
ポンペイの 『母と子』
金の腕輪をつけ、子を膝に抱いて死んだ「母」は、DNAを調べると血のつながらない男性だった。
Heinz-Josef Lücking / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
遺跡の概要
西暦79年、ヴェスヴィオ山の噴火でポンペイの町は火山灰に埋まった。1863年から、灰の中に残った人の形の空洞に石膏を流し込む方法で、犠牲者の姿が型取りされてきた。1974年に「黄金の腕輪の家」で見つかった4人は、腕輪をつけた母と子どもたちの家族だと考えられてきた。2024年11月、フィレンツェ大学とハーバード大学などの研究チームが、石膏像の中に残る骨のDNAを調べた結果を発表した。腕輪の大人は遺伝的に男性で、膝の子とも、ほかの2人とも血縁がなかった。
この遺跡の三つの謎
- 血のつながらない4人は、なぜ同じ階段の下で死んだのか
- 抱き合う形で見つかった2人は、どういう関係だったのか
- 160年間の「家族」の物語は、どこから生まれたのか
- 場所
- イタリア南部、ナポリ近郊のポンペイ遺跡
- 年代
- 西暦79年の噴火。石膏像は1863年から作られた
- 調べた数
- 修復中の石膏像86体のうち14体からDNAを採取
- 発表
- 2024年11月7日、学術誌『カレント・バイオロジー』
確定している事実
石膏像のでき方と、2024年の研究が何を調べたか。争いのない記録だけを先に並べる。
西暦79年の噴火で、ポンペイは軽石と火山灰の下に埋まった。灰の中で遺体が朽ちると、人の形をした空洞が残る。1863年、発掘の責任者ジュゼッペ・フィオレッリは、この空洞に石膏を流し込んで型を取る方法を始めた。石膏像の中には、いまも骨や歯が閉じ込められている。
2015年、ポンペイ考古学公園は傷んだ石膏像86体の修復を行った。研究チームはこの機会に、14体の中の骨から試料を取り出した。高熱と石膏の作業でDNAは傷んでいたが、5人分について、全身の遺伝情報を調べられるだけのデータが得られた。

- 噴火
- 西暦79年、ヴェスヴィオ山
- 型取り
- 1863年、フィオレッリが始める
- 試料
- 石膏像14体の中の骨と歯
- 結果
- 5人分の全身のDNAデータ
型取りと調査の記録
空洞に石膏を流した日から、DNAの結果が出るまで。


- 79年ヴェスヴィオ山噴火ポンペイが火山灰と軽石に埋まる。
- 1863年フィオレッリ石膏の型取りが始まる灰の中の空洞に石膏を流し込み、犠牲者の姿を残す。
- 1914年地下柱廊の家寄り添う2人が見つかる庭で9人の遺体が見つかり、うち4人が型取りされる。
- 1974年黄金の腕輪の家階段の下の4人大人2人と子ども2人。1人の腕に重い金の腕輪があった。
- 2015年ポンペイ考古学公園86体を修復修復の機会に、石膏像の中の骨から試料が取られる。
- 2024年11月『カレント・バイオロジー』DNAの結果を発表性別と血縁が、従来の解釈と合わないことが示される。

ここから謎になる
家族の物語は、DNAではなく、腕輪と近さから生まれていた。
黄金の腕輪の家の4人は、庭へ下りる階段のふもとで、寄り集まるように見つかった。近くにいたこと、そして大人の腕に金の腕輪があったことから、母親と子どもたちの家族だと解釈されてきた。しかしDNAは、4人のだれとだれの間にも、血縁がないことを示した。

腕輪は女性のものか
610グラムの金の腕輪が、「母」という読み方を決めていた。
家の名の由来になった腕輪は重さ610グラム。2匹の蛇の頭が、月の女神セレネの円盤をくわえる形をしている。1974年の発見以来、腕輪をつけていた大人は女性だとみなされてきた。2024年の研究は、この大人が遺伝的には男性だったと報告した。
地下柱廊の家の2人も、同じ道をたどった。1914年の発見時、当時の責任者ヴィットリオ・スピナッツォーラは、寄り添う2人を女性だと考えた。姉妹、母と娘、恋人と、さまざまに語られてきたが、2017年の骨の調査では2人とも男性とされ、2024年のDNAでも少なくとも1人が男性だと分かった。

5人の遺伝子
ポンペイの人々の祖先は、地中海の東から来ていた。
DNAの数字
86体の修復から、5人分の遺伝情報へ。
2024年の研究(『カレント・バイオロジー』)
調べた人々は、おもに地中海の東側から比較的新しく移ってきた人々の祖先を持っていた。ローマ帝国の中を人が盛んに行き来していたことを映す結果で、同じ時代のローマの人々の遺伝情報とも合っている。
研究に加わったハーバード大学のデイヴィッド・ライクは、今の時代の思い込みで過去の人々の性別や家族の物語を作る危うさを、結果が考えさせると述べた(発表文の要旨)。新しい物語で置きかえるのではなく、分からないことを分からないと言う立場である。
説の対決
どの説が、どの事実を説明できて、どの事実に負けるか。
やはり一つの家族
4人が寄り集まって見つかったこと
4人のだれの間にも血縁がなかったこと。養子なら説明はつくが、証拠はない
主人と使用人の一団
裕福な家で、金の腕輪を持つ大人と、血縁のない子どもがいたこと
だれが主人でだれが使用人か。骨とDNAから身分は読めない
たまたま居合わせた人々
血縁がなく、祖先もばらばらだったこと
大人が子どもを膝に抱いていた姿。見知らぬ間柄とは考えにくい
編集部の考察
確認事実:黄金の腕輪の家の4人に血縁はなく、腕輪の大人は遺伝的に男性だった。地下柱廊の家の2人にも、少なくとも1人の男性がいた。
推論材料:2024年の『カレント・バイオロジー』の論文、ハーバード大学の発表、1914年と1974年の発見の記録、2017年の骨の調査。
考察:「母と子」は、腕輪と近さから生まれた解釈で、骨とDNAの裏づけは初めから無かった。DNAが壊したのは事実ではなく、事実のふりをしていた読み方である。
弱点・反証:調べられたのは5人分だけで、石膏像は何度も補修され、人の手にも触れてきた。4人のうち1人は性別が分からず、関係そのものはDNAでは分からない。
まだ解けていない問い
- 1
血のつながらない4人は、なぜ同じ階段の下で死んだのか
血縁がないことは分かったが、主人と使用人か、近所の人々か、関係そのものを示す記録は無い。
- 2
抱き合う形で見つかった2人は、どういう関係だったのか
少なくとも1人が男性で、姉妹や母と娘ではなかった。友人、恋人、主従のどれかを決める材料は無い。
- 3
160年間の「家族」の物語は、どこから生まれたのか
腕輪は女性のもの、寄り添う大人と子どもは親子、という今の時代の見方を、骨を調べる前に当てはめていた。
石膏像は、1900年以上前の最後の姿を写している。けれど、その姿に名前と関係をつけたのは、見る側だった。
膝の子を抱いた人がだれだったのか、いまも答えは無い。
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報道・資料
写真・資料クレジット
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Sailko / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)
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