
ディキスの石球
バナナ農園の開墾で、真ん丸の巨石が300個以上出てきた。作った人々は、その理由をひとことも書き残していない。
xiquinhosilva / Wikimedia Commons / CC BY 4.0
遺跡の概要
1930年代、コスタリカ南部のバナナ農園で密林を切り開いていた作業員が、ほぼ球形の巨大な石を掘り当てた。その後の調査で、同じような石球が300個以上あることが分かった。小さいものは数センチ、最大のものは直径2.6メートルほどある。作った人々が何のための石なのかを記した文字の記録は、残っていない。長いあいだ農園に置かれていたため、多くは元の場所から動かされ、なかには中に金があると信じられてダイナマイトで割られたものもある。
この遺跡の三つの謎
- この石球は、何のために作られたのか
- 石をどうやって、ここまで丸く仕上げたのか
- 「完全な球」という評判は、本当なのか
- 発見
- 1930年代、バナナ農園の開墾中。最初の学術報告は1943年
- 場所
- コスタリカ南部、ディキス・デルタ(オサ郡)
- 数と大きさ
- 300個以上。直径は数cmから最大約2.6m
- 年代
- 紀元後500〜1500年ごろの首長制社会の遺跡(ユネスコ)
確定している事実
見つかった経緯、材質、遺跡の年代。争いのないことだけを先に並べる。
石球が世に知られたのは、1930年代のことだ。ユナイテッド・フルーツ社がバナナ農園をつくるために南部の密林を切り開くと、ほぼ球形に整えられた巨大な石が、あちこちの地面から現れた。
考古学者ドリス・ストーンが1943年にこの一帯の調査を報告し、サミュエル・ロスロップが1948年から調べて、1963年の報告書に186個を記録した。材質は斑れい岩や花崗閃緑岩が多く、石灰岩や砂岩のものも少しある。

- 最初の学術報告
- 1943年、ドリス・ストーン
- 大規模な調査
- ロスロップ、1948年〜。1963年に報告書
- 数
- 300個以上とされる(数え方は資料で分かれる)
- 材質
- 斑れい岩、花崗閃緑岩、石灰岩、砂岩
発見から世界遺産まで
農園の中の石は、80年のあいだに研究の対象になり、争いの種にもなった。
- 1930年代農園の開墾で見つかるバナナ農園をつくる工事で、石球が次々に掘り出される。
- 1943年最初の学術報告ドリス・ストーンが、一帯の調査を学術誌に発表する。
- 1948〜1963年ロスロップの調査186個の石球を記録した報告書が、1963年に出版される。
- 1971年石球が海外へオサ郡の公式ページによると、石球がフィラデルフィアの公園とワシントンの大使館へ運ばれた。
- 1980年11月学生が搬出を止める同じページによると、首都サン・ホセへの搬出を止めるため、学生がハイウェイを封鎖した。
- 1998年アトランティス説の本建築家イヴァー・ザップとジョージ・エリクソンが『Atlantis in America』を出す。
- 2014年世界遺産に登録4つの遺跡が登録され、同じ年に石球は国の象徴にもなる。

ここから謎になる
石球は残った。並べた理由は、記録に残らなかった。
石球を作った人々は、この石の用途を書き残していない。石球には文字も刻まれていない。何のための石なのかは、いまも分かっていない。考古学者のジョン・フープスも、なぜ作られたのかは本当のところ分かっていないと述べている。

有力とされるのは、石球が身分や権力を示すものだったという見方だ。石球は首長制社会の集落にまとまって残っており、村の格や儀式の場所を示していたのではないかと説明される。一方で、石球の並びが方角や天体の動きに合わせられていたという説もある。どちらにしても、石球が本来どこにどう置かれていたのかが分からなくなっているため、決め手が無い。
どうやって丸くしたのか
作り方は、石に残った痕跡から推し量るしかない。
研究者の説明では、石をハンマーになる石でたたいて形を整え、そのあと砂などですり減らして磨いたとされる。火で熱して表面をはがす工程や、木の型で丸さを確かめる工程を含めて説明する資料もあるが、これらは推測を含む。材料の石は、遺跡の近くの山のふもとから運ばれたとされるが、正確な採石場はどの資料にもはっきり書かれていない。

「完全な球」という言い方はよく聞くが、実際には、直径が5cm以上ばらつく石球も報告されている。年代についても、石球そのものは年代を測れない。一緒に出た土器の様式や、遺物の層の放射性炭素年代から、西暦300〜600年ごろに始まり、多くは1000年以降に作られたと考えられている。
中に金は入っていなかった
金が隠れていると信じた人々は、石球をダイナマイトで割った。
壊された石球
石球が受けた被害は、時間の経過より人の手によるものが大きい。
石球の中に金が入っているという噂を信じた作業員が、穴をあけてダイナマイトで爆破したことがある。当局が止めるまでに数個が壊れ、国立博物館が一部を組み直した。割れた石球の中身は、どれもただの岩だったとされる。ユネスコは、4つの遺跡すべてに、農地開発や盗掘の傷跡があると指摘している。

石球のなかには、元の場所から持ち出されたものもある。押収された石球が Finca 6 に置かれているが、もともとどこにあったのかは、ほとんど分かっていない。石球の意味を考えるうえで最も大事な「置かれた場所」の記録が、いちばん先に失われたことになる。
説の対決
石球の意味をめぐる三つの見方を、説明できることと説明できないことに分けて並べる。
首長の権威を示す象徴
石球は首長制社会の集落遺跡にまとまって残っており、公式の解説で有力な見方として挙げられる
大きさや数と身分が対応していたことを直接示す記録が無く、元の並びも大半が失われている
方角や天体に合わせた配置
Finca 6 には、石球が元の並びのまま残っており、向きを調べることができる
並びが暦や天体の観測を意味したという証拠は無く、確かめられる遺跡がほとんど残っていない
失われた文明の遺物(アトランティス説)
完全な球という印象が、想像をかき立てやすい
石球は土器や放射性炭素で年代が押さえられた集落遺跡の一部で、研究者は根拠のない推測として退けている
編集部の考察
確認事実:石球は1930年代の農園開墾で見つかった。集落遺跡の年代は西暦500〜1500年ごろで、4つの遺跡は2014年に世界遺産になった。
推論材料:ストーンとロスロップの調査、土器と放射性炭素による年代、石球が元の並びのまま残る Finca 6、フープスの解説。
考察:石球は身分や集落の格を示す象徴として置かれた、とみるのが最も無理が少ない。丸さや大きさは、権威を示す技術の証しだったのだろう。
弱点・反証:文字の記録が無く、元の置かれ方の多くが失われているため、象徴だったという説も推測の域を出ない。
まだ解けていない問い
- 1
この石球は、何のために作られたのか
作った人々が用途を書き残しておらず、石球は農園の時代に多くが動かされた。意味を語る手がかりが少ない。
- 2
石をどうやって、ここまで丸く仕上げたのか
叩いて磨いたとする点は一致するが、火を使ったか、どんな道具や型を使ったかは推測を含み、採石場もはっきりしない。
- 3
「完全な球」という評判は、本当なのか
直径が5cm以上ばらつく石球があり、完全な球ではない。それでも、石を球に近づける技術が高かったことは確かである。
石球は、農園の草地でも、遺跡の木陰でも、黙って地面に座っている。
何のために丸くしたのかを知っているのは、作った人々だけだ。
xiquinhosilva / Wikimedia Commons / CC BY 4.0研究・公的機関
報道・事典
写真・資料クレジット
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