鶏の水入れから博物館の大強盗へ、ダキアの金の兜コトフェネシュティの謎
羊飼いの少年は、野原で拾った金の兜を2週間かぶって遊んだ。そのあと兜は、鶏の水入れになった。それは2500年前の王の兜だった。

Laci3 / Wikimedia Commons / CC0 1.0
コトフェネシュティの金の兜とは
コトフェネシュティの兜は、ルーマニアで見つかった紀元前5世紀ごろの金の兜だ。重さは1キロ近くあり、ドナウ川の北に住んだゲタイ人(のちのダキア人とつながる人々)の王か貴人のものと考えられている。額には魔よけの大きな二つの目、ほおあてには羊をいけにえにする男、首の後ろには人の顔をした翼の生き物。文字は一つも刻まれていない。1926年、羊飼いの少年に見つけられ、おもちゃにされ、鶏の水入れにまでなったこの兜は、2025年1月、オランダの博物館から爆発とともに盗まれ、14か月後に取り戻された。
コトフェネシュティの兜の三つの謎
- 額の大きな二つの目は、何を見張っていたのか
- ほおあての、羊をいけにえにする男は誰なのか
- 人の顔をした翼の生き物は、どこから来たのか
- 年代
- 紀元前450〜400年ごろ(紀元前5世紀)
- 発見
- 1926年、ルーマニアのプラホヴァ県ポイアナ・コトフェネシュティ
- 重さ
- 1キロ近い。金を主とする合金の薄板を打ち出したもの
- 所蔵
- ルーマニア国立歴史博物館(ブカレスト)
少年がかぶって遊んだ、黄金の兜
1926年、ルーマニア南部のカルパティア山脈のふもと、ヴァルビラウ村のポイアナ・コトフェネシュティ。農家の少年トライアン・シミオンは、羊の番をしながら野原を歩いていた。そのとき、地面に光るものを見つけた。
それは、黄金の兜だった。少年はそれを頭にかぶり、2週間ほど、おもちゃにして遊んだと伝えられる。兜の頭の突起には、木に掛けられて引っぱられたような傷も残っている。
やがて兜は家に持ち帰られ、鶏の水入れとして使われたという。2500年前の王がかぶった金の兜の中で、鶏たちが水を飲んでいたのだ。

兜は、近くの町プロイエシュティの商人の手に3万レイで渡った。そして1929年4月、ルーマニアの文部省が国の博物館のために買い取った。鶏の水入れは、国の宝になった。今はブカレストのルーマニア国立歴史博物館に収められている。
額の二つの目は、何を見張っていたのか
兜の額には、大きな二つの目が打ち出されている。まぶたの線も、眉のような渦巻きも、細かく表されている。この目は、かぶる人のかわりに世界をにらみつける目だ。

研究者たちは、この目を「邪視」、つまり悪意ある目や呪いをはね返すための魔よけと考えている。戦いの場でも、祭りの場でも、王に向けられる悪い力を、兜の目が見張り、跳ね返す。兜の金の板は、戦場で矢や剣を防ぐにはあまりに薄い。この兜は、身を守る道具である前に、目に見えない力から王を守る道具だったのかもしれない。
ほおあてに刻まれた、いけにえの儀式
兜の左右のほおあてには、同じ場面が打ち出されている。とがった帽子をかぶった男が、羊の体にひざをのせ、短い刀でのどを切ろうとしている。神にいけにえをささげる瞬間だ。

羊をいけにえにする図は、遠いイランの主題がギリシャの美術を通って伝わったものだと説明されている。けれど、それを兜に刻ませたのはゲタイ人の王だ。研究者の多くは、この兜を戦いの道具ではなく、王が祭りをつかさどる者として身につけた儀式の品と見ている。王であり、祭司であり、神に近い者。いけにえの男は、兜をかぶる王自身の姿なのかもしれない。

死なないと信じた人々と、神ザルモクシス
この兜を作らせたゲタイ人とは、どんな人々だったのか。兜が作られたのとほぼ同じころ、ギリシャの歴史家ヘロドトスが、彼らのことを書き残している。

トラキア人の中で、最も勇敢で、最も正しい人々。— ヘロドトス『歴史』第4巻、ゲタイ人について(英語訳から訳出)
ヘロドトスによれば、ゲタイ人は、自分たちは死なないと信じていた。死んだ者は、神ザルモクシスのもとへ行くのだという。そして4年ごとに、くじで選んだ一人を神への使いとして送った。3本の槍を構えた男たちが、使いの手足をつかんで、槍の上へ投げ上げる。使いが死ねば、神が願いを聞き入れたしるし。生き残れば、悪い人間だったとされ、別の使いが送られた。
ザルモクシスには、こんな話も伝わる。彼は人々を宴に招き、ここにいる者は誰も死なないと教えた。そして地下の部屋に姿を消し、3年間隠れ続けた。人々が彼を死んだと嘆いた4年目、ザルモクシスは再び姿を現した。人々は、彼の教えを信じるようになったという。雷が鳴ると、彼らは空に向かって矢を放ったとも書かれている。

死を恐れず、神へ使いを送り、雷に矢を放つ人々。羊をいけにえにする王の姿を刻んだ金の兜は、そんな人々の祭りの中で、王の頭上に輝いていたのだろうか。
人の顔をした、翼の生き物たち
兜の後ろ、首を守る部分には、生き物の列が2段に並んでいる。上の段には、人の顔をした翼の生き物が3体、座ったりしゃがんだりしている。下の段には、獲物をむさぼる獣たちが並ぶ。

むさぼる獣の図は、アッシリアやエトルリアの美術にさかのぼるといわれる。遠い東の国々で生まれた不思議な生き物たちが、長い旅をしてドナウ川の北へたどり着き、ゲタイ人の金の兜に宿った。けれど、ゲタイ人がその生き物たちに何を見ていたのかは、文字が残っていないため分からない。

この兜には、兄弟がいる。ルーマニアのアギギオルで見つかった銀の兜と、アメリカのデトロイト美術館にある「鉄門の兜」だ。どちらも同じ道具で打った跡があり、同じ工房か、同じ職人の作と考えられている。アギギオルの兜の額にも、大きな目が見開かれている。

午前3時45分の爆発
2024年、兜はルーマニアを離れ、オランダ北部の町アッセンのドレンツ博物館へ貸し出された。展覧会「ダキア:金と銀の帝国」の目玉として、ダキアの金の腕輪とともに飾られたのだ。展覧会の終わりは、2025年1月26日に迫っていた。

その前日、1月25日の午前3時45分ごろ。静まり返った博物館に、爆発音が響いた。男たちは爆発物で扉を壊して押し入り、兜とダキアの金の腕輪3本をつかんで、闇の中へ消えた。兜の値打ちだけで430万ユーロ、盗まれた品はあわせて約600万ユーロにのぼった。
ルーマニアじゅうが怒りに包まれた。国の宝を外国に貸して失ったのだ。1月28日、文化大臣は国立歴史博物館の館長を解任した。専門家たちは、犯人が兜を溶かして金にしてしまうのではないかと恐れた。2500年を生き延びた兜が、ただの金の塊になってしまう。
1月29日、警察はオランダのヘールフーホワールトで3人の男を逮捕した。のちにさらに2人が捕まった。けれど、兜は見つからなかった。
14か月後、兜は戻ってきた
2026年4月2日、オランダの検察は記者会見を開いた。兜と、金の腕輪2本を取り戻した。盗まれてから1年2か月。拘束中の容疑者たちとの取り決めによって、兜は当局に引き渡されたのだという。
兜は少しへこんでいた。けれど、すっかり元どおりに直せるとされた。博物館の館長は、取り戻した兜を前に、永久に残る傷はないと語った。
2026年6月5日、裁判所は3人の男に、それぞれ47か月の禁錮刑を言い渡した。そのうちの一人は、盗んだ兜の絵を入れたTシャツまで売っていたという。

けれど、物語はまだ終わっていない。盗まれた腕輪のうち1本は、今も見つかっていないのだ。どこかで溶かされてしまったのか、それとも誰かの手の中で、静かに眠っているのか。
兜の図像をめぐる三つの読み方
王であり祭司である者の兜
いけにえの場面と魔よけの目が、儀式をつかさどる王の姿によく合う。
ゲタイ人自身が書いた記録がなく、儀式の中身は分からない。
東の国々の図像の借り物
羊のいけにえやむさぼる獣が、イランやアッシリアの美術とよく似ている。
ゲタイ人がその図像にどんな意味を込めたのかまでは言えない。
ゲタイ人自身の神話の場面
渦巻きやロゼットなど、ゲタイ人の美術に独自の模様と組み合わさっている。
翼の生き物に当てはまる神話が、文字で残っていない。
コトフェネシュティの兜の年表
- 前450〜400年ごろ兜が作られるドナウ川の北に住むゲタイ人の工房で、金の板から打ち出される。
- 前5世紀ヘロドトスの記録ゲタイ人は死なないと信じ、神ザルモクシスへ使いを送ると書く。
- 1926年少年が見つける2週間かぶって遊び、のちに鶏の水入れになる。
- 1929年4月国の宝にルーマニアの文部省が国の博物館のために買い入れる。
- 2025年1月25日爆発と盗難午前3時45分ごろ、ドレンツ博物館から兜と腕輪3本が奪われる。
- 2025年1月28日館長の解任ルーマニアの文化大臣が国立歴史博物館の館長を解任する。
- 2026年4月2日兜が戻る兜と腕輪2本が取り戻される。少しへこんでいたが、直せるとされた。
- 2026年6月5日判決3人の男に47か月の禁錮刑。腕輪1本は今も行方不明。
コトフェネシュティの兜の三つの謎への答え
- 1
額の大きな二つの目は、何を見張っていたのか
悪意ある目や呪いをはね返す魔よけの目と考えられている。兜の金の板は戦いで身を守るには薄く、目に見えない力から王を守る儀式の兜だったのかもしれない。同じ工房の銀の兜にも、同じように目が打ち出されている。
- 2
ほおあての、羊をいけにえにする男は誰なのか
王が祭司としていけにえをささげる姿と読む説が有力だ。死を恐れず神に使いを送ったゲタイ人の祭りの中で、王自身の姿が刻まれた可能性がある。けれど、名前や神話の場面は特定されていない。
- 3
人の顔をした翼の生き物は、どこから来たのか
イランやアッシリアの図像に似た型が、ギリシャの世界を通って伝わった可能性がある。ただし、ゲタイ人がその生き物たちに何を見ていたのかは、文字が残っていないため分からない。

カルパティア山脈のふもと、ヴァルビラウ川の流れる小さな村で、兜は少年に見つけられた。おもちゃになり、鶏の水入れになり、国の宝になり、盗まれ、また戻ってきた。
額の二つの目は、2500年のあいだに、いったい何を見てきたのだろう。
Nenea hartia / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0