある。いずれも、言語を記録する体系であることを示唆する。

説明できる複数の板にまたがる並行テキスト、頻度分布、区切り記号
説明できない同じ板を前にして朗誦者の内容が食い違った理由
B

原文字(プロト文字)だとする立場

朗誦を助ける記憶装置にすぎず、記号と音が一対一で対応していない。だから同じ板でも朗誦者によって内容が食い違った。1914年の証言はこちらを支持する。

説明できる朗誦の食い違い、ジョーセン・リストの破綻
説明できない三枚の板に同じ文が写されていること

ラウトレッジが島で聞き取った証言は後者に近い。板は「個々の所有者に固有の記憶装置」であり、他人の板を読めるとは限らない、というのだ。もしこれが正しければ、ロンゴロンゴは解読できないのではなく、解読という概念が当てはまらないことになる。

ただし、この二者択一を過度に単純化すべきではない。世界の文字史を見ても、完全な表音体系と純粋な記憶術のあいだには広いグラデーションがある。ロンゴロンゴがそのどこに位置するかを決めるには、結局のところ、もっと多くの情報が要る。

セバスティアン・エングレルト人類学博物館の外観
ラパ・ヌイのセバスティアン・エングレルト人類学博物館(MAPSE)。島の文化資料の中心だが、ロンゴロンゴの実物は所蔵していない。Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
同じ太平洋の謎として、ミクロネシアの巨石都市ナン・マドールも併せてどうぞ。読めない記号という主題では、青銅器時代の黄金のとんがり帽子の円形文様も同じ問いを投げかけます。

これから読めるようになるか

悲観する理由も、楽観する理由もある。

悲観材料は明白だ。資料が26点しかない。二言語併記の碑文(ロゼッタ・ストーンのようなもの)が存在しない。1864年以前のラパ・ヌイ語の語彙記録が乏しく、その後の言語はタヒチ語の影響を強く受けて変容している。つまり、対照すべき「答え」が失われている。

それでも、使える道具は増えている。

01

撮影技術の進歩

RTI(反射率変換イメージング)や3Dスキャンにより、肉眼では見えない摩滅した彫り跡が復元できるようになった。19世紀の模写に頼っていた時代とは、扱えるデータの質が違う。

02

統計解析

記号の頻度分布、共起関係、合字の生成規則を計算機で扱えば、人間が気づけなかった規則性が見える可能性がある。

03

岩絵との比較

島には約1,000か所、4,000点近い岩絵が残る。ロンゴロンゴの記号と形が重なるものがあり、記号の「意味の起源」をたどる手がかりになる。

04

年代の確定

2024年の測定のように、個々の資料の年代が定まれば、記号の形の変化を時系列に並べられる。古い形と新しい形が分かれば、体系の進化が追える。

オロンゴ遺跡の石積み住居群
オロンゴの石積み住居群。鳥人儀礼の中心地であり、岩絵の密集地でもある。Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
鳥人タンガタ・マヌを彫り込んだ岩
鳥人(タンガタ・マヌ)の岩絵。ロンゴロンゴにも同型の記号がある。Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
サンゴで作られたモアイの眼
サンゴで作られたモアイの眼。島の造形技術の高さを示す。Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
ラノ・ララク採石場の外斜面に並ぶモアイ像
ラノ・ララク採石場。ほぼすべてのモアイがここで彫られた。Rivi / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
ラノ・ララクの斜面に半ば埋もれたモアイ像
斜面に半ば埋もれたモアイ。制作が突然中断された痕跡が各所に残る。Arian Zwegers / Wikimedia Commons / CC BY 2.0
1493–1509年
ローマ所蔵の板1点に使われた木が伐採される2024年の放射性炭素年代測定による
1722年
ヨーロッパ人による最初の接触オランダのロッヘフェーン隊が来島
1770年
スペイン隊の併合文書島の首長たちが記号らしきものを記す。刺激伝播説の根拠となった
1862–63年
ペルー奴隷船団の襲撃首長・祭司層が連れ去られ、読み手が失われる
1864年
エローが上陸「どの家にも板がある」と記録した最初の外部証言
1869年
ジョーセン司教が板を受け取る人毛の紐の糸巻きとして渡ってきた
1870年代
島の人口が200人を割る板の多くが焼かれ、薪にされ、失われる
1914–15年
ラウトレッジ探検隊の聞き取り伝承をたどれた最後の機会
1958年
バルテル『イースター島文字解読の基礎』刊行記号の番号体系が確立する
1995年
フィッシャーが解読を発表報道は大きかったが、専門家の支持は得られず
2007年
ポズドニャコフ兄弟の統計分析52記号で99.7パーセントを説明できると報告
2024年
フェラーラらが年代測定結果を発表1点が接触以前の木であることが判明

まだ分かっていないこと

  1. 01

    記号はいくつあるのか

    52・120・600。どこまでを同じ記号と見なすかの基準が決まっていない。総数が決まらなければ、体系の性格も決まらない。

  2. 02

    記号は音を持っていたのか

    暦の部分ですら、合意されているのは配列の構造だけである。どの記号がどの語にあたるのかは、一つも確定していない。

  3. 03

    いつ、誰が作ったのか

    1点の木は15世紀末のものだった。だが彫られた時期は別問題である。誰が発明し、どこまで広く使われていたのかも分からない。

  4. 04

    なぜ島に一点も残らなかったのか

    焼かれたのか、薪になったのか、持ち去られたのか。26点の出所は分かっていても、失われた側の記録はほとんどない。

一つ解ければ、残りは連鎖的に動く

1万5千の記号は、今も同じ木の上に並んでいる。読み手がいないだけだ。それは失われた知識であると同時に、まだそこにある知識でもある。いつか鍵が見つかったとき、答えは160年前と変わらず、その板の上で待っているはずである。

出典・参考資料

  1. Ferrara, S. et al. “The invention of writing on Rapa Nui (Easter Island). New radiocarbon dates on the Rongorongo script.” Scientific Reports 14, 2794 (2024)(4点の年代測定・1493–1509年の値・著者自身の留保)
  2. Barthel, T. S. 『Grundlagen zur Entzifferung der Osterinselschrift』Hamburg, 1958(記号の番号体系、マハリ板の暦の指摘、A〜Zのテキスト命名法)
  3. Pozdniakov, K. & Pozdniakov, I. “Rapanui Writing and the Rapanui Language: Preliminary Results of a Statistical Analysis.” Forum for Anthropology and Culture 3 (2007)(52記号で99.7パーセント)
  4. Routledge, K. 『The Mystery of Easter Island』London, 1919(1914–15年の聞き取り、記憶装置という証言、掲載写真・地形図)
  5. Fischer, S. R. 『Rongorongo: The Easter Island Script』Oxford University Press, 1997(サンティアゴの杖の三つ組説とその根拠)
  6. Guy, J. B. M. “On the Lunar Calendar of Tablet Mamari.” Journal de la Société des Océanistes 91 (1990)(暦の構造と閏の夜の解釈)
  7. Orliac, C. “Botanical Identification of the Wood of the Large Kohau Rongorongo Tablet of St Petersburg.” Rapa Nui Journal 19 (2005)(樹種同定。イヌマキ材・トネリコ材)
  8. CEIPP(Centre d’Études sur l’Île de Pâques et la Polynésie)2008年の資料調査報告(サンティアゴの杖の記号計数)

画像クレジット

  1. アフ・トンガリキ全景:Voltamix / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / 加工:縮小
  2. ロンゴロンゴ各板の写真(テキストA・B・C・D・G・H・K・L):Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0 / 加工:縮小
  3. サンティアゴの杖、系譜部分、グリフ接写、バルテルによる模写、エロー/ジョーセン肖像、1914年の記録写真、地形図:Wikimedia Commons / パブリックドメイン / 加工:縮小
  4. 月齢カレンダーのトレース:Mkim1963 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / 加工:縮小
  5. フォンク博物館の複製:Yastay / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0 / 加工:縮小
  6. MAPSE博物館、オロンゴ、鳥人岩絵、モアイの眼、ラノ・カウ:Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0 / 加工:縮小
  7. 魚形板(ガラスケース):Carlos Reusser Monsalvez / Wikimedia Commons / CC BY 2.0 / 加工:縮小
  8. アナケナ浜:Joe Ross / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0 / 加工:縮小
  9. ラノ・ララク採石場:Rivi / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0、Arian Zwegers / Wikimedia Commons / CC BY 2.0 / 加工:縮小

本記事は2026年9月時点で公表されている学術文献・報道にもとづいて構成しています。ロンゴロンゴの解読はいまだ達成されておらず、本文中の「暦」「系譜」などの解釈はいずれも仮説です。

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この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

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