水を抜いたネミ湖の湖底に現れた第2の船の船体を上から見た写真

ネミ湖の巨大船

ローマ近郊の小さな火口湖の底から、長さ70メートルを超える皇帝の船が2隻現れ、12年後に一夜で焼けた。

Wikimedia Commons / パブリックドメイン

遺跡の概要

ローマの南東にある小さな火口湖、ネミ湖の底には、古代ローマの巨大な船が2隻沈んでいた。船に使われた鉛の管には皇帝カリグラ(在位37〜41年)の名が刻まれていた。15世紀から何度も引き上げが試みられ、1928年から1932年にかけて湖の水を抜いて、ようやく2隻の船体が姿を現した。船は湖畔に建てた博物館に納められたが、1944年5月31日の夜に火事で焼けた。何のための船だったのかは、今も分かっていない。

この遺跡の三つの謎

  1. カリグラは、何のために湖に巨大な船を浮かべたのか
  2. 船は、なぜ湖の底に沈んだのか
  3. 1944年の火事は、だれが起こしたのか
年代
皇帝カリグラの時代(37〜41年)
場所
イタリア、ラツィオ州のネミ湖(ローマの南東)
発見
1446年に存在を確認、1928〜32年に湖の水を抜いて船体を回収
状態
船体は1944年に焼失。青銅の飾りなどが残る

確定している事実

船の大きさ、年代の根拠、発掘と焼失の日付。記録で確かめられることだけを先に並べる。

ネミ湖は、ローマの南東、アルバーノ丘陵にある火口湖で、面積は約1.67平方キロ、最も深いところで約33メートルある。この湖の底から、長さ約70メートルと約73メートルの船が2隻見つかった。

年代を決めたのは、船に使われた鉛の水道管である。管には「ガイウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスの持ち物」と刻まれていた。ガイウス・カエサルは、皇帝カリグラの正式な名前だ。瓦に押された年代の印も、カリグラの治世(37〜41年)を指していた。

森に囲まれた火口湖、ネミ湖
森に囲まれたネミ湖。古代にはこの湖のほとりに女神ディアナの聖域があった / Albarubescens / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
第1の船
長さ約70メートル、幅約20メートル
第2の船
長さ約73メートル、幅約24メートル
年代の根拠
カリグラの名を刻んだ鉛管と、瓦の年代の印
焼失
1944年5月31日の夜、湖畔の博物館で

調査の記録

15世紀から続いた引き上げの試みと、湖の水を抜いた4年間。

1928年10月20日、ネミ湖の排水ポンプの始動を見るムッソリーニら
1928年10月20日、排水ポンプの始動を見るムッソリーニ(中央)ら / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
ネミ湖の水を外へ流す古代ローマの排水トンネルの内部
湖の水を外へ流す古代ローマの排水トンネル。1928年からの排水に使われた / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
鉄の台車とレールで陸へ引き上げられる第1の船の船体
台車に載せられ、レールで陸へ引き上げられる第1の船 / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
ネミの船の木の錨。鉛の横木がついている
船の木の錨。鉛の横木がついている / Wikimedia Commons / パブリックドメイン
  1. 1446年
    最初の確認枢機卿プロスペロ・コロンナと建築家レオン・バッティスタ・アルベルティが、水深約18メートルに船を確かめる。鉤で引っかけ、船を傷めただけに終わる。
  2. 1535年
    潜水具で潜るフランチェスコ・デ・マルキが潜水具で潜り、煉瓦や大理石、青銅を持ち帰る。
  3. 1827年
    浮き台の試みアネージオ・フスコーニが浮き台を組むが、地元の人々に解体され、ワインの樽の材料にされる。
  4. 1895年
    2隻を調べるエリゼオ・ボルギが湖底を調べ、2隻の船を確かめる。
  5. 1928〜32年
    湖の水を抜くムッソリーニの命で、古代の排水トンネルを使って水位を下げる。1929年に第1の船、1932年に第2の船が姿を現す。
  6. 1936年
    博物館の開館2隻を納める博物館が湖畔に開く。
  7. 1944年5月31日
    焼失夜、博物館が火に包まれ、2隻の船体が焼ける。
カリグラの豪華な船としてよく引かれるスエトニウス『皇帝伝』の描写は、海岸を行く船についてのもので、ネミ湖の船を直接書いたものではない。湖の船について書き残した古代の記録は見つかっていない。
湖底から姿を現した大きいほうのネミの船の骨組み
湖底から現れた大きいほうの船の骨組み。約2000年、水と泥の中に残っていた / Wikimedia Commons / パブリックドメイン

ここから謎になる

船の大きさと飾りは分かった。何に使われたのかは、書いた者がいない。

第1の船には進むための仕組みが見当たらず、曳かれて動いたとみられる。第2の船は両舷に櫂を並べて進んだ。床には大理石とモザイク、船体には青銅の飾りがあり、浮かぶ宮殿か神殿のような造りだった。だが、カリグラがこれを何に使ったのかを伝える記録はない。

ネミ湖と対岸のジェンツァーノ・ディ・ローマ
ネミ湖: 面積約1.67平方キロ、最も深いところで約33メートルの火口湖
船の位置: 1446年の記録では水深約18メートルの湖底
ディアナの神殿: ネミには女神ディアナの古い神殿の跡があり、湖はローマ時代「ディアナの鏡」と呼ばれた

焼け残ったもの

木の船体は失われた。青銅は火をくぐって残った。

1944年5月31日の夜、前線が近づいていたネミの博物館に砲弾が落ち、やがて火が出た。長く、退いていくドイツ軍が火をつけたと言われてきたが、近年の分析では、連合軍の砲撃が原因だった可能性も指摘されている。

焼け残ったのは、青銅の飾りと、わずかな焦げた木材だった。船からは、手で動かすくみ上げポンプや、青銅の玉を使った回転台の部品、鉄と木の錨なども見つかっており、ローマの造船の技術を伝える資料になっている。

ネミの船を飾った青銅のメドゥーサの頭
船を飾った青銅のメドゥーサの頭(1世紀)。ローマ国立博物館マッシモ宮所蔵 / Fabrizio Garrisi / Wikimedia Commons / CC0 1.0
2000年を耐えた船は、戦争の一夜で灰になった。
ネミ湖畔のローマの船の博物館の建物

空になった格納庫

船のために建てた博物館は、いまは焼け残りと資料を並べて建っている。

ネミ湖畔のローマの船の博物館(2023年) / Raboe001 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

船の寸法

記録に残る2隻の大きさ。

ネミの船(1929〜32年の計測)

73m第2の船の長さ
24m第2の船の幅
70m第1の船の長さ

湖の面積は約1.67平方キロしかない。そこに長さ70メートルを超える船が2隻浮かんでいた。船が見つかるまで、ローマ人がこれほど大きな船を造れたという古代の記述は、学者に疑われることが多かった。

説の対決

カリグラは、何のために湖に船を浮かべたのか。

01

皇帝の遊びの船

説明できる

大理石の床、モザイク、温水と冷水を通した管など、住まいのような贅沢な造り

説明できない

湖の上の遊びに使ったと書いた古代の記録がないこと

02

女神ディアナの祭りの船

説明できる

湖のほとりにディアナの聖域があり、湖そのものが信仰の場だったこと

説明できない

船の上で祭りが行われたことを示す銘文や記録は見つかっていない

03

イシス信仰の船

説明できる

カリグラはエジプトの女神イシスの信仰を好んだとされ、船の信仰とも結びつくこと

説明できない

ネミの船とイシスを直接結びつける出土品は、はっきりしない

編集部の考察

確認事実:ネミ湖の2隻は、カリグラの名を刻んだ鉛管から37〜41年の船とされ、1928〜32年に回収されたが、1944年5月31日に焼失した。

推論材料:鉛管の銘文と瓦の印、15世紀以来の引き上げの記録、1928〜32年の排水と回収の写真、焼け残った青銅の飾り。

考察:宮殿のような造りと、自力ではほとんど動けない船体から、移動より儀式や宴に使う「浮かぶ建物」だったとみるのが自然だろう。

弱点・反証:船の用途を書いた古代の文字資料はなく、どの説も造りからの推測にとどまる。船体が焼けたため、新しい方法で調べ直すこともできない。

まだ解けていない問い

  • 1

    カリグラは、何のために湖に巨大な船を浮かべたのか

    用途を記した古代の記録が見つかっておらず、造りから推し量るしかない。

  • 2

    船は、なぜ湖の底に沈んだのか

    カリグラ暗殺(41年)のあと、飾りをはがされ、わざと沈められたとする見方が有力だが、それを直接示す記録はない。

  • 3

    1944年の火事は、だれが起こしたのか

    長くドイツ軍の放火とされてきたが、連合軍の砲撃によるとする見方もあり、決着していない。

輪をくわえた青銅の狼の頭。ネミの船の梁の飾り

木の船体は燃え、輪をくわえた青銅の狼の頭が残った。

皇帝が湖に何を浮かべたかったのか、答えを知る者はもういない。

Fabrizio Garrisi / Wikimedia Commons / CC0 1.0

写真・資料クレジット

水を抜いたネミ湖の湖底に現れた第2の船の船体を上から見た写真

Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

森に囲まれた火口湖、ネミ湖

Albarubescens / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

1928年10月20日、ネミ湖の排水ポンプの始動を見るムッソリーニら

Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ネミ湖の水を外へ流す古代ローマの排水トンネルの内部

Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

鉄の台車とレールで陸へ引き上げられる第1の船の船体

Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ネミの船の木の錨。鉛の横木がついている

Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

湖底から姿を現した大きいほうのネミの船の骨組み

Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ネミ湖と対岸のジェンツァーノ・ディ・ローマ

Deblu68 / Wikimedia Commons / パブリックドメイン。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ネミの船を飾った青銅のメドゥーサの頭

Fabrizio Garrisi / Wikimedia Commons / CC0 1.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

ネミ湖畔のローマの船の博物館の建物

Raboe001 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

輪をくわえた青銅の狼の頭。ネミの船の梁の飾り

Fabrizio Garrisi / Wikimedia Commons / CC0 1.0。縮小(WordPress の縮小版を使用)。出典ページ(確認 2026-09-25)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界の謎と不思議について、公開資料、研究論文、公文書、博物館資料、当時報道を読み比べ、記事の企画から公開後の訂正まで担当しています。 個人運営で、記事の企画、調査、執筆、画像確認、訂正・更新を担当しています。

目次