1846年のタナーのメキシコ地図の一部。ユカタン沖に「I. Bermeja」の文字がある

消えた島ベルメハ

300年にわたり地図に描かれ続けた島は、2009年に大学の調査船が座標へ行ったとき、海の上にも海の底にも見つからなかった。

Tanner, Henry S. / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

場所の概要

メキシコ湾、ユカタン半島の北西沖に「ベルメハ」という小さな島が、16世紀前半から何世代もの地図に描かれてきた。18世紀後半にはスペインの測量航海が探して見つけられず、19世紀初めにも確認できなかったが、島は地図から消えなかった。1997年にはメキシコ海軍が、2009年にはメキシコ国立自治大学(UNAM)が調査船と航空機で伝統的な座標を調べた。そこに島はなく、島が沈んだことを示す明らかな痕跡も見つからなかった。残ったのは、多くの古地図に刷られた名前だけである。

この場所の三つの謎

  1. 最初に「ベルメハ」と記録された島は、何だったのか
  2. 現場で見つからなかった島が、なぜ地図に残り続けたのか
  3. 「島は意図的に消された」という話は、どこから来たのか
位置
メキシコ湾南部、ユカタン半島の北西沖とされる
到達
1997年に海軍、2009年にUNAMの調査船と航空機が座標へ
現状
島も、島を直接示す痕跡も確認されていない
座標
北緯22度33分、西経91度22分(近代資料で繰り返される値)

確定している事実

ベルメハは怪談として始まったのではない。16世紀の海図の、普通の地名の一つだった。

メキシコの地図史研究者ミシェル・アントチウの整理では、初期の重要な例はポルトガルの地図製作者ガスパール・ヴィエガスによる1535年ごろの海図で、ユカタン沖のアラクラネス礁とともにBermejaが記されている。1544年のセバスティアン・カボットの世界地図では、ベルメハのほかにトリアングロ、アレナス、ネグリリョス、アラクラネスといった島や浅瀬がユカタンの周りに並ぶ。少なくとも16世紀前半には、ベルメハはヨーロッパの航海知識の中に入っていた。

1657年のサンソンの地図「Audience de Mexico」。ユカタン北西に「la Bermeja」
1657年、ニコラ・サンソンの地図「Audience de Mexico」。ユカタン半島の北西に「la Bermeja」、その近くにネグリリョスやアラクラネスが描かれている / Nicolas Sanson / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
最初の記録
1535年ごろ、ヴィエガスの海図(フィレンツェの国立文書館所蔵)とされる
地図・海図
16〜19世紀のポルトガル、スペイン、フランス、オランダ、英米の地図に繰り返し登場
現地調査
1775〜76年、1804〜05年のスペインの測量、1997年の海軍、2009年のUNAM。いずれも確認できず
公式の扱い
2009年、メキシコ下院が展示「ベルメハ島はどこにある?」を開き、UNAMへ調査を依頼

地図の上をたどる

国も時代も違う地図が、同じ海の同じあたりに、同じ名前を置いている。

1544年のカボットの世界地図
1544年、セバスティアン・カボットの世界地図(ボストン公共図書館所蔵)。ベルメハはこの時代のユカタン沖の地理情報の一部だった / Sebastian Cabot (c. 1484 – 1557) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
1696年ごろのダンケルツによる西インド諸島の地図。ユカタン北西に「La Bermeja」
1696年ごろ、コルネリス・ダンケルツの西インド諸島の地図。ユカタンの北西に「La Bermeja」、その東に「Negrillos」がある / Cornelis Danckerts / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
ドリールの1703年のメキシコとフロリダの地図(1745年の再版)。ユカタン沖に「la Bermeja」
1703年、ギヨーム・ドリールのメキシコとフロリダの地図(1745年の再版)。ユカタン沖に「la Bermeja」「Negrillo」「Allacranes」が並ぶ / Guillaume de L’Isle / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
1846年のタナーのメキシコ全図
1846年、ヘンリー・S・タナーのメキシコ全図。ベルメハはユカタン半島の北西沖に「I. Bermeja」として描かれている / Tanner, Henry S. / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
スペイン語の bermejo / bermeja は「赤みがかった」という意味を持つ。赤っぽい地形だったからと説明されることもあるが、名付けの事情は分かっていない。
国際宇宙ステーションから見たアラクラネス礁
国際宇宙ステーションから見たアラクラネス礁(2002年)。古地図でベルメハの隣に描かれ続けた礁は、いまも実在する / NASA / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

ここから謎になる

船で探した人たちは、もう見つけられなかった。それでも島は紙の上に残った。

1775〜76年、スペインの測量航海でミゲル・デ・アルデレテとアンドレス・バルデラマらはユカタン沖のネグリリョスとベルメハを確かめようとしたが、どちらも見つけられなかった。1804〜05年にはシリアコ・デ・セバリョスが再びこの海域を測量し、やはり確認できなかった。彼はベルメハについて、すべての海図に載っているが存在は非常に疑わしい、という趣旨の記録を残している。

ところが島は消えない。現場で否定的な結果が出た後も、1846年のタナー図のような大判の地図に堂々と印刷され続けた。1844年に測量された英国海軍の海図は、同じ場所に島の名前を置きながら、その後ろに疑問符を付けている。

メキシコ湾とカンペチェ堆、アレナス島やアラクラネス礁の位置を示した1965年の図N
ベルメハの伝統的な座標: 北緯22度33分、西経91度22分。図の「CAYO ARENAS」の点のすぐ北にあたる
アラクラネス礁とアレナス島: 古地図でベルメハと並んで描かれ、いまも実在する
2009年のUNAM調査: 座標の周りの海面と海底に、島も明らかな痕跡もなかった
Bermeja Id ?
— 英国海軍水路部 海図1205号(E・バーネット艦長の1844年の測量、1848年刊)。島名の後ろに疑問符が付き、周りの水深は60〜140尋と記されている

疑問符のついた島

地図は現実を写すだけでなく、前の地図も写す。

16世紀の海図は、航海者の目撃、緯度の測定、推測、写本、他国の地図から得た情報が混ざってできている。2026年9月、エル・コレヒオ・デ・メヒコのフリオ・マリア・フェルナンデス・メサは、16〜17世紀のベルメハを読み解くうえで「アウクトリタス」、つまり先に作られた権威ある知識への信頼を重く見た。地図に描かれていることそのものが、次の地図製作者には存在の証拠になりえた。

一枚の地図に島がある。次の製作者がそれを写し、三枚目は二枚目を写す。百年たつと「多くの地図に載っているから実在したはずだ」と見える。しかし、独立した目撃が十件あるのではなく、元になった情報は一件だけかもしれない。消すことにも危険があった。本当に島があったなら、消した海図は船を座礁させる。

1848年刊の英国海軍水路部の海図1205号。ユカタン沿岸とカンペチェ堆の水深
英国海軍水路部の海図1205号(1848年刊)。左上寄り、水深の数字の並ぶあたりに「Bermeja Id ?」、上方に「Negrillo Rock ?」とある / United Kingdom Hydrographic Office / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
疑問符を付けてでも残す。消して間違えるより、残して間違えるほうが安全だった。
国際宇宙ステーションから南西を望む。キューバとカリブ海に日の光が反射する

海の底を調べる

20世紀の終わり、古地図の小さな点は、国の海の権利に関わる話になった。

国際宇宙ステーションから南西を望む。キューバとカリブ海に日の光が反射している(2019年11月) / NASA / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

地図と調査の記録

島そのものではなく、「地図の上の島」が生きた時間を並べる。

  1. 1535年ごろ
    ヴィエガスの海図ユカタン沖にBermeja。初期の重要な記録とされる。
  2. 1544年
    カボットの世界地図ベルメハ、トリアングロ、アレナス、ネグリリョス、アラクラネスが並ぶ。
  3. 1657年
    サンソンの地図フランスの地図に「la Bermeja」とネグリリョス。
  4. 1775〜76年
    スペインの測量アルデレテらがベルメハとネグリリョスを探すが、確認できず。
  5. 1804〜05年
    セバリョスの測量再び確認できず。存在に強い疑いが示される。
  6. 1846年
    タナーのメキシコ全図「I. Bermeja」。紙の上ではまだ島がある。
  7. 1997年
    メキシコ海軍の捜索調査船オンフクが9月5日に想定海域を調べたが、島を確認できなかった。
  8. 2000年
    米墨の境界条約メキシコ湾の200海里の外の大陸棚「ウエスタン・ギャップ」の境界条約に署名。
  9. 2009年
    議会の展示とUNAMの調査下院が「ベルメハ島はどこにある?」展を開催。UNAMの調査船フスト・シエラが出港し、海上223平方キロ、航空10,488平方キロを調べ、933枚の写真を撮った。
  10. 2026年
    二つの新しい研究7月にUNAMの地理学誌『Tlalli』、9月に『Ciencia y Sociedad』が、ベルメハを地図と権威の問題として分析した。

1997年の海軍の調査には、深い海底を十分に確かめられないという弱点があった。「見つからなかった」ことと「海底に痕跡すらない」ことは同じではない。2009年のUNAMの調査は、音響による測深、海底の堆積物の採取、航空観測、古地図の分析を組み合わせた。報告では、採取した堆積物はおよそ5300年分の深海の堆積を示し、伝統的な座標には島も、島を直接示す痕跡もなかった。

ただし海底の深さの数字には食い違いがある。UNAMの『Gaceta』を再録した資料は472メートルとし、同じころの報道や後の資料には1,472メートルとするものがある。元の測深データを確かめられない以上、この記事ではどちらも確定値として扱わない。

説の対決

どの説も、説明できる事実と、つまずく事実がある。

01

米国が島を破壊した

説明できる

2009年、下院の海洋委員会のエリアス・カルデナス・マルケスが、意図的な破壊の可能性が語られていると公の場で述べた。境界交渉と時期が重なる

説明できない

作戦の記録も爆破の痕も見つかっていない。1775〜76年のスペインの測量で、すでに島は見つかっていなかった

02

沈んだ・侵食された

説明できる

低い島や礁が海面の変化や侵食で消えることは実際にある

説明できない

伝統的な座標の海底に、最近まで島があったことを思わせる浅い地形や残骸がない

03

誤認と地図の写し継ぎ

説明できる

現場で見つからないのに地図に残り続けたこと、ネグリリョスのような同じ運命の地名があることを説明できる

説明できない

最初の記録が何を見て書かれたのか、実在の別の島や礁だったのかは特定できない

編集部の考察

確認事実:ベルメハは16世紀前半から19世紀まで多くの地図に描かれた。1775〜76年と1804〜05年の測量、1997年の海軍、2009年のUNAMの調査は、伝統的な座標に島を確認していない。

推論材料:1844年測量の英国海図の疑問符、18世紀以降の不在の記録、2026年の二つの研究、同じように消えたネグリリョスの例。

考察:少なくとも伝統的な座標のベルメハは、20世紀に突然消えたのではなく、早い段階の誤認や位置の誤りが権威ある地図を通じて写し継がれた可能性が高い。

弱点・反証:最初の記録の元になった観察が見つかっていない。別の座標に実在した島や礁を指していた可能性は、座標の調査だけでは否定できない。

まだ解けていない問い

  • 1

    最初に「ベルメハ」と記録された島は、何だったのか

    ヴィエガスの海図より前の情報源が見つかっていない。低い礁や別の島を、誤った位置で記録した可能性は残る。

  • 2

    現場で見つからなかった島が、なぜ地図に残り続けたのか

    地図の権威と、消した場合の危険の大きさがあったと考えられるが、どの地図からどの地図へ写されたのか、系統はまだ復元されていない。

  • 3

    「島は意図的に消された」という話は、どこから来たのか

    2009年に国会議員が破壊説に触れたことは記録にあるが、その話がいつ誰によって広まったのかは突き止められていない。

1572年とされるメキシコ湾沿岸の手描き地図

2009年の海は、指定された座標にベルメハを返さなかった。1775年の海も返さなかった。それでも紙の上では、島は何世代も生き続けた。

消えたのは陸地ではなく、人が一度「ここにある」と描いた地理のほうだったのかもしれない。

誰が、何を見て、最初の地図にベルメハを置いたのか。

Santa Cruz, Alonso De; Archivo General De Indias / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

写真・資料クレジット

1846年のタナーのメキシコ地図の一部。ユカタン沖に「I. Bermeja」の文字がある

Tanner, Henry S. / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

1657年のサンソンの地図「Audience de Mexico」。ユカタン北西に「la Bermeja」

Nicolas Sanson / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。WebP化・縮小。出典ページ(確認 2026-09-25)

1544年のカボットの世界地図

Sebastian Cabot (c. 1484 – 1557) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。WebP化・縮小。出典ページ(確認 2026-09-25)

1696年ごろのダンケルツによる西インド諸島の地図。ユカタン北西に「La Bermeja」

Cornelis Danckerts / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ドリールの1703年のメキシコとフロリダの地図(1745年の再版)。ユカタン沖に「la Bermeja」

Guillaume de L’Isle / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

1846年のタナーのメキシコ全図

Tanner, Henry S. / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。WebP化・縮小。出典ページ(確認 2026-09-25)

国際宇宙ステーションから見たアラクラネス礁

NASA / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

メキシコ湾とカンペチェ堆、アレナス島やアラクラネス礁の位置を示した1965年の図

R.F. Busby / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

1848年刊の英国海軍水路部の海図1205号。ユカタン沿岸とカンペチェ堆の水深

United Kingdom Hydrographic Office / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

国際宇宙ステーションから南西を望む。キューバとカリブ海に日の光が反射する

NASA / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

1572年とされるメキシコ湾沿岸の手描き地図

Santa Cruz, Alonso De; Archivo General De Indias / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。WebP化・縮小。出典ページ(確認 2026-09-25)

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この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

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