
シュグバラの 謎の碑文
英国の屋敷の庭に立つ大理石の記念碑には、270年近く誰も読み解けていない10文字が刻まれている。
Daderot / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
文書の概要
イングランド中部スタッフォードシャーのシュグバラ・ホールの庭園に、「シェパーズ・モニュメント(羊飼いの記念碑)」と呼ばれる18世紀の記念碑が立つ。1748年から1756年ごろ、屋敷の主トマス・アンソンの注文で造られ、中央にはプッサンの絵『アルカディアの牧人たち』を左右反転させた浮き彫りがある。その下の板に、O U O S V A V Vの8文字が並び、一段下の両端にDとMが刻まれている。頭文字の略語か、暗号か、墓碑の決まり文句の変形か、これまで多くの読み方が出されたが、書いた本人の説明は残っていない。1982年の本で聖杯伝説と結びつけられてから、世界的に知られるようになった。
この文書の三つの謎
- 8文字は、どんな言葉の頭文字なのか
- 誰のために、誰がこの文字を選んだのか
- 両端のDとMは、墓碑の決まり文句なのか
- 成立
- 1748〜1756年ごろ。トマス・アンソンが注文し、浮き彫りはピーター・シーマーカーズ作
- 言語
- ラテン文字10字。上段に8字、下段の両端にDとM
- 所在
- 英国スタッフォードシャー、シュグバラ・ホールの庭園。現在はナショナル・トラストが管理
- 解読状況
- 未解読。頭文字説・暗号説など多数あるが、決め手となる記録はない
確定している事実
記念碑の形、刻まれた文字、造らせた人物。争いのないことから並べる。
シェパーズ・モニュメントは、シュグバラ・ホールの庭園に18世紀に建てられた建造物の一つだ。注文したのは屋敷の主で国会議員でもあったトマス・アンソン。ギリシャ建築に関心の深い人物だった。中央の大理石の浮き彫りは、フランドル出身の彫刻家ピーター・シーマーカーズの作とされる。

- 建造
- 1748〜1756年ごろ。トマス・アンソンの注文
- 浮き彫り
- プッサン『アルカディアの牧人たち』第2作を左右反転。ピーター・シーマーカーズ作
- 碑文
- 上段にO・U・O・S・V・A・V・V、下段の両端にDとM
- 保護
- 1953年から英国の指定建造物(グレードII*)
浮き彫りの手本は、ニコラ・プッサンが1630年代後半に描いた『アルカディアの牧人たち』の2作目で、いまはパリのルーヴル美術館にある。浮き彫りは絵を左右反転させた構図になっている。版画をもとに彫ったためと考えられているが、墓石に刻まれた「ET IN ARCADIA EGO」の文字だけは、ふつうに左から右へ読める向きだ。
碑文を書き起こす
読み方を考える前に、板の上に何がどう並んでいるかを確かめる。
実物
浮き彫りの下の板

見えるもの
形と位置だけを書き出す
- 上段:O・U・O・S・V・A・V・V
- 文字と文字のあいだに点が入る
- 下段:左端にD、右端にM
- DとMは上段より一段下がる
- 「U」と「V」が同じ板に両方ある
手がかりになる約束
ローマの墓碑の習慣から
- D・Mは古代ローマの墓碑の決まり文句
- 「ディス・マニブス」の略
- 意味は「死者の霊に捧げる」
- 上段の8文字には対応する決まり文句がない
- ラテン語の頭文字だと考える人が多い

ここから謎になる
D・Mが墓碑の約束だとすれば、上段の8文字が誰かへの献辞である可能性が高い。だが、その誰かが分からない。
ローマの墓碑では、D・Mのあとに故人の名や、故人との関係を書くのがふつうだ。ここでは名の代わりに頭文字らしい8文字しかない。当時の人なら説明なしで読めた言葉なのか、わざと隠したのか。それさえ決められない。同じ8文字から、少なくとも四つの方向の読み方が出ている。

亡き妻への献辞
1951年、オリヴァー・ストーナーは「最良の妻、最良の姉妹へ、最も愛する夫が徳をたたえて捧げる」というラテン語の頭文字と読んだ。誰の妻かは特定されていない。

聖書の一句
旧約聖書『伝道の書』の「空の空」を含む一文の頭文字とする読み方がある。墓を前に死を思う絵の主題とは合うが、文の組み立ては後から当てはめたものだ。

祈りの言葉
元米国家安全保障局の言語学者キース・マッセイは「すべての人が真の命への道に従うよう祈る」というラテン語の頭文字と読んだ。

暗号・地名・人名
文字を置き換えた暗号とする説、アンソン家ゆかりの土地や人の名の頭文字とする説、財宝の場所を示す緯度経度とする説まで出ている。
聖杯と暗号の時代
庭の片隅の碑文が世界に知られたのは、20世紀後半のことだ。
1982年に出た『レンヌ=ル=シャトーの謎(原題:The Holy Blood and the Holy Grail)』が、この記念碑を取り上げた。プッサンの絵を秘密結社や聖杯伝説と結びつける話の中で紹介したが、本自体は碑文の答えを示していない。2003年の小説『ダ・ヴィンチ・コード』と結びつけて語られることも多いが、小説の中にこの碑文は出てこない。
2004年、屋敷の総支配人リチャード・ケンプは、第二次世界大戦中の暗号解読拠点ブレッチリー・パークの博物館と組んで宣伝の企画を立てた。そこで働いた経験のあるオリヴァーとシーラのローン夫妻が碑文に挑んだ。オリヴァーは米NPRの取材に、数学の暗号というより言葉の問題で、古典の知識と工夫の両方が要ると話している。シーラは最終的に、1951年のストーナーの読み方を支持した。


古典好きの庭
同じ庭には、アテネの建物を写した塔も立つ。碑文は、この庭の古典趣味の中で読むべきものかもしれない。
読み方を比べる
どの答えも、8文字に合う文を作ることはできる。問題はそこから先だ。
頭文字の読み方は、作るほうが確かめるより易しい。O、U、O、S、V、A、V、Vで始まるラテン語の単語はいくらでもある。文が作れることと、それが刻んだ人の意図だったことは別の話である。確かめるには、18世紀の手紙や日記、注文の記録に同じ言い回しが出てくる必要がある。
2022年、古典学の雑誌サイト『アンティゴネー』に載った論考は、ストーナーの「最良の妻」の読み方を一歩進め、最後の文字を近くの屋敷に住んだアン・ヴェナブルズ=ヴァーノンという女性の名に当てはめた。アンソン家と縁のある人を探し、実在の人物に結びつけようとする試みだが、それを裏づける当時の文書はまだ見つかっていない。
暗号とする説はさらに確かめにくい。10文字では文字の出方の偏りを調べる統計がほとんど使えず、どの鍵を使ったかも分からない。鍵を自由に選べるなら、たいていの答えを導けてしまう。
説の対決
三つの読み方には、それぞれ説明できることと、つまずくことがある。
誰かに捧げた献辞
両端のD・Mがローマ墓碑の「死者の霊に」を示すこと。墓を描いた浮き彫りと合うこと
誰に捧げたのかを記した記録がなく、同じ8文字に合う献辞はいくつも作れる
宗教の言葉や警句
「アルカディアにも死はある」という絵の主題と、死や空しさを語る言葉がよく合うこと
当時そうした略し方をした例が示されておらず、単語の選び方に後付けの余地が大きい
意図して作った暗号
屋敷の主が古典や謎かけを好み、答えを書き残さなかったこと
10文字では暗号の方式を絞り込めず、聖杯や財宝と結びつける当時の証拠もない
編集部の考察
確認事実:1748〜1756年ごろ、トマス・アンソンが造らせた記念碑に、プッサンの絵を反転した浮き彫りと、O U O S V A V VおよびD・Mの10文字がある。書いた本人の説明は残っていない。
推論材料:ローマ墓碑のD・Mの約束、1951年のストーナーの読み方、2004年のブレッチリー・パーク関係者の検討、2022年の『アンティゴネー』の論考。
考察:D・Mがある以上、上段は故人への献辞と読むのが最も自然に思える。聖杯や財宝の話は、1982年以降に外から持ち込まれた物語と考えるのが妥当だ。
弱点・反証:献辞説も、誰に捧げたかを示す文書がなければ仮説のままである。頭文字の読み方は、後から誰でも作れてしまう。
まだ解けていない問い
- 1
8文字は、どんな言葉の頭文字なのか
8文字に合うラテン語の文はいくらでも作れる。刻んだ人の意図を示す手紙や注文の記録が見つかっていない。
- 2
誰のために、誰がこの文字を選んだのか
注文主はトマス・アンソンだが、文字を考えた人も、捧げた相手も記録にない。献辞説の候補の人物も推測の段階にとどまる。
- 3
両端のDとMは、墓碑の決まり文句なのか
ローマ墓碑の決まり文句と同じ形で、そう読む研究者が多い。ただし、上段とどうつながるのかは説明されていない。
木々のアーチを抜けると、芝生の奥に記念碑が小さく見える。
18世紀の客人たちは、この道を歩いて板の前に立ち、何かを読み取ったのかもしれない。それとも、読めないことを楽しんだのか。
答えは、石の上ではなく、どこかの古い書類の中に眠っている可能性が高い。
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