
ナブタ・プラヤ サハラの石の環
いまは雨がほとんど降らない砂漠に、牛を葬り、夏至の日の出の方を向いて石を並べた人々がいた。
Raymbetz / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
遺跡の概要
エジプト南部のヌビア砂漠、アブ・シンベルの西約100キロに、先史時代の人々が石を並べた遺跡がある。1973年、アメリカの考古学者フレッド・ウェンドルフの調査隊が砂漠を横切る途中の休憩で見つけた。季節によって水がたまる盆地で、小さな石の環、並べられた巨石、牛を葬った塚が見つかっている。石の環はおよそ前4000年ごろのものとされ、夏至の日の出の方向を向くと言われる。建てた牧畜民は文字を残しておらず、石の環はいまアスワンのヌビア博物館に移されている。
この遺跡の三つの謎
- 石の環は、本当に夏至の日の出を見るために並べられたのか
- 牛を葬り石を並べた人々は、そこでどんな儀礼をしていたのか
- サハラが乾いたあと、ここにいた人々はどこへ移ったのか
- 場所
- エジプト南部のヌビア砂漠。アブ・シンベルの西約100キロ
- 年代
- 前9〜8千年紀から人が季節的に訪れ、石の環は前4000年ごろ
- 発見
- 1973年、フレッド・ウェンドルフの調査隊
- 遺構
- 石の環、並べられた巨石、牛を葬った塚、地下の構造物
確定している事実
場所と年代、見つかったもの。争いのないことだけを先に並べる。
ナブタ・プラヤの「プラヤ」は、雨季にだけ水がたまる乾いた盆地のことだ。1万年ほど前のサハラは今よりずっと湿っていて、雨季になると盆地に水がたまり、草が生え、動物と人が集まった。人々はここに住み続けたのではなく、水が戻るたびに牛を連れて帰ってきたと考えられている。

- 位置
- アブ・シンベルの西約100キロ、カイロの南約800キロ
- 地形
- 雨季に水がたまる盆地(プラヤ)
- 人の痕跡
- 前9〜8千年紀の季節的な野営から
- 石の環
- 前4000年ごろ。いまはアスワンのヌビア博物館に復元
発掘の記録


- 前9〜8千年紀季節の野営小さな野営の跡が残る。
- 前7千年紀大きな集落より大きな集落が営まれる。
- 前5500年ごろ牛を葬る粘土で内張りし屋根をかけた穴に牛を葬り、石を積んだ塚で覆う。
- 前4000年ごろ石の環暦の環と呼ばれる石の環が作られたとされる。
- 1973年発見ウェンドルフの調査隊が、休憩で止まった場所で石の遺構に気づく。案内役はベドウィンのエイデ・マリフだった。
- 1990年代発掘ウェンドルフとポーランドの考古学者ロムアルト・シルトらが石の環を発掘する。
- 1998年天文の論文天文学者マッキム・マルヴィルらが『ネイチャー』に天文的な配置を論じる論文を載せる。

ここから謎になる
砂の上の小さな石の輪が、この遺跡を有名にした。
石の環は細長い石を輪のように並べたもので、石を二つずつ並べた「門」のような切れ目がある。その向きがおおよそ夏至の日の出の方向と合うとされる。ただし門の石と石の間は、正確に日の出を測るには広すぎるとも指摘されている。
N牛を葬った人々
石の話の前に、牛の話がある。
前5500年ごろには、まとまった集団が、粘土で内張りして屋根をかけた穴に牛を葬り、その上を粗い石の塚で覆うようになった。牛は食べ物である以上に、財産であり、共同体の結びつきの象徴だったと考えられている。
ウェンドルフは、ある構造物から見つかった加工された岩を「エジプトで知られる最古の彫刻かもしれない」と書いた。水場は、人と家畜と情報が集まり、共同体の記憶が重ねられる場所でもあった。

消えた水の季節
雨季が来なくなると、人々はこの盆地に帰ってこなくなった。
年代と技術
天文の説は魅力的だが、年代が合わないという反論もある。
年代と距離
巨石の列については、シリウス、アークトゥルス、ケンタウルス座アルファ、オリオン座の三つ星の昇る方向と合うという説まで出された。これに対し2007年、コロラド大学のチームは、その説の年代は遺跡の最後の新石器時代の見積もりより1500年ほど古すぎると反論した。石がいくつも並んでいれば、あとから天体の方向と合う組み合わせを探すことは難しくない。
説の対決
どの説も、説明できることと、できないことがある。
季節を知るための目印
石の環の向きと、雨季に水が戻る季節との結びつき
精密な暦として使うには、石の間隔が合わないこと
牧畜民の儀礼の場
牛の埋葬、石の配置、地下の構造物という遺構の種類の多さ
具体的にどんな儀礼をしたのか。文字の記録が無い
星の昇る方向を狙った配置
いくつかの巨石の列の向き
説の年代が、遺跡の年代の見積もりと1500年ほどずれること
編集部の考察
確認事実:季節の水場に牧畜民が集まり、前5500年ごろには牛を葬り、前4000年ごろには石の環を作った。石の環はおおよそ夏至の日の出の方向を向くとされる。
推論材料:1998年の『ネイチャー』の論文、ウェンドルフとシルトの発掘、2007年のコロラド大学チームの反論、大英博物館などに残る土器や石器。
考察:石の環は精密な暦ではなく、夏至の方向を、雨季の訪れや人々が集まる時期の大まかな目安にしていた可能性がある。
弱点・反証:石の向きと季節の結びつきは、並べた人々の意図を示す直接の証拠ではない。星の方向との一致も、あとから当てはめた疑いが残る。
まだ解けていない問い
- 1
石の環は、本当に夏至の日の出を見るために並べられたのか
夏至の方向との一致は大まかで、石の間隔は精密な観測に合わない。偶然か意図かを分ける記録が無い。
- 2
牛を葬り石を並べた人々は、そこでどんな儀礼をしていたのか
牛の埋葬や石の配置は見つかっているが、そこで何が行われたのかを示す文字も図像も無い。
- 3
サハラが乾いたあと、ここにいた人々はどこへ移ったのか
乾燥化でナイル流域へ移ったと考えられているが、のちのエジプトの人々と直接つながる証拠はまだ無い。
ナブタ・プラヤは、空にそびえる巨石建築ではない。小さな石の輪と、倒れた巨石と、牛の塚だ。その石を並べた人々は、水が戻る季節を待ち、牛を連れて帰ってきて、空の向きを気にしていた。
砂漠の石の環は、消えた水の季節の記憶だった。
ALFGRN / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0研究論文
- J. McKim Malville et al., “Megaliths and Neolithic astronomy in southern Egypt,” Nature 392: 488–490, 1998
- Fred Wendorf and Romuald Schild, “Nabta Playa and Its Role in Northeastern African Prehistory,” Journal of Anthropological Archaeology 17, 1998
報道・事典
写真・資料クレジット
Raymbetz / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
作者不詳(エジプトの地図に位置を書き込んだもの) / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
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