池の水面に映るパドマナーバスワーミ寺院の塔門

パドマナーバスワーミ寺院の開かずの間

五つの地下室から見つかった財宝は、報道で1兆ルピー超と見積もられた。残る一つ、ヴォールトBだけが開けられていない。

Prasanthajantha / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

遺跡の概要

インド南部ケーララ州の州都ティルヴァナンタプラムにあるパドマナーバスワーミ寺院は、横たわるヴィシュヌ神を祀るヒンドゥー教の寺院だ。寺院の管理をめぐる裁判の中で、インド最高裁判所は地下の宝物庫の目録作りを命じ、2011年6月27日から調べが始まった。AからFまでの六つの部屋のうち五つが開けられ、金の神像や金貨、宝石が見つかり、報道はその価値を1兆ルピー(約220億ドル)を超えると伝えた。しかしヴォールトBだけは、旧トラヴァンコール王家の申し立てなどで開けられないまま残った。2020年7月13日、最高裁は王家の管理の権利を認めたが、ヴォールトBの扱いには触れなかった。

この遺跡の三つの謎

  1. ヴォールトBの奥には、本当に財宝が眠っているのか
  2. ヴォールトBは、過去に開けられたことがあるのか
  3. この莫大な財宝は、いつ、どこから集まったのか
年代
起源は古く、現在の姿は18世紀のマールターンダ・ヴァルマ王の改修による
場所
インド・ケーララ州ティルヴァナンタプラム
発見
2011年6月27日から、最高裁の命令で地下室の目録作り
規模
地下室はAからFの六つ(ほかにG・Hの存在も伝えられる)。五つを開封

確定している事実

裁判所の命令で開けられた部屋と、そこで見つかったもの。争いのない記録を先に並べる。

寺院の財産の管理が正しくないとして、元警察官で弁護士のT・P・スンダララジャンが裁判を起こした。訴えは最高裁まで進み、最高裁は専門家の委員会をつくって地下の宝物庫の中身を記録するよう命じた。調べは2011年6月27日に始まった。

開けられたのはA、C、D、E、Fの五つの部屋だった。とくにヴォールトAからは10万2000点を超える品が見つかり、高さ約1.2メートルの純金の神像や、長さ約5.5メートルの金の鎖が記録された。

青空の下のパドマナーバスワーミ寺院と聖池
聖池の向こうにそびえるパドマナーバスワーミ寺院の塔門 / Aravind Sivaraj / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
祀られている神
パドマナーバ。蛇アナンタの上に横たわるヴィシュヌ神
開けられた部屋
A、C、D、E、F の五つ(2011年)
最大の発見
ヴォールトAの10万2000点以上の品
見積もり
報道で1兆ルピー超。骨董としての価値は含まない

調査の記録

財宝は、王国の歴史と裁判の歴史が重なった場所に眠っていた。

ティルヴァナンタプラムの古い城壁
寺院を囲むティルヴァナンタプラムの旧市街に残る城壁 / Sugeesh / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
夕焼けのパドマナーバスワーミ寺院と池
夕暮れの寺院と聖池。城壁の内側に、祭礼と王家の暮らしの場が集まっていた / Krbivinlal / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  1. 1750年1月17日
    王国を神に捧げるトラヴァンコール王国のマールターンダ・ヴァルマ王が、王国をパドマナーバに捧げる儀式を行った。以後の王は「パドマナーバの下僕」を名乗った。
  2. 2011年
    ケーララ州高裁の判断州に寺院の管理と財産を引き取るよう命じた。王家はこれを不服として最高裁に上訴した。
  3. 2011年6月27日
    地下室の開封最高裁の命じた委員会が目録作りを始め、五つの部屋を開けた。
  4. 2011年7月17日
    訴えた人の死訴えを起こし、委員会の一員でもあったスンダララジャンが70歳で亡くなった。
  5. 2020年7月13日
    最高裁の判決王家の管理の権利を認め、地方裁判官を長とする委員会に当面の運営を任せた。ヴォールトBには触れなかった。
スンダララジャンの死は「蛇神の呪い」と結びつけて語られたが、報道によれば数日の発熱の後、心臓発作で亡くなった。
夜に照らされたパドマナーバスワーミ寺院の塔門
夜の明かりに浮かぶパドマナーバスワーミ寺院の塔門 / JVN5871 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

ここから謎になる

ヴォールトBについては、記録と証言が食い違う。

ヴォールトBの扉には蛇の像があり、開ければ災いが起きるという言い伝えがある。王家は開封に強く反対した。ところが元会計検査院長のヴィノッド・ライが最高裁に出した監査報告は、寺院の記録簿によれば1990年7月から2002年12月までに少なくとも7回開けられていたと指摘した。王家の側は、開けたのは外側の扉だけで、奥の部屋は手つかずだと反論している。

曇り空の下、池の向こうに見えるパドマナーバスワーミ寺院
塔門: 7層の塔門が寺院の東の入口に立つ。地下の部屋はこの奥の聖域の周りにある
聖池パドマティールタム: 塔門の東に広がる寺院の池
旧市街: 寺院は城壁に囲まれた旧市街の中心にあり、ケーララ州の州都ティルヴァナンタプラムの南寄りにある

神のものになった王国

財宝が誰のものかを考えるには、1750年までさかのぼる必要がある。

1750年、マールターンダ・ヴァルマ王は自分の王国をパドマナーバに捧げるトリッパディダーナムを行った。王は神の代理として国を治める形をとり、代々の王が「パドマナーバ・ダーサ(パドマナーバの下僕)」を名乗った。

このため、地下室の品は王家の私物でも国の財産でもなく、神に捧げられたものとして扱われてきた。2011年の州高裁は州の管理を命じたが、2020年の最高裁は王家の宗教上の管理の権利を認め、判断を覆した。

マールターンダ・ヴァルマ王が王国をパドマナーバに捧げる場面の挿絵
王国をパドマナーバに捧げるマールターンダ・ヴァルマ王。P・シャングーニー・メノン『トラヴァンコール史』(1878年)の挿絵 / P. Shungoonny Menon / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
財宝の持ち主は、王でも国でもなく、神だということになっている。
灯明祭ラクシャディーパムの夜のパドマナーバスワーミ寺院

閉じたままの扉

判決は財宝の管理者を決めたが、ヴォールトBの前では口を閉ざした。

灯明祭ラクシャディーパムの夜のパドマナーバスワーミ寺院(2020年) / Arun RJ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

数字で見る財宝

記録された数字の多くは、裁判の中で表に出たものだ。

2011年の目録作りと監査

5室2011年に開けられた地下室の数(A〜Fのうち)
10万2000点以上ヴォールトAから見つかった品のまとまり
7回監査報告が指摘した、ヴォールトBが開けられた回数

1兆ルピーという数字は、目録にもとづいて報道が伝えた見積もりで、骨董としての価値は含まれていない。品々は写真も含めてほとんど公開されておらず、全体の価値を外から確かめる方法は無い。

ライの監査報告は、ほかにも金の品の記録の食い違いや管理の不備を指摘した。王家はこれに反論している。

説の対決

ヴォールトBが開けられない理由には、三つの見方がある。

01

信仰が開封を禁じる

説明できる

扉の蛇の像と言い伝え、王家の強い反対、最高裁が開封を命じなかったこと

説明できない

記録簿にある過去の開封が本当なら、「一度も開けられていない」という話とは合わない

02

奥にさらに大きな財宝がある

説明できる

ライが、最も大きな部屋であり、ほかより多くの財宝があるかもしれないと述べたこと

説明できない

中を見た公的な記録が無く、推測の域を出ない

03

すでに開けられ、特別なものは無い

説明できる

1990年から2002年までの記録簿の記載

説明できない

王家は外側の扉だけだと反論しており、奥の部屋まで開けた証拠は示されていない

編集部の考察

確認事実:2011年に最高裁の命令で五つの地下室が開けられ、金の神像や金の鎖を含む大量の品が記録された。ヴォールトBは開けられず、2020年の判決も開封を命じなかった。

推論材料:最高裁の命令と2020年の判決、ヴィノッド・ライの監査報告、王家の反論、当時の報道による見積もり。

考察:ヴォールトBの謎は、中身よりも「誰が開ける権利を持つか」の問題として続いている。判決が管理の権利を王家に戻したことで、開封は信仰の判断に委ねられた形になった。

弱点・反証:中を見た公的な記録が無く、財宝の有無も価値も推測にとどまる。過去の開封も、記録簿の読み方をめぐって王家と監査の言い分が分かれている。

まだ解けていない問い

  • 1

    ヴォールトBの奥には、本当に財宝が眠っているのか

    中を見た公的な記録が無く、あるともないとも言えない。監査報告の推測も、確かめる手段が無い。

  • 2

    ヴォールトBは、過去に開けられたことがあるのか

    記録簿には1990年から2002年に少なくとも7回の開封があるが、王家は外側の扉だけだと反論し、決着していない。

  • 3

    この莫大な財宝は、いつ、どこから集まったのか

    1750年の王国奉納以来、王家と寺院に集まった奉納や財産と考えられるが、品ごとの来歴はほとんど公開されていない。

夜の池に映るパドマナーバスワーミ寺院の塔門

寺院ではいまも毎日祈りが捧げられ、6年に一度の灯明祭ラクシャディーパムには10万の灯がともる。最近では2026年1月14日に行われた。地下の部屋の中身を知る人は、ほとんどいない。

扉の向こうにあるのが財宝か信仰か、それを決めるのは、まだ誰でもない。

Thejas Panarkandy / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0

写真・資料クレジット

池の水面に映るパドマナーバスワーミ寺院の塔門

Prasanthajantha / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

青空の下のパドマナーバスワーミ寺院と聖池

Aravind Sivaraj / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ティルヴァナンタプラムの古い城壁

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夕焼けのパドマナーバスワーミ寺院と池

Krbivinlal / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

夜に照らされたパドマナーバスワーミ寺院の塔門

JVN5871 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

曇り空の下、池の向こうに見えるパドマナーバスワーミ寺院

Kamaljith K V / Wikimedia Commons / CC BY 2.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

マールターンダ・ヴァルマ王が王国をパドマナーバに捧げる場面の挿絵

P. Shungoonny Menon / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

灯明祭ラクシャディーパムの夜のパドマナーバスワーミ寺院

Arun RJ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

夜の池に映るパドマナーバスワーミ寺院の塔門

Thejas Panarkandy / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

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この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

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