
ループクンド湖の 骨の謎
ヒマラヤの小さな氷河湖のまわりに眠る骨は、同じ日に死んだ人たちではなかった。
Shubhamrathod15 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
遺跡の概要
ループクンド湖は、インド北部ウッタラーカンド州チャモリ県の標高約5,000メートルにある、直径40メートルほどの氷河湖だ。1942年、森林監視員ハリ・キシャン・マドワルが湖のまわりに散らばる人骨を報告し、「骨の湖」として知られるようになった。骨は数百人分とされ、長く「巡礼の一行が一度に雹の嵐で死んだ」と説明されてきた。2019年、38人分のゲノムを調べた国際研究は、骨が遺伝的に大きく三つの集団に分かれ、死んだ時期も約1000年離れていることを示した。そのうち14人は、地中海東部の人々に近い祖先を持っていた。
この遺跡の三つの謎
- 7〜10世紀の人々は、この湖のそばで何によって死んだのか
- 地中海東部に近い祖先を持つ人々は、なぜ19世紀ごろのヒマラヤにいたのか
- 千年を隔てた死が、なぜ同じ小さな湖に重なったのか
- 年代
- 7〜10世紀ごろの死者と、17〜20世紀ごろの死者が混ざる
- 場所
- インド、ウッタラーカンド州チャモリ県。トリスール峰とナンダ・グンティ峰のあいだ
- 発見
- 1942年、森林監視員ハリ・キシャン・マドワルが報告
- 規模
- 湖の直径約40メートル。骨は数百人分とされる
確定している事実
湖の場所と、骨が知られるようになった経緯。
ループクンド湖は、ヒマラヤのトリスール峰とナンダ・グンティ峰のあいだ、標高約5,000メートルにある。直径は40メートルほどで、一年の大半は凍っている。1942年、ナンダ・デヴィ一帯を見回っていた森林監視員ハリ・キシャン・マドワルが、湖のまわりに散らばる人骨を報告した。
第二次世界大戦のさなかで、英国の当局は一時、日本軍の兵士が山を越えて入り込んだ跡ではないかと疑った。しかし骨はずっと古いものだった。

- 標高
- 約5,000メートル
- 湖の大きさ
- 直径約40メートル
- 骨の数
- 数百人分とされる。300人以上との数え方もある
- 状態
- 埋葬されず、湖底や岸に散らばる。雪がとける季節に見える
調査の記録


- 1942年骨の報告森林監視員ハリ・キシャン・マドワルが湖のまわりの人骨を報告した。
- 2004年雹の説が広まるテレビ番組のための調査で骨が9世紀ごろと年代づけられ、頭の傷から「大きな雹に打たれた」という説が広く知られた。
- 2019年38人のゲノムハーニー、ライヒ、ライらの国際チームが学術誌『ネイチャー・コミュニケーションズ』に、38人分のゲノムと年代の分析を発表した。

ここから謎になる
一度の惨事のはずが、骨は千年の幅を持っていた。
2019年の研究で年代を測ると、南アジアの人々に近い23人はおおむね7〜10世紀、地中海東部に近い14人と東南アジアに近い1人は17〜20世紀に入った。二つのグループのあいだには、およそ1000年の隔たりがある。

骨が語ったこと
地元には、カナウジの王ジャスダヴァルが身ごもった王妃バランパや従者、踊り手を連れて女神ナンダ・デヴィの聖地へ向かい、女神の怒りで降った雹に打たれて一行が死んだという言い伝えがある。頭の骨に上からの打撃を思わせる傷があることも、この話と結びつけられてきた。
2019年の研究は、38人の中に三親等より近い親族がいないこと、男性23人と女性15人が含まれることを示した。病原体のDNAは見つからなかった。骨の同位体を調べると、南アジアのグループは食べ物がまちまちだったのに対し、地中海東部のグループは陸の植物を中心としたよく似た食生活だった。

海を越えた祖先
14人の祖先は、いまのギリシャ本土やクレタ島の人々に近かった。
年代と技術
2019年の研究が示した数字。
古代DNAと放射性炭素年代(2019年)
論文は、南アジアのグループも一度ではなく何回かに分けて死んだ可能性を指摘している。一方、地中海東部の人々が「クレタ島から来た」とまでは言っていない。近い祖先を持つ集団が、どこでどう暮らしていたかは分からない。
説の対決
どの説にも、説明しきれない骨がある。
雹に打たれた巡礼の一行
言い伝え、巡礼路が近いこと、頭の上からの傷
死んだ時期が千年離れた二つのグループがいること
巡礼に加わった外来の人々
巡礼路の近くで死んでいること。地中海のグループの食生活が一様なこと
19世紀ごろに地中海系の人々がこの巡礼に加わったという記録が見つかっていないこと
疫病による大量死
多くの人が一か所で死んでいること
病原体のDNAが見つかっていないこと
編集部の考察
確認事実:38人は遺伝的に三つの集団に分かれ、南アジアのグループは7〜10世紀、地中海東部と東南アジアの人は17〜20世紀に死んでいる。近い親族はおらず、男女が混ざる。
推論材料:地中海のグループの一様な食生活。巡礼路が近いこと。雹の言い伝えと頭の傷。病原体が見つからないこと。
考察:湖は一つの事件の現場ではなく、少なくとも二つの時代の死が重なった場所と見るのが自然だ。雹の話が古いグループの一部に当たる余地は残る。
弱点・反証:調べられたのは数百人分のうち38人だけだ。骨は動かされてきたので、どの骨がどこにあったかという情報も失われている。
まだ解けていない問い
- 1
7〜10世紀の人々は、この湖のそばで何によって死んだのか
頭の傷は雹の説と合うが、一度にではなく何回かに分けて死んだ可能性があり、死因を一つにまとめられていない。
- 2
地中海東部に近い祖先を持つ人々は、なぜ19世紀ごろのヒマラヤにいたのか
19世紀のインドに地中海系の人々がいたこと自体は不思議ではないが、この湖へ来た理由を示す文書も持ち物も見つかっていない。
- 3
千年を隔てた死が、なぜ同じ小さな湖に重なったのか
湖が巡礼路のそばにあり、雪が遺体を保ちやすいことは説明になりうる。ただ、調べた38人以外の骨の年代はまだ分からない。
雪がとけると、骨はまた少しだけ顔を出す。そのたびに誰かが触れ、場所が変わる。
湖のほとりには、同じ物語に入らない死者たちが並んでいる。
Daniel Romanson / Wikimedia Commons / CC0 1.0研究・発表
- Harney, Nayak, Reich, Rai et al., “Ancient DNA from the skeletons of Roopkund Lake reveals Mediterranean migrants in India,” Nature Communications 10, 3670 (2019)
- Max Planck Institute of Geoanthropology, “Biomolecular analyses of Roopkund skeletons show Mediterranean migrants in Indian Himalayas” (2019)
報道・事典
写真・資料クレジット
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