ファイストスの円盤A面。渦巻き状に押された記号がびっしり並ぶ

ファイストスの円盤242個の刻印、45種の記号、118年誰も読めない

直径16センチの粘土に、渦巻き状の文字がびっしり押してある。1908年の発見以来、誰ひとり読めていない。

同じ文字で書かれたものが、地球上にほかに一点も存在しない。だとすれば、書かれたはずの残り全部はどこへ行ったのか。

写真:C messier/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

この記事の概要

1908年7月3日、クレタ島のファイストス宮殿で、イタリア人考古学者ルイジ・ペルニエが完全な形の粘土円盤を掘り出した。直径およそ16センチ、両面に242個の刻印。記号の種類は45。しかもそれは手で刻まれたものではなく、あらかじめ作られた45個の型を粘土に押し付けたものだった。グーテンベルクより約3000年早い「活字印刷」である。だがこの文字で書かれたものは、世界にこの1枚しかない。

この主題の三つの謎

  1. 61語しかない文章を、どうすれば解読できるのか
  2. 本物か、1908年に作られた贋作か。決着させる検査は行われていない
  3. 45個の型を彫った職人がいたなら、押された他の円盤はどこへ消えたのか

発見
1908年7月3日、ルイジ・ペルニエによる。立会人なし
場所
クレタ島ファイストス宮殿、北東部101号建物8号室の地下
寸法
直径およそ16センチ、厚さおよそ2センチ。焼成された粘土
刻印
242個(A面123/B面119)。区切られたまとまりは61(A面31/B面30)
記号
45種。アーサー・エヴァンズが01〜45の番号を付した
所蔵
イラクリオン考古学博物館(クレタ島)
解読状況
未了。百を超える解読主張があるが、学界が受け入れたものはない
目次

1908年7月3日、誰も見ていない場所で

「何が出たか」は完璧に記録された。「どこから出たか」は曖昧なままだった。

未解読文字は世界にいくつもある。だがファイストスの円盤は、そのなかでも特別に絶望的な条件を抱えている。資料がこれ1枚しかない。

線文字Bが解読できたのは、何千枚もの粘土板があったからだ。ヒエログリフが読めたのは、同じ文章が三つの文字で書かれたロゼッタ・ストーンがあったからだ。ファイストスの円盤にあるのは、242個の刻印だけ。対訳もなければ、比較できる別の文書もない。

クレタ島の南、メサラ平野を見下ろす丘の上に、ミノア文明の宮殿ファイストスがある。クノッソスに次ぐ規模の遺跡だ。

クレタ島ファイストス宮殿の遺跡全景
ファイストス宮殿。クレタ島南部、メサラ平野を見下ろす丘の上にある。円盤はこの遺跡の一角から出土した。C messier / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

立会人のいない発見

当時は問題にならなかった。1970年代以降、この一点が疑いの出発点になる。

1908年、ここを発掘していたのはイタリア人考古学者ルイジ・ペルニエだった。7月3日、宮殿北東部の「101号建物・8号室」の地下で、彼は完全な形の粘土円盤を見つける。

出土した状況は、記録上はこうなっている。黒い土、灰、焼けた骨が混ざった層。いわゆる「神殿の奉納物置き場」と呼ばれる種類の堆積である。そして円盤の数センチ南東に、線文字Aの粘土板(PH-1)が一緒にあった

ファイストス宮殿の「文書庫」。円盤が出土した区画
円盤が出土した区画。旧宮殿時代の「文書庫」と呼ばれる一角。いま見ると、ごく普通の石積みの部屋でしかない。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
円盤の出土地点付近の石積み
出土地点の周辺。層位の記録が曖昧だったことが、のちに年代論争と真贋論争を生む。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

この発見には、あとあと重大な意味を持つ特徴がある。ペルニエは一人で見つけた。立会人がいない。そしてその日の野帳の記述が、異様に少ない。

1908年の発掘後に描かれたファイストス宮殿北東区の図
1908年の発掘直後に作られた北東区の図。ペルニエ自身の手による記録。円盤がどの位置から出たのかを後世が検証する、ほぼ唯一の一次資料になっている。Luigi Pernier / パブリックドメイン
考古学では「何が出たか」と同じくらい「どこから出たか」が重要になる。ファイストスの円盤は、前者が完璧で、後者が曖昧だった。118年分の論争の半分は、この非対称から生まれている。

何が押されているのか──242、45、そして61

記号の種類が45という数字は、文字体系を推定する決定的なヒントになる。

まず物理的な話から。円盤は直径およそ16センチ、厚さおよそ2センチ。きめの細かい粘土でできていて、意図的に、きちんと焼かれている。A面はわずかに凹、B面はわずかに凸。

高解像度で撮影されたファイストスの円盤A面
A面の全体。渦巻きは外周から中心へ向かう。記号のあいだに引かれた縦線が、語の区切りと考えられている。Gleb Simonov / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

表面に押された刻印の数は、合計242個(A面123個、B面119個)。文献によっては241個とするものもあるが、内訳を足すと242になる。使われている記号の種類は45種。この45種には、アーサー・エヴァンズが01から45までの番号を振った。その番号は今も使われている。

記号は渦巻きに沿って並び、放射状の縦線で区切られている。区切られたまとまりは合計61個(A面31、B面30)。これが「単語」に相当すると考えられている。さらに細かい特徴がある。記号の下に斜めの小さな線が付いているものが18個ある。そして渦の始点と思われる場所には、5つの点が打たれた線がある。

ファイストスの円盤B面。A面とは異なる記号列が渦を巻く
B面。A面とは別の内容が書かれていると考えられているが、どちらが先かも確定していない。C messier / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
高解像度で撮影されたファイストスの円盤B面
B面の高精細画像。人の頭、歩く足、魚、船、盾、植物──絵として何を描いているかは分かるものが多い。だが「読み方」は分からない。Gleb Simonov / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
円盤A面の渦巻きと区切り線をなぞった図
渦巻きと区切り線をなぞった図。A面の構造。外周から中心へ、区切り線で31のまとまりに分かれている。Aeleftherios / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
アルファベットなら
ふつう20〜30種前後になる。45は多すぎる
表語文字なら
漢字のように数百から数千種になる。45は少なすぎる
音節文字なら
だいたい40〜90種。45はここにぴたりと収まる。線文字Bも音節文字で、約87種だった

つまり、これは「カ・キ・ク……」のような音節を表す文字である可能性が高い。

円盤A面の記号の接写
接写1。記号の輪郭が驚くほど鋭い。手で刻んだのではなく、型で押したためである。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
円盤A面の別の部分の接写
接写2。同じ記号が何度も現れ、形はほぼ完全に一致する。同一の型が使い回された証拠になる。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
円盤B面の記号の接写
接写3(B面)。区切り線と、記号の下に付く斜めの小線が見える。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

これは世界最古の「印刷物」かもしれない

記号は手で刻まれていない。45個の型を、柔らかい粘土に押し付けて作られている。

同じ記号を何度も押しているので、形が完全に一致する。手彫りではありえない精度だ。

ファイストスの円盤を横から見た断面
横から見たところ。厚さおよそ2センチ。両面に文字があるため、展示ケースでは立てて見せることが多い。PhilippePlagnol / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

この事実が何を意味するか。タイポグラフィ史の研究者ヘルベルト・ブレクレは、もしこれが文章であるなら「これは本当に『印刷された』文章であり、活字印刷の定義的条件をすべて満たしている」と述べている。グーテンベルクよりおよそ3000年早い。

広まらなかった技術革新

ジャレド・ダイアモンドはこの円盤を、その典型例として挙げている。活字の原理そのものは、紀元前2千年紀のクレタ島にすでにあった。だが普及しなかった。技術は発明されただけでは残らない──需要と素材と社会の条件が揃わなければ、一枚の粘土で終わる。

イラクリオン考古学博物館に展示されたファイストスの円盤
イラクリオン考古学博物館の展示。クレタ島最大の博物館で、ミノア文明の出土品の中心的な収蔵先である。Joyofmuseums / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
展示ケースの中のファイストスの円盤
展示ケースの中。厳重に保護されており、これが後述する「熱ルミネッセンス年代測定を拒否した」問題にもつながる。Joyofmuseums / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
45個の型を作るということは、「これから何度も同じ文字を書く予定がある」という前提が要る。一回しか使わないなら、手で刻んだほうが早い。だとすれば──同じ型で作られた円盤が、ほかにもあったはずではないのか。

誰も読めない。そして「読めた」と言う人は絶えない

1908年以来、解読を主張した論文・著書は百を超える。学界が受け入れたものはひとつもない。

ギリシャ語だ、ヒッタイト語だ、バスク語だ、日本語に似ている、いや暦だ、いやボードゲームだ──ありとあらゆる説が出た。

博物館の展示ケースに置かれたファイストスの円盤
展示される円盤。世界中の研究者がこの1点を見に来る。比較できる第二の資料が存在しないため、すべての議論はここに戻ってくる。Syrio / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

近年もっとも話題になったのが、クレタ工科教育大学のギャレス・オーウェンズと、オックスフォード大学の音声学教授ジョン・コールマンによる研究である。2014年2月、TEDxHeraklionでの講演で発表された。手法はこうだ。線文字Bの音価を円盤の記号に当てはめ、インド・ヨーロッパ語族の関連言語と比較する。彼らは「円盤の99%を『読み』、50%以上を解釈した」と主張した。

01

I-QE-KU-RJA(イケクルヤ)

A面に3か所現れる語の並び。オーウェンズはこれを「重要なる偉大な女性」と解釈した。

02

AKKA(アッカ)

B面に現れる語。「妊娠した母」と解釈された。ここから彼は、円盤全体を妊娠の女神および女神アファイアへの祈祷文と結論づけている。

03

学界の評価

厳しい。提案されたどの解読も「確からしさ」の基準を満たしていないというのが標準的な見方で、オーウェンズ説も例外ではない。ただし彼自身は2018年にも「50%以上は解読済み」という立場を維持している。

なぜ線文字Bを当てはめてもうまくいかないのか

線文字Bはミケーネ・ギリシャ語を書いた文字で、円盤より数百年あとのものである。しかも記号の形が似ているものは一部にすぎない。似ている記号に同じ音を割り当てるという前提そのものが、証明されていない仮定の上に乗っている。この方法の危険は、どんな文字列からでも「それらしい単語」が出てきてしまうことにある。45種の記号に自由に音を割り当てられるなら、出したい語はたいてい出せる。

いつ作られたのか──地層が語らない

年代も決まっていない。研究者によって、数百年単位で見解が割れる。

研究者 提示した年代 区分
イヴ・デュウ(1977) 前1850〜前1600年 中期ミノア III
イェッペセン(1963) 前1400年以降 後期ミノア II〜III
ルイ・ゴダール(1990) 中期〜後期ミノア全般 MM I 〜 LM III
ヤン・ベスト 前14世紀前半 後期ミノア IIIA

この幅の広さは、円盤そのものの問題ではない。ペルニエの発掘記録が、層位を特定できるほど詳しくないことが原因である。

ファイストス宮殿の出土区画の石積み
出土区画の現在。100年以上前に掘り返された場所からは、もう層位情報は得られない。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
出土地点の別角度
別角度から。一度掘ってしまった地層は二度と戻らない。考古学で「記録がすべて」と言われる理由がここにある。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
円盤とともに出土した線文字A粘土板PH-1の図版
一緒に出土した線文字Aの粘土板(PH-1)。円盤の数センチ南東にあった。これが本当に同時代のものなら年代の手がかりになるが、「同じ場所にあった=同じ時代」とは限らない。Arthur Evans / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

「偽物ではないか」という疑い

決着させる方法は存在するのに、使われていない。

1970年代から、少数の研究者が円盤の真贋を疑いはじめた。そして2008年、古代美術の贋作の専門家であるジェローム・アイゼンバーグが、正面から「これは近代の贋作だ」と主張する論文を発表した。

ファイストスの円盤の全体像
円盤の全体。保存状態は驚くほど良い。「良すぎる」というのが、贋作説が持ち出す論点のひとつでもある。C messier / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
論点1
ペルニエが単独で発見し、立会人がいない。当日の野帳の記述が異様に少ない
論点2
動機がある。イタリア隊とフランス隊がミノア文明の目玉を争って発掘していた時期で、名声への圧力があった
論点3
この文字体系が、他のどこにも存在しない
反論
1955年、記号21番(「櫛」と呼ばれる記号)とまったく同じ形の印影が別の封泥から見つかった。1908年に誰も知らなかった記号が47年後に独立して出てきたことになり、贋作者の予知を要求してしまう

現在、考古学者の大多数は本物であると考えている。

それでも決着していない理由

粘土は焼いた時期を熱ルミネッセンス年代測定で直接測れる。100年前に作られたものか、3500年前のものかは、これで一発で分かる。だがギリシャ当局は、これまでのところ円盤をこの検査にかけることを認めていない。破壊を伴う検査であることが理由とされる。この謎は、技術の限界ではなく判断の結果として残っている。

仲間がいない文字

似た記号を持つ物は二つある。それで全部である。

01

アルカロコリの斧

クレタ島中部アルカロコリの洞窟から出土した青銅の奉納用の斧。刃に記号が刻まれており、円盤の記号と似ているが同一ではない。円盤が孤立した捏造品ではないことを示す、もっとも重要な傍証とされる。

02

ファイストスの封泥

1955年に見つかった粘土の封印。記号21番の唯一の並行例である。ただしこれも1点のみで、文章にはなっていない。

03

それで全部

つまり、この文字で書かれた「文章」は円盤のA面とB面だけ。語数にして61。解読に必要な資料量には、まったく足りていない。

ファイストス宮殿の階段と広場
宮殿の大階段。この規模の行政拠点なら、文書も大量にあったはずである。だが円盤の文字で書かれた文書は一つも出ていない。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
ファイストス宮殿の新宮殿時代の警備室跡
新宮殿時代の警備室。ファイストスは何度か破壊と再建を繰り返しており、そのたびに地層が乱れている。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
ファイストス宮殿の石畳と壁
宮殿の内部。線文字Aの粘土板はクレタ各地から数千点出ている。円盤の文字だけが、ここで途切れている。Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

「仲間がいない」ことには二通りの読み方がある。ひとつは、まだ見つかっていないだけという読み。粘土板は焼けなければ残らないので、記録が消えた可能性は十分ある。

もうひとつは、もともと数が少なかったという読み。円盤が輸入品で、クレタ島の外から持ち込まれた一点物だった可能性である。粘土の分析では、クレタ産でない可能性も指摘されている。もしそうなら、この文字の本拠地はクレタではないことになる。

なぜ解読できないのか──情報量の壁

未知の文字を解読するには、原理的に次のいずれかが要る。円盤はひとつも満たしていない。

対訳がある
ロゼッタ・ストーン方式同じ内容が既知の言語でも書かれている。ヒエログリフはこれで解けた。円盤にはない
大量にある
統計と反復から構造を推定する線文字Bは数千点の粘土板があった。円盤は1点、61語
言語が分かる
既知の言語なら音価を推定できる円盤の言語は不明。ミノア語かどうかも分からない
固有名詞が読める
地名や王名は綴りが推定しやすい円盤には地名らしき語を特定する手がかりがない
ファイストス宮殿の貯蔵庫跡
宮殿の貯蔵庫。ミノアの宮殿は巨大な物流拠点でもあった。線文字Aと線文字Bは、その在庫管理のために生まれた文字である。円盤だけが、その系統から外れている。Tholos History / Wikimedia Commons / CC BY 4.0

これは「まだ誰も賢くない」という問題ではなく、情報が物理的に足りていないという問題である。数学的に言えば、45種の記号と61語では、可能な解釈が多すぎて一意に絞れない。だからこそ「解読した」という主張が百年以上出続け、そのすべてが反証も検証もできないまま並んでいる。

ファイストスの円盤が解けないのは、暗号が巧妙だからではない。鍵が失われているからでもない。単純に、書かれている量が少なすぎるのだ。この謎を解くのは天才ではなく、二枚目の円盤である。

何が出てくれば、謎は前へ進むのか

四つのうち二つは、いますぐ着手できる。

01

熱ルミネッセンス年代測定

真贋論争だけは、これで終わる。焼成年代が3500年前なら贋作説は完全に消え、100年前なら考古学史上最大級の事件になる。技術はすでにある。必要なのは許可だけだ。微量サンプルで済む手法も進歩している。

02

粘土の産地分析

岩石学的・化学的分析で、粘土がクレタ産かどうかを判定できる。クレタ産でなければ「輸入された一点物」説が強まり、探すべき場所がクレタ島の外に移る。探索範囲を変える力がある。

03

二枚目の発見

結局これがすべてを決める。同じ文字で書かれた文書がもう1点、できれば複数出れば、統計的解読の土俵に乗る。クレタ島にはまだ未発掘の宮殿址や洞窟が残っている。

04

アルカロコリの斧の再検討

斧の記号と円盤の記号の関係を、現代の画像解析で厳密に比較する。同系統の文字だと確定すれば、資料が1点から2点に増える。いますぐできる作業である。

ファイストスの丘と遺跡
ファイストスの丘。宮殿の周囲にはまだ調査されていない区域が残る。Jebulon / Wikimedia Commons / CC0
ファイストスの発掘区画
発掘区画。「二枚目の円盤」が出るとすれば、こうした場所か、まだ手の付いていない洞窟からだろう。Jebulon / Wikimedia Commons / CC0

ファイストスの円盤は、しばしば「古代の超技術」や「宇宙人のメッセージ」の文脈で語られる。だが実物を数字で見ると、印象はまったく違う。ここにあるのは、45個の判子を用意して、粘土に61語ぶんの文を押し、きちんと焼いた誰かである。道具として合理的で、作業として丁寧で、そして──おそらく日常的な行為だった。

クレタ島ファイストス遺跡の眺め
ファイストス遺跡。3500年前、ここで誰かが45個の判子を押した。その文章は、いまも読まれるのを待っている。Z thomas / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

まだ分かっていないこと

  1. 01

    何が書かれているのか

    61語。百を超える解読主張があるが、検証に耐えたものはない。情報量の壁は原理的なものである。

  2. 02

    いつ作られたのか

    前1850年から前1300年台まで、研究者によって数百年の幅がある。層位の記録が足りない。

  3. 03

    本物なのか

    大多数は本物と考えている。だが決着させる検査は行われていない。

  4. 04

    残りはどこへ行ったのか

    45個の型を彫った職人がいた。使う場面が何度もあったはずだ。押された円盤も何枚もあったはずだ。それが一枚も残らなかった。

本当の謎は、書かれたはずの残り全部の行方である

異常なのは円盤ではない。その日常が、たった1枚を残して完全に消えたことのほうである。ファイストスの円盤の本当の謎は「何が書いてあるか」ではなく、「書かれたはずの残り全部は、どこへ行ったのか」である。

出典・参考資料

発見・基礎資料

  1. Luigi Pernier「Il disco di Phaestos con caratteri pittografici」Ausonia 3(1908年)── 発見者自身による最初の報告
  2. Arthur Evans『Scripta Minoa I』(1909年)── 45記号への番号付与(01〜45)
  3. Heraklion Archaeological Museum(イラクリオン考古学博物館)展示資料

年代・文字論

  1. Yves Duhoux『Le disque de Phaestos』(1977年)── 前1850〜前1600年説
  2. Louis Godart『Le disque de Phaistos: l’énigme d’une écriture』(1990年)
  3. Jan Best による後期ミノアIIIA説
  4. Michael Everson, John H. Jenkins によるUnicode収録提案(2006年提案/2008年収録)

印刷技術としての評価

  1. Herbert E. Brekle によるタイポグラフィ原理の観点からの分析
  2. Jared Diamond『銃・病原菌・鉄』ほか、「広まらなかった技術革新」としての言及

真贋論争

  1. Jerome M. Eisenberg「The Phaistos Disk: A One Hundred-Year-Old Hoax?」Minerva(2008年7-8月号)
  2. Glossographia「Is the Phaistos disk a phony?」
  3. 1955年出土の封泥(記号21番の唯一の並行例)に関する報告

解読主張

  1. Gareth Owens, John Coleman によるTEDxHeraklion発表(2014年2月)および関連発表
  2. National Documentation Centre(ギリシャ)による報道
  3. Biblical Archaeology Society「Phaistos Disk Deciphered? Not Likely, Say Scholars」
  4. Archaeology & Arts「Gareth Owens: More than 50% of the Phaistos Disk has been deciphered」(2018年)

画像クレジット

  1. C messier / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0・CC BY-SA 3.0(円盤A面・B面、全体像、ファイストス宮殿全景)
  2. Gleb Simonov / Wikimedia Commons / パブリックドメイン(円盤A面・B面の高精細画像)
  3. Olaf Tausch / Wikimedia Commons / CC BY 3.0(記号の接写3点、出土区画4点、宮殿内部3点)
  4. Joyofmuseums / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(イラクリオン考古学博物館の展示2点)
  5. Syrio / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(展示ケースの円盤)
  6. PhilippePlagnol / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(円盤の断面)
  7. Tholos History / Wikimedia Commons / CC BY 4.0(宮殿の貯蔵庫)
  8. Jebulon / Wikimedia Commons / CC0(ファイストスの丘、発掘区画)
  9. Z thomas / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(遺跡の眺め)
  10. Arthur Evans / Wikimedia Commons / パブリックドメイン(線文字A粘土板PH-1の線画)
  11. Aeleftherios / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0(渦巻きのトレース図)
  12. Luigi Pernier / Wikimedia Commons / パブリックドメイン(1908年の発掘図)

調査言語の内訳:英語(考古学・言語学の論考、真贋論争、解読主張の検証記事)、ギリシャ語圏の公的発表(ギリシャ国立文献センター、イラクリオン考古学博物館)、ドイツ語・フランス語・イタリア語圏の資料(ペルニエの原報告、ゴダール、ドイツ語圏の撮影記録)、日本語。本文で「未確定」と書いた事項は、2026年9月時点で学術的な合意がないものを指します。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

コメント

コメント一覧 (2件)

目次