
エルトシュタル 中世の地下の穴
手前も奥も歩ける幅に掘りながら、途中の一か所だけを、腹ばいでしか抜けられない狭さにしてある。
Haweb / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
遺跡の概要
ドイツ南部のバイエルンとオーストリアの地下に、中世の農村の人々が掘った細い地下通路が数多く残っている。ドイツ語でエルトシュタル(土の中の場所)と呼ばれ、2016年にもミュンヘン近郊のアーイングで、教会の隣の工事現場から見つかった。放射性炭素年代測定で、多くは950〜1160年ごろに掘られたことが分かっている。通路の途中には必ず、腹ばいでしか抜けられない狭い穴がある。何のために掘ったのかを書いた記録も、手がかりになる遺物も、ほとんど残っていない。
この遺跡の三つの謎
- なぜ通路の途中だけを、腹ばいでしか通れない狭さにしたのか
- 1週間に1メートルしか進めない手間をかけながら、なぜ目的の記録が一つも無いのか
- なぜ多くのエルトシュタルは埋め戻されたのか
- 何が
- 前かがみで進む幅の地下通路と小部屋。途中に腹ばいでしか通れない狭い穴(シュルプフ)がある
- どこに
- ドイツ・バイエルン州を中心に、オーストリア、チェコ、フランスなど
- いつ
- 放射性炭素年代で950〜1160年ごろの例が多く、盛んに掘られたのは12〜13世紀
- どれだけ
- バイエルンの登録簿に811件(2022年末)。本物かどうかを分ける前の数
確定している事実
形と大きさ、掘られた年代。争いのないことだけを先に並べる。
エルトシュタルは、人ひとりが前かがみで進める幅の通路が、折れ曲がりながら地下を延びる遺構だ。壁には灯りや腰掛けのためと見られるくぼみが彫られていることが多い。かつては先史時代のものとも言われたが、放射性炭素年代測定で中世に掘られたことが確かめられた。
文字の記録に初めて現れるのは1449年、オーストリアのアスパルン・アン・デア・ツァーヤの土地台帳だ。「エルトシュタルの上の」畑という書き方が出てくる。掘ったのは失われた古代文明ではなく、名前の分かる時代の普通の農村の人々だった。

- 通路の幅
- 最大60センチほど
- 通路の高さ
- 1〜1.4メートルほど
- 狭い穴
- シュルプフ。水平のものと上下に抜けるものがある
- 年代
- 950〜1160年ごろの測定例が多い。1100〜1500年ごろまで掘られたとされる
発掘と研究の記録


- 950〜1160年ごろ掘られるヘッヒェルルミューレで991〜1163年、トレバースドルフで950〜1050年、ドーブルベルクで1020〜1160年という測定結果が出ている。
- 1449年文字の記録に現れるアスパルン・アン・デア・ツァーヤの土地台帳に「エルトシュタルの上の」畑と書かれる。
- 1500年ごろ掘られなくなる新しいエルトシュタルはこのころまでに掘られなくなったとされ、多くが埋め戻された。
- 1973年研究会ができるカール・シュヴァルツフィッシャーが研究会を作り、在野の研究者が調査を続けてきた。
- 1985年掘る実験トレットでヨーゼフ・ヴァイヒェンベルガーが中世の道具で掘る実験をし、地下で3人が48時間過ごせることも確かめた。
- 2016年9月アーイングで見つかる聖アンドレアス教会の教区会館を建てる工事中に地面に穴が開き、地下通路が現れた。

ここから謎になる
数は多いのに、同じ理由を指す手がかりが見つからない。
エルトシュタルはバイエルンからオーストリアにかけて広く見つかっている。バイエルンの登録簿は2022年末で811件を載せるが、これは地下の通路や施設への言及をすべて集めた数だ。本物のエルトシュタルと、別の地下施設や言い伝えだけのものが、まだ混ざっている。
N腹ばいでしか通れない穴
掘った人は、もっと広く掘れた。それでも、そこだけを狭くした。
通路の途中に、体をねじ込まなければ抜けられない穴が現れる。ドイツ語でシュルプフと呼ばれ、研究者はこれがあることをエルトシュタルの条件としている。
手前と奥では人が歩ける通路を掘っているのだから、この狭さは技術の限界ではなく、わざと作られたものだ。しかもエルトシュタルの多くは「遺物なし」に分類され、使われていた痕跡が乏しい。

暗がりの先
用途を示すものは、通路の中からほとんど見つからない。
年代と技術
数字は、これが片手間の穴ではなかったことを示している。
掘る手間と数
1985年6月、ヴァイヒェンベルガーは土地の持ち主フランツ・ヴィージンガーとともに、硬く締まったシュリーアの地層を中世の道具で掘った。つるはしより槌とノミのほうが速かったが、1週間でやっと1メートルほどしか進まなかった。狭い姿勢と暗さ、薄い空気の中で、掘り手の負担は非常に重かった。
説の対決
どの説も、説明できることと、できないことがある。
戦乱のときの隠れ場所
侵入者を一人ずつしか通さない狭い穴と、3人が48時間過ごせた小部屋
出口がほとんど無く、見つかれば逃げ場が無いこと
食べ物の貯蔵庫
温度が一定の地下にあること
わざわざ狭い穴を通らなければ出し入れできないこと
死者の魂のための場所
遺物がほとんど無いこと。儀礼のような意味を持たせたかに見える狭い穴
それを書いた同時代の記録が無いこと
編集部の考察
確認事実:中世(多くは950〜1160年ごろ)に農村の人々が掘った地下通路で、途中に必ず腹ばいでしか通れない穴がある。遺物はほとんど見つからない。
推論材料:放射性炭素年代、1449年の土地台帳、1985年の掘削と滞在の実験、バイエルンの登録簿(811件)。
考察:1週間に1メートルという手間と、わざと狭くした穴を合わせると、実用だけでなく、通り抜けること自体に意味がある場所だった可能性がある。
弱点・反証:登録簿の数には本物でないものが混ざり、埋め戻された例も多い。目的を書いた記録が無い以上、どの説も推測の域を出ない。
まだ解けていない問い
- 1
なぜ通路の途中だけを、腹ばいでしか通れない狭さにしたのか
狭い穴の用途を示す遺物も記録も見つかっていない。隠れ場所とも儀礼の場とも読めてしまう。
- 2
1週間に1メートルしか進めない手間をかけながら、なぜ目的の記録が一つも無いのか
1449年の土地台帳は名前を記すだけで、目的には触れていない。掘った人々にとって、書くまでもないことだったのかもしれない。
- 3
なぜ多くのエルトシュタルは埋め戻されたのか
1500年ごろまでに掘られなくなり、多くが埋め戻されたことは分かっているが、その理由を示す記録は無い。
エルトシュタルは、失われた文明の遺跡ではない。中世の村人が、畑仕事の合間に、1週間に1メートルずつ土を削って作ったものだ。
だれが、いつ、どうやって掘ったかは分かった。「なぜ」だけが残っている。
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報道・事典
写真・資料クレジット
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