金門橋の下を航行する米潜水艦ハリバット。後部にダイバー用の区画を載せている

アイヴィー・ベル作戦

オホーツク海の水深120メートルで、米海軍のダイバーがソ連軍の海底ケーブルに盗聴器を巻きつけた。

U.S. Navy / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

事件の概要

1971年10月、米海軍の潜水艦ハリバットがオホーツク海に入り、ソ連軍の海底通信ケーブルを見つけた。ダイバーは水深約120メートルの海底で、長さ約6メートルの装置をケーブルに巻きつけ、中を流れる通話を録音させた。作戦は「アイヴィー・ベル」と呼ばれ、後継の潜水艦に引き継がれて約10年続いた。1981年、ソ連の艦船が盗聴器の真上に集まり、装置は回収された。秘密を売ったのは、元NSA職員のロナルド・ペルトンだった。

この事件の三つの謎

  1. ソ連はいつから盗聴に気づいていたのか
  2. 盗聴で得た情報は、どれほどの価値を持っていたのか
  3. ペルトンを売った亡命者ユルチェンコは、本物の亡命者だったのか
発生
1971年10月に設置、1981年にソ連が回収
場所
オホーツク海、水深約120メートルの海底
関係者
潜水艦ハリバット、元NSA職員ロナルド・ペルトン、KGBのヴィタリー・ユルチェンコ
状態
作戦は発覚して終了。多くの記録は今も非公開

確定している事実

設置の年、深さ、装置の形、発覚の経緯。報道と裁判で表に出た記録だけを先に並べる。

1971年10月、米海軍の原子力潜水艦ハリバットがオホーツク海に入った。ソ連が自国の内海とみなしていた海である。潜水艦から出たダイバーは、水深約120メートル(400フィート)の海底でソ連軍の通信ケーブルを見つけた。

ケーブルは、カムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキーにある潜水艦基地と、大陸側のウラジオストクを結ぶ軍用線と伝えられる。ダイバーは長さ約6.1メートル(20フィート)の装置を取りつけた。装置はケーブルの外皮を破らずに巻きつき、漏れ出る信号を拾って録音する仕組みだった。

レギュラス巡航ミサイルを発射する潜水艦ハリバット
レギュラス巡航ミサイルを発射するハリバット。もとはミサイル潜水艦として造られた / U.S. Navy(NavSource 経由) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
潜水艦
ハリバット(SSGN-587、1965年にSSN-587へ変更)。1960年1月4日就役
改装
1965年、真珠湾の海軍工廠で特殊任務向けに改装
設置
1971年10月、オホーツク海の水深約120メートル
装置
長さ約6.1メートル。ケーブルを傷つけずに巻きつく

1965年から1985年まで

潜水艦の改装から、装置の発覚、裏切り者の逮捕まで。

  1. 1965年米海軍の記録
    ハリバットの改装海軍の技術者ジョン・クレイヴンが7,000万ドルの予算を得て、偵察用の機器を積む改装を行う。
  2. 1968年8月米海軍の記録
    沈んだK-129を撮影太平洋で沈んだソ連潜水艦K-129を海底で見つけ、撮影する。
  3. 1971年10月のちの報道・研究
    オホーツク海で設置ダイバーがケーブルに盗聴器を取りつける。
  4. 1976年6月30日米海軍の記録
    ハリバット退役任務は後継の潜水艦パーチなどに引き継がれる。
  5. 1980年1月14日裁判の記録
    ペルトンがソ連大使館へ元NSA職員が、ワシントンのソ連大使館に接触する。
  6. 1981年のちの報道・研究
    ソ連が装置を回収偵察衛星が、盗聴器の真上に集まったソ連の艦船を写す。
  7. 1985年11月当時の報道
    ペルトン逮捕亡命したKGBのユルチェンコの情報から、FBIがペルトンを逮捕する。
作戦の細部の多くは、1998年に出た記者たちの本『ブラインド・マンズ・ブラフ』と、1986年のペルトン裁判で表に出た。米政府は今も作戦の全体を公式には明かしていない。
衛星から見た冬のオホーツク海。海氷と筋状の雲
衛星から見た冬のオホーツク海(NASAの衛星アクアによる擬似カラー画像、2022年)。この海の底に、盗聴器は置かれた / MODIS Land Rapid Response Team, NASA GSFC / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

ここから謎になる

装置は1981年に消えた。ソ連が気づいた時期と、それまでに流れた情報の中身は、はっきりしない。

ペルトンがソ連側に作戦を明かしたのは1980年である。ソ連の艦船が現場に集まったのは1981年だった。その間の約1年、ソ連は知っていながら盗聴を続けさせていたのか。もしそうなら、その間に流れた通話は偽の情報だった可能性もある。記録は公開されていない。

ペトロパブロフスク・カムチャツキーの街とアバチャ湾
ペトロパブロフスク・カムチャツキーとアバチャ湾(2021年) / Ilya Onofriychuk / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

ケーブルの一端

ソ連太平洋艦隊の潜水艦基地がある町。ここからの軍の通話がケーブルを流れていた。

1965年、改装後にダイヤモンドヘッド沖を進む潜水艦ハリバット
改装後のハリバット(1965年、ダイヤモンドヘッド沖) / U.S. Navy / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

改装された潜水艦

ミサイルの格納庫が、偵察用の機器とダイバーの出入り口に変わった。

2004年、最後の帰港をする潜水艦パーチ
最後の帰港をするパーチ(2004年9月) / U.S. Navy photo by Brian Nokell / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

後継の潜水艦

1981年、装置の回収に送られたが、ダイバーは装置を見つけられなかった。

NSA職員時代のロナルド・ペルトンの写真

ロナルド・ペルトン

元NSA職員(1941〜2022)

NSAで通信傍受の分析をしていた。1979年に破産して退職し、翌年ソ連大使館に接触した。書類は持ち出さず、記憶だけで秘密を話した。

ユルチェンコの米国での最後の食事を記したワシントンの店の銘板

ヴィタリー・ユルチェンコ

KGBの幹部

1980年、大使館でペルトンの話を聞いた。1985年にアメリカへ亡命してペルトンの存在を明かし、同じ年の11月にソ連へ戻った。写真は、米国での最後の食事の店に残る銘板。

記憶を売った男

作戦を終わらせたのは、紙一枚も持ち出さなかった元職員だった。

ペルトンは1979年に個人破産を申し立て、同じ年にNSAを辞めた。1980年1月14日、ワシントンのソ連大使館を訪ねた。のちにウィーンでKGBの聞き取りを受け、ソ連から合わせて約3万5,000ドルを受け取った。そのうちアイヴィー・ベルの情報への支払いは5,000ドルだったと伝えられる。

1985年、ローマで亡命したユルチェンコが、NSAの元職員が情報を売ったと話した。FBIはペルトンを突き止め、1985年11月に逮捕した。1986年、ペルトンはスパイ罪で有罪となり、終身刑3つと懲役10年を言い渡された。2015年11月に釈放され、2022年9月6日、80歳で亡くなった。歴史家ティモシー・ナフタリは1998年、ニューヨーク・タイムズへの寄稿で、この盗聴の成果を高く評価した(下の引用は編集部訳)。

ワシントンの16番街にある旧ソ連大使館の建物(現ロシア大使公邸)
ワシントンの16番街1125番地の建物。1994年までソ連(ロシア)大使館で、いまは大使公邸。ペルトンが1980年に訪ねたのはここだった / AgnosticPreachersKid / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
「冷戦で最大級の情報の収穫の一つ」と、歴史家ナフタリは書いた。
国際宇宙ステーションから見たオホーツク海の海氷

衛星が見ていた

1981年、盗聴器の真上に集まったソ連の艦船を、米国の偵察衛星が写した。

国際宇宙ステーションから見たオホーツク海(2014年) / NASA / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

数字で見る作戦

公開された数字は少ない。そのうち、確かめられるものを三つ。

アイヴィー・ベル作戦の数字

120m盗聴器を置いた海底の深さ(約400フィート)
6.1m盗聴器の長さ(20フィート)
5,000ドルペルトンがこの作戦の情報で受け取ったと伝えられる額

のちの改良型はベル研究所が設計し、放射性同位体を使う発電機で動いた。1年分の通話をためられたとされる。ダイバーは潜水艦から定期的に装置を訪れ、記録を回収していた。

説の対決

ソ連はいつ、どうやって盗聴器の場所を知ったのか。

01

ペルトンの情報で見つけた

説明できる

1980年の接触から約1年で、ソ連の艦船が装置の真上に来たこと

説明できない

ソ連がいつ回収を決めたのか。ソ連側の記録は公開されていない

02

それより前から気づいていた

説明できる

何年も同じ場所に通う潜水艦の動きは、ソ連の監視に引っかかり得たこと

説明できない

1980年より前に気づいていたことを示す資料は出ていない

03

知ったうえで偽の情報を流した

説明できる

情報を得てから回収までに約1年の間があること

説明できない

偽の通話が流されたという証拠。米側の評価も非公開のまま

編集部の考察

確認事実:1971年に米海軍がオホーツク海のソ連軍ケーブルに盗聴器を置き、1981年にソ連が回収した。情報を売ったペルトンは1986年に有罪となった。

推論材料:ペルトン裁判の記録、1998年の『ブラインド・マンズ・ブラフ』、米海軍の艦歴、ペルトンの死去を伝えた2022年の報道。

考察:接触から回収までの順序を見ると、ペルトンの情報が発覚の直接の原因とみるのが最も無理が少ない。

弱点・反証:ソ連側の記録も、米側の被害評価も公開されていない。ソ連がそれより前に気づいていた可能性は、資料が出れば覆る余地がある。

まだ解けていない問い

  • 1

    ソ連はいつから盗聴に気づいていたのか

    ソ連側の記録が公開されておらず、1980年の接触から1981年の回収までの間に何があったかは分からない。

  • 2

    盗聴で得た情報は、どれほどの価値を持っていたのか

    傍受した内容とその評価は、いまも米政府が明かしていない。

  • 3

    ペルトンを売った亡命者ユルチェンコは、本物の亡命者だったのか

    ユルチェンコは帰国後、CIAに連れ去られたと主張した。本当の亡命だったのか、初めから戻るつもりだったのかは、今も意見が分かれる。

ブレマートンに保存された潜水艦パーチの司令塔

ソ連が引き揚げた盗聴器は、その後モスクワで展示されたと伝えられる。

海底で10年間黙って聞いていた装置は、わずか5,000ドルで居場所を知られた。

Clemens Vasters from Viersen, Germany / Wikimedia Commons / CC BY 2.0

写真・資料クレジット

金門橋の下を航行する米潜水艦ハリバット。後部にダイバー用の区画を載せている

U.S. Navy / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

レギュラス巡航ミサイルを発射する潜水艦ハリバット

U.S. Navy(NavSource 経由) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

衛星から見た冬のオホーツク海。海氷と筋状の雲

MODIS Land Rapid Response Team, NASA GSFC / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ペトロパブロフスク・カムチャツキーの街とアバチャ湾

Ilya Onofriychuk / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

1965年、改装後にダイヤモンドヘッド沖を進む潜水艦ハリバット

U.S. Navy / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

2004年、最後の帰港をする潜水艦パーチ

U.S. Navy photo by Brian Nokell / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

NSA職員時代のロナルド・ペルトンの写真

NSA / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ユルチェンコの米国での最後の食事を記したワシントンの店の銘板

Brhiba / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ワシントンの16番街にある旧ソ連大使館の建物(現ロシア大使公邸)

AgnosticPreachersKid / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

国際宇宙ステーションから見たオホーツク海の海氷

NASA / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ブレマートンに保存された潜水艦パーチの司令塔

Clemens Vasters from Viersen, Germany / Wikimedia Commons / CC BY 2.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

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この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

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