
北極圏の発作 ピブロクト
氷の上を裸で走り出す女性たち。その姿を書き残したのは、ほとんどが外から来た探検隊の男たちだった。
Christof46 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
事件の概要
ピブロクト(ピブロクトク)は、グリーンランド北西部に暮らすイヌイット、イヌグイットの人々に見られたとされる発作である。叫び声を上げ、服を脱ぎ捨て、極寒の氷の上を走り回り、しばらくすると落ち着いて、あとでそのことを覚えていないという。記録の多くは、1890年代から1900年代にこの地で越冬したアメリカの探検家ロバート・ピアリーの隊によるもので、西洋では「北極ヒステリー」と呼ばれた。その後、カルシウム不足やビタミンAの取りすぎなど、さまざまな原因が唱えられた。1995年、歴史家ライル・ディックは、この「病気」そのものが探検隊と先住民の関係から生まれた見方ではないかと問い直した。
この事件の三つの謎
- ピブロクトは、本当に一つの病気だったのか
- 極夜や食べ物は、発作と関係していたのか
- 記録した探検隊は、何を見て、何を見落としたのか
- 時期
- 記録が集中するのは1890年代〜1910年代。冬の暗い時期に多いとされた
- 場所
- グリーンランド北西部(スミス海峡の沿岸)。イヌグイットの人々のあいだで
- 記録者
- 探検家ロバート・ピアリーの隊。1913年に精神科医ブリルが論文にまとめた
- いまの扱い
- DSM-IVでは文化結合症候群の一つに挙げられたが、DSM-5の用語集には無い
確定している事実
誰が、どこで、何を書き残したか。ここまでは記録で確かめられる。
グリーンランドの北西部、スミス海峡に面した沿岸には、世界で最も北に暮らす人々の一つ、イヌグイットの集落がある。アメリカ海軍の技術将校ロバート・ピアリーは、1890年代から1909年まで、この地を拠点に北極探検をくり返し、イヌグイットの人々を案内役やそり引き、縫い手として雇った。

- 呼び名
- ピブロクト(piblokto)、ピブロクトク(pibloktoq)。英語では Arctic hysteria
- 記録された症状
- 叫ぶ、服を脱ぐ、氷の上を走る。のち泣いて落ち着き、覚えていない
- 主な記録者
- ロバート・ピアリーと隊員たち
- 最初の論文
- 1913年、精神科医A・A・ブリル「ピアリーのエスキモーのピブロクトすなわちヒステリー」
ピアリーの隊は、冬のあいだ船や小屋で越冬し、多くのイヌグイットの家族がそばで暮らした。ピブロクトの様子は、この越冬生活の中で、隊長や隊員の本や写真を通じて外の世界に伝えられた。
記録の時系列
探検記の一節が、100年かけて精神医学の用語になっていった。
- 1890年代ピアリーの探検記探検隊の越冬ピアリーがグリーンランド北西部で越冬をくり返し、イヌグイットの発作を目にする。
- 1908〜09年ピアリーの1910年の著書ルーズベルト号の冬最後の北極点遠征の越冬中、大人の誰かが1〜2日おきに発作を起こし、1日に5件のこともあったと書く。
- 1913年『神経精神病学雑誌』40巻ブリルの論文ニューヨークの精神科医ブリルが、ピアリーの隊の記録をもとにヒステリーの一種として論じる。
- 1960年『アントロポロジカ』2巻学際的な研究人類学者ウォレスとアッカーマンが、心理・文化・生物の面から論じ、カルシウム不足の説が唱えられる。
- 1972年アメリカ人類学会のモノグラフファウルクスの調査精神科医ファウルクスが、1969〜70年のアラスカ北部での観察をもとに『北極のヒステリー』を出す。
- 1985年『ソーシャル・サイエンス・アンド・メディスン』21巻ビタミンA説人類学者ランディが、ビタミンAの取りすぎが一部の例に関わる可能性を示す。
- 1995年『アークティック・アンソロポロジー』32巻ディックの問い直し歴史家ライル・ディックが、残された記録をすべて見直し、「病気」という枠組みそのものを疑う。

ここから謎になる
記録を書いたのは誰で、書かれたのは誰だったのか。
ピブロクトの記録は、ほとんどが探検隊の側から書かれている。発作を起こしたとされる人々自身の言葉は、ほぼ一つも残っていない。しかも、発作の多くは探検隊の越冬地で、隊の男たちの目の前で起きていた。何が「病気」として書き留められ、何が書かれなかったのかは、記録そのものからは分からない。

犬のピブロクト
ピアリーは、そり犬がかかる狂乱もピブロクトと呼ばれると書いた。同じ言葉が人と犬の両方に使われていた。

毛皮の衣服
記録では、発作を起こした女性は服を脱ぎ捨てた。極寒の地で、衣服を失うことは命に関わった。

探検を支えた人々
遠征はイヌグイットのそり、犬、衣服、そして人手なしには成り立たなかった。発作の記録は、この協力関係の中で生まれた。

ロバート・ピアリー
探検家(1856〜1920年)グリーンランド北西部で越冬をくり返し、1909年に北極点に達したと主張した。著書でピブロクトの様子をくわしく書いた。

A・A・ブリル
精神科医(1874〜1948年)フロイトの著作を英語に訳した精神分析家。1913年、ピアリーの隊の記録をもとに、ピブロクトをヒステリーの一種として論じた。
探検家が書いたこと
ピアリー自身の文章を読むと、何が見えて、何が見えていないかが分かる。
ピアリーは1910年の著書『北極点』で、こう書いている(以下は原文からの訳)。「患者はたいてい女性で、叫び声を上げ、服を引き裂いて捨て始める。船の上なら、寒暖計がマイナス40度台を指していても、たいていは裸のまま、叫び、身ぶりをしながら甲板を行き来する」。発作は数分から1時間以上続き、無理に連れ戻さなければ凍え死ぬまで氷の上を走り続けそうな者もいたという。
ピアリーは原因について、亡くなった家族や遠くにいる家族を思い悩むことや、先行きへの不安が引き金になっているように見える、と書いた。家の中で発作が起きても、ナイフに手を伸ばしたり人を傷つけようとしたりしない限り、周りの人はあまり気にしなかった。発作はたいてい泣き出して終わり、そのあと1時間ほど体が震え続けたという。
一方で、ピアリーの隊の男たちとイヌグイットの女性たちとの関係については、探検記はほとんど語らない。のちの研究者は、隊員が夫の留守中の女性と関係を持っていたことや、ピアリー自身にもイヌグイットの女性との間に子どもがいたことを指摘している。発作が起きたのは、そうした力の差のある暮らしのただ中だった。
極夜の越冬地
太陽の昇らない冬、船は氷に閉ざされ、隊員とイヌグイットの家族が同じ場所で何か月も暮らした。
記録に残った数字
ピアリーが書いた数字は少ないが、その場の空気をよく伝えている。
ピアリー『北極点』(1910年)の記述から
ピアリーは、子どもが発作を起こしたのは一度も見たことがないとも書いている。記録された例の多くは大人の女性で、冬の暗い時期に多いとされた。ただし、これは探検隊が越冬した時期と場所の記録であり、一年を通して、あるいは探検隊のいない集落でどうだったのかは分からない。
説の対決
原因をめぐる説は、時代ごとの医学の関心を映してきた。
栄養の偏りが原因
冬の日照不足でビタミンDが作れずカルシウムが不足しうること。ホッキョクグマなどの肝臓には毒になるほどのビタミンAが含まれること
ファウルクスの調査では、患者のカルシウム不足ははっきり示されなかった。ビタミンA説も、患者の摂取量を測った証拠が無い
極夜と寒さによる心の病
発作が冬の暗い時期に多いとされたこと。ピアリーが家族への思いや先行きの不安を引き金と見たこと
同じ環境で暮らす人々の大多数には起きておらず、なぜその人に、その時に起きたのかを説明できないこと
探検隊との関係が生んだ「病名」
記録の多くが探検隊の越冬地のものであること。性的な強要や支配への抵抗、病気、不安、シャーマンの儀礼など、違うものが一つの名前にまとめられた可能性があること
発作を起こした本人たちの言葉がほとんど残っておらず、一つ一つの例の事情を確かめられないこと
編集部の考察
確認事実:1890年代から1909年にかけて、ピアリーの探検隊はグリーンランド北西部のイヌグイットの人々の発作を記録し、1913年にブリルがそれをヒステリーとして論文にした。
推論材料:ピアリーの著書『北極点』(1910年)、ブリルの論文(1913年)、ウォレスとアッカーマン(1960年)、ファウルクス(1972年)、ランディ(1985年)、ディック(1995年)。
考察:記録された発作が実際に起きていたことまで否定する理由は無い。ただ、それを一つの「病気」と見なしたのは外から来た観察者であり、記録が探検隊の越冬地に集中していることから、不安、病気、抵抗、儀礼など性質の違うものが一つの名前にまとめられた可能性は高い。
弱点・反証:発作を起こした本人やイヌグイットの側の記録がほとんど無く、どの説も決定的には確かめられない。栄養説も、当時の人々の血液や食事を測ったデータは無い。
まだ解けていない問い
- 1
ピブロクトは、本当に一つの病気だったのか
探検隊はそう見なしたが、残された例は少なく、性質の違う出来事が一つの名前にまとめられていた可能性が指摘されている。
- 2
極夜や食べ物は、発作と関係していたのか
冬に多いとされ、カルシウム不足やビタミンAの取りすぎが唱えられたが、調査で裏づけられたとは言えない。
- 3
記録した探検隊は、何を見て、何を見落としたのか
発作の様子はくわしく書かれたが、隊とイヌグイットの女性たちとの力の差のある関係や、本人たちの言葉はほとんど記録されなかった。
ピブロクトという言葉は、100年のあいだに探検記から精神医学の教科書へ移り、そしてまた消えていった。
謎として残ったのは、北極の病気よりも、それを記録した側のまなざしのほうかもしれない。
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研究
- Lyle Dick, “‘Pibloktoq’ (Arctic Hysteria): A Construction of European-Inuit Relations?”, Arctic Anthropology 32(2) (1995)
- David Landy, “Pibloktoq (hysteria) and Inuit nutrition: possible implication of hypervitaminosis A”, Social Science & Medicine 21(2) (1985)
- Edward F. Foulks, The Arctic Hysterias of the North Alaskan Eskimo (American Anthropological Association, 1972)
- SFGate (AP), “Peary’s, Henson’s legacies live in Inuit families” (2011)
診断基準・事典
写真・資料クレジット
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