230年掘っても宝が出ない、オーク・アイランドのマネー・ピットの謎

島の真ん中に、樫の枝から古い滑車がぶら下がっていた。その下の地面は、ちょうど人が埋め戻したように丸くくぼんでいた。

宝を埋めさせるキャプテン・キッド。ハワード・パイル画(1911年以前)。オーク・アイランドの宝は、まずこの海賊のものと噂された。

Howard Pyle / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

オーク・アイランドのマネー・ピットとは

カナダ東岸ノバスコシア州、マホーン湾に浮かぶ小さな島オーク・アイランド。ここに、世界で最も長く掘られ続けている宝の穴「マネー・ピット」がある。伝説によれば、穴の中には10フィートごとに丸太の床があり、深さ80フィートからは謎の文字を刻んだ石が出た。さらに掘ると、海から引き込まれたような水が一気に穴を満たした。キャプテン・キッドの財宝か、テンプル騎士団の秘宝か、シェイクスピアの原稿か。若き日のルーズベルト大統領も、映画スターも、この穴に夢を賭けた。そして「七人が死ぬまで宝は出ない」という呪いのとおり、すでに六人が命を落としている。

マネー・ピットの三つの謎

  1. あの穴は、誰が、何のために掘ったのか
  2. 掘るたびに穴を満たす水は、仕掛けられた罠なのか
  3. 穴の底には、本当に宝が眠っているのか
場所
カナダ・ノバスコシア州、マホーン湾のオーク・アイランド
発見
1795年ごろ、穴のくぼみが見つかったと伝わる
深さ
1971年の縦坑は235フィート(約72メートル)に達した
犠牲者
掘削中の事故で6人が死亡(1861〜1965年)

樫の枝から下がった、古い滑車

18世紀の終わり、マホーン湾。大小360ほどの島が散らばるこの静かな湾に、樫の木の茂る細長い島があった。オーク・アイランド。のちに世界一有名な宝の島になる場所だ。

ある日、畑を開くために島へ渡った開拓者のマクギニスは、森の中で奇妙なものを見つけた。地面が丸く沈んでいる。そのそばの樫の木の枝には穴が開けられ、古い滑車がぶら下がっていた。まるで、誰かがここで重いものを穴の底へ下ろし、そのまま立ち去ったかのように。

まわりの三本の樫の木は三角形に並び、幹には文字が刻まれていたとも伝わる。この湾には昔から、海賊キャプテン・キッドが財宝を隠したという噂があった。マクギニスは仲間のスミスとヴォーンを呼び、くぼみを掘り始めた。

宝を埋めるキッドの一味。ハワード・パイル画。
宝を埋めるキッドの一味。ハワード・パイル画。北米の東海岸には、キッドが埋めた宝の伝説が数多く残る。Howard Pyle / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

掘り進めると、10フィートごとに、丸太を並べた床が現れた。10フィート、20フィート、30フィート。誰かが同じ間隔で、わざわざ床を組んで穴を埋め戻している。自然にできた穴ではない。若者たちは確信した。この下に、何かが隠されている。

だが、人手も道具も足りなかった。30フィートで、三人は掘るのをやめた。のちの物語では、彼らは「迷信めいた恐れ」に襲われて手を止めたとも語られる。

誰かが、10フィートごとに床を組んで、穴を埋め戻していた。

深さ80フィートで出た、文字を刻んだ石

およそ7年後、シメオン・リンズという男が25人から30人の作業員を集め、穴に戻ってきた。今度は本格的な発掘だった。掘るたびに、10フィートごとの目印が現れる。木炭の層、パテのような粘土の層。どれも、人が手を加えた跡に見えた。

そして深さ80フィート。作業員たちのスコップが、硬いものに当たった。四角く切られた長さ2フィート、厚さ1フィートほどの石。その表面には、いくつかの文字が刻まれていた。

マネー・ピットの断面の想像図。10フィートごとの丸太の床、暗号の石、海からの洪水トンネルなど、伝説の要素を描いたもの。
マネー・ピットの断面の想像図。10フィートごとの丸太の床、暗号の石、海からの洪水トンネルなど、伝説の要素を描いたもの。Sindala at Dutch Wikipedia / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

石はのちにハリファックスへ運ばれ、ある製本所で長く使われていたという。1893年、宝探しの会社が配った出資者向けの案内には、この石の文字が「10フィート下に200万ポンドが埋められている」と読めると書かれていた。その後、石の行方は分からなくなる。

1949年には、作家エドワード・ロウ・スノーの本に、石に刻まれていたという記号が初めて図として載った。並んでいたのは、点や三角、四角を組み合わせた不思議な記号だ。のちの研究者はこれを「40フィート下に200万ポンドが埋まる」と読んだ。けれど、その記号が本当にあの石のものだったのか、写しをたどれる人はいない。

石の先には、さらに深い闇が待っていた。98フィートで、作業員たちはまた木の床に突き当たった。今度こそ宝の箱の蓋かもしれない。日が暮れ、彼らは翌朝に床を破ることにして、穴を離れた。

一夜で穴を満たした海の水

翌朝、穴をのぞき込んだ作業員たちは、言葉を失ったと伝わる。穴は、60フィートの深さまで水で満たされていた。くみ出しても、くみ出しても、水は減らない。穴の横に別の坑を掘って回り込もうとしたが、それもすぐに水に呑まれた。発掘は、そこで終わった。

やがて人々は、恐ろしい仕掛けに気づく。穴の水は、ただの地下水ではなかった。潮が満ちると水位が上がり、潮が引くと下がる。海とつながっているのだ。宝を埋めた者は、穴を掘り返す者が深く掘ったとたん、海の水がなだれ込むように罠を仕掛けたのではないか。

島の東の入り江、スミス・コーヴの浜を調べた人々は、さらに奇妙なものを見つけたと語っている。砂の下に敷き詰められた石の床、指を広げたように一点へ集まる五本の排水路、そして厚く敷かれたココナツの繊維。ココナツは、この北の島にはない。遠い南の海から運ばれてきたものだ。

浜から地下を通って、海の水を穴へ導く。人の手で作られた「洪水トンネル」が、宝を守っている。このトンネルの話が、ただの宝探しを、何世代もの技術者たちが挑む巨大な謎へと変えた。

1931年8月のオーク・アイランド。空から見た島と桟橋(ガラス乾板写真)。
1931年8月のオーク・アイランド。空から見た島と桟橋。Richard McCully / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

ドリルが引き上げた、三つの金の鎖の輪

1849年、トゥルーロの町の人々が会社を作り、島へやって来た。彼らは穴を掘り直すだけでなく、当時の新しい道具を持ち込んだ。地中の深くまで差し込める、きりのような掘削機だ。

ドリルは深さ98フィートで、言い伝えどおり木の床に当たった。その下には、樫と、トウヒと、「ばらばらの金属」と、また木が、交互に重なっていたという。まるで、木の箱の中に金属が詰められ、それがいくつも積み重ねられているかのように。

1862年、この発掘に加わった J・B・マカリーが地元の新聞に長い手紙を寄せた。ドリルの一本は樽のようなものを突き抜け、樫の樽板と、樺の木のたがを持ち上げたという。そして、引き上げた土の中から、肩章についていたような金の鎖の輪が三つ出てきた。

事実とは、頑固なものだ。
— J・B・マカリー、『リヴァプール・トランスクリプト』紙への手紙、1862年(英語から編集部訳)

マカリーは、穴は誰かが掘り、わざと水を引き込んだのだと書いた。そして手紙の最後で、残りの工事に必要な4000ドルを集めるため、出資を呼びかけている。宝の輝きは、この島で最初から、人々の財布を開かせる力を持っていた。

宝の噂は、新聞に乗って海を越えた

この島が初めて新聞に載ったのは、1857年の地元紙『リヴァプール・トランスクリプト』だとされる。記事は皮肉たっぷりだった。勤勉な人々が、名高いキッド船長が埋めたという大金を掘り出そうとして、自分たちの大金を地面に埋めている。金は沈み、穴だけが開いたままだ、と。

1866年9月2日付『ニューヨーク・ヘラルド』の見出し。「キャプテン・キッドの埋蔵金を求める一世紀」「400万ドルが賞品と言われる」。
1866年9月2日付『ニューヨーク・ヘラルド』の見出し。「キャプテン・キッドの埋蔵金を求める一世紀」「400万ドルが賞品と言われる」。New York Daily Herald / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

島の古い住民たちの間には、別の言い伝えもあった。キッドの船の乗組員だった年老いた船乗りが、死の間際に、この湾の島に宝を埋めたと打ち明けたというのだ。1866年には、ニューヨークの大新聞が「キャプテン・キッドの埋蔵金を求める一世紀」と大きな見出しで報じた。宝の値打ちは400万ドルとまで書かれた。

こうして、マホーン湾の小さな島の穴は、北米じゅうの人々が知る宝の物語になった。掘る人が増えれば、物語も増える。オーク・アイランドの謎は、地面の下だけでなく、新聞の紙面の上でも深くなっていった。

一人目の死と、羊皮紙の切れ端

1861年、新しい会社が穴を掘り直していたとき、事故が起きた。深さ98フィートの床が崩れ、その下の床も次々と抜け落ちた。宝はさらに深く、119フィートまで沈んだと考えられた。そしてその年の終わり、くみ上げ用のポンプのボイラーが破裂した。これが、マネー・ピットで命を落とした最初の一人だった。

1896年、また別の一団が島に来て、穴の深くから土を引き上げた。その中に、小さな羊皮紙の切れ端が混じっていた。墨で書かれた文字が読めた。「vi」あるいは「wi」。何かの言葉の、ほんの一部だ。誰が、何を書いた紙なのか。穴の底には書類が眠っているのか。

翌1897年3月26日、作業員のメイナード・カイザーが命を落とした。二人目の犠牲者だった。1898年、探索者たちは水に沈んだ穴へ赤い塗料を流し込んでみた。すると、穴から海へ抜ける出口が三つあることが分かったという。海への通り道は、一つではなかった。

穴に流した赤い色が、海への出口を教えた。

若き日のルーズベルトも、この穴に夢を賭けた

1909年、オーク・アイランドの宝探しに加わった若き日のフランクリン・D・ルーズベルト(白い靴でパイプを持つ人物)と仲間たち。
1909年、オーク・アイランドの宝探しに加わった若き日のフランクリン・D・ルーズベルト(白い靴でパイプを持つ人物)と仲間たち。Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

1909年の夏、ニューヨークの若い弁護士が、宝探しの一団に加わってこの島へやって来た。のちのアメリカ大統領、フランクリン・D・ルーズベルトだ。一団はヘンリー・ボウドイン船長が率いる「オールド・ゴールド・サルベージ」の会社で、穴を113フィートまで掘り直した。宝は出なかった。

それでも、ルーズベルトはこの島を忘れなかった。大統領になったあとも、亡くなる1945年まで、オーク・アイランドの知らせを追い続けたという。1939年には実際に島を訪ねる予定もあったが、霧と世界の情勢がそれを許さなかった。

宝に魅せられたのは、大統領だけではない。ハリウッドの冒険映画のスター、エロール・フリンも、西部劇の英雄ジョン・ウェインも、この島の発掘に資金を出した。大富豪ヴィンセント・アスターや、南極探検家バード提督の息子リチャード・バード・ジュニアも、出資者に名を連ねた。

1931年8月、ほぼ真上から見た発掘現場。坑と小屋、資材が密集している。
1931年8月、ほぼ真上から見た発掘現場。坑と小屋、資材が密集している。Richard McCully / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

1931年には、ウィリアム・チャペルが穴の近くに163フィートの縦坑を掘った。1930年代にはギルバート・ヘッデンが島の一部を買い取って掘り、イギリス国王ジョージ6世にまで進み具合を知らせた。島は次第に、古い坑と小屋と資材が折り重なる、掘削の迷宮になっていった。

1965年8月17日、曲乗り芸人一家の悲劇

1959年、一家族が島に移り住んだ。ロバート・レスタルと妻のミルドレッド、そして子どもたち。夫婦はかつて、オートバイで命知らずの曲乗りを見せる芸人だった。観客を沸かせた勇気を、今度は宝の穴に向けたのだ。一家は島の小屋で暮らし、スミス・コーヴの洪水トンネルを塞ぐ工事に何年も取り組んだ。

1965年8月17日。スミス・コーヴに掘った深さ27フィートほどの坑の中で、ロバートが倒れた。18歳の息子ロバート・ジュニアが、父を助けようと坑に降りた。そして、彼も倒れた。仲間のカール・グレイザーが降り、作業員のシリル・ヒルツが降りた。誰も、上がってこなかった。

坑の底には、目に見えない毒が溜まっていた。硫化水素のガスとも、ガソリンで動く機械の排気とも言われる。助けに降りた者が、一人、また一人と倒れていった。アンディ・デモントだけが救い出され、レスタル父子とグレイザー、ヒルツの4人は帰らなかった。

これで、マネー・ピットの犠牲者は6人になった。島には、こんな言い伝えが語られるようになった。七人が死ぬまで、宝は見つからない。

七人が死ぬまで、宝は見つからない。

ボアホール10X、水中カメラが映したもの

事故の年、地質技師ロバート・ダンフィールドは、70トンのクレーンを島に持ち込んだ。彼は穴の周りを丸ごと掘り広げ、深さ134フィートの巨大な穴をあけた。元の穴の口も、古い坑も、そのとき地面ごと消えてしまった。

1969年、ダン・ブランケンシップとデヴィッド・トビアスが島の大部分を買い取り、トリトン・アライアンスという会社を作った。1971年、彼らはマネー・ピットの近くに鋼の筒を打ち込み、深さ235フィートまで届く縦坑を掘った。ボアホール10X。

縦坑の底は、岩の中の空洞につながっていた。ブランケンシップは水中カメラを降ろした。濁った水の中の、ぼんやりした映像。そこには箱のようなものと、道具、そして人の遺体のようなものが映っていたと、彼らは語った。

映像はあまりにも不鮮明で、誰もそれが何なのかを確かめられなかった。縦坑はやがて崩れ、2016年に空洞へ潜ったダイバーも、品物を見つけられなかった。カメラが見たものは、今も暗い水の底にある。

キッドの財宝か、騎士団の秘宝か、シェイクスピアの原稿か

1888年ごろのたばこカード「キャプテン・キッド、宝を埋める」。
1888年ごろのたばこカード「キャプテン・キッド、宝を埋める」。19世紀、キッドの埋蔵金はアメリカで人気の物語だった。Geo. S. Harris and Sons / Allen & Ginter(メトロポリタン美術館所蔵) / Wikimedia Commons / CC0 1.0画像を拡大

誰が、この穴に何を隠したのか。230年の間に、人々は思いつく限りの答えを考えてきた。最初に名前が挙がったのは、もちろんキャプテン・キッドだ。17世紀の終わりに処刑されたこの海賊は、どこかに莫大な宝を隠したまま死んだと信じられていた。

もっと古い時代を夢見る人もいる。14世紀に解散させられたテンプル騎士団の生き残りが、海を渡って北米へ逃れ、聖杯や契約の箱を島の地下に隠したという説だ。フランシス・ベーコンが本当の作者だったというシェイクスピアの原稿が、水銀に漬けて埋められているという説もある。フランス革命で処刑された王妃マリー・アントワネットの宝石が、侍女の手でこの地へ運ばれたという話まである。

島の古い住民にも、謎の人物がいる。サミュエル・ボール。アメリカ独立戦争でイギリス側について戦い、奴隷の身から自由になってノバスコシアへ渡った黒人の開拓者だ。1787年ごろから島に住み、記録ではキャベツを作る農夫だった。ところが彼は、やがてマネー・ピットのある土地を含め、島で一番の大地主になった。キャベツ畑で、どうしてそれほどの富を築けたのか。誰よりも先に、宝を掘り当てていたのではないか。

海賊キッドの財宝

根拠・背景

最も古い新聞と、死の間際の船乗りの言い伝えが、そろってキッドの名を挙げる。

問題点

キッドの航海の記録に、マホーン湾へ寄ったという記載は見つかっていない。

騎士団や王家の秘宝

根拠・背景

10フィートごとの床や洪水の罠という、手間のかかる仕掛けにふさわしい持ち主になる。

問題点

ヨーロッパから島へ宝を運んだ記録は、どこにも残っていない。

自然の陥没穴

根拠・背景

島の地下には水を含む空洞の多い岩があり、海と陸をつなぐ水路もありうる。

問題点

10フィートごとの床、文字の石、金の鎖の輪の話までは説明しない。

海の底に見つかった、自然の通り道

1779年の英国海軍の海図『アトランティック・ネプチューン』に描かれたマホーン湾。オーク・アイランドはこの湾に浮かぶ。
1779年の英国海軍の海図『アトランティック・ネプチューン』に描かれたマホーン湾。オーク・アイランドはこの湾に浮かぶ。Joseph F. W. Des Barres(1779年) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

洪水トンネルは、本当に人が作ったものなのか。その問いに、海の底から手がかりが出てきた。2024年、地質学者のピーター・シンプキンとゴードン・フェイダーは、オーク・アイランドの東の沖の海底を、音波で詳しく調べた結果を発表した。

海底には、丸く落ちくぼんだ陥没穴や、ガスや水が抜けた跡のくぼみが点々とあった。そして二人は、それらが岩の中の水路を通じて、島の陸地の陥没穴とつながっている可能性が高いと書いた。島の地下には、海とつながる自然の通り道があるのかもしれない。

1995年には、海洋研究で名高いウッズホール海洋研究所の研究者たちも島を調べ、穴の水は島の地下の淡水と潮の満ち引きが押し合って生まれると考えた。島の地下には、水に溶けやすい岩と、水で満たされた空洞が広がっているという。

では、10フィートごとの丸太の床も、文字の石も、金の鎖の輪も、すべて思い違いだったのか。自然の穴に倒れ込んだ木を、掘った人が床と見間違えたのか。それとも、自然にできた穴を、誰かが宝の隠し場所として使ったのか。海底の通り道は、謎を消すどころか、新しい問いを生んだ。

今も続く宝探しと、法律で守られる島

2006年、アメリカ・ミシガン州の兄弟、リックとマーティ・ラギナが、島の宝探しの権利の半分を買い取った。2014年、彼らの挑戦を追うテレビ番組「オーク・アイランドの呪い」が始まる。番組は10年以上続き、世界中の視聴者が、毎週のように重機が掘り返す地面を見守ってきた。

ノバスコシア州は、この島のためだけの法律まで作った。それまで海の沈没船の宝探しにも使われていた古い法律をやめ、オーク・アイランドだけを対象に、許可のもとで宝探しを認める「オーク・アイランド財宝法」を定めたのだ。この島は今、宝探しの島であると同時に、何百年分もの人々の営みが眠る、守るべき場所になっている。

230年の間に、島には数えきれないほどの穴が掘られ、埋め戻され、崩れた。元のマネー・ピットがどこにあったのかさえ、今では正確には分からない。地下深くの木の一枚一枚が、最初に穴を掘った誰かのものなのか、後から来た宝探したちが残したものなのか。それを見分けることが、いちばん難しい謎になった。

同じ1931年8月、斜めから見た発掘現場。

宝は、まだ誰の手にも渡っていない

金の鎖の輪、羊皮紙の切れ端、水中カメラの影。手がかりは語られ続けても、宝箱はまだ一つも上がっていない。

1931年8月、斜めから見た発掘現場。島は掘削の迷宮になっていた。Richard McCully / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

マネー・ピットの年表

  1. 1795年ごろ
    くぼみと滑車の発見マクギニスたちが掘り始め、10フィートごとの丸太の床に出会う。
  2. 1800年代初め
    文字の石と洪水80フィートで文字を刻んだ石、98フィートで床、翌朝に穴が水没。
  3. 1849年
    トゥルーロの会社のドリル金属と木の層、そして金の鎖の輪が上がったと伝わる。
  4. 1857年
    初めての新聞記事「金は沈み、穴だけが開いたまま」。
  5. 1861年
    一人目の死床が崩れ、ポンプのボイラーが破裂する。
  6. 1897年
    二人目の死と赤い塗料メイナード・カイザーが転落。塗料が海の三か所に浮かぶ。
  7. 1909年
    ルーズベルトの参加穴を113フィートまで掘り直す。
  8. 1965年8月17日
    レスタル一家の悲劇坑の中で4人が死亡し、犠牲者は6人に。
  9. 1971年
    ボアホール10X235フィートの縦坑。水中カメラが箱のようなものを映したとされる。
  10. 2014年〜
    テレビ番組「オーク・アイランドの呪い」ラギナ兄弟の挑戦が続く。

マネー・ピットの三つの謎への答え

  • 1

    あの穴は、誰が、何のために掘ったのか

    海賊キッド、テンプル騎士団、島の開拓者たち。数えきれない名前が挙げられてきた。最初の穴を掘った人の記録は、一枚も残っていない。そもそも最初の穴が人の手によるものか、自然のくぼみだったのかも、まだ分かっていない。

  • 2

    掘るたびに穴を満たす水は、仕掛けられた罠なのか

    海底の調査で、島の地下と海をつなぐ自然の水路がある可能性が見えてきた。けれど、スミス・コーヴの浜の石の床とココナツの繊維が何のために置かれたのかは、今も分からない。

  • 3

    穴の底には、本当に宝が眠っているのか

    金の鎖の輪、羊皮紙の切れ端、水中カメラの影。手がかりは語られても、宝箱は一つも上がっていない。それでも、ないと証明した人もいない。宝探しは、今日も続いている。

2016年、オーク・アイランドへ渡る土手道の入口に置かれた古い大砲。

樫の枝の滑車が見つかってから、およそ230年。島の入口では、古い大砲が今日も海を見張っている。

七人目の犠牲者が出る前に、誰かがその日を迎えられるだろうか。

Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0

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この記事を書いた人

世界各地の遺跡や不思議な出来事、伝説を紹介しています。公開資料や研究論文、博物館の解説などを読み比べながら記事を書き、写真の確認や公開後の訂正も一人で行っています。

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