World Mysteries Encyclopedia · Unsolved Sounds
バリサル砲 誰も撃っていない大砲が、八十年、ベンガルの空に鳴り続けた The Barisal Guns — Bengal Delta, 1870s to 1950
雨の夜、南の空から三発。晴れた昼、二十発以上。海へ近づいても音は大きくならず、方角は南とも北とも記録された。英国の行政官、警察署長、詩人、そして『ネイチャー』誌の科学者たちが追いかけた「見えない大砲」は、1950年を境に誰の耳にも届かなくなった。
背景写真:ガンジス・デルタ / NASA/JPL/UCSD/JSC
THIS MYSTERY IN THREE LINES ── この謎を三行で
本記事は19世紀の原資料(Nature誌、The Theosophist誌、ベヴァリッジ地誌、ベンガル語郷土史)と、2020年代の最新研究を突き合わせて書いている。学説と伝承は区別して記すが、どちらも切り捨てない。

Chapter 01
1876年、行政官の手帳
ベンガル・デルタの果て、川と海の境目が曖昧な土地で、ひとりの英国人が「説明のつかない爆音」を公文書に書き残した。
ガンジス川とブラマプトラ川が運んできた泥が、何千年もかけて積み上げた土地がある。バングラデシュ南部、かつて英国人が「バカルガンジ(Bakarganj/Backergunge)」と呼んだ地方だ。ここでは陸と水の境目がはっきりしない。雨季には道が川になり、乾季には川が道になる。家々はヤシの林に隠れ、人の移動は舟によって行われた。その中心の町が、キルタンコラ川に面したバリサルである。
1876年、この地方の行政官だったヘンリー・ベヴァリッジが、『The District of Bákarganj; its History and Statistics』という490ページの地誌を刊行した。地理、人口、水路、税収、歴史。植民地官僚らしい網羅的な記録の中に、ひとつだけ、およそ統計にそぐわない項目がある。誰も撃っていないのに聞こえる、大砲の音についてだ。
ベヴァリッジ自身の体験として紹介された話はこうだ。ある晩、最初の爆音が鳴った。そのあと、ほぼ同じ間隔で、さらに五回ほど続いた。遠くの砲台が号砲を撃っているとしか思えない音だった。しかし、砲台などどこにもなかった。
この土地の英国人たちが最初に疑ったのは、ライバルであるポルトガル船やオランダ船の砲撃だった。ベンガル湾には長く欧州各国の船が出入りしており、沖合で礼砲や威嚇射撃をしていても不思議はない。しかし調査しても、該当する船は見つからなかった。戦闘もなかった。音だけが、繰り返し、南の空から届いた。
「都市伝説」ではない、という重み
ここで一度、立ち止まっておきたい。バリサル砲は、後世の誰かが面白がって作った話ではない。1876年の時点で、当地の最高責任者が公刊物に書き、その原本はいまインターネット・アーカイブとウィキメディア・コモンズでパブリックドメインとして読める。さらに1888年には、神智学協会の機関誌『The Theosophist』がこのベヴァリッジの記述を再掲し、1895年から96年にかけては英国の科学誌『Nature』が誌面で論争を繰り広げた。つまりこれは、19世紀の科学界が真剣に追いかけた、記録に残る怪音なのである。
そして、ベヴァリッジの記録には、のちに大問題となる小さな数字が含まれている。「最初の一発のあと、さらに五回ほど」。合計すれば六発前後だ。この数字を覚えておいてほしい。のちに「バリサル砲は必ず三発一組で鳴る」と広く語られるようになるのだが、最初の記録者は、三の倍数などひとことも書いていない。

Chapter 02
音を書き留めろ──観測票の誕生
1886年、カルカッタのアジア協会が回状を出した。怪音は民話から「観測対象」になり、記録用紙が配られた。
怪音が「噂」の段階を抜けたのは1886年である。カルカッタ(現コルカタ)のベンガル・アジア協会が、バリサル砲についての回状を出し、各地の英国人官吏や住民から報告を集めはじめた。回状に応じて届いた報告は十五件。発信地は、クルナ、バリサル、モヤプル、ナラヤンガンジ、ノアカリ、ハリスプル、ダウラト。デルタの西の端から東の端までが含まれている。
ここで最初の妙なことが分かった。十五件の報告は、日付も時刻もばらばらだったのだ。もし一つの巨大な音源が鳴っていて、それがデルタ全域に届いているのなら、同じ日の同じ時刻に複数の場所から報告が上がるはずである。そうはならなかった。つまり音は、あちこちで、別々に鳴っていた。あるいは、別々の何かが、同じような音を出していた。
1888年、協会はさらに踏み込む。観測者に配るための正式な記録用紙を作ったのである。その項目は、現代の気象観測票と比べても遜色がないほど細かい。
Asiatic Society of Bengal1888
FORM
Observation SlipNo. 01
1876
この記録用紙は、記事のなかで何度も登場する。というのも、これ以降の主要な証言をこの用紙の形式に書き写していくと、バリサル砲という現象の輪郭が、ひとつにまとまるどころか、記入するたびに崩れていくからだ。
MYSTERY POINT
なぜ19世紀の科学団体は、ここまで本気だったのか
アジア協会は1784年設立、アジア研究における当時最高の学術団体である。その協会が、地方の怪音のために専用の記録用紙を作った。理由は単純で、報告があまりに多く、あまりに具体的で、しかも官吏や医師、警察官といった「嘘をつく動機のない人々」から上がっていたからだ。民話としては処理できない量の証言が、すでに1880年代には積み上がっていた。

Chapter 03
三つの証言、三つの真実
1888年、バリサルの教育者、クルナの判事、そして数年後の警察署長。同じ音を語っているはずの三人の記録は、回数も天候も一致しない。
1888年9月、神智学協会の会長ヘンリー・スティール・オルコットが、機関誌『The Theosophist』にバリサル砲についての長い記事を書いた。オルコットは記事の後半で自然霊だのオカルトだのに話を持っていく人物なので、彼自身の解釈は割り引いて読む必要がある。だが、彼が転載した「現地からの手紙」の史料価値は高い。その中でもっとも重要なのが、バリサルの著名な教育者・社会運動家アシュウィニ・クマール・ダッタからの手紙である。
ダッタは書いている。音の回数はきわめて不規則で、ときには二十発から二十五発、ときには十発から十二発。晴天のときに何度も聞いた。雨の最中に聞いた記憶はない。よく聞くのは四月。音は南西の方角から来る。
同じ記事には、クルナの判事ウォラーの報告も引かれている。こちらはまるで別の現象を語っているかのようだ。雨が降りはじめてから爆音が頻発する。方角は南。昼間にも聞こえるが、とくに夜に多い。最大で六発ほどが急速に続いた。
そして数年後、この現象の「公式イメージ」を決定づけることになる人物が現れる。1890年2月から1891年12月までバカルガンジの警察署長を務めたヘンリー・S・シュアーだ。彼の観察は次章で詳しく扱うが、要点だけ先に言えば「大雨の前後に、必ず三発一組で鳴る」。ダッタの証言の、ほぼ正反対である。
Observation SlipNo. 02
1888
Observation SlipNo. 03
1888
Observation SlipNo. 04
1890–91
「三発一組」と「二十五発」は、同じ音か
三枚の観測票を並べると、問題の深刻さが分かる。ダッタは晴天で二十五発、ウォラーは雨で六発、シュアーは大雨で三の倍数。もしバリサル砲が単一の自然現象なら、少なくとも「回数の規則性」か「天候との関係」のどちらかは一致してよいはずだ。ところが、一致しているのは「遠くの大砲に似ている」という音質と、「南寄りから来る」という大まかな方角だけである。
考えられる可能性は三つある。第一に、三人が別々の現象を聞いていた。第二に、同じ現象だが、場所や季節によって振る舞いが大きく変わる。第三に、誰かの記録が、記憶や期待によって整理されすぎている。「必ず三発」というきれいな数字は、人間の記憶が好む形でもある。
どれが正しいのかは、いまも分からない。ただ、ここではっきり言えるのは、「バリサル砲は三発一組で鳴る不思議な音」という有名なまとめ方は、証言の一部だけを採用したものだということである。最初の記録者ベヴァリッジは六発前後と書き、現地の名士ダッタは二十五発と書いた。三発は、シュアーの数字なのだ。

Chapter 04
警察署長の二十二か月
蒸気船で地区を巡回し続けた男が数えた「四十五組」。バリサル砲のイメージは、彼の耳が作った。
ヘンリー・S・シュアーは旅行者ではない。1890年2月から1891年12月まで、バカルガンジの警察署長(District Superintendent of Police)として、この水の国を蒸気船で移動し続けた男である。二十二か月。デルタの水路を昼も夜も往復し、雨季も乾季も経験した。彼ほどバリサル砲を「聞く機会」に恵まれた記録者は、他にいない。
1899年12月7日、シュアーは『Nature』誌に自らの観察を寄稿した。翌1900年5月には米国の『Popular Science Monthly』がそれを要約して紹介し、この要約が英語圏における「バリサル砲の定義」になった。要点は次の通りである。
- 音が多いのは二月から十月。晴天よりも、大雨の直前・最中・直後に集中する。
- 音は三発一組で鳴る。複数の組が続いても、総数は必ず三の倍数になる。
- シュアーが数えた最大記録は、四十五組連続。単純計算で百三十五発の爆音が続いたことになる。
- 音質は遠方の大型砲そのもの。ただし二重に聞こえることがあり、反響(エコー)のようでもある。
百三十五発。想像してほしい。雨の夜、川の上の蒸気船で、三発ずつ区切られた爆音が数十分にわたって続く。しかも、どの方向を見ても砲台はなく、火花も光もない。シュアーが「反響のようでもある」と書いたのは、音が「近くで鳴っている」のではなく、「どこか遠くで鳴ったものが、空か水に運ばれて届いている」と感じたからだろう。
ヘンリー・S・シュアー(Henry S. Schurr)
バカルガンジ地区警察署長(1890–91)/『Nature』1899年12月7日号寄稿者
二十二か月の在任中、蒸気船で地区を巡回しながらバリサル砲を繰り返し聞いた。「三発一組」「三の倍数」「大雨との関係」「最大四十五組」という、後世に最も広く引用される特徴を記録した人物。ただし彼の観察は1890〜91年の二年間、しかも「川の上」からのものが多い。ダッタが陸上のバリサルで1880年代に聞いた音と、同じものだった保証はない。
「三の倍数」は、なぜ人を惹きつけるのか
シュアーの記録がこれほど広まった理由は、数字の美しさにある。三発一組。三の倍数。人間はこうした規則性を「意図」の証拠だと感じる。大砲の礼砲は決まった数で撃たれる。信号弾は決まった間隔で上がる。三発が三の倍数で続くのなら、それは「誰かが撃っている」音に聞こえる。だからこそ、この土地の人々は、これを最初から「大砲(カマン)」と呼んだのだ。
だが自然現象で「必ず三の倍数」を説明するのは、じつは非常に難しい。雷も波も地震も、三で区切って鳴る理由がない。もしシュアーの記録が正確なら、バリサル砲は自然現象としてはきわめて異様である。もし不正確なら、ダッタの「不規則で二十五発」の方が実態に近く、三発説は消える。この分岐点は、いまも決着していない。

Chapter 05
『ネイチャー』誌が沸いた冬
1895年10月、ダーウィンの息子が一通の手紙を投稿した。それから半年、英国最高の科学誌は「ベンガルの大砲」で埋まった。
1895年10月31日、『Nature』誌に「バリサル砲とミスト・プッファー(mist pouffers)」と題する短い手紙が載った。筆者はジョージ・ハワード・ダーウィン。進化論のチャールズ・ダーウィンの次男で、ケンブリッジ大学の天文学・実験哲学教授、潮汐理論の世界的権威である。潮の専門家が「説明のつかない爆音」に興味を示した。この一通が、火をつけた。
以後、1896年の春まで『Nature』の投書欄にはバリサル砲の手紙が続いた。1896年1月2日にはG・B・スコット。1月16日にはインド地質調査所のT・D・ラ・トゥーシュが、ベルギー王立自然史博物館の学芸員エルネスト・ヴァン・デン・ブルックがブリュッセルの学術誌『Ciel et Terre』でベルギー沿岸の同種の音「mistpoeffers」を大規模に調査中だと知らせた。1月30日にはC・トムリンソンが、ゴドウィン=オースティン大佐の挙げた候補(花火、ジャングル火災で竹が破裂する音、雷、地すべり、川岸や砂州の崩落、地震)をすべて退け、フランス語で éclairs en boule と呼ばれる球電(球雷)こそが本命だと主張した。
極めつけは1896年3月26日、米国モンタナ州グレートフォールズから届いたチャールズ・H・ロビンソンの手紙である。彼は、ルイス&クラーク探検隊の日誌を引いた。1805年7月4日、探検隊はミズーリ川の大滝付近で、北西の山々から届く不可解な音を記録している。日誌はこう書く。
ミナタリー族はこれを「山が雷のような音を出す」と説明し、ポーニー族やアリカラ族もブラックヒルズで同じ音を知っていた。バリサルから一万キロ以上離れた北米の内陸で、九十年前に、まったく同じ描写がなされていたのだ。
「バリサルだけではない」──オールダムの地図
1899年12月7日、シュアーの手紙と同じ号の『Nature』に、インド地質調査所のR・D・オールダムが報告を寄せた。オールダムは1897年のアッサム大地震の調査で名を残す地質学者で、のちに地球の核の存在を地震波から示した人物でもある。彼の指摘は地理的なものだった。バリサル砲は、バリサル周辺だけの現象ではない。トゥエンティフォー・パルガナ、クルナ、バカルガンジ、ノアカリ、メグナ川沿岸、ナラヤンガンジ、ダッカ。ベンガル・デルタのほぼ全域で聞かれている。ただしバカルガンジで最も頻繁かつ明瞭だったため、バリサルの名が付いた──というのが彼の説明である。
これは大きな含意を持つ。もし音源が海の一点なら、デルタ全域で聞こえるためには途方もない音量が必要になる。逆に、音源が「あちこちにある」なら、それは特定の場所の地形ではなく、この地域に共通する何か──気象か、地下か、水か──に原因があることになる。1886年の十五件の報告が「日付も時刻もばらばら」だったことと、オールダムの広域報告は、同じ方向を指している。
1805
ルイス&クラーク探検隊、ミズーリ川大滝付近で「六ポンド砲そのもの」の音を日誌に記録。
1867
グルダス・バイサック(Gour Doss Bysack)がバリサル周辺の怪音と現地伝承を記す。
1870
H・ジェームズ・レイニーとフリートウッド・H・ペルーがそれぞれ書簡で怪音を報告(8月・11月)。
1876
ヘンリー・ベヴァリッジ『The District of Bákarganj』刊行。「最初の一発のあと約五発」。
1886–88
ベンガル・アジア協会が回状を出し十五件の報告を収集、観測票を配布。オルコットが『The Theosophist』でダッタ・ウォラーの証言を掲載。
1890
T・D・ラ・トゥーシュが英国科学振興協会の年次報告でガンジス・ブラマプトラ両デルタの怪音を報告。
1895–96
G・H・ダーウィンの投書を皮切りに『Nature』誌で半年間の論争。球電説、ベルギーの mistpoeffers 調査、ルイス&クラークの再発見。
1899
シュアーとオールダムが『Nature』に寄稿。「三発一組・四十五組」と「デルタ全域」の二つの像が確定する。
1900
『Popular Science Monthly』5月号がシュアー説を要約。英語圏の「定義」となる。
1913
『Scientific American』が「Brontidi, Mistpoeffers, or Barisal Guns」として世界の同族怪音を一括して扱う。
1950頃
この頃を最後に、音を聞いたという話が途絶える(詩人スフィア・カマルの回想)。

Chapter 06
神の音、ラーヴァナの門
英国人が「大砲」と呼んだ音を、デルタの人々は「ガイビ・アワジ」と呼んだ。三つの宗教が、三つの物語を用意していた。
「Barisal Guns」という英語名だけを追っていると、見えなくなるものがある。この土地に何百年も暮らしてきた人々が、この音をどう呼び、どう理解していたかだ。ベンガル語の郷土史家サティシュ・チャンドラ・ミトラは、大著『ジョショホル・クルナの歴史(যশোহর খুলনার ইতিহাস)』の中で、地域住民がこの怪音を「ガイビ・アワジ(গাইবী আওয়াজ)」と呼んだと記録している。ガイビは「見えない、神秘の」、アワジは「声、音」。「姿なき声」とでも訳せばよいだろうか。本文では「ダイボ・ショブド(দৈব শব্দ)」、すなわち「神の音」に近い説明も添えられている。バリサルの人々のあいだでは「バリサル・カマン(বরিশাল কামান)」、つまり「バリサル大砲」という呼び名も使われた。
そして、この「姿なき声」には、少なくとも三つの物語が付着していた。
ラーヴァナの門が開く音
バリサルの南、ベンガル湾に面したククリ=ムクリ島(Char Kukri-Mukri)の住民は、この音を「ラーヴァナの門」の開閉音だと語った。ラーヴァナは叙事詩『ラーマーヤナ』の魔王で、ランカー島(現在のスリランカと同一視される)に君臨する。その巨大な城門が開くとき、閉まるとき、海を越えて轟音が届くのだ、という。1888年の『The Theosophist』の記事にも、ククリ=ムクリの人々が「Ravan’s gates」と呼んでいたことが確認できる。音が「南の海の向こう」から来るという感覚と、南海の魔王の伝説が、ぴたりと重なっている。
カーン・ジャハーンを讃える空中の砲
二つ目の物語はイスラムの聖者にまつわる。1867年、グルダス・バイサック(Gourdas Bysack)が記した現地の説明では、この音はカーン・ジャハーン・アリを讃えるために「空中の手」が撃つ砲声だとされた。カーン・ジャハーンは15世紀にクルナ地方を開拓し、バゲルハットに壮麗なモスク群を築いた聖者で、いまも廟には巡礼が絶えない。聖者を讃える礼砲が、天から撃たれる──という解釈である。オルコットはこれを自然霊の話へと引っ張っていくが、それは彼のオカルト趣味であって、現地の物語そのものは「聖者への敬意」の形をとっていた。
イマームの戦支度
三つ目は、1914年のベンガル語郷土史に残る説明だ。この音は、来るべき終末の日に現れるイマームが、戦いに備えて撃つ砲声である、という。ヒンドゥーの魔王、イスラムの聖者、そして終末のイマーム。同じ音に、三つの信仰が三つの物語を用意していた。どの物語も「見えないところで、大きな力が、砲を撃っている」という骨格は共通している。人々は最初から、この音を自然現象ではなく「誰かの意志」として聞いていたのだ。
MYSTERY POINT
伝承が示す「もうひとつのデータ」
伝承は科学的説明ではない。だが、伝承には観測票と同じくらい価値のある情報が含まれている。ラーヴァナの門の話が生まれたのは、音が「南の海の向こうから来た」と人々が感じていたからだ。カーン・ジャハーンの話は、音がクルナ地方でも長く知られていたことを示す。伝承の分布そのものが、音の分布を語っている。

Chapter 07
海底に口を開ける溝
ベンガル湾の底には、深さ1,200メートルの峡谷が実在する。名を「Swatch of No Ground」──底なしの帯。
バリサルの南、ベンガル湾に出てわずか数十キロ。浅い大陸棚が、突然、崖のように落ち込む場所がある。英国の海図はここを「Swatch of No Ground」と記した。測深の錘(おもり)を下ろしても底に届かない、という意味だ。現代の名はガンガ・トラフ。棚の縁で深さ約1,200メートル、谷底の幅は5〜7キロ、壁の傾斜は約12度。そしてこの溝は、海底扇状地の水路として、ベンガル湾を南へおよそ2,000キロも続いている。
この峡谷はただの地形ではない。ガンジスとブラマプトラが運ぶ膨大な泥は、デルタの前面に溜まり、この溝に集まり、乱泥流となって深海へ流れ落ちる。地球最大の海底扇状地であるベンガル・ファンは、この溝を通って積み上げられた。つまりここは、地球上でもっとも大量の土砂が、もっとも激しく動いている海底のひとつなのである。
ベヴァリッジがすでに1870年代に検討していたのが、この溝だった。大河の水と堆積物が深い海底へ落ち込むとき、その運動が爆音を生むのではないか。「底なしの帯」が鳴っているのではないか。
タイガー・ポイントの実験
この説には、19世紀の時点ですでに反証が試みられていた。ベンガル語郷土史が記録するところによれば、グルダス・バサック(Gourdas Basak)は音源を確かめるため、海の方向へ進み、サンダルバンスの南端、タイガー・ポイント付近まで行った。もし海底峡谷が鳴っているのなら、海に近づけば音は大きくなるはずだ。ところが──音は強くならなかった。
さらに1888年の『The Theosophist』の記事は、別の問題を指摘している。Swatch of No Ground はバリサルから見て南西の海上にある。しかし音は、ククリ=ムクリでは南から、別の場所では北からも報告されている。「その場所なら、観測される音の方向がおかしい」。ひとつの海底峡谷では、方角の矛盾が説明できない。
それでもこの説が消えないのは、Swatch of No Ground が現代の海洋地質学において、まさに「巨大な質量が突発的に動く場所」として研究されているからだ。2000年代以降の調査では、大型サイクロンの通過に伴って峡谷の斜面で大規模な斜面崩壊(マス・フェイリャー)が起きたことが確認されている。海底で崩れる何万トンの土砂は、確かに音を出す。問題は、その音が空気中の「大砲」として、百キロ離れたデルタの町に届くかどうかである。

Chapter 08
潮か、波か、雷か、地か
百三十年分の仮説を一枚の盤に並べる。どの説が、どの矛盾を説明でき、どこで止まるのか。
バリサル砲の正体をめぐって出された説は、大きく六つに分けられる。順に見ていこう。
説1:潮津波(タイダル・ボア)
1911年版『ブリタニカ百科事典』の「Backergunje」の項は、この地方を巨大な低地デルタとして描き、メグナ川の河口では春の大潮のときに非常に強いボア(潮津波)が川を遡上すること、そして「その頃、雷のようなバリサル砲が沖合でも聞かれる」と記している。潮の権威ジョージ・ダーウィンが最初に関心を持ったのも、おそらくこの線だ。上げ潮が壁のように川を駆け上がるとき、砂州や中州に激突する音は、確かに遠雷や砲声に聞こえる。大潮の周期性は、音の季節性とも合う。
ただしこの説では、ダッタの「晴天の四月に二十五発」も、「北から聞こえた」報告も、「海に近づいても大きくならない」というバサックの実験も説明できない。何より、潮は毎日来る。音は毎日は来なかった。
説2:砕波
ベンガル湾の巨大な波が、浅瀬や砂州で砕ける音だという説。海岸から65マイル(約105キロ)離れた内陸で聞こえるのは無理がある、という反論が19世紀からある。加えて1888年のククリ=ムクリの証言は、この音が「砕波の音や、潮が入ってくる音とは違う」と明確に区別している。海のそばで毎日波の音を聞いて暮らす人々が、「あれは波ではない」と言っているのだ。
説3:地震・地下現象
砲声のような音が地震に伴う例は、実在する。米国地質調査所(USGS)は、浅い震源の小さな地震では高周波の振動が地表に伝わり、揺れを感じないまま爆発音だけが聞こえることがあると説明している。ベンガル・デルタは地震帯であり、1897年のアッサム大地震も経験した。しかし、オールダム自身が地震学者でありながら、バリサル砲を地震だとは断定しなかった。そして米国の「セネカ・ガンズ」を2020年に解析したノースカロライナ大学のチームは、音の発生時刻に一致する地震記録がひとつも見つからなかったと報告している。地震で説明できる怪音はある。だがバリサル砲がそれだったという証拠はない。
説4:大気電気・球電
ベヴァリッジが検討し、1896年にトムリンソンが『Nature』で強く推した説。海が鳴っているのではなく、空が鳴っている。球電(球雷)は、雷雨のときに現れる光る球体で、破裂する際に爆発音を出すことがある。雨との関連はこれで説明がつく。だが、晴天の昼に二十五発、という証言とは折り合いが悪い。しかも球電は極めて稀な現象で、数十年にわたって同じ地方で頻発する理由がない。
説5:海底火山・海底噴出
ベンガル湾の海底に火山があり、噴出のたびに轟音を出しているという説。海底からの蒸気の噴出、ガス田からの噴出も同じ系列にある。だが19世紀の論者自身が疑問を呈した。何十年も活動している海底火山が、あれほど船の行き交う海で、いまだに発見されないのは不自然ではないか。現代の海底地形図にも、ベンガル湾北部に活火山はない。
説6:遠雷の異常伝播
現代に最も支持の多い説がこれだ。物理学者J・B・カルヴァートは「バリサル砲とは、数百キロ離れた雷鳴が、異常伝播によって運ばれ、聞こえる地点まで届いたものだ」と述べる。大気中に気温逆転層があると、音は上空で屈折して地表に戻り、通常なら届かない遠方にまで達する。1968年に気象学者ビュージンガーが『Weather』誌で「ラブレーの凍った言葉と、その他の空の未確認音」と題して論じたのも、この線である。ベンガル湾の沖合には、雨季も乾季も雷雲が立つ。それが「南から」届く。季節性、方角、雨との相関、音質、すべてがそれなりに説明できる。
では、これで解決か。そうはならない。異常伝播説は、「三発一組・三の倍数」を説明しない。雷は三で区切って鳴らない。「海へ近づいても大きくならない」は説明できる(音源は海ではなく空だから)が、「北から聞こえた」報告は、北に雷雲があったと仮定するしかない。そして最大の問題は、1950年以降、なぜ聞こえなくなったのか、である。ベンガル湾の雷は、いまも鳴っている。
| 説 | 雨との相関 | 晴天でも鳴った | 3発1組・3の倍数 | 方角が南・南西・北で不一致 | 海に近づいても大きくならない | 1950年頃に消えた |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 潮津波(ボア)1911 Britannica ほか | △ | ✕ | ✕ | ✕ | ✕ | △ |
| 砕波19世紀の一般説 | △ | △ | ✕ | ✕ | ✕ | △ |
| 地震・地下現象USGS、オールダム | ✕ | ◯ | ✕ | △ | ◯ | ✕ |
| 大気電気・球電ベヴァリッジ、トムリンソン 1896 | ◯ | ✕ | ✕ | △ | ◯ | ✕ |
| 海底峡谷・海底火山Swatch of No Ground 説 | △ | ◯ | ✕ | ✕ | ✕ | △ |
| 遠雷の異常伝播カルヴァート、Businger 1968 | ◯ | △ | ✕ | △ | ◯ | ✕ |
◯=説明できる/△=条件付きで説明できる/✕=説明できない、または矛盾する。「3発1組」の列を見てほしい。どの説も✕である。シュアーの記録が正しいなら、既知の自然現象はすべて落第する。

Chapter 09
世界中で鳴る「大砲」
ベルギーの霧の中、ニューヨークの湖、イタリアの丘、ドイツの湖畔。同じ音が、別の名前で呼ばれていた。
1913年、『Scientific American』誌は一本の記事に三つの名前を並べた。「Brontidi, Mistpoeffers, or Barisal Guns」。イタリア語、フラマン語、そしてベンガルの英語名。それぞれの土地で別々に名付けられた怪音が、じつは同族ではないかという認識が、20世紀初頭にはすでに共有されていたのである。1920年代の気象学書はさらに列挙する。ベルギー沿岸の mistpoeffers、ガンジス・デルタの Barisal guns、ドイツの Seeschiessen、イタリアの baturlio や boniti。1934年のイタリア百科事典トレッカーニも、ガンジス・デルタのバリサル砲を mistpoeffers 型の怪音として項目に載せた。
ベルギー:霧の中の「プッファー」
北海に面したベルギーとオランダの沿岸では、霧の日に「ミストプッファー(mistpoeffers)」が聞こえた。「霧の中でポンと鳴るもの」という意味だ。1895年から96年、ヴァン・デン・ブルックはこれを国家規模で調査し、『Ciel et Terre』誌に歴史的概観、ベルギー各地の観測者の証言、そしてベンガルの報告との比較を連載した。バリサルとオステンドの浜が、同じ学術誌の同じ連載で並べられたのである。
アメリカ:セネカ・ガンズと2020年の観測網
ニューヨーク州のセネカ湖とカユガ湖、そしてノースカロライナ州の海岸では「セネカ・ガンズ」が知られている。この名は作家ジェームズ・フェニモア・クーパーの短編に由来する。2020年12月、ノースカロライナ大学チャペルヒル校のイーライ・バードらは、米国地球物理学連合の年次大会で新しい解析結果を発表した。全米1,700か所に展開された地震計・気圧計網「EarthScope Transportable Array」の、ノースカロライナ設置期間(2013〜15年)のデータと、住民の報告を突き合わせたのだ。結果、ブームの信号は約1秒から10秒続き、最も強いのはケープフィア川周辺。一致する地震はなく、「これは大気の現象だ」とバードは結論した。候補として残ったのは、大気圏で爆発する隕石(火球)、大波、遠雷の増幅、軍用機のソニックブーム。だが観測網の密度が足りず、発生源は特定できなかった。バリサル砲の時代から百二十年、観測機器は飛躍的に進歩した。それでも、音源にはまだ手が届いていない。
イタリア:2024年の論文が「未解決」と書いた
イタリアの「ブロンティディ(brontidi)」は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アドルフォ・カンカーニ(1897〜1902年)、ティト・アリッピ(1902〜11年)、ルイジ・パラッツォ(1901〜08年)といった地震学者が、イタリア地震学会の会報で体系的に調査した怪音である。地方ごとに名が違う。アレッツォ周辺では「baturlìo della marina(海の轟き)」、シエナでは「ruglio della marina」、ボローニャやモデナでは「romba di Sassuolo」、アペニン山地の高地では「bombiti」。海から遠い内陸の丘でも「海の轟き」と呼ばれているのが面白い。2024年、アルジェンティエーリら14名の研究者が地下水学の専門誌『Acque Sotterranee』にこの現象の総説を発表し、地下水、地震、大気の三つの仮説を検討したうえで、いまなお「多分野の継続調査を要する未解決の問題」と結論づけている。
日本:海鳴り
日本には「海鳴り」がある。低気圧や台風の接近時、はるか沖の波が砕ける音が低い轟音として陸に届く現象で、漁師たちは天候悪化の前兆として恐れた。海鳴りには気象学的な説明が付いているが、19〜20世紀の英語文献では、日本の uminari もミストプッファーの同族として並べて扱われてきた。バリサル砲と海鳴りが決定的に違うのは、海鳴りは「唸り」であって、砲声ではないことだ。バリサル砲を聞いた人々は、口を揃えて「大砲」と言った。唸りではなく、破裂音。この違いは小さくない。
MYSTERY POINT
共通点は「大きな水のそば」
ベンガル・デルタ、北海沿岸、フィンガーレイクス、ケープフィア河口、ボーデン湖。怪音が報告される場所には、ほぼ例外なく大きな水面がある。だがイタリアのブロンティディは内陸の丘で鳴り、ルイス&クラークが聞いたのはロッキー山脈の麓だった。「水のそば」は必要条件ではないらしい。では、共通する条件は何なのか。それが分かっていれば、この記事は書かれていない。

Chapter 10
1950年、音が消えた
八十年鳴り続けた大砲は、誰にも気づかれないうちに止んだ。最後にそれを書き残したのは、ひとりの詩人だった。
怪音はいつ止んだのか。公式の記録はない。観測所が「本日をもってバリサル砲は終了」と宣言したわけではない。ただ、ある時期から、聞いたという人がいなくなった。それを書き残したのが、バングラデシュの国民的詩人スフィア・カマルである。
スフィア・カマルは1911年、バリサルのシャイエスタバードに生まれた。1988年に刊行した自伝的著作『エカレ・アマデル・カル(একালে আমাদের কাল)』の中で、彼女は子供の頃、叔父や年長者からこの怪音の話を聞かされたと書いている。そして、こう続ける。1950年以降、この音を聞いたという人の話を聞かなくなった。
これは観測記録ではない。詩人の、晩年の回想である。だからこそ、ここには数字にならないものが含まれている。彼女の世代にとってバリサル砲は「祖父母の時代の実話」であり、彼女の子供たちの世代にとっては「聞いたことのない昔話」になった。八十年鳴り続けた大砲は、一発の号砲もなく、静かに退場したのだ。
川そのものが、変わっていた
音が消えた理由について、確かなことは何も言えない。だが、ひとつだけ、見過ごせない事実がある。バリサルを流れるキルタンコラ川は、この百年で姿を変えていた。バリシャル県政府の公式説明によれば、現在の川幅はおよそ0.5キロ。英国統治時代にはおよそ1キロあった。中州と堆積によって川幅は半分になり、水深も下がった。
バリサル砲の消滅と河道の変化に因果関係があるという証拠はない。しかし、怪音が鳴っていた19世紀と、鳴らなくなった20世紀後半で、デルタそのものの条件が違うのは事実だ。川幅、水深、潮の入り方、砂州の位置、そして海岸線。もしバリサル砲の音源が「水と地形の組み合わせ」にあったのなら、その組み合わせが崩れたとき、音も止む。逆に音源が「空」にあったのなら、川が狭くなっても音は鳴り続けたはずだ。1950年の沈黙は、じつは有力な手がかりなのかもしれない。

Chapter 11
残された穴
どの説を採っても埋まらない五つの空白。バリサル砲は、ここで止まっている。
ここまで読んできた読者には、もう分かっているはずだ。バリサル砲は「正体不明の大砲の音」という一言では済まない。この現象の本当の謎は、音そのものより、音についての証言が互いに矛盾していることにある。最後に、どの説も埋められなかった穴を、五つに絞って並べておく。
回数が一致しない
ベヴァリッジは約六発、ダッタは十から二十五発で不規則、ウォラーは最大六発、シュアーは三発一組で三の倍数。同じ地方で、同じ十数年のあいだに、これほど回数の性格が違う音が「同じ現象」として語られている。三発説が正しければ既知の自然現象はすべて落第し、不規則説が正しければ「三発一組」という最も有名な特徴が消える。
天候が一致しない
シュアーとウォラーは雨との強い関連を語り、ダッタは晴天で何度も聞き、雨の最中の記憶はないと言う。異常伝播説も球電説も潮説も、雨か晴れか、どちらか一方しか説明できない。両方を同時に説明できる説は、まだ提出されていない。
方角が一致しない
南、南西、そして北。1888年の資料自身がこの矛盾を指摘している。海底峡谷は南西の一点にあり、ラーヴァナの門は南の海の向こうにある。北から来た音は、どちらの説明にも収まらない。
海に近づいても大きくならない
バサックはタイガー・ポイントまで行き、音が強くならないことを確かめた。音源が海にあるなら、これはあり得ない。音源が空にあるなら説明できるが、そのとき「三発一組」と「1950年の消滅」が説明できなくなる。
なぜ1950年頃に止んだのか
ベンガル湾の雷はいまも鳴り、潮はいまも川を遡る。地震帯も動き続けている。それなのに音だけが消えた。川幅が半分になったこと、海岸線と砂州が動いたこと以外に、この時期に何が変わったのか。人為的な騒音の増加で聞こえなくなっただけだという考えもあるが、バリサルは1950年当時、工業都市ではなかった。
ひとつの仮説を、あえて
この記事は真実の断定を目的としていない。それでも、証言の矛盾をすべて眺めたうえで、ひとつの考え方を置いておきたい。バリサル砲は、ひとつの現象ではなく、複数の現象が同じ名前で呼ばれていたのではないか。雨の夜に三発一組で鳴ったもの、晴れた昼に不規則に鳴ったもの、南から来たもの、北から来たもの。それらは別々の音源──沖の雷、河口の潮、地下の小さな揺れ、海底の崩落──であり、19世紀の人々は「遠くの大砲に似ている」という一点だけで、それらをまとめて「バリサル砲」と呼んだ。だとすれば、どの説も部分的に正しく、どの説も全体を説明できないのは当然である。
この仮説にも穴はある。なぜバリサル周辺で、これほど多種類の「大砲」が集中したのか。なぜそれが揃って1950年頃に止んだのか。答えは出ない。だが、答えが出ないまま、これだけの人間が真剣に耳を澄ませたという事実そのものが、この土地の記録として残っている。
最後に。もしあなたがいつかバングラデシュ南部を訪れ、雨の夜、南の空から三発の低い音を聞いたら、それは八十年前に止んだはずの音かもしれない。誰も撃っていない大砲は、いまも、どこかで鳴っているのかもしれない。
出典
A. 同時代の原資料・学術誌
- Henry Beveridge, The District of Bákarganj; its History and Statistics, London: Trübner & Co., 1876. Public Domain(Internet Archive / Wikimedia Commons 収録)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_district_of_B%C3%A1karganj;_its_history_and_statistics_(IA_districtofbkar00beve).pdf
- H. S. Olcott, “The Barisal Gun”, The Theosophist, Vol. IX, No. 108, September 1888. https://iapsop.com/archive/materials/theosophist/theosophist_v9_n108_september_1888.pdf
- George H. Darwin, “Barisal Guns and Mist Pouffers”, Nature, 31 October 1895.
- George B. Scott, “Barisal Guns”, Nature 53, 2 January 1896. https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/1896Natur..53..197G/abstract
- T. D. La Touche, “The Barisal Guns and Similar Sounds”, Nature 53, 248, 16 January 1896. DOI: 10.1038/053248a0
- C. Tomlinson, “Barisal Guns and Similar Sounds”, Nature 53, 295, 30 January 1896. DOI: 10.1038/053295c0
- Chas. H. Robinson, “Barisal Guns”, Nature 53, 487, 26 March 1896. DOI: 10.1038/053487a0
- Henry S. Schurr, “Barisal Guns”, Nature 61, 127, 7 December 1899. DOI: 10.1038/061127c0
- R. D. Oldham, “Barisal Guns”, Nature 61, 127, 7 December 1899. DOI: 10.1038/061127d0
- Popular Science Monthly, May 1900(シュアー観察の要約). Project Gutenberg #47219. https://www.gutenberg.org/cache/epub/47219/pg47219-images.html
- Ernest Van den Broeck, “Un phénomène mystérieux de la physique du globe”(mistpoeffers 連載), Ciel et Terre, Bruxelles, 1895–1896.
- Scientific American, “Brontidi, Mistpoeffers, or Barisal Guns”, 1913. https://www.scientificamerican.com/article/brontidi-mistpoeffers-or-barisal-guns/
B. 郷土史・百科事典
- Satish Chandra Mitra(সতীশচন্দ্র মিত্র), যশোহর খুলনার ইতিহাস(ジョショホル・クルナの歴史). ガイビ・アワジ、グルダス・バサック、Swatch of No Ground 説。https://www.ebanglalibrary.com/
- Encyclopædia Britannica, 11th ed., 1911, “Backergunje”. https://en.wikisource.org/wiki/1911_Encyclop%C3%A6dia_Britannica/Backergunje
- Enciclopedia Italiana Treccani, 1934, “Mistpoeffers”.
- Sufia Kamal(সুফিয়া কামাল), একালে আমাদের কাল, 1988.(1950年以降の消滅についての回想)
C. 現代の研究・報道・公的資料
- J. A. Businger, “Rabelais’ Frozen Words and Other Unidentified Sounds of the Air”, Weather, 1968. DOI: 10.1002/j.1477-8696.1968.tb03034.x
- Eli Bird et al., “North Carolina’s Seneca Guns: the Myth and Observation”, AGU Fall Meeting 2020, S001-0009. https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/2020AGUFMS001.0009B/abstract / Live Science 解説 https://www.livescience.com/agu-seneca-guns-cause.html
- A. Argentieri, R. De Ritis et al., “Much ado about something: the mysterious brontídi”, Acque Sotterranee – Italian Journal of Groundwater, Vol. 13, No. 4, 2024. https://www.acquesotterranee.net/acque/article/view/844
- U.S. Geological Survey, “Earthquake Booms, Seneca Guns, and Other Sounds”. https://www.usgs.gov/programs/earthquake-hazards/earthquake-booms-seneca-guns-and-other-sounds
- Banglapedia, “Swatch of no Ground”. https://en.banglapedia.org/index.php/Swatch_of_no_Ground
- Kudrass, H. R. et al., “Sediment transport in the shelf canyon ‘Swatch of No Ground’ (Bay of Bengal)”, Deep-Sea Research II, 2003. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0967064502006173
- Rogers, K. G. & Goodbred, S. L., “Mass failures associated with the passage of a large tropical cyclone over the Swatch of No Ground submarine canyon (Bay of Bengal)”, Geology, 2010.
- Barishal District Government, “কীর্তনখোলা নদী”(キルタンコラ川の河幅変化). https://barisal.gov.bd/
- The Daily Star, “The Mystery of the Barisal Guns”, Star Weekend. https://www.thedailystar.net/star-weekend/strange-history/the-mystery-the-barisal-guns-1534687
- The Financial Express (Dhaka), “Barisal Guns: A 150-year-old mystery”, 2022. https://thefinancialexpress.com.bd/others/barisal-guns-a-150-year-old-mystery-1669543767
- Roar বাংলা, “বরিশাল গানস: যে শব্দের উৎস আজও রহস্যাবৃত”. https://archive.roar.media/bangla/main/geography/barisal-guns-that-no-one-found-the-source-of-the-sound
- বাংলা উইকিপিডিয়া, “বরিশাল গানস”. https://bn.wikipedia.org/wiki/বরিশাল_গানস
- Wikipedia (en), “Barisal guns”(Krehl, Rainey, Pellew, Krauss, Zeppelin 各文献の書誌). https://en.wikipedia.org/wiki/Barisal_guns
- GlobalSecurity.org, “Barisal Guns”(1886年アジア協会回状の15件、J. B. Calvert の異常伝播説). https://www.globalsecurity.org/military/world/bangladesh/barisal-guns.htm
画像クレジット
- ガンジス・デルタ(ヒーロー):NASA/JPL/UCSD/JSC — NASA Media Usage Guidelines
- 2026年MODIS ガンジス・デルタ:MODIS Land Rapid Response Team / NASA GSFC / 1988年STS-27 デルタ:NASA Johnson Space Center, Earth Science & Remote Sensing Unit
- 1850年代ベンガル・カルカッタ写真群(ジャングル、トリーズ・ナラ、市街、植物園、プリンセプ・ガート、フーグリー川帆船、船舶、水辺、1845年の人々、イマームバラ):Captain R. B. Hill ほか撮影者不詳 / The Metropolitan Museum of Art / Public Domain(Open Access)
- 1890〜1910年頃フォトクロム(ベンガル村落、ハリソン通り I・II、フーグリー川の舟):Photoglob Co. / Library of Congress / No known restrictions on publication
- 現在のバリサル河港4点:Lonely Explorer / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons / 冬のキルタンコラ川・バリサル旧公共図書館:Ankan Ghosh Dastider / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
- ククリ=ムクリ島:Ashis Kumar Datta(監視塔・林)/ CC BY-SA 4.0;HAHoque(浜)/ CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
- クアカタ海岸:Lonely Explorer / CC BY-SA 4.0;Fahimrb / CC BY-SA 4.0 / サンダルバンス:Kingshuk Mondal / CC BY 4.0 / チャルファション衛星画像:Axelspace Corporation / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
- アジア協会(コルカタ):Biswarup Ganguly / CC BY 3.0 / G・H・ダーウィン肖像:Smithsonian Institution Archives / No known copyright restrictions / グレートフォールズ空撮:Jsayre64 / CC BY-SA 4.0 / スフィア・カマル:Public Domain / Wikimedia Commons
- オステンドの浜:Marc Ryckaert / CC BY 3.0 / セネカ湖:David Zhang / CC BY-SA 2.0 / ボーデン湖:Wawinchen / CC BY-SA 3.0 / ケープフィア河口:Dincher / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
- 1876年バカルガンジ地区図:Henry Beveridge / Public Domain
- 章扉背景:The open draft(Fiery Sunset with Storm Clouds 02・05)/ CC BY-SA 4.0;ALA TechSource / CC BY-SA 2.0;NASA Expedition 20 / PD;Schwarzer Kater / CC BY 2.0;Elliott Brown / CC BY-SA 2.0;Vyacheslav Argenberg / CC BY 4.0;NASA(Danube delta)/ PD;Maxime Raynal / CC BY 2.0;Conrad Malte-Brun 1832 / PD;Famartin / CC BY-SA 3.0 / 観測票の紙地:Caleb Kimbrough(Parchment.00)/ CC BY 2.0 — すべて Wikimedia Commons
コメント