1932年のクテシフォン。砂地に崩れかけた宮殿の大アーチが立つ

バグダッド電池

素焼きの壺に銅の筒と鉄の棒。酸を注げば電気が起きる形なのに、電線も記録も見つからない。

American Colony Photo Department(米国議会図書館 所蔵) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

遺跡の概要

1936年、イラクの古代都市クテシフォンに近いクジュト・ラブで、高さ約15センチの素焼きの壺が見つかった。中には銅板を丸めた筒と、アスファルトの栓で留めた鉄の棒が入っていた。1938年、イラク博物館の研究室長だったドイツ人ヴィルヘルム・ケーニヒが、これは電池ではないかと論文で問いかけた。再現品は実際に弱い電気を起こすが、考古学者の多くは経典や呪文を納めた容器とみている。原物は2003年のイラク博物館の略奪のあと、行方が分からない。

この遺跡の三つの謎

  1. 壺は電池として作られたのか、別の目的の容器だったのか
  2. 電池だったなら、その電気を何に使ったのか
  3. 失われた原物は、どこへ消えたのか
出土
1936年、イラクのクジュト・ラブ(クテシフォン近く)
形
高さ約15cmの壺。中に銅の筒(直径26mm・高さ9cm)と鉄の棒
年代
パルティア時代説と、ササン朝時代説がある
現状
2003年のイラク博物館の略奪以後、所在不明

確定している事実

出土した場所、形、最初に「電池」と呼んだ人。争いのない記録だけを先に並べる。

壺が見つかったのは1936年、バグダッドの南東、ティグリス川沿いの古代都市クテシフォンに近いクジュト・ラブである。壺の中には銅の筒が入り、その中心に鉄の棒がアスファルトの栓で留められていた。銅の筒は、銅板で作った底の閉じた筒だった。

1938年、イラク博物館の研究室長だったヴィルヘルム・ケーニヒが、ドイツの雑誌『研究と進歩』に「パルティア時代のガルヴァーニ電池か?」という論文を書いた。題の終わりの疑問符のとおり、ケーニヒ自身も断定はしていない。発掘したのはケーニヒではなく、彼は博物館に収められた品を調べた人だった。

バグダッド電池の壺、銅の筒、鉄の棒を並べたスケッチ
壺・銅の筒・鉄の棒を並べたスケッチ。壺の高さは資料によって約14〜15cmとされる / Ironie / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.5
壺
素焼き。高さ約15cm
銅の筒
銅板を丸めたもの。直径26mm、高さ9cm
鉄の棒
さびている。上端をアスファルトの栓で固定
命名
1938年、ケーニヒの論文が「電池」の可能性を示す

出土と再現の記録

似た壺の出土から、再現実験、原物の喪失まで。

1800年のボルタの論文に載った電堆と杯の列の図
ボルタが1800年の論文に載せた電池の図。上は液を入れた杯を金属でつないだ列、下は金属板を積んだ「電堆」 / Alessandro Volta(1800年、Philosophical Transactions 図版)/Wellcome Collection / Wikimedia Commons / CC BY 4.0
ヤシの木の向こうに見えるターク・キスラー
ヤシの木の向こうのターク・キスラー(2022年)。古都の遺跡では修復の足場が組まれている / Safa.daneshvar / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
  1. 1930年
    セレウキアで似た器ティグリス川対岸のセレウキアで、ササン朝時代とされる土の器が4点見つかる。
  2. 1931年
    クテシフォンでもエルンスト・キューネルの調査隊が、クテシフォンで同じ種類の器を6点見つける。
  3. 1936年
    クジュト・ラブで出土銅の筒と鉄の棒を収めた壺が見つかり、イラク博物館に入る。
  4. 1938年
    ケーニヒの論文「パルティア時代のガルヴァーニ電池か?」。金属のめっきに使ったのではないかと考えた。
  5. 2003年4月
    博物館の略奪イラク戦争の混乱でイラク博物館が略奪に遭う。以後、壺の所在は分からない。
  6. 2005年
    テレビの再現実験米国の番組『怪しい伝説(MythBusters)』が再現品10個をつなぎ、4.33ボルトを得る。
  7. 2026年1月
    1.4ボルトの再現アレクサンダー・ベイズが『シノ・プラトニック・ペーパーズ』377号で、はんだを含めた再現を発表する。
ケーニヒが見た電池説の根拠は、形と、地元の金属細工に「めっき」の技術があったという観察だった。どちらも、壺そのものの使い道を示す記録ではない。
クテシフォンのターク・キスラー。修復の足場が組まれたアーチと正面の壁
クテシフォンの宮殿跡ターク・キスラー(2022年)。壺が出たクジュト・ラブはこの古都の近くにある / Safa.daneshvar / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

ここから謎になる

電池と同じ形をしている。だが、電池として使った跡が無い。

銅と鉄という2種類の金属を、酢やぶどう汁のような酸性の液に浸すと、弱い電気が流れる。壺の組み合わせは、たしかにこの仕組みに合う。けれども、壺どうしをつなぐ電線も、電気でめっきした古代の品も、見つかっていない。

ティグリス川をはさむセレウキアとクテシフォンの遺跡の地図2000メートル
西岸のセレウキア(Seleukia): 1930年、封をした筒を収めた似た器が出た
東岸のクテシフォン(Ktesiphon)とターク・キスラー(Taq-e Kisra): 1931年、同じ種類の器が出た
クジュト・ラブはこの地図の外、クテシフォンの近くにある。ティグリス川の流れは時代によって変わった

壺の中にあったのは巻物か

考古学者が見ているのは、同じ地域から出た「仲間」の器である。

セレウキアとクテシフォンでは、形の似た器がいくつも出ている。セレウキアの器には、両端を封じた青銅の筒が入り、中に植物質が残っていた。一つはパピルスの巻物を折りたたんだように見えたという。経典や呪文を書いた巻物を納め、封じるための器という見方は、ここから来ている。

ペンシルヴェニア大学の考古学者ウィリアム・ハフォードも、電池説には説得力が無いとし、祈りや呪いを書いたものを納めて埋める呪術の道具だった可能性を挙げる。2012年には、ストーニーブルック大学のエリザベス・ストーンが「これを電池だと信じている考古学者を一人も知らない」と述べている。

壺の内部の構造図。鉄の棒、アスファルトの栓、銅の筒
壺の内部の構造図。鉄の棒(Eisenstab)、アスファルト(Bitumen)、銅の筒(Kupferröhre)、底の銅板 / Tympanus / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
銅の筒は栓の内側に隠れている。電池ならいちばん大事な端子が、外に出ていない。
青空の下のターク・キスラーの正面の壁と大アーチ

原物は消えた

2003年4月、イラク博物館は略奪に遭った。壺は戻っていない。

ターク・キスラーの正面の壁と、足場が組まれた大アーチ(2022年) / Safa.daneshvar / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

再現実験の数字

再現品は電気を起こす。問題は、どれだけ起こせたかではない。

壺の大きさと、再現実験で得られた電圧

15cm壺の高さ(約)
4.33V2005年、再現品10個をつないだ合計
1.4V2026年、はんだを含めた再現品1個

ベイズは、銅の筒を留めていた鉛とスズのはんだが、壺の外側でもう一つの電池(スズと空気の電池)として働くと考えた。再現品は1.4ボルトを超え、電気めっきなどの反応を起こせた。ただし、ベイズ自身も、紙に書いた祈りを電気で「腐らせる」儀式の道具だった可能性を挙げている。

説の対決

どの説が、どの事実を説明できて、どの事実に負けるか。

01

めっき用の電池だった

説明できる

銅・鉄・酸の組み合わせで実際に電気が起き、再現品でめっきもできること

説明できない

電線や接続の部品が無く、電気でめっきした古代の品が一つも見つかっていないこと

02

巻物を納めた呪術の容器だった

説明できる

近くのセレウキアの似た器に、巻物のような植物質が残っていたこと

説明できない

この壺の中に、なぜ鉄の棒が必要だったのか。巻物の跡はこの壺では確かめられていない

03

電気を使う儀式の道具だった

説明できる

電池の形と、祈りや呪文を納める器の両方の性格を同時に説明できること

説明できない

当時の文書に、そのような儀式の記録が無いこと。原物が無く、中の液の跡も調べられない

編集部の考察

確認事実:銅の筒と鉄の棒を収めた壺が1936年にクジュト・ラブで出土し、再現品は弱い電気を起こす。似た器は近くのセレウキアとクテシフォンからも出ている。

推論材料:ケーニヒの1938年の論文、1930〜31年の類品の出土、2005年と2026年の再現実験、考古学者の見解、2003年の略奪の記録。

考察:電気が起きることは確かだが、電線もめっきされた品も文字の記録も無い。同じ地域の類品と合わせれば、巻物などを納めて封じた容器とみるほうが無理が少ない。

弱点・反証:原物が失われ、中に残っていたかもしれない液や巻物の跡を、今の方法で調べ直すことができない。原物が見つかり分析されれば、この判断は覆りうる。

まだ解けていない問い

  • 1

    壺は電池として作られたのか、別の目的の容器だったのか

    電池として作られたことを示す電線・記録・めっきされた品は見つかっていない。類品からみて容器説が有力だが、原物が無く決め手は無い。

  • 2

    電池だったなら、その電気を何に使ったのか

    めっき、治療、儀式などの案があるが、どれも古代の記録や遺物による裏づけが無い。

  • 3

    失われた原物は、どこへ消えたのか

    2003年の略奪以後、所在は分からない。回収された品の中に入っていたという確かな報告は無い。

パルティア時代の素焼きの壺。首の細い釣鐘形

壺は、電気を起こせる形をしていた。それだけは再現品が証明した。

何のために作られたのかを知っていたのは、失われた原物だけだった。

パルティア時代の工人(クリーヴランド美術館 所蔵) / Wikimedia Commons / CC0 1.0

写真・資料クレジット

1932年のクテシフォン。砂地に崩れかけた宮殿の大アーチが立つ

American Colony Photo Department(米国議会図書館 所蔵) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

バグダッド電池の壺、銅の筒、鉄の棒を並べたスケッチ

Ironie / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.5。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

1800年のボルタの論文に載った電堆と杯の列の図

Alessandro Volta(1800年、Philosophical Transactions 図版)/Wellcome Collection / Wikimedia Commons / CC BY 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ヤシの木の向こうに見えるターク・キスラー

Safa.daneshvar / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

クテシフォンのターク・キスラー。修復の足場が組まれたアーチと正面の壁

Safa.daneshvar / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ティグリス川をはさむセレウキアとクテシフォンの遺跡の地図

redrawn by Lencer / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

壺の内部の構造図。鉄の棒、アスファルトの栓、銅の筒

Tympanus / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

青空の下のターク・キスラーの正面の壁と大アーチ

Safa.daneshvar / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

パルティア時代の素焼きの壺。首の細い釣鐘形

パルティア時代の工人(クリーヴランド美術館 所蔵) / Wikimedia Commons / CC0 1.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

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この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

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