
消えた快楽都市 シバリス
「ぜいたく」の代名詞になった都市は、長いあいだ、どこにあったのかさえ分からなかった。
Sailko / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
遺跡の概要
シバリスは、紀元前720年ごろ、ギリシャのアカイア地方から来た人々が南イタリアのイオニア海沿岸に建てた植民都市である。前6世紀には南イタリア有数の豊かな都市になり、その暮らしぶりは後の作家たちに「快楽の都」として語り継がれた。紀元前510年、隣の都市クロトンとの戦争に敗れて滅び、その場所は長く分からなくなった。1960年代、アメリカのペンシルベニア大学博物館とイタリアのレリチ財団が磁気探査と約1500本のボーリングで平野を調べ、ようやく地下数メートルに眠る町の跡が確かめられた。いま残るのは、後の都市トゥリオイとコピアの遺構に重なった、地下水に浸る遺跡である。
この遺跡の三つの謎
- シバリスの「快楽」の逸話は、どこまで本当なのか
- クロトンは本当に川の流れを変えて町を沈めたのか
- 30万人と伝えられた都市は、実際にはどれほどの大きさだったのか
- 年代
- 紀元前720年ごろ建設、紀元前510年に滅亡
- 場所
- イタリア南部カラブリア州、クラティ川河口近くの平野(現カッサーノ・アッリオーニオ市域)
- 発見
- 1960年代、ペンシルベニア大学博物館とレリチ財団の探査で位置を確認
- 規模
- 古代の記録では周囲50スタディオン(約9キロ)。面積は約500ヘクタールと見積もられる
確定している事実
建てた人々、滅びた年、そして後に上へ重なった町。ここまでは争いがない。
シバリスを建てたのは、ギリシャのペロポネソス半島北部、アカイア地方の人々で、トロイゼンの人々も加わっていたと伝えられる。建設は紀元前720年ごろ。町はクラティ川の河口に近い平野にあり、豊かな農地と海の交易に恵まれた。前6世紀には、ティレニア海側にポセイドニア(のちのパエストゥム)などの町を築いている。そして紀元前510年、南にある同じギリシャ系の都市クロトンとの戦争に敗れ、滅んだ。

- 建設
- 紀元前720年ごろ。アカイア人とトロイゼン人による
- 滅亡
- 紀元前510年、クロトンとの戦争に敗れる
- 後の町
- 紀元前444/443年にトゥリオイ、紀元前193年にローマのコピア
- 遺跡の深さ
- アルカイック期の層は地表から4〜7メートル以上の下
滅んだあとも、生き残った人々は何度か町を建て直そうとした。紀元前444/443年には、アテネが中心になって同じ場所にトゥリオイという新しい町を建てたが、もとのシバリス人はほかの入植者と争い、多くが殺されたとされる。紀元前193年にはローマがここに植民市コピアを置いた。三つの町が同じ平野に重なったことが、後の調査を難しくした。
発掘の記録
町は地下に沈み、地表からは何も見えなかった。見つけるには新しい道具が要った。


- 1932年〜最初の発掘平野での発掘が始まるが、どの遺構がどの時代の町のものかは、はっきりしなかった。
- 1960年組織的な探査の開始ペンシルベニア大学博物館とローマのレリチ財団が、平野に埋もれた三つの町を探す計画を始めた。現場の責任者はフローリッヒ・レイニー。
- 1960年代磁気とボーリング陽子磁力計などの電子機器で地下を調べ、約1500本のボーリングで土を抜き出した。こうしてシバリスの層が地下数メートルにあることが確かめられた。
- 1960年代後半〜三つの地区の発掘北のストンビ、中央のパルコ・デル・カヴァッロ、東の港にあたるカーサ・ビアンカで発掘が進んだ。
- 2013年1月18日洪水大雨でクラティ川があふれ、考古学公園は水と泥に覆われた。

ここから謎になる
シバリスの姿を伝えるのは、ほとんどが滅亡から何百年も後に書かれた文章である。
前1世紀のディオドロスは、シバリスの人口を30万人、クロトンとの戦いに出た兵を30万人と書いた。地理学者ストラボンは、シバリスが4つの民族と25の町を従えていたと伝える。けれども、こうした数字は、どれも町が消えて数百年後に書かれたもので、古代の作家どうしでも人口を10万人とする記録がある。遺跡から見積もられる町の広さは約500ヘクタールで、大きな町だったことは確かだが、30万という数は多くの研究者が誇張とみている。
N快楽の逸話
有名な話の多くは、2世紀ごろの作家アテナイオスが、古い本から集めて書き残したものである。
いちばん古い記録は、前5世紀のヘロドトスである。彼は、シバリスのスミンデュリデスが、ぜいたくにおいて誰よりも抜きん出ていたと書き、ギリシャ本土の王女の花婿選びに名乗り出た一人に数えた。前1世紀のディオドロスは、彼が自分の奴隷がこぐ50本櫂の船で乗りつけたと伝え、2世紀のアテナイオスは、この男が料理人や鳥刺しなど1000人を連れていたと書き足した。バラの花びらの寝床で眠ったら水ぶくれができた、という話は、さらに後のアイリアノスのものである。
アテナイオスは、ほかにも多くの話を伝えている。新しい料理を考えた料理人には1年間その料理を独り占めする権利が与えられた。うるさい仕事をする職人は町の外に住まわされ、眠りを妨げないよう雄鶏を飼うことも禁じられた。騎兵の馬は笛の音に合わせて踊るように仕込まれていた、というものもある。

どの話も、町が滅んだ理由を「ぜいたくで弱くなったから」と説明するために語られた面がある。料理の権利の話は、いまでは「最古の特許」として紹介されることも多いが、それを確かめる当時の記録は残っていない。
三つの町が重なる
見学者が歩くのは、ほとんどがシバリスではなく、その上に建った後の町である。
年代と技術
消えた町を探すには、深さと水との戦いが待っていた。
1960年代の探査と発掘
遺跡は海に近い低い平野にあり、少し掘るとすぐに地下水がわき出す。発掘隊は金属のパイプ、井戸、排水溝、大型の吸い上げポンプを組み合わせて水を抜きながら掘った。いまも遺跡は、ポンプで水をくみ出し続けなければ水に沈む。2013年の洪水では、発掘区がまるごと泥に埋まった。

説の対決
シバリスがあれほど完全に消えた理由について、三つの見方を比べる。
クロトンが川で町を沈めた
ストラボンなどの古代の記録が、クラティ川の流れを変えて町を沈めたと伝えること
ボーリングの土では、町のすぐ上に川が運んだ堆積物が見つからなかったこと
ぜいたくで弱くなって滅んだ
快楽の逸話と、敗戦の結末がよく結びつくこと
逸話のほとんどが数百年後の作家によるもので、当時の記録で裏づけられないこと
平野そのものが町を埋めた
遺跡が地下4〜7メートル以上にあり、地下水と洪水にさらされ続けていること
紀元前510年の滅亡そのものは戦争によるもので、自然だけでは説明できないこと
編集部の考察
確認事実:シバリスは紀元前720年ごろに建てられ、紀元前510年にクロトンに敗れて滅んだ。1960年代の探査で、後の町トゥリオイとコピアの下、地下数メートルにあることが確かめられた。
推論材料:ヘロドトス、ディオドロス、ストラボン、アテナイオスらの記述。1960年代のボーリングと磁気探査の記録。2013年の洪水と、いまも続く排水の状況。
考察:町が「消えた」のは、戦争で壊されたことに加え、低い平野に土砂が積もり、地下水が上がり、その上に別の町が二度建ったためと考えるのが自然である。快楽の逸話は、滅亡を教訓として語るために後から膨らんだ面が大きい。
弱点・反証:アルカイック期の町の大部分はまだ掘られておらず、人口も町の広がりも見積もりにとどまる。逸話の中に当時の事実がどれだけ含まれているかは、確かめる手段がほとんど無い。
まだ解けていない問い
- 1
シバリスの「快楽」の逸話は、どこまで本当なのか
最も古いヘロドトスの記録にも、ぜいたくな人物の話はある。ただし有名な逸話の多くは数百年後の作家によるもので、どこまでが事実かは確かめられない。
- 2
クロトンは本当に川の流れを変えて町を沈めたのか
古代の記録はそう伝えるが、ボーリングでは町のすぐ上に川の堆積物が見つかっておらず、疑わしいとされている。
- 3
30万人と伝えられた都市は、実際にはどれほどの大きさだったのか
遺跡から見積もられる広さは約500ヘクタールと大きいが、30万人という数は誇張とみる研究者が多い。町の大部分がまだ地下にあり、決め手は無い。
シバリスの名は、ぜいたくを表す言葉として2500年を生き延びた。一方で町そのものは、川の運んだ土と、後から建った二つの町と、わき上がる地下水の下にある。
快楽の都を沈めているのは、伝説の川ではなく、いまも上がってくる水である。
Maria Pia Bernasconi / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0発掘・研究
遺跡の現状
事典
写真・資料クレジット
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