庭園の奥にそびえるコナーラク太陽神殿の拝殿

コナーラク太陽神殿の磁石伝説

塔の頂に置かれた巨大な磁石が船を狂わせた。その磁石が外されたとき、神殿は崩れたという。

Joydeep / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

遺跡の概要

インド東部オディシャ州の海岸近くに、太陽神スーリヤの戦車をかたどった石の神殿がある。1250年ごろ、東ガンガ朝のナラシンハデーヴァ1世が建てたとされる。高さ約70メートルと推定される本殿の塔はすでに失われ、いま立っているのは手前の拝殿だけだ。この神殿には、塔の頂の磁石が船を引き寄せ、船乗りが磁石を外したために塔が崩れたという伝説がある。像が磁力で宙に浮いていたという話もあるが、どちらも裏づける記録は見つかっていない。

この遺跡の三つの謎

  1. 塔の頂に、船を狂わせるほどの磁石は本当にあったのか
  2. 本殿の塔は、いつ、なぜ崩れたのか
  3. 磁石の伝説は、どこから生まれたのか
年代
1250年ごろ。ナラシンハデーヴァ1世(在位1238〜64年)の時代
場所
インド・オディシャ州プリー県コナーラク。ベンガル湾の海岸近く
現状
本殿の塔は失われ、拝殿は1903年に砂で埋めて補強された
登録
1984年に世界遺産。資産の面積は10.62ヘクタール

確定している事実

太陽神の戦車を、石で造った。

神殿は、太陽神スーリヤが乗る戦車の形をしている。インドの神話で、スーリヤは7頭の馬が引く戦車で東から空を駆けるとされる。基壇の両側には石の車輪が合わせて24個彫られ、正面には馬の像が置かれた。

もとの神殿は、神像を納める本殿と、その前の拝殿(ジャガモハナ)が一続きになっていた。本殿の塔は高さ約70メートル、拝殿は約39メートルと推定されている。拝殿の東には、別の基壇の上に舞楽殿が立つ。

コナーラク太陽神殿の基壇に彫られた石の車輪
基壇に彫られた石の車輪。輻(や)にも細かな彫刻がある / Phadke09 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
祀る神
太陽神スーリヤ
建てた王
東ガンガ朝のナラシンハデーヴァ1世
形
24の車輪をもつ戦車
別名
ヨーロッパの船乗りは「黒いパゴダ」と呼んだ

崩壊と保存の記録

拝殿の入口の上に見える鉄の梁
拝殿の入口の上に通された鉄の梁 / Pratishkhedekar / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
境内に並べて置かれた長い鉄の梁
境内に並べて置かれた鉄の梁 / Mano49j / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
  1. 1384年
    祭祀が続いていた記録ケンドゥリ銅板碑文から、この年にも神殿が祀られていたことがうかがえる。
  2. 1500年代末
    アブル・ファズルの記述ムガル朝の『アーイーニ・アクバリー』は、訪れた人が驚く壮麗な神殿として書き、廃墟には触れていない。
  3. 1676年
    海からの目印マドラスのイギリス総督ストレインシャム・マスターが、船から神殿を見たと日誌に記した。
  4. 1848年
    最後の塔が崩れる本殿で最後に残っていた、崩れかけた塔の一部が崩れ落ちた。
  5. 1903年
    拝殿を砂で埋める拝殿の崩落を防ぐため、ベンガル副総督ボーディロンの命で内部を砂で満たし、入口をふさいだ。
  6. 2022年
    砂の除去を始めるインド考古調査局が9月8日、拝殿の砂を取り除く工事に着手した。
本殿の塔がいつ崩れたのかは、はっきりしない。19世紀の文献には廃墟として出てくるため、16世紀半ばから1800年ごろのあいだに壊れたと考えられている。
本殿が失われたあとに残る基壇と壁
本殿の跡に残る基壇と壁。塔はここに立っていた / Joydeep / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

ここから謎になる

塔の頂には、磁石があったという。

伝説によると、本殿の塔の頂には、冠石の形をした強い磁石が据えられていた。この磁石が沖を行く船を引き寄せ、羅針盤を狂わせた。困った船乗りたちが磁石を外して持ち去ると、支えを失った塔は崩れたという。

この話は200年前にはすでに語られていた。1825年、イギリスの行政官アンドリュー・スターリングは、塔の頂にあった「クンバ・パタル」と呼ばれる磁石の話を書き留めている。ムガル朝の時代に船の乗組員が磁石を外し、神聖さを汚されたと考えた祭司たちが神像をプリーの寺院へ移した。それから神殿は見捨てられ、急速に荒れたという。

失われた本殿の塔と、残る拝殿を並べた立面図
本殿の塔(左): 高さ約70メートルと推定。いまは失われている
拝殿(右): 高さ約39メートル。現存する最大の建物
伝説の磁石: 本殿の塔のいちばん上にあったとされる

磁石では説明できない

物理も、記録も、伝説に味方しない。

オディシャ州政府の月刊誌『オディシャ・レビュー』で、スダンス・セカル・ラトはこの伝説を検討している。天然の磁石はもちろん、現代の強力な磁石でも、沖の船を引き寄せたり羅針盤を狂わせたりはできない。そんな力があれば、近くの村の鉄の農具や武器まで引き寄せられていたはずだ、というのがラトの指摘である。

像が磁力で宙に浮いていたという話についても、ラトは否定する。神像は石でできていて磁石の材料ではなく、いまはプリーのジャガンナート寺院の境内で祀られている。一方で、神殿には鉄の梁がたしかに使われていた。コナーラクの鉄の梁は、錆びにくいことで金属学の研究者にも知られている。

ジェームズ・ファーガソンが描いたコナーラク。左に本殿の塔の残骸が立つ
ジェームズ・ファーガソンが描いた神殿(1847年刊)。左に、崩れる前の本殿の塔の一部が残る / James Fergusson / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
磁石の話が語っているのは、海から見上げた塔の大きさかもしれない。
舞楽殿の柱のあいだから見た拝殿

船乗りの目印

黒くそびえる塔は、ベンガル湾を行くヨーロッパの船の目印になった。沖では難破が多かったとも伝えられる。

舞楽殿の柱のあいだから見た拝殿 / Vinayreddym / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

失われた塔の大きさ

残った建物と、失われた建物。

塔の高さと車輪の数

約70m本殿の塔の推定の高さ(229フィート)。いまは残っていない
約39m現存する拝殿の高さ(128フィート)
24個基壇に彫られた石の車輪。片側に12個ずつ

いま見上げる拝殿でさえ、13階建てのビルほどの高さがある。その倍近い塔が海辺にそびえていたことになる。1676年の総督の日誌や1679年の船乗りのスケッチは、そのころ塔がまだ立ち、沖からの目印になっていたことを伝える。

説の対決

塔を倒したのは、何だったのか。

01

磁石を外されて崩れた

説明できる

1825年にはすでに語られていた古い言い伝えであること。神殿に鉄の梁が使われていたこと

説明できない

磁石が船を引き寄せることは物理的にありえず、磁石があったことを示す記録や遺物もないこと

02

攻撃で壊された

説明できる

16世紀の将軍カーラーパハールが1568年ごろ襲ったと信じられ、神殿がたびたび荒らされたと伝わること

説明できない

その後の17世紀初めにも祭祀が続いていた記録があり、攻撃だけで塔が倒れたとは言い切れないこと

03

見捨てられて自然に崩れた

説明できる

祭祀が絶えたあと森に覆われ、最後の塔の一部が支えを失って1848年に崩れたこと

説明できない

本殿の大部分がいつ崩れたのかを直接示す記録がないこと

編集部の考察

確認事実:神殿は1250年ごろ建てられ、本殿の塔は失われた。最後に残った塔の一部は1848年に崩れ、拝殿は1903年に砂で埋めて補強された。

推論材料:1825年のスターリングの記録に残る磁石の言い伝え、1384年の銅板碑文、16世紀の『アーイーニ・アクバリー』、17世紀の船乗りの日誌、2021年の『オディシャ・レビュー』の検討。

考察:塔の頂の磁石が船を引き寄せることは物理的にありえない。塔が海からの目印だったことと、沖で難破が多かったことが結びついて、伝説が生まれたと考えられる。

弱点・反証:塔がいつ、どのように崩れたのかを直接記した記録はない。16世紀半ばから1800年ごろまでの出来事は、断片的な記述から推し量るしかない。

まだ解けていない問い

  • 1

    塔の頂に、船を狂わせるほどの磁石は本当にあったのか

    磁石の存在を示す記録や遺物はなく、船を引き寄せるほどの磁石は物理的にありえない。ただ「なかった」ことを直接示す記録もない。

  • 2

    本殿の塔は、いつ、なぜ崩れたのか

    19世紀の文献に廃墟として出てくることから、16世紀半ばから1800年ごろのあいだに壊れたと考えられるが、きっかけを記した記録は見つかっていない。

  • 3

    磁石の伝説は、どこから生まれたのか

    1825年にはすでに語られていたことまでは分かる。海の目印だった塔と、沖での難破の多さが結びついたという見方があるが、確かめる手立てはない。

神殿の壁に彫られた馬や人々の浮き彫り

塔が消えたいまも、壁の浮き彫りの中では馬が駆け、人々が行き交っている。磁石の話は、その塔がどれほど高く、海からどれほど目立ったかを、今に伝えているのかもしれない。

失われたのは磁石ではなく、塔そのものだった。

Bernard Gagnon / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

写真・資料クレジット

庭園の奥にそびえるコナーラク太陽神殿の拝殿

Joydeep / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-26)

コナーラク太陽神殿の基壇に彫られた石の車輪

Phadke09 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-26)

拝殿の入口の上に見える鉄の梁

Pratishkhedekar / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-26)

境内に並べて置かれた長い鉄の梁

Mano49j / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-26)

本殿が失われたあとに残る基壇と壁

Joydeep / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-26)

失われた本殿の塔と、残る拝殿を並べた立面図

Gérald Anfossi / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-26)

ジェームズ・ファーガソンが描いたコナーラク。左に本殿の塔の残骸が立つ

James Fergusson / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-26)

舞楽殿の柱のあいだから見た拝殿

Vinayreddym / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-26)

神殿の壁に彫られた馬や人々の浮き彫り

Bernard Gagnon / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-26)

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この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

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