
ヴィッタラ寺院の 音楽柱
指で打つと、花崗岩の細い柱が楽器のような音を返す。柱の中は空洞ではなかった。
Dinesh Parthasarathy / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
遺跡の概要
南インドのハンピは、1336年から1565年までヴィジャヤナガル王国の都だった。その北東、トゥンガバドラー川の近くにヴィシュヌ神の一つの姿ヴィッタラを祀る寺院が残る。寺院の大広間には、打つと音を出す石の柱が並び、「音楽柱」と呼ばれてきた。2008年、インドの原子力研究所のチームがこの柱を初めて科学的に調べ、柱が中まで詰まった石であることと、音の高さが柱の太さと長さで決まることを示した。いまは柱を守るため、見学者は柱を打てない。
この遺跡の三つの謎
- 職人は、音の出る柱をねらって作ったのか
- この大広間は、音楽や踊りのための場だったのか
- 寺院はいつ、誰が建てたのか
- 年代
- 16世紀前半〜半ばとする研究者が多い。1565年の都の陥落で工事が止まった
- 場所
- インド・カルナータカ州ハンピ。トゥンガバドラー川の南岸
- 調査
- 2008年、インディラ・ガンディー原子力研究センターが音と内部を調べた
- 規模
- 塀に囲まれた境内は約1.3ヘクタール。大広間に音を出す石の梁や柱が56本
確定している事実
都と寺院、そして大広間。
ハンピは、ヴィジャヤナガル王国の都として1336年から栄えた。1500年ごろには北京に次ぐ世界で2番目に大きな都市だったと推定されている。1565年、ターリコータの戦いで王が討たれ、都は6か月にわたって略奪され、焼かれた。
ヴィッタラ寺院は、都の中心にあるヴィルーパークシャ寺院から北東へ3キロあまり離れた川の近くにある。本殿は東を向き、そのまわりに祠や広間が並ぶ。本殿の前にある四角い大広間が、音楽柱で知られる建物だ。

- 祀る神
- ヴィッタラ(ヴィシュヌ神の化身クリシュナの一つの姿)
- 石材
- 花崗岩
- 境内
- 塀に囲まれて約1.3ヘクタール。東に正門の塔
- 世界遺産
- 1986年登録。1999〜2006年は危機遺産
調査と保存の記録


- 1565年都の陥落ターリコータの戦いのあと都は破壊され、寺院の工事も止まった。
- 1856年最初期の写真アレクサンダー・グリーンロー大佐が寺院を撮影した。石の山車の上には、まだ塔が載っている。
- 1986年世界遺産に登録「ハンピの建造物群」としてユネスコの世界遺産に登録された。
- 2008年初めての科学調査アニシュ・クマールらが、よく知られた11本の柱の音と内部を調べ、米国音響学会誌に発表した。
- 2017年紙幣の図柄にインド準備銀行が発行した新しい50ルピー札の裏面に、ハンピの石の山車が描かれた。

ここから謎になる
石の柱は、なぜ楽器になるのか。
大広間の柱は、太い芯柱のまわりに細い円柱を何本も束ねた形をしている。この細い円柱を指で打つと、はっきりした高さの音が出る。音は鐘や太鼓、弦楽器に似ていると言われ、柱の中が空洞になっているからだという説明も広まっていた。

柱の中を調べる
2008年、原子力研究所のチームが柱に向き合った。
チームは、よく知られた11本の柱の音を録音し、低い周波数の超音波、打った振動の反射を測る方法、石の表面の組織を現地で見る方法を使った。その結果、音を出す円柱は中まで詰まった石だった。
録音した音のいちばん強い高さは、柱の寸法と石の中を伝わる音の速さから計算した「曲げ振動」の高さとよく一致した。細長い石の棒が、打たれて弓なりにしなって震えることで音が出ていたことになる。

音楽の広間か
言い伝えでは、ここで音楽や踊りの祭りが開かれたという。同時代の記録は見つかっていない。
説の対決
音の出る柱は、狙って作られたのか。
楽器として設計した
円柱ごとに音の高さが違い、その差が太さと長さで説明できること
設計や調律の方法を書いた当時の記録が見つかっていないこと
装飾の結果として鳴った
音の高さが、柱の太さと長さという形から自然に決まる量で説明できること
ここまで多くの柱が楽器のような音を出す理由を、偶然だけでは説明しにくいこと
音楽と踊りの広間
地元の言い伝えと、柱に囲まれた広い空間が大勢の集まりに向くこと
広間の使い道を示す碑文や同時代の証言が見つかっていないこと
編集部の考察
確認事実:大広間の円柱は中まで詰まった花崗岩で、音の高さは柱の寸法と石の中を伝わる音の速さから計算できる曲げ振動と一致する。
推論材料:2008年の米国音響学会誌の論文(11本の柱の録音、超音波、打撃の反射、表面組織の観察)。
考察:音の仕組みは物理で説明できる。ただし、音が出ることを職人が承知していたことと、狙って音程をそろえたことは別の問題だ。
弱点・反証:調べられたのは11本だけ。建てた年も施主もはっきりせず、職人の意図を示す記録は見つかっていない。
まだ解けていない問い
- 1
職人は、音の出る柱をねらって作ったのか
柱が鳴る仕組みは分かったが、職人が音程をねらって削ったと示す記録は見つかっていない。
- 2
この大広間は、音楽や踊りのための場だったのか
音楽や踊りに使われたというのは言い伝えで、それを書いた当時の記録や碑文はまだない。
- 3
寺院はいつ、誰が建てたのか
建立年を記した碑文がなく、15世紀に始まったとする本もあるが、多くの研究者は16世紀前半〜半ばとみている。
都が焼かれてから460年たつ。山車は塔を失い、柱はひびを抱えて囲いの中に立つ。
いまはもう、誰もあの柱を鳴らせない。
Vyacheslav Argenberg / Wikimedia Commons / CC BY 4.0研究
公的機関・報道・事典
写真・資料クレジット
Dinesh Parthasarathy / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Dineshkannambadi / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
VasuVR / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Kandukuru Nagarjun from Bangalore, India / Wikimedia Commons / CC BY 2.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Raghaven97 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Ms Sarah Welch / Wikimedia Commons / CC0 1.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Greenlaw, Alexander John Colonel, born 1818 – died 1870 (photographer) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Ingo Mehling / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Vyacheslav Argenberg / Wikimedia Commons / CC BY 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)