地下で低い声だけが響く、ハル・サフリエニ地下墳墓の謎

地中海の小さな島マルタ。住宅街の床下に、5000年前の地下神殿が眠っている。その奥の小部屋で低い声を出すと、声は岩を伝って、地下全体を震わせる。

岩を彫って石の門と梁を表した「至聖所」。ハル・サフリエニ地下墳墓の中層

xiquinhosilva / Wikimedia Commons / CC BY 2.0

ハル・サフリエニ地下墳墓とは

ハル・サフリエニ地下墳墓は、マルタ島パオラの住宅街の地下にある、岩をくりぬいて造られた3層の地下空間だ。紀元前4000年ごろから1500年ほどの間、人々は金属の道具を持たないまま、石と角で柔らかい石灰岩を掘り進め、死者を葬った。部屋の壁には地上の神殿と同じ門や梁の形が彫られ、天井には赤い渦巻が描かれている。奥の「神託の間」では、低い男の声だけが不思議なほど大きく響く。寝台で眠る小さな女神の像、地下で消えたと語られる子どもたち、白い髪の者たちの目撃談。5000年前の死者の館は、今も数々の伝説に包まれている。

ハル・サフリエニ地下墳墓の三つの謎

  1. なぜ「神託の間」では、低い声だけが響くのか
  2. 5000年前の人々は、この地下で何をしていたのか
  3. 地下で消えた子どもたちの話は、どこから来たのか
場所
マルタ島パオラ、住宅街の地下
年代
紀元前4000年ごろから前2500年ごろまで使われた
規模
3層の地下空間、広さ約500平方メートル
発見
1902年、貯水槽を掘る工事の最中

つるはしが、5000年前の天井を突き破った

1902年、マルタ島の港町バレッタの南にある町パオラ。新しい家々を建てるため、職人たちが地面を掘っていた。雨の少ないこの島では、家ごとに雨水をためる貯水槽が欠かせない。

ある日、つるはしの先が、ふっと手応えを失った。岩の床が抜け、その下に真っ暗な空洞が口を開けたのだ。職人たちは、はじめ、この発見を隠そうとした。役所に知られれば工事が止まる。穴はふさがれ、その真上に家が建っていった。

パオラの住宅街に建つ地下墳墓の入口の建物
パオラの住宅街に建つ、地下墳墓の入口の建物。遺跡は家々の床下に広がっている。Continentaleurope / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大

うわさはやがて広まり、1903年11月、イエズス会の神父マヌエル・マグリが調査を任された。ろうそくを手に降りていった人々の前に現れたのは、岩を彫って造った部屋が次々につながる、地下の迷宮だった。部屋の壁には、地上の神殿と同じ石の門や梁の形が、岩そのものを削って刻まれていた。

マグリ神父が作らせた地下墳墓の平面図と断面図
マグリ神父が作らせた、地下墳墓の平面図と断面図。上下に重なる部屋が描かれている。マヌエル・マグリ(1907年没) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

ところが、調査は不吉な形で途切れる。マグリは1907年、布教に出かけたチュニジアで亡くなり、書きためた報告は行方が分からなくなった。掘り出された副葬品や骨の一部も、記録されないまま捨てられていた。最初の調査者が見たものの多くは、彼とともに消えてしまったのだ。

発掘を引き継いだのは、のちに「マルタ考古学の父」と呼ばれる医師テミストクレス・ザミットだった。1910年から報告を出し、地下の全体像を世に示した。分かったのは、ここが自然の洞窟を広げた上層から、深く掘り込まれた下層まで、三つの階が重なる死者の館だということだった。

20世紀初めに撮られた、渦巻の天井がある大きな部屋(リチャード・エリス撮影)
20世紀初めに撮られた、渦巻の天井がある大きな部屋。写真家リチャード・エリスの作品。リチャード・エリス(Richard Ellis、1842〜1925) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

発掘のさなかの1908年には、もう見学者が地下へ降り始めていた。1912年にはイギリスの王妃メアリーもこの地を訪れている。やがて遺跡の真上に建っていた家のうち4軒が取り壊され、入口の建物が造られた。それでも地下墳墓は今も、ふつうの家々の床下に広がっている。玄関の下に5000年前の死者の館がある町は、世界でもそう多くない。

「神託の間」で、声が岩を震わせる

中層の奥に、小さな四角い部屋がある。人々はそこを「神託の間」と呼んできた。壁の一面に、大人の頭ほどの楕円の穴が彫り込まれている。

「神託の間」の壁に開いた楕円の穴。ここに向かって声を出すと地下全体に響く
神託の間の壁に開いた楕円の穴。ここに向かって声を出すと、響きが地下全体へ広がる。xiquinhosilva / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大

この穴に顔を寄せて、低い声を出してみる。すると声はふくらみ、壁を伝い、隣の部屋へ、さらにその先へと流れていく。特によく響くのは、大人の男の低い声だ。高い声では、同じことは起こらない。

5000年前、この穴の前に立ったのは誰だったのか。島に伝わる話では、ここは神官が神のお告げを語った部屋だという。暗い地下で、姿の見えない声が岩の中から湧き上がる。死者の骨が眠る部屋で、それを聞いた人々は、神か祖先の声だと信じたのかもしれない。

2014年、イタリアのパオロ・デベルトリスらの国際チームが、この部屋の響きを測った。部屋は約70ヘルツと約114ヘルツの二つの高さで強く共鳴する。ちょうど男の低い声が出す音の高さだ。この高さに合わせて声を出すと、響きは神託の間を越えて地下全体に広がり、太鼓のような打楽器の音でも同じように響くという。

部屋の空洞の響きは、人々の儀式の詠唱と、神秘的な意識を支えていたのだろう。
— パオロ・デベルトリスほか「ハル・サフリエニ地下墳墓の考古音響学的分析」2015年(英語から訳出)

別の実験もある。2008年、アメリカの研究者が30人に、さまざまな高さの音を聞かせて脳の働きを調べた。110ヘルツの音のときだけ、言葉をつかさどる左の側頭部の働きが下がったという。まだ小さな予備実験の結果だが、低い響きが人を言葉の世界から別の状態へ連れていく、という想像をかき立てる。

眠れる女神と、赤い渦巻の部屋

神託の間のそばに、丸く広い「主室」がある。壁のほとんどが赤い顔料で塗られ、岩を削って柱と梁の形が表されている。地上に石を積んで建てた神殿を、そっくり地下に彫り写したような部屋だ。

中層の「主室」。岩を彫って柱と梁の形を表している
中層の主室。岩を削って、柱と梁を組んだ神殿の形を表している。xiquinhosilva / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大

この部屋から、ひとつの小さな像が見つかった。寝台の上で横向きに眠る、ふくよかな女性。長さわずか12センチほどの粘土の像だ。人々はそれを「眠れる女神」と呼んだ。

寝台に横たわる「眠れる女神」。地下墳墓の主室から出た粘土の像
寝台に横たわる「眠れる女神」。地下墳墓の主室から出た。いまは首都バレッタの国立考古学博物館にある。rob koopman from Leiderdorp, netherlands / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0画像を拡大

彼女は誰なのか。命を産み育てる大地の母神だという説がある。あるいは、聖なる場所で眠り、夢の中でお告げを受ける儀式を表しているのだともいう。死者の眠る館で、静かに眠り続ける女性。その姿は、死の向こうにもう一度目覚めがあることを、人々に約束していたのかもしれない。

隣の「装飾の間」の壁には、渦巻の模様と、岩に刻まれた人の手が残る。そして、門の形をいちばん見事に彫り上げた「至聖所」は、冬至の太陽の方角を向いているように見える。一年で最も日が短くなる日、太陽が生まれ変わる日だ。

中層の「装飾の間」。壁に渦巻が描かれている
中層の「装飾の間」。壁一面に赤い渦巻が描かれている。xiquinhosilva / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大

地下墳墓から歩いてすぐのところには、同じ時代の巨石の神殿、タルシーン神殿がある。地上の神殿で生きる人々の祭りを行い、地下の神殿に死者を送る。島の人々は、生と死の二つの神殿を、ひと続きの聖なる景色として造ったのかもしれない。

タルシーン神殿から出た小さな人の像
タルシーン神殿から出た小さな人の像。同じ時代の人々が、ふくよかな姿の像を数多く残している。Ethan Doyle White / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大
見学通路から見下ろす上層。いまは温度と湿度を管理した空間で守られている
見学通路から見下ろす上層。いまは温度と湿度を細かく管理した空間で守られている。xiquinhosilva / Wikimedia Commons / CC BY 2.0画像を拡大

巨人が石を運んだ、と語られる島

地下墳墓を掘った人々は、地上にも驚くべきものを残した。マルタとゴゾの島々には、人の背丈をはるかに超える巨石を積み上げた神殿が、30ほども建っている。その多くは紀元前3600年から前2500年ごろのもの。エジプトのピラミッドよりも古い時代の石の建物だ。

あまりに大きな石を見た後の時代の人々は、こう考えた。これは巨人が建てたものに違いない。マルタの昔話は、神殿を造ったのは巨人たちだと伝えている。ゴゾ島の神殿ジュガンティーヤの名も、「巨人の場所」を意味するといわれる。

ゴゾ島のジュガンティーヤ神殿の入口。人の背丈を超える巨石が並ぶ
ゴゾ島のジュガンティーヤ神殿の入口。人の背丈を超える巨石が並ぶ。紀元前3600年ごろに建てられたと考えられている。Diego Delso / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大

ゴゾ島には、ひとりの巨人の女性の話が残る。名はサンスナ。そら豆と蜂蜜だけを食べて暮らした彼女は、ふつうの人間の男との間に子どもを産んだ。そして子どもを肩に乗せたまま神殿を築き上げ、そこを祈りの場にしたという。巨石の神殿は、ひとりの母が子を抱えながら造ったものだと、島の人々は語り継いできた。

地下墳墓のすぐ近くのタルシーン神殿では、巨石の表面に渦巻が浮き彫りにされ、壁には2頭の雄牛と1頭の雌豚が刻まれている。地下の天井に描かれた赤い渦巻と、地上の石に刻まれた渦巻。同じ人々が、同じ祈りの形を、地上と地下の両方に残したのだ。

近くのタルシーン神殿。地上の神殿と地下墳墓は同じ時代のもの
地下墳墓の近くに残るタルシーン神殿。地下墳墓と同じ時代の、巨石を積んだ神殿だ。Kritzolina / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大
タルシーン神殿の巨石に浮き彫りにされた動物
タルシーン神殿の巨石に浮き彫りにされた動物。Ethan Doyle White / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0画像を拡大

そして紀元前2500年ごろ、神殿を建てる人々の暮らしは、島から消えてしまう。地下墳墓も、このころ使われなくなった。千年以上も巨石を積み、地下を掘り続けた人々に何が起きたのか。その答えも、まだ見つかっていない。

地下で消えた、子どもたちと先生

この地下墳墓には、マルタの人々が声をひそめて語る話がある。

ある日、小学校の子どもたちが、先生に連れられて地下墳墓を見学に来た。一行は暗い通路を下へ下へと進み、やがて下層のさらに奥、立ち入りを禁じられた場所へ入っていった。そのとき、背後で岩が崩れ、通路がふさがった。子どもたちと先生は、二度と地上へ戻らなかった。

地下墳墓の一番深い下層は、ほかの階と少し様子が違う。発掘でここからは、骨も供え物も見つからなかった。死者の館の底にありながら、死者のいない部屋。何のために掘られたのかも分かっていない。話の中の子どもたちが迷い込んだのは、その下層のさらに奥だった。

下層へ続く通路。20世紀初め(リチャード・エリス撮影)
下層へ続く通路。20世紀初め、写真家リチャード・エリスが撮影した。リチャード・エリス(Richard Ellis、1842〜1925) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

話には続きがある。それから何週間もの間、母親たちは「地下から泣き叫ぶ声が聞こえた」と訴えたというのだ。政府は地下の通路の入口を閉ざした。地下墳墓の奥の道は、島の別の場所まで続いていると、ささやく人もいる。

この話を世界に広めたのは、1940年8月発行の雑誌『ナショナル・ジオグラフィック』だった。マルタを紹介する記事の中で、子どもたちと先生が地下の迷路で迷い、戻らなかったと書かれたのだ。のちに語り継がれるうち、子どもの数は「30人」にまでふくらんだ。

遺跡を管理するヘリテージ・マルタは、当時の地元の新聞にも住民の話にも、子どもが消えた記録は見つからず、崩れた跡もないとしている。子どもたちを危ない洞窟やトンネルに近づけないための、戒めの話だったのではないかという。島の別の地下墓地、聖パウロのカタコンベにも、よく似た話が伝わっている。

ろうそくの火が消えた、白い髪の者たち

もうひとつ、背筋の寒くなる話がある。1940年代、マルタにいたイギリス人女性、ロイス・ジェサップの体験談だ。

彼女は案内人とともに、ろうそくを手に地下墳墓の深くへ降りた。ふと見ると、崖の上の岩棚のような場所に、白い髪をした人のような姿がいくつも立っていた。次の瞬間、どこからか風が吹きつけ、ろうそくの火が消えた。暗闇の中で、彼女は自分が深い穴の縁に立っているように感じたという。

ヘリテージ・マルタの学芸員たちは、その階にそんな崖も部屋もないと言う。冬には地下に水が流れ込み、水たまりができる。ろうそくの光が水面や白い岩に反射して、人の姿のように見えたのではないか。壁に残る水の跡が、足元が海の上のように感じられた理由かもしれない。それでも、暗い地下で白い姿を見たという話は、今も語られ続けている。

細長い頭の骨と、7000人の死者

ザミットは地下から出た骨を調べ、11個の頭蓋骨を「長頭型」に分類した。前後に長い頭の形だ。この記録が、のちに思いもよらない伝説を生む。地下に眠っていたのは、遠い南米やエジプトの神官と同じ、細長い頭をした謎の種族だったのではないか、と。

1995年、壊れかけた頭蓋骨6個が、調査のために展示から外された。すると今度は「異形の頭蓋骨が隠された」といううわさが広まった。ヘリテージ・マルタによれば、これらの頭は今の人々の頭と比べて、特に長いわけではない。1個は今も地下墳墓で展示され、残りも国立考古学博物館に戻される予定だという。

もうひとつ、よく知られた数字がある。「7000人が葬られた」。これは、ザミットが掘った一部の場所の骨の量から、全体を見積もった大まかな数だ。実際に調べられた骨からは、少なくとも約120人分が確かめられている。それでも、1500年にわたって死者が運び込まれ続けた地下に、どれほどの人が眠っていたのか。正確な数は誰にも分からない。

1日80人だけが、地下へ降りられる

1980年、地下墳墓はユネスコの世界遺産に登録された。けれど人気が高まるにつれ、遺跡は傷み始めた。見学者の吐く息の二酸化炭素と湿気が、5000年前の赤い渦巻を少しずつ溶かし、カビを育てたのだ。

1991年から2000年まで、地下墳墓は修復のため閉ざされた。2016年からは110万ユーロをかけた改修が行われ、2017年5月15日に再び公開された。いまは見学できるのは1日80人まで。前日に売り出される当日券は、わずか20枚だ。

空気の温度と湿度は機械で細かく保たれ、地下は5000年前とよく似た静けさの中にある。2022年には、地下墳墓を描いた2ユーロの記念硬貨も作られた。神託の間の穴は、今日も暗がりの奥で、次の低い声を待っている。

20世紀初めの、壁画のある部屋(リチャード・エリス撮影)

5000年前の響きは、まだ鳴りやまない

誰が、何のために、声の響く部屋を彫ったのか。答えは、岩の中に閉じ込められたままだ。

20世紀初めの、壁画のある部屋。写真家リチャード・エリスが撮影した。リチャード・エリス(Richard Ellis、1842〜1925) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン画像を拡大

響きは、狙って彫られたのか

声を響かせるために彫った

根拠・背景

神託の間は男の低い声に合う高さで共鳴し、儀式で声を使ったと考えればぴったり合う。

問題点

造った人々がその響きを狙って形を決めたことを示す記録は、何も残っていない。

掘ったら響いたので、儀式に使った

根拠・背景

掘り進めるうちに見つけた響きを、神のお告げの声として使ったと考えれば自然に説明できる。

問題点

部屋で何が行われたのかを伝える文字は、この時代には存在しない。

響きはただの偶然

根拠・背景

岩をくりぬいた小部屋は、形によって特定の高さの音が響きやすくなる。

問題点

わざわざ壁に楕円の穴を彫り、天井を赤い渦巻で飾った理由までは説明しない。

ハル・サフリエニ地下墳墓の年表

  1. 前4000年ごろ
    最初の部屋自然の洞窟を広げて、死者を葬り始める。
  2. 前3300〜前3000年
    神殿の形の部屋中層が深く掘られ、門と梁の形が刻まれる。
  3. 前2500年ごろ
    使われなくなる1500年続いた死者の館が、静かに閉じられる。
  4. 1902年
    貯水槽の工事で発見職人たちは、はじめ発見を隠そうとした。
  5. 1907年
    マグリ神父の死最初の調査者が亡くなり、報告は行方知れずに。
  6. 1910年
    ザミットの報告3層の地下空間の全体像が世に知られる。
  7. 1940年8月
    消えた子どもたちの記事雑誌に、地下で戻らなかった子どもと先生の話が載る。
  8. 1980年
    世界遺産にユネスコの世界遺産に登録される。
  9. 2017年5月15日
    公開の再開改修を終え、1日80人の見学が始まる。

ハル・サフリエニ地下墳墓の三つの謎への答え

  • 1

    なぜ「神託の間」では、低い声だけが響くのか

    神託の間は約70ヘルツと約114ヘルツで強く共鳴し、男の低い声がよく響く。その響きを狙って彫ったのか、掘った後に見つけたのかは、5000年前の人々に聞くしかない。

  • 2

    5000年前の人々は、この地下で何をしていたのか

    死者を葬り、地上の神殿と同じ門を刻み、天井を赤い渦巻で飾り、眠る女神の像を置いた。死と再生を祈る場所だったと考えられているが、文字のない時代の祈りの言葉は残っていない。

  • 3

    地下で消えた子どもたちの話は、どこから来たのか

    1940年の雑誌記事が世界に広め、語り継がれるうちに子どもの数がふくらんだ。危ない地下に子どもを近づけないための戒めだったのか、それとも本当に何かがあったのか。話は今も島で語られている。

神託の間の天井に赤い顔料で描かれた渦巻と円

住宅街の床下、5000年の暗がりの天井に、赤い渦巻が今も残っている。その下で、かつて誰かが低い声で何かを語りかけた。

その言葉が何だったのか、岩だけが覚えている。

xiquinhosilva / Wikimedia Commons / CC BY 2.0

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この記事を書いた人

世界各地の遺跡や不思議な出来事、伝説を紹介しています。公開資料や研究論文、博物館の解説などを読み比べながら記事を書き、写真の確認や公開後の訂正も一人で行っています。

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