ロングビーチ港に停泊するヒューズ・グローマー・エクスプローラー

プロジェクト・アゾリアン

海底5,000メートルに沈んだソ連の潜水艦を、CIAは富豪の採掘船に見せかけた船でつかみ上げようとした。

TedQuackenbush / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

事件の概要

1968年3月、ソ連の弾道ミサイル潜水艦K-129が北太平洋で沈み、乗組員98人が亡くなった。アメリカは海底の音の記録から場所を割り出し、潜水艦ハリバットが残骸を撮影した。CIAは富豪ハワード・ヒューズの海底採掘船という表向きの話で巨大な回収船を造り、1974年夏に引き上げを試みた。つかんだ船体は途中で大半が折れて沈み、手に入ったのは前部の約12メートルだけだった。何が回収されたのかは、いまも一部しか公表されていない。

この事件の三つの謎

  1. K-129は、なぜ沈んだのか
  2. CIAは、実際に何を手に入れたのか
  3. 折れて沈んだ残りの船体は、なぜ引き上げられなかったのか
発生
1968年3月にK-129が沈没、1974年7〜8月に回収作業
場所
ハワイ北西の北太平洋、水深約5,000メートル
関係者
CIA、回収船ヒューズ・グローマー・エクスプローラー、ハワード・ヒューズの会社
状態
船体の一部を回収。CIAの記録は2010年から一部公開

確定している事実

沈没の年、深さ、回収の日付、引き上げた部分。公開された記録と報道で確かめられることだけを先に並べる。

K-129は、ディーゼルで動くソ連の弾道ミサイル潜水艦(ゴルフII型)だった。1968年2月24日にカムチャツカの基地を出て、3月8日ごろに北太平洋で沈んだ。乗っていた98人は、全員が亡くなった。

ソ連は広い海域を探したが、見つけられなかった。アメリカは海中の音を聞く観測網の記録から沈んだ場所を絞り込み、1968年8月、潜水艦ハリバットが水深約5,000メートル(1万6,500フィート)の海底で残骸を見つけて撮影した。

洋上を進むヒューズ・グローマー・エクスプローラー
洋上のヒューズ・グローマー・エクスプローラー。長さ約189メートル(619フィート)の回収船だった / U.S. Government / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
沈没
1968年3月8日ごろ。乗組員98人が死亡
深さ
約5,000メートル(1万6,500フィート)
回収船
ヒューズ・グローマー・エクスプローラー。1972年11月4日進水
回収
1974年8月。前部の約12メートル(38フィート)だけを引き上げ

1968年から2010年まで

沈没から、引き上げ、暴露、記録の公開まで。

  1. 1968年3月ソ連・米国の記録
    K-129が沈む北太平洋で消息を絶つ。ソ連の捜索は場所をつかめなかった。
  2. 1968年8月米海軍の記録
    ハリバットが発見海底の残骸を撮影する。CIAは引き上げの検討を始める。
  3. 1972年12月11日CIAの公開文書
    ニクソンが続行を指示政府内の中止論を押し切り、計画を続けさせる。
  4. 1974年7〜8月CIAの公開文書
    引き上げ7月4日に現場へ着き、8月に船体の一部を船内に収める。
  5. 1974年9月CIAの公開文書
    海での葬儀回収された乗組員6人を、軍の礼式で海に葬る。
  6. 1975年2〜3月当時の報道
    新聞とラジオが暴露ロサンゼルス・タイムズ、ジャック・アンダーソン、ニューヨーク・タイムズが相次いで報じる。
  7. 2010年2月12日国家安全保障アーカイブ
    CIAの記録を一部公開1985年のCIA内部誌の記事が、多くを黒塗りにしたまま公開される。
計画名「アゾリアン」はのちに明らかになった呼び名で、1975年の報道では「ジェニファー」と呼ばれた。CIAの公開文書は、今も予算や回収品の多くを黒塗りにしている。
ヒューズ・グローマー・エクスプローラーの船体と櫓。手前に帆船
ロングビーチ港のヒューズ・グローマー・エクスプローラー。船の中央の櫓から、長さ約5キロのパイプを海底へ下ろした / Tequask / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

ここから謎になる

引き上げの途中で、つかんでいた船体の大半が海の底へ戻っていった。

回収船は、「クレメンタイン」と呼ばれた巨大なつかみ具で船体を抱え、パイプを少しずつ巻き上げた。ところが途中でつかみ具の爪が折れ、予定していた部分の大半が、ふたたび海底へ落ちた。船内に収められたのは、前部の約12メートルだけだった。

航行するソ連の潜水艦K-129(艦番号722)
K-129(艦番号722)。CIAの写真 / CIA photo / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

沈んだ潜水艦

核弾頭つきの弾道ミサイルと暗号の機器を積んでいたとされる。

1965年、ダイヤモンドヘッド沖を進む潜水艦ハリバット
改装後のハリバット(1965年、ダイヤモンドヘッド沖) / U.S. Navy / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

見つけた潜水艦

1968年8月、海底の残骸をカメラで探し当てた。

K-129の沈没・回収地点を示す北太平洋の地図
K-129の回収地点を示す地図 / Enemenemu / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

沈んだ場所

ハワイの北西、ソ連の基地からも米本土からも遠い外洋だった。

1938年のハワード・ヒューズ

ハワード・ヒューズ

富豪・実業家(写真は1938年)

CIAは、ヒューズが海底のマンガン団塊を採るために船を造った、という表向きの話を使った。船の持ち主はヒューズの会社サマ社とされた。

アゾリアン計画の展示品の横に立つ技術者シャーマン・ウェットモア

シャーマン・ウェットモア

回収船の主任技術者

CIAはグローマー・エクスプローラーの主任技術者として紹介している。CIAの博物館の展示で、当時の品々とともに紹介されている。

採掘船という仮面

世界で一番目立つ富豪の名が、世界で一番秘密の作戦を隠した。

回収船はペンシルベニア州チェスターのサン造船所で造られ、1972年11月4日に進水した。表向きは、海底に転がるマンガン団塊を採るための船だった。乗組員の服にはサマ社の名のワッペンがつき、船は実際に団塊も採って見せた。

費用ははっきりしない。国家安全保障アーカイブは、1974年当時の金額で最大5億ドルほどと見積もっている。回収作業のあいだ、ソ連の船が近くに来て様子をうかがっていたが、作業は止められなかった。

樹脂に封じられたマンガン団塊。グローマー・エクスプローラーが太平洋で採ったもの
グローマー・エクスプローラーが太平洋で実際に採ったマンガン団塊。表向きの話を裏づけるための「本物の成果」だった / Central Intelligence Agency / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
CIAは作戦の有無を「肯定も否定もしない」と答えた。この言い方は、いまも「グローマー回答」と呼ばれる。
CIAが作った海底のK-129の残骸の模型

海の底の残骸

CIAは作戦のさなか、海底で崩れた船体の模型を作っていた。

CIAが作戦中に作った、海底のK-129の残骸の模型。2022年にCIA博物館で初めて展示された / The Central Intelligence Agency / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

回収の記録

公表された数字は少ない。確かめられるものを三つ。

1974年の回収作業

5,000mK-129が沈んでいた深さ(1万6,500フィート)
12m引き上げられた前部の長さ(38フィート)
6人回収され、海に葬られた乗組員の数

ロシアの専門家は、CIAが少なくとも核弾頭つきの魚雷2本を手に入れたとみている。CIAはミサイルや暗号書を得たかどうかを明らかにしていない。1992年10月、CIA長官ロバート・ゲーツは、6人の海の葬儀を写した映像をロシアのエリツィン大統領に手渡した。

説の対決

K-129は、なぜ沈んだのか。

01

艦内の事故

説明できる

ディーゼル潜水艦で起こりうる浸水事故で、急に沈んだこと

説明できない

どの事故だったのか。電池の爆発説には、爆発は沈没の結果であって原因ではないという米海軍の技術者の反論もある

02

ミサイルの爆発

説明できる

米空軍と米海軍の観測網が、爆発か圧壊のような大きな音を一度だけ記録したこと

説明できない

ミサイルの区画が爆発したことを示す、公開された証拠

03

米潜水艦との衝突

説明できる

米潜水艦ソードフィッシュが1968年3月17日、曲がった潜望鏡の応急修理のため横須賀に入港したこと

説明できない

米側は、沈没時に近くに米潜水艦はいなかったと否定している。衝突を示す記録は公開されていない

編集部の考察

確認事実:1968年に沈んだK-129を、CIAは1974年に採掘船を装った船で引き上げようとし、前部の約12メートルと乗組員6人の遺体を回収した。

推論材料:2010年に公開されたCIA内部誌の記事(1985年)、国家安全保障アーカイブの解説、1975年の報道、回収船の記録。

考察:作戦の目的だったミサイルと暗号の多くは、折れて沈んだ部分にあった可能性が高い。作戦は技術では成功に近く、成果の面では失敗に近いとみるのが妥当だろう。

弱点・反証:回収品の中身はCIAの記録で黒塗りのままで、実際にどれだけの情報を得たのかは、外からは確かめられない。

まだ解けていない問い

  • 1

    K-129は、なぜ沈んだのか

    ソ連・ロシアは公式の結論を出しておらず、残骸の調査記録も公開されていない。

  • 2

    CIAは、実際に何を手に入れたのか

    CIAは回収品の目録を明かしておらず、公開文書の多くは黒塗りのままである。

  • 3

    折れて沈んだ残りの船体は、なぜ引き上げられなかったのか

    1975年の暴露で秘密が保てなくなり、2回目の回収計画は中止された。落ちた船体は海底でさらに壊れていたとされる。

サマ社の名が入ったグローマー・エクスプローラー乗組員のワッペン

採掘会社のワッペンをつけた乗組員が、海底からつかみ上げたのは、船体の12メートルと6人の遺体だった。

残りのK-129は、いまも5,000メートルの底に眠っている。

Central Intelligence Agency / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

写真・資料クレジット

ロングビーチ港に停泊するヒューズ・グローマー・エクスプローラー

TedQuackenbush / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

洋上を進むヒューズ・グローマー・エクスプローラー

U.S. Government / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ヒューズ・グローマー・エクスプローラーの船体と櫓。手前に帆船

Tequask / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

航行するソ連の潜水艦K-129(艦番号722)

CIA photo / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

1965年、ダイヤモンドヘッド沖を進む潜水艦ハリバット

U.S. Navy / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

K-129の沈没・回収地点を示す北太平洋の地図

Enemenemu / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

1938年のハワード・ヒューズ

Acme Newspictures / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

アゾリアン計画の展示品の横に立つ技術者シャーマン・ウェットモア

Central Intelligence Agency / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

樹脂に封じられたマンガン団塊。グローマー・エクスプローラーが太平洋で採ったもの

Central Intelligence Agency / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

CIAが作った海底のK-129の残骸の模型

The Central Intelligence Agency / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

サマ社の名が入ったグローマー・エクスプローラー乗組員のワッペン

Central Intelligence Agency / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

目次