草に覆われた段と、倒れた柱状の石が散らばるグヌン・パダンの頂上部

グヌン・パダン撤回された最古のピラミッド

2万7000年前という年代は、人の手の跡が無い土から測られていた。

RaiyaniM / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

遺跡の概要

グヌン・パダンは、インドネシア、西ジャワ州チアンジュール県の標高885メートルの丘の上にある巨石遺跡である。柱の形に割れた安山岩を並べた5段のテラスが築かれ、1914年にオランダの考古学者クロムが記録した。2023年10月、地質学者ダニー・ヒルマン・ナタウィジャジャらは学術誌『アーキオロジカル・プロスペクション』に、丘そのものが2万7000年前にさかのぼる「最古のピラミッド」だとする論文を発表した。論文は世界的な話題になったが、年代を測った土に人の活動の跡が無いと指摘され、2024年3月に撤回された。いま確かなのは、丘の上のテラスが人の手で築かれたことまでである。

この遺跡の三つの謎

  1. 丘の内部に、人が造った古い構造は本当にあるのか
  2. 丘の上のテラスは、いつ、誰が、何のために築いたのか
  3. 撤回された論文の測定値は、何を測っていたのか
年代
テラスは紀元後2〜8世紀ごろの築造とする見方が主流。2万7000年前とする説は論文撤回
場所
インドネシア、西ジャワ州チアンジュール県カリャムクティ村。標高885メートル
発見
1891年に初めて言及、1914年にクロムが記録、1979年に地元の農民が再発見
規模
5段のテラス。麓から約370段の石段で約95メートル上る

確定している事実

丘の上に石のテラスがあること、それが人の手で築かれたこと。ここまでは誰も争っていない。

遺跡は、チアンジュールの町の南西およそ50キロ、標高885メートルの丘の頂上にある。1891年、オランダの歴史家ルーヘル・フェルベークが、前年にこの地を訪れた人の報告として初めて書き記し、1914年には考古学者ニコラース・ヨハネス・クロムが記録した。その後は忘れられ、1979年に地元の農民が改めて見つけてから、1980年代に考古学の調査が進んだ。

グヌン・パダンの第1テラスに積まれた柱状の安山岩
第1テラスに積まれた柱状の安山岩。どれも自然に四角や六角の柱の形に割れた石である / Beeyan / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
構造
擁壁で区切られた5段のテラス
石材
柱状節理で割れた安山岩。長さ1〜3メートル
登り口
麓から約370段の石段、高さ約95メートル
保護
1998年に地域の文化財、2014年6月に国の遺跡区域(29ヘクタール)

テラスを作る石は、火山の溶岩が冷えるときに柱の形に割れたもので、この地域の岩山にはよく見られる。人々はこの「できあいの柱」を運んで並べ、段を築いた。石そのものを人が四角く削ったわけではない。

発掘と研究の記録

20世紀のあいだ、この遺跡は「ジャワの大きな巨石遺跡の一つ」でしかなかった。

グヌン・パダンの頂上へ続く石段
頂上へ続く石段。緑の手すりは現代のもの / Beeyan / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
グヌン・パダンのいちばん上、第5テラスの石の列
いちばん上の第5テラス。柱状の石が列になって並ぶ / Beeyan / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  1. 1891年
    初めての言及フェルベークが、1890年の訪問者の報告として遺跡に触れた。
  2. 1914年
    クロムの記録オランダの考古学者クロムが遺跡を記録した。
  3. 1979年
    再発見地元の農民が遺跡を改めて見つけ、1980年代に考古学の調査が続いた。
  4. 2011〜14年
    丘の内部を探るナタウィジャジャらが、地中レーダー、電気探査、地震波探査、ボーリングで丘の内部を調べた。
  5. 2023年10月20日
    最古のピラミッド説ナタウィジャジャら12人の論文が『アーキオロジカル・プロスペクション』に載る。
  6. 2024年3月18日
    論文の撤回出版社ワイリーと編集者が論文を撤回。著者は全員が撤回に反対した。
「グヌン」はインドネシア語で山のこと。スマトラ島の都市パダンにも同じ名の山があるが、この遺跡とは別の場所である。
木々に囲まれたグヌン・パダンの上段のテラス
木々に囲まれた上段のテラス。柱状の石が低い石垣のように並ぶ / Prabapratidhwani / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

ここから謎になる

問題は、目に見えるテラスではなく、その下の丘の中身だった。

2023年の論文は、丘の内部を4つの層に分けた。いちばん下の層は自然の溶岩の丘を人が「彫った」もので、その上に何度も手が加えられたという。論文が示した年代は、2万7000〜1万6000年前、8000〜7500年前、4000〜3100年前の三つの時期。最初の時期は最終氷期のさなかで、正しければ、エジプトのピラミッドより2万年以上古い建造物になる。

インドネシア、西ジャワ州の地図。チアンジュールとバンドン、ジャカルタの位置N
チアンジュール: 地図中央やや左の町。遺跡はその南西およそ50キロの山地にある
バンドン: 西ジャワ州の州都。チアンジュールの東
ジャカルタ: 地図の北西。遺跡からは南へ山地を越えた先になる

撤回までの5か月

論文は発表の直後から、考古学者たちの厳しい批判を受けた。

論文が年代の根拠にしたのは、丘に打ち込んだボーリングで抜き出した、石と石のあいだの土だった。サザン・コネチカット州立大学の考古学者ビル・ファーリーは、その試料には炭や骨のかけらのような人の活動の証拠が含まれていないと指摘した。土が古いことは、その上に人が石を積んだことを意味しない。

カーディフ大学の考古学者フリント・ディブルは、データそのものはまともだが、遺跡とその年代についての結論は正当化できないと述べた。インドネシア国立研究革新庁のルトフィ・ヨンドリも、この地域でその時代の高度な石造りの証拠は見つかっていないと指摘した。論文は丘の芯を人が「彫った」と主張したが、道具の跡も、石器も示していなかった。

グヌン・パダンに立つ2本の柱状の石
テラスに立つ2本の柱状の石。遺跡の石は、自然に柱の形に割れた安山岩である / Arie Basuki / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

2024年3月、出版社ワイリーと編集者は論文を撤回した。撤回の告知は、年代測定が人の手によると確かに解釈できる遺物や遺構と結びつかない土に対して行われていたと述べ、9000年以上前に建てられた古代のピラミッドだという解釈は正しくないと結論した。著者たちは撤回に反対し、検閲だと反発した。

測られたのは丘の土の年齢であって、人が石を積んだ時期ではなかった。
柱状の石が積み重なったグヌン・パダンの石の山

自然の丘か、人の建物か

柱の形の石が積み重なる姿は、それだけでは人の仕事の証拠にならない。

柱状の石が積み重なった一角。自然に崩れた石と、人が並べた石の見分けは、調査の大きな課題である / Arie Basuki / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

年代と技術

数字を並べると、主張と証拠のあいだの距離が見えてくる。

撤回された論文と遺跡の数字

27000年前論文が示した最も古い年代。人の活動の跡の無い土の測定値
5か月2023年10月の発表から2024年3月の撤回まで
29ha2014年に国の遺跡区域に指定された範囲

考古学の側では、丘の上のテラスは紀元後2〜8世紀ごろに築かれたとする見方が主流である。調査で出た土器のかけらは、紀元前45年から紀元22年ごろのものとされている。氷期の文明を示す遺物は、一つも見つかっていない。

説の対決

どの説にも、説明できることと、できないことがある。

01

氷期に築かれた最古のピラミッド

説明できる

丘の内部に層があることを探査で示し、深い土から2万年以上前の年代が出たこと

説明できない

年代を測った土に人の活動の跡が無く、道具の跡も石器も見つかっていないこと

02

自然の丘の上に後から築いたテラス

説明できる

柱状の安山岩がこの地域の岩山に広く見られること。土器の年代が紀元前後であること

説明できない

丘の内部の層がどうできたのかを、すべて説明しきれてはいないこと

03

何度も手が加えられた聖地

説明できる

探査で見えた丘の内部の層の一部に、人が土や石を足した可能性が残ること

説明できない

それぞれの時期がいつなのかを示す、確かな年代がまだ少ないこと

編集部の考察

確認事実:丘の上に柱状の安山岩を並べた5段のテラスがあり、人の手で築かれた。2万7000年前とした2023年の論文は、2024年3月に撤回された。

推論材料:撤回の告知、批判した考古学者たちの指摘、探査データそのもの、紀元前後とされる土器の年代。

考察:探査で見えた丘の内部の層は、火山の岩が冷えて割れ、崩れ、土に埋もれていった自然の過程でも生じうる。人が関わった証拠が出ないかぎり、深い土の古さはピラミッドの古さにはならない。

弱点・反証:丘の内部を本格的に発掘した例は少なく、層の成り立ちを直接確かめたわけではない。テラスが築かれた正確な時期も、まだ幅がある。

まだ解けていない問い

  • 1

    丘の内部に、人が造った古い構造は本当にあるのか

    探査で層は見えているが、それが人の造ったものだと示す遺物は見つかっていない。発掘で道具の跡や人工物が出るかどうかが鍵になる。

  • 2

    丘の上のテラスは、いつ、誰が、何のために築いたのか

    紀元後2〜8世紀ごろとする見方が主流だが、築いた人々と用途を示す記録は乏しい。

  • 3

    撤回された論文の測定値は、何を測っていたのか

    丘の中の土の年代である。土の中に炭や骨のような人の活動の跡が無く、石が積まれた時期を示すものではなかった。

グヌン・パダンの石の間から見た周りの山々

グヌン・パダンの石は、火山が作った柱である。人はそれを運び、並べ、山の上に段を築いた。その営みだけでも、十分に古く、十分に謎が多い。

この遺跡に必要なのは、2万年という数字ではなく、掘って確かめた証拠である。

Ardy79 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

写真・資料クレジット

草に覆われた段と、倒れた柱状の石が散らばるグヌン・パダンの頂上部

RaiyaniM / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

グヌン・パダンの第1テラスに積まれた柱状の安山岩

Beeyan / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

グヌン・パダンの頂上へ続く石段

Beeyan / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

グヌン・パダンのいちばん上、第5テラスの石の列

Beeyan / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

木々に囲まれたグヌン・パダンの上段のテラス

Prabapratidhwani / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

インドネシア、西ジャワ州の地図。チアンジュールとバンドン、ジャカルタの位置

Geospatial Information Agency of Indonesia / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

グヌン・パダンに立つ2本の柱状の石

Arie Basuki / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

柱状の石が積み重なったグヌン・パダンの石の山

Arie Basuki / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

グヌン・パダンの石の間から見た周りの山々

Ardy79 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

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この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

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