100年以上だれにも読めない、ファイストスの円盤の文字
1908年、クレタ島の宮殿跡から手のひらほどの粘土の円盤が出た。両面には45種類の絵のような印が、渦巻きを描いて押されていた。

C messier , edit by Bammesk / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
概要
ファイストスの円盤は、ギリシャのクレタ島南部、ミノア文明の宮殿跡ファイストスで1908年に見つかった焼き粘土の円盤である。直径は約16センチで、両面に計242個の印が渦巻き状に並ぶ。印は一つずつ判子で押されたもので、人の頭、魚、船、花などの形をしている。同じ文字を記した資料がほかにほとんどないため、何語で何が書かれているのかは今も分かっていない。作られた年代や、本物かどうかを疑う声もある。
まだ分かっていないこと
- 円盤の印は、何語のどんな文章を書いたものなのか
- いつ、どこで、何のために作られたのか
- 1908年の発掘で作られた偽物という疑いは、どこまで成り立つのか
- 発見
- 1908年7月3日、クレタ島ファイストス宮殿の北東の建物群
- 大きさ
- 直径約16センチ、厚さ1.6〜2.1センチの焼き粘土
- 文字
- 45種類の印が両面で計242個。区切り線で61のまとまりに分かれる
- 所蔵
- イラクリオン考古学博物館(クレタ島)
宮殿の地下室から出た円盤
ファイストスはクレタ島の南部、メサラ平野を見下ろす丘の上にある。紀元前2千年紀の前半、ここにはミノア文明の大きな宮殿が建っていた。北のクノッソスと並ぶ、島の中心地の一つである。

1900年からこの遺跡を発掘していたのが、イタリアの考古学者ルイジ・ペルニエールである。1908年7月3日、宮殿本体の北東にある建物群(のちに「建物101」と呼ばれる)の、8番の部屋の地下室から、黒っぽい土に埋もれた粘土の円盤が出てきた。
同じ黒い土の層からは、円盤の数センチ南東で、線文字Aの粘土板(PH-1)も見つかっている。線文字Aはミノア人が使っていた文字で、こちらも解読されていない。円盤の文字は、その線文字Aとも形が違っていた。
判子で押した242個の印
円盤は直径15.8〜16.5センチ、厚さ1.6〜2.1センチ。完全な円ではなく、少しゆがんでいる。A面はわずかにへこみ、B面はわずかにふくらむ。表面には、外側から中心へ向かって渦巻く線が引かれ、その線のあいだに印が並ぶ。
印は筆で描いたのでも、へらで刻んだのでもない。一つの形ごとに判子を作り、焼く前の柔らかい粘土に押しつけている。同じ印は、どこに出てきても同じ形をしている。このため、動く活字で印刷した、ごく早い例と紹介されることも多い。
A面
外周から中心へ渦巻く31のまとまり。印は123個。中心には花形の印がある。
B面
30のまとまりに印119個。A面とは違う印が多く、全体の文字数はほぼ同じ。
印の種類は45。数えると、両面で計242個になる(241個とする数え方もある)。最も多いのは、羽根飾りをつけた人の頭のような印で19回。逆に、一度しか出てこない印も9種類ある。
渦巻きの線のあいだには、さらに短い区切り線があり、印を2〜7個ずつのまとまりに分けている。まとまりはA面に31、B面に30で、計61。多くの研究者は、このまとまりを一つの単語か、それに近い単位だと考えている。いくつかのまとまりの端には、判子ではなく先のとがった道具で刻んだ斜めの短い線が付いていて、これは18回現れる。
よく見ると、書き損じを直した跡もある。フランスの研究者ルイ・ゴダールは、一度押した印をならして消し、その上に別の印を押し直した箇所をA面とB面のあちこちに見つけている。B面のあるまとまりでは、印を一つ入れるために区切りの幅を広げていた。作り手は、決まった文章を書き写しながら手を動かしていたらしい。
どちらから読むのか
読めない文字でも、読む向きは手がかりから推し量れる。クノッソスを発掘したイギリスの考古学者アーサー・エヴァンズは、初め中心から外へ読むと考えたが、のちに考えを改めた。今は、外周から中心へ向かって、時計回りに読むという見方が多い。
比べられる例として挙げられるのが、イタリアで見つかったエトルリアの「マリアーノの鉛板」である。こちらも円い板に、外から内へ渦巻くように文字が書かれている。ただし、時代も地域も違う資料であり、円盤の読む向きを決める証拠とまでは言えない。
作られた年代
円盤がいつ作られたかについても、意見は分かれている。ベルギーの研究者イヴ・デュウーは、ペルニエールが報告した出土状況をもとに、紀元前1850〜1600年ごろとした。現在も、紀元前1700年ごろと紹介されることが多い。
一方で、デンマークのイェペセンは紀元前1400年より後だと考え、ゴダールは紀元前2千年紀のかなり広い範囲のどこでもありうるとした。近くで出た線文字Aの粘土板の年代を根拠に、紀元前14世紀前半とする説もある。発掘は100年以上前で、出土した層の記録には限りがあるためだ。
粘土を焼いた年代は、熱ルミネッセンス法という科学的な測定で調べられる可能性がある。しかし、円盤にはこの測定がまだ行われていない。科学ジャーナリストのアンドルー・ロビンソンは、2008年の科学誌『ネイチャー』の記事で、この測定を行うべきだと述べている。
同じ文字を探して
円盤の文字は、ほかの場所でほとんど見つかっていない。わずかな手がかりとして挙げられるのが、1934年にギリシャの考古学者スピリドン・マリナトスがクレタ島中部のアルカロコリ洞窟で発掘した、青銅の両刃斧である。

この斧は紀元前1650年ごろのもので、15個の記号が刻まれている。そのうちいくつかは円盤の印と形が似ていると指摘されてきた。ただ、線文字Aの一種とみる研究者もいて、円盤と同じ文字だと決まったわけではない。
円盤の21番の印(櫛のような形)は、かつて宮殿の間取り図を表すとも考えられた。ところが、ほぼ同じ形の記号を付けた壺が見つかり、これは陶工の印だった可能性が高い。印の形から意味を想像する読み方が、いかに危ういかを示す例である。
解読の試みと偽物説
円盤の「解読」は、これまでに数多く発表されてきた。ギリシャ語、ルウィ語などのアナトリアの言語、セム系の言語など、当てはめた言語はさまざまで、暦や祈り、戦いの記録と読んだものもある。どれも、ほかの研究者を納得させるには至っていない。
よく知られた例が、クレタ島の大学で教えていた言語学者ギャレス・オーウェンスの読みである。2014年、オーウェンスはオックスフォード大学の音声学者ジョン・コールマンと取り組んだ成果として、円盤は母なる女神への祈りだと発表した。線文字Aや、解読済みの線文字Bと形が似た印に、線文字Bの音を当てはめる方法だった。何度も出てくるまとまりを「母」や「女神」を意味する語と読んだが、多くの専門家は方法にも結論にも慎重な立場をとっている。
反対に、円盤そのものを疑う説もある。2008年、古美術の偽物に詳しい研究者ジェローム・アイゼンバーグは、自身が編集する雑誌『ミネルヴァ』で、円盤は発掘者ペルニエールが作った偽物ではないかと論じた。文字がほかに例のないこと、形があまりに整っていること、渦巻きの配置や判子の使い方などを理由に挙げている。
アイゼンバーグは、クノッソスで華々しい成果を上げたエヴァンズへの対抗心や、発掘資金の獲得が動機になりえたとも書いた。ただ、この論文は査読を経ておらず、本人も碑文学の専門家ではないと断っている。円盤は現在も、多くの研究者に本物の古代の資料として扱われている。偽物説を退けるにも、熱ルミネッセンス法などで実際に年代を測ることが近道だろう。
ミノア人の言葉を書いた文字
クレタ島の宮殿跡から出土し、線文字Aの粘土板と同じ層にあった。アルカロコリの斧など、似た記号を持つ島内の遺物もある。
線文字Aとは印の形が大きく違う。音を当てはめた解読はどれも、ほかの資料で確かめられていない。
島の外から持ち込まれた資料
エヴァンズは早くから、人物の姿や印がミノア的でないと述べていた。羽根飾りの頭などを、地中海東部のほかの地域と結びつける説がある。
どこから来たのかを示す同じ文字の資料は、島の外でも見つかっていない。
1908年に作られた偽物
同じ文字の資料がほとんどなく、粘土の焼成年代も測られていない。
査読のない論文に基づき、多くの研究者は支持していない。1955年の封泥や1965年の壺など、のちの出土品に似た記号が見つかっている。
三つの問いの答え
- 1
円盤の印は、何語のどんな文章を書いたものなのか
まだ分からない。解読案は多いが、どれも他の資料で確かめられていない。文字の資料が円盤のほかにほとんどなく、比べる材料が足りないことが一番の壁になっている。
- 2
いつ、どこで、何のために作られたのか
紀元前1700年ごろとする見方が多いが、紀元前1400年より後とする説もある。用途も、祈りや儀式の文、記録などの案があるだけで決め手はない。
- 3
1908年の発掘で作られた偽物という疑いは、どこまで成り立つのか
多くの研究者は本物と考えている。ただ、粘土の焼成年代を測る熱ルミネッセンス法はまだ行われておらず、測定を求める声は残っている。
