
ギザのピラミッドは どう造られたか
石をどこから運んだかは、4500年前の役人の日誌で分かってきた。どうやって146メートルの高さまで積んだかは、まだ誰も見ていない。
Jorge Láscar from Melbourne, Australia / Wikimedia Commons / CC BY 2.0
遺跡の概要
ギザの大ピラミッドは、古代エジプト第4王朝のクフ王が紀元前26世紀に建てた王墓である。約230万個の石を積み、建てた当時の高さは146.6メートルあった。2013年、紅海沿岸の港の跡で、化粧石を船で運んだ監督官メレルの日誌が見つかり、石の運び方は記録で裏づけられた。ナイル川の支流がギザのすぐ近くまで来ていたことも、2022年に地層から確かめられた。ところが、石を上まで持ち上げた傾斜路の形は分かっておらず、内部には用途の分からない空間も見つかっている。
この遺跡の三つの謎
- 石を高さ146メートルまで上げた傾斜路は、どんな形だったのか
- 4辺をほぼ正確に東西南北へ向けた方法は何だったのか
- 大回廊の上にある大きな空間は、何のために残されたのか
- 年代
- 古代エジプト第4王朝、クフ王の治世(紀元前26世紀)
- 場所
- エジプト、カイロ西郊のギザ台地
- 調査
- 発掘は19世紀から。1988年から労働者の町、2015年から素粒子による透視
- 規模
- 底辺約230メートル、建てた当時の高さ146.6メートル、石は約230万個
確定している事実
大きさと石の産地。ここまでは争いがない。
大ピラミッドは、古代エジプト第4王朝のクフ王の墓として、紀元前26世紀に建てられた。建てた当時の高さは146.6メートル、いまは頂上の石が失われて138.5メートル。底辺は1辺約230メートルの正方形で、石の数はおよそ230万個、重さは約600万トンと見積もられている。
芯の石灰岩は、ギザ台地そのものを切り出した。表面を覆った白く滑らかな化粧石は、ナイル川の対岸にあるトゥラの石切り場の石灰岩。王の間の壁と天井の花崗岩は、南へ800キロ以上離れたアスワンから運ばれた。化粧石のほとんどは後の時代に建材として持ち去られ、いま見える段々は内側の石である。

- 高さ
- 建てた当時146.6メートル、いま138.5メートル
- 底辺
- 1辺約230メートル。4辺は東西南北にほぼ正確に向く
- 石材
- 芯は地元の石灰岩、化粧石はトゥラ、王の間はアスワンの花崗岩
- 工期
- 約20数年と見積もられる。クフ王の治世とほぼ重なる
発掘と調査の記録
建てた人々の暮らしと、石を運んだ記録が、この40年で見えてきた。


- 1837年王の間の上の部屋ハワード・ヴァイスが、王の間の上に重なる部屋を爆薬で開け、作業班が赤い顔料で書いたクフ王の名を見つけた。
- 1988年労働者の町マーク・レーナーが、スフィンクスの南約400メートルで、建設に関わった人々の町の発掘を始めた。パン焼き場や宿舎の跡が出た。
- 2013年メレルの日誌ピエール・タレらが紅海沿岸のワディ・エル・ジャルフで、クフ王の時代のパピルスを見つけた。
- 2017年大空洞ScanPyramids 計画が、宇宙から降る素粒子ミューオンを使い、大回廊の上に長さ30メートル以上の空間を見つけた。
- 2022年消えたナイルの支流ハデル・シェイシャらが地層の花粉を調べ、ギザの東に船の入れる支流があったことを示した。
- 2023年北面の回廊北面の入口の奥に、長さ約9メートル、断面約2メートル四方の回廊状の空間があると発表された。

ここから謎になる
運ぶ方法は分かってきた。上げる方法が分からない。
メレルの日誌によると、約40人の船乗りを率いたメレルは、トゥラの石切り場からギザまで石灰岩を船で運んでいた。石はギザの港に下ろされ、その港を王の異母兄弟アンクハフが管理していた。ところが、港に着いた石を、どうやって上まで上げたかは、日誌にも他の記録にも書かれていない。
Nそりと水と傾斜路
平らな地面で石を動かす方法は、壁画と実験で確かめられている。
中王国時代のジェフティヘテプの墓には、巨大な像をそりに載せて大勢で引く場面が描かれている。そりの前には、足元に液体を注ぐ人がいる。2014年、アムステルダム大学のダニエル・ボンのチームは、砂をほどよく湿らせると、そりを引く力が半分ほどで済むことを実験で示した。

問題は、平地ではなく高さである。まっすぐな傾斜路を頂上まで延ばすと、傾斜路そのものがピラミッドに匹敵する大工事になる。そのため、ジグザグの傾斜路、ピラミッドの周りを巻く傾斜路、途中から内部に入り込む傾斜路(建築家ジャン=ピエール・ウーダンの説)などが出されてきた。
2018年、リヴァプール大学とフランス東洋考古学研究所の調査団は、ハトヌブの石切り場で、中央の傾斜路の両側に柱穴の並ぶ階段がある仕組みを報告した。柱に綱をかけてそりを引けば、20パーセント以上の急な坂でも石を上げられたと考えられている。近くにクフ王に関わる碑文が二つあった。
形の残らない足場
傾斜路は、完成すれば取り壊される仮の構造だった。見つからないのは、失敗の証拠ではなく、片づけの結果かもしれない。
内部に残る空間
大回廊と王の間の上には、建て方と関わる空間が重なっている。
大回廊は、高さ約8.6メートル、長さ約47メートル、傾き約26度の通路で、壁の石が上へ行くほど少しずつ内側へせり出して天井をつくる。王の間の上には5つの部屋が積み重なり、重さを逃がす工夫と考えられている。その壁には、「クフの仲間たち」という作業班の名が赤い顔料で残る。

2017年に見つかった大空洞は、大回廊とほぼ同じ断面を持ち、その上に長さ30メートル以上続く。一本の空間か、いくつかに分かれているのか、水平か傾いているのかは、まだ分からない。建設中の通路や重さを逃がす空間だったという見方があるが、中に入った人はいない。
数字で見る大ピラミッド
建てた当時の寸法と、石の量。
大ピラミッドの寸法
底辺の向きは、真北からわずか約3分角しかずれていない。1度の20分の1ほどである。2000年、ケンブリッジ大学のケイト・スペンスは、北の空の二つの星、コカブとミザールが縦一直線に並ぶ瞬間を基準にしたという説を出した。ただし、使った星の組み合わせには異論もある。
説の対決
石を上まで上げた方法。どの説も、説明できることと、できないことがある。
まっすぐな傾斜路
下の方の段を積むには最も単純で、ハトヌブのような急な坂の技術とも合う
頂上まで延ばすと傾斜路が巨大になりすぎ、それだけの土砂の跡も見つかっていない
外側を巻く傾斜路
傾斜路の量を減らしながら、四方の面を上っていける
角を曲がるたびに石を回す必要があり、面の仕上げや寸法の確認がしにくくなる
内部に入り込む傾斜路
外の傾斜路は下の方だけで済み、上の方は中のトンネルで石を上げられる
内部の傾斜路は透視でもまだ確かめられていない
編集部の考察
確認事実:石の産地、船で運んだ記録、港の管理者、支流の存在、作業する人々の町は、発掘と文書で確かめられている。
推論材料:メレルの日誌、ハトヌブの傾斜路、ジェフティヘテプの壁画と湿った砂の実験、ScanPyramids の透視結果。
考察:港に着くまでの流れはほぼ一本につながった。残る空白は、台地の上で石を持ち上げた最後の区間に集まっている。
弱点・反証:傾斜路は仮の構造なので跡が残りにくい。ハトヌブの坂は石切り場のもので、ピラミッドで同じ方法が使われた証拠ではない。
まだ解けていない問い
- 1
石を高さ146メートルまで上げた傾斜路は、どんな形だったのか
ピラミッドそのものに伴う傾斜路の跡は見つかっていない。透視で内部の傾斜路が確かめられるか、周りの土砂の分析が進めば絞り込める。
- 2
4辺をほぼ正確に東西南北へ向けた方法は何だったのか
星を使ったという説は有力だが、どの星を使ったかで年代の計算が変わり、測った道具も見つかっていない。
- 3
大回廊の上にある大きな空間は、何のために残されたのか
大空洞には誰も入っていない。一本の空間か、水平か傾いているかも確定しておらず、用途を論じる材料がまだ足りない。
4500年前の役人は、石の数と船の出入りを毎日書き留めた。それは謎を残すための記録ではなく、仕事の記録だった。
記録が途切れる場所が、いまの謎の場所である。
Jorge Láscar from Melbourne, Australia / Wikimedia Commons / CC BY 2.0研究・論文
- Morishima et al., “Discovery of a big void in Khufu’s Pyramid by observation of cosmic-ray muons,” Nature 552 (2017)
- Procureur et al., “Precise characterization of a corridor-shaped structure in Khufu’s Pyramid by observation of cosmic-ray muons,” Nature Communications (2023)
- Sheisha et al., “Nile waterscapes facilitated the construction of the Giza pyramids during the 3rd millennium BCE,” PNAS (2022)
- Spence, “Ancient Egyptian chronology and the astronomical orientation of pyramids,” Nature (2000)
- University of Amsterdam, “Ancient Egyptians transported pyramid stones over wet sand” (2014, Physical Review Letters の研究紹介)
発掘・調査機関
事典・報道
- Wikipedia, “Great Pyramid of Giza”(寸法・石材・工期・化粧石の照合に使用)
- Wikipedia, “Diary of Merer”(発見・メレルの役職・アンクハフの照合に使用)
- Wikipedia, “Egyptian pyramid construction techniques”(傾斜路の諸説・労働者数の試算の照合に使用)
- Phys.org, “Khufu branch of Nile River once flowed close enough to Giza to carry the stones needed to build the pyramids” (2022)
写真・資料クレジット
Jorge Láscar from Melbourne, Australia / Wikimedia Commons / CC BY 2.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
CaptMondo / Wikimedia Commons / CC BY 2.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Hannah Pethen / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Jorge Láscar from Melbourne, Australia / Wikimedia Commons / CC BY 2.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Raimond Spekking / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Sébastien Procureur, Kunihiro Morishima ほか(ScanPyramids) / Wikimedia Commons / CC BY 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Newberry, Percy E. / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Eduard Spelterini / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
Keith Adler / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
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